第11話 そして彼女だけいなくなった
「――来たわ。依頼人の話と気味が悪いくらい一致してるわね」
依頼人の夫、古品開が交差点を渡り始めるのをコンビニの陰から確認した私は、車で待機している金剛に報告した。
「え、もう来ちゃったんですか。じゃあすぐ戻ってください、ボス」
私は待機している金剛の元に引き返すと、配達車両を装った公用車の助手席に飛び込んだ。
「この車の前を通ればビンゴ、通らなければ駅に行くはずだから、そうなったら調査は終わり」
「確かこの先の路地に浮気相手の車が待ってるんですよね?古品の姿が見えなくなったら、すぐに追跡の準備を始めないと」
「待ってるとすれば川渕真美子よね。ちょっと乗り込むところを見たい気もするけど」
私と金剛が調査員とは思えぬ呑気な会話を交わしていると、フロントガラスの向こうを古品と思しき男性が通り過ぎるのが見えた。
「来たわ。やっぱり不倫デートだったわね」
私たちはシートに深く身を沈めると、息を殺して次の展開を待った。やがて古品が路地に姿を消し、近くで車がアイドリングしている音が聞こえ始めた。
「おっと、本当に車が待ってたみたいですね。こりゃあ急いで追跡の準備をしないと」
「待って、まだエンジンはかけないで。相手が警戒しない距離まで行ってからにして」
私たちが流行る気持ちを抑えて通りの様子を見つめていると路地から一台の軽自動車が鼻先を覗かせ、それから私たちの前をゆっくり横切ってゆくのが見えた。
「あの二人です。間違いありません」
軽自動車は交差点の手前で速度を緩めると、ウィンカーを出して曲がり始めた。
「……後ろには気を遣っていないみたい。今よ、コンゴ」
「了解」
私たちは見失わぬよう適度な距離を保ちつつ、軽自動車の追跡を開始した。
――さて、今宵ご両人が向かうのは廃墟のホテルか、人気のない廃トンネルか……
細かく右左折を繰り返しながら後を追っているとやがて、軽自動車は三差路の手前で速度を緩めた。右に行けば廃ホテル、さて……
「ありゃ。……あっちは聞いてた道と違いますよ。どうします?」
金剛が慌てたのも無理はない。二人の乗った軽自動車は前回、向かったという廃ホテルとは真逆の左方向に走っていったのだ。
「そのまま追跡を続けましょう。行く方向が変わっただけで、調査対象が変わったわけじゃないわ」
私はすいすいと前を進む軽自動車のテールから視線を外さぬよう、努力しながら言った。
――こんな風に怪しい人たちの後を追っていると、なんだか『探偵ごっこ』をしてるみたい。本職の探偵なのに。
私がなんともいえぬ妙な気分を持て余していると突然、金剛が「あっ、あれは……」と困惑したような声を上げた。
私たちの目の前に忽然と姿を現したのは、かつて地域の人たちを楽しませたであろうアミューズメント施設――閉鎖されたボーリング場跡だった。
「ふうん……ホテルとは違うけどあの二人、どうやらこういう建物がお好きなようね」
軽自動車が駐車場だったと思しき空き地に入り込むと、私たちも少し離れた場所にそっと車を停めた。
「さあ、お化けカップルにおせっかいを配達しに行くわよ」
私たちは車から降りると、二人の後を追ってボーリング場跡らしき廃墟へと向かった。
軽自動車を降りた二人は駐車場を横切ると、正面玄関の扉を開けて建物の中へと入っていった。
私は二人の大胆さに驚きつつ、こんなルーズな管理状態では面白半分の学生や不良たちに荒らされてしまうのではないかという懸念を抱いた。
「とりあえず、中を覗いてみないことには始まらないわね」
私たちは十分に間を取った上で玄関前に移動すると、扉を押し開けて中の様子を伺った。
「……んっ?」
私は広いロビーの中をざっと改めると、思わず首を傾げた。ゴミこそ散らばっているものの、内部は思ったほど荒らされてはいなかった。扉の隙間から見えた主な物は無人の受付カウンターと電力を絶たれて沈黙している自動販売機、そして――
中央の柱に据えられたソファーにぐったりと身を預けている男性――古品開の姿だった。
「どういうこってす?女がいませんよ」
金剛が左右を見回し、訝しむように言った。
「そうね。まさか廃墟でお手洗いなんてことはないと思うし……姿が見えなくても油断はできないわ」
私たちは頷き合うと、いちかばちかで建物の内部に足を踏みいれた。薄闇の中、がらんとしたロビーを慎重に横切ってゆくと、ほどなく中央の柱とソファーに身を預けている古品の姿がはっきりと見極められるようになった。
「……気がつきませんね。まさかこいつは、救急車が必要な案件だったりしないでしょうね?」
「眠ってるだけかもしれないわ。まずはマミコの姿を探しましょう」
私たちがソファーの前を離れ、今一度ロビー全体をあらためようとした、その時だった。
ばたんと扉が閉ざされる音が響いたかと思うと、天井の照明が一斉に点って闇に沈んでいたロビーの全体像が露わになった。
「うふふふっ」
突如響いた声に振り返ると、扉のところに立っている川渕真美子の姿が私たちの目に飛び込んできた。
「……マミコさん」
金剛が呟いた瞬間、マミコの姿が消えて背後から「ここよ」と言う声が聞こえた。
「なにっ?」
振り向いた私の目に金剛の手首を掴むマミコの姿が見え、瞬く間に金剛もろとも消え失せた。そしてほぼ同時に空間から金剛だけが出現し、見えない力で床に放りだされた。
「――コンゴ!」
「いたた……」
私が金剛に駆け寄ると、またしても背後で「うふふっ」という声が響いた。
「ボス、あそこです。柱のところ!」
金剛に言われて振り返った私の目に飛び込んできたのは、ソファーの上でぐったりしている古品の傍らに屈み込み、愛おしむように手を包みこんでいるマミコの姿だった。
「あなたいったい、何者……あっ!」
私が声をかけた瞬間、マミコと古品の姿がかき消すようにソファーの上から消失した。
「消えた……」
呆然としている私の耳に、扉の外で誰かが車のエンジンをかける音が飛びこんできた。
「ボス、外です!」
私たちは弾かれたように駆けだすと、扉を押し開けて建物の外に出た。同時にアクセルを踏む音が駐車場の方から聞こえ、思わず振り向いた私たちの目に遠ざかってゆくテールランプの光が飛び込んできた。
「コンゴ……車が停まってた当たりの地面に、何か見えない?」
私がそう言って駐車場の一角を目で示すと、金剛が「そういえば……」と目を細めた。
「何か黒っぽい物がありますね。行ってみましょう」
駐車場に足を踏みいれた私たちはそこに残された物を見た瞬間、「嘘っ」と叫んでいた。
「……これがここにあるってことは、またしても古品は一人で帰ったってことですかね」
金剛の言葉に私は「そのようね」と頷いた。私たちの足元に残されていたのは小さな土の山と、マミコが羽織っていたピンクのサマーニットというもはやお馴染みの遺留物だった。
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