第12話 自称芸術家の女
「また消えたあ?何やってんだよ本当に。消えるのはお前の専売特許だろ」
私たちの報告を聞き終え、真っ先に反応したのは大神だった。
「見てねえくせに勝手なこと言うんじゃねえよ。向こうも「跳ぶ」なんて誰が予想できるってんだよ」
私は金剛の困惑ぶりに、上司として胸が痛むのを覚えた。
コンゴこと金剛調査員は、普通の人にはない特殊能力を持っている。それは、ある場所からある場所へ、足も乗りものも使わず一瞬で「飛ぶ」という力だ。
瞬間移動という超能力の一種らしいが、私は金剛以外に同じ能力を持つ人を知らないので、本当に超能力かどうかはわからない。ただうちの調査員は皆、なにかしら普通の人にはない能力を持っているのでその力を疑ったことはない。
金剛の瞬間移動には特徴があり、自分の意思ではなかなか思った場所に飛べない。だが、誰かがピンチに見舞われた時には謎のアンテナで危機を察知し、一発で飛んできてくれるのだ。
たとえ普段は犬に吠えられただけで「飛んで」しまうとしても、私にとって金剛の能力は選ばれた者だけに与えられた神様のご褒美としか思えない。
探偵事務所に入って最初に関わった調査で、私は金剛や他の部下たちの不思議な能力をいくつも目の当たりにした。その驚きべき力のほとんどが、右も左もわからないおっちょこちょいな上司を助けるために使われてきたのだ。
「こうなるとお相手の古品開さんも怪しくなってくるわね。あの状況で彼女の「能力」に気づかないなんてことないはずだもの。知っててつき合ってるとしか思えないわ」
「じゃあ、あのふざけた手品も俺たちに見せるためにやったってことですか。一体、何のために?」
「ひょっとするとこの案件、裏に何かあるのかもしれないわね」
「だとしたらそもそも、あの下津っていう依頼人も信用ならないってことになりますよ。どうします?調査を中断してキャンセルします?」
「それはしないわ。とにかく二人目の調査を終えて、その後考えましょう」
雲行きが怪しくなったことに神経を尖らせる金剛と大神に、私は釘を刺した。
「二人目もおかしな能力の持ち主だったら正直、お手上げですよ」
両手を広げて天を仰いだ金剛に、私は「コンゴには少し休んで貰うわ」と言った。
「次の調査にはウルフ、あなたにつき合ってもらうことにします。準備をしておいて」
「はあ、やっぱりそう来ますか。……わかりました」
「依頼人が疑わしいという見方には私も同意するけど、きちんと調査を終えれば二百万よ。私たちの『城』を守るにはやりと遂げるしかないの」
私は自分自身を鼓舞するように檄を飛ばすと、気づかれぬようそっとため息を漏らした。
※
「どう?聞こえる?」
私は助手席から外を眺めながら、隣で受信機の操作をしている大神に尋ねた・
「ええと、生活音ばかりで人の声らしいものは……あっ」
「どうしたの?」
「チャイムの音が聞こえました。誰か来たようです」
「スピーカーをオンにできる?」
「できます。雑音が混じってるので少々、聞き取りにくいかと思いますが」
大神はそう言うと、耳からイヤホンを外した。私たちの車が停まっているのは、都心部にほど近い住宅地の外れだった。このすぐ近くに古品の浮気相手が住むマンションがあるのだ。
――やっと入れてくれたね。僕の顔を忘れたんじゃないかと思ったよ。
――うふふ、あなたみたいな人、知らないわ。……しばらく来ないんですもの。
「どうやら古品が彼女の部屋に入ったようですね」
「そのようね。雰囲気からすると、女が古品を振り回してるって感じかしら」
私は古品の浮気相手が前回とかなり違うタイプであることに、呆れながら言った。
二人目の浮気相手、丸谷七海はアーティストだ。書道家で作詞も手掛けるという彼女は、仕事中はアトリエからほとんど出ないという。必然的に古品の方から彼女の部屋を訪ねる形になるわけだが、警戒心が薄いのか古品は頻繁に彼女のマンションを訪れているようだ。
「盗聴器はどこにしかけたの?」
「七海が良く取り寄せている地方の名物を、店からの好意だという手紙を添えた宅配便で届けたんです。もちろん、届けたのは俺ですが」
「怪しまれて捨てられるとは思わなかったの?」
「なに、すぐには捨てないでしょう。古品が来ている二、三時間だけ部屋にあればいいんです。一応、中身は本物ですし」
受信機から七海の艶っぽい笑い声が漏れたのは、大神がそう言って得意気に鼻を鳴らした直後だった。
――だめよ、今、集中してるんだから。
――君が仕事に熱中してる姿を見てると、どうにも邪魔したくなってくるんだよ。
――そんなことより彼女の方は大丈夫なの?……一応、婚約中なんでしょ?
――ここではその話はなしって言っただろう?確かに沙都花のことを思うと心苦しいけど、君といる時間はフリーだと思って欲しいな。
――じゃあもし私が望んだらあなた、今の暮らしを捨てられる?
――えっ、それは……
――うふふ、冗談よ。もう少し待って。今、いい感じのイメージが降りてきたの。
――捨てるよ。君のためなら家族も捨てられる。だから……
――もう、やめてってば。筆がぶれちゃうでしょ。
「けっ、すべてを捨てられるだとさ。聞いてらんねえや」
大神は受信機を私の方に押しやると、ふて腐れたようにシートに凭れかかった。
「でも、これで決定的な台詞が録れたわ。お相手の「正体」はまだわからないけど、あとはマンションから出てくる所を撮れば浮気の証拠としては充分よ」
「随分と簡単でしたね。この調子で調査を終えられれば、予定よりかなり早く報告できそうですね」
大神が楽観的な観測を口にした、その時だった。
――あ、だめ待って。
突然、七海が緊張を含んだ声で、古品に囁いた。
――どうしたんだい?
――ちょと気になることがあるんだけど。
――何?
――あなた……探偵の臭いがする。
「えっ、どういうこと?」
私はぎょっとした。浮気調査でこんな会話に出くわしたことは、今までで一度もない。
――なんだい、探偵の臭いって。
――あなたどこかで探偵とすれ違わなかった?それか、探偵に後をつけられたとか。
――さあ……
――もしかして、この近くにいるのかも。悪いけど、見て来てもらえないかしら。
――仕方ないな。……ちょっと待っててくれ。
古品の声がそこで途切れ、私と大神は車の中で顔を見あわせた。
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