第9話 はなれるわざ
「さっき敷地で見たのといい、閉館中の美術館にいるのといい、こりゃあ俺と同じような能力を持ってるってことですかね?」
「お化けかどうかはともかく、普通の子じゃないことは確かなようね」
いったん通路側から見えない位置に身体を引っ込めた私たちは、急転直下の事態に戸惑いながらもさしあたっての対処を小声で囁きあった。
「どうします?接触してみますか」
「隠れて少し様子を見ましょう。ええと……あ、このカウンター、中に隠れられそうだわ」
私は小さな円形カウンターの売り側に潜りこむと、金剛に「入れそう?」と尋ねた。
「身体がどうかなっちまいそうですが……やれというならしょうがない、やります」
金剛が大きな身体を押しこむと、それだけで小さなカウンターの内側は満員になった。
「……あっ、足音だわ。こっちに来るみたい」
私は人気のないロビーを横切る足音を聞きつけ、息を潜めた。足音は私たちが隠れているカウンターの前まで来ると突然、ぴたりと止んだ。
「…………」
私たちが息をつめて外の気配をうかがっていると、やがて離れた場所で物を動かすような音が聞こえ始めた。
「ねえコンゴ、さっきここに誰か来たわよね?」
「来ました。止まった後、足音が一切、聞こえませんでした。ちょうどあっちからこっちへ……」
「飛んだ?」
私が尋ねると金剛はどこか躊躇するように「……はい」と返した。
「出ましょう。人間かもしれないけど「普通の人間じゃない」ことははっきりしたわ」
私は金剛と共にカウンターから出ると、音のした方へ足を向けた。どうやら物音は奥の『特別展示室』の方でしたらしく、扉の前に張られていたチェーンが外されているのが侵入者の気配を物語っていた。
「この中にいるのかしら」
「覗いてみますか?」
私は頷くと、取っ手に手をかけそっと扉を手前に引いた。隙間から見える室内の様子におかしなところはなく、私は思い切って扉を大きく開け放った。
「――あっ」
「……誰もいない?」
私たちが目にしたのは、がらんとした展示室と壁に掛けられた絵画だけだった。私は中に足を踏み入れると、どこかにマミコが潜んでいないか入念にあたりを見回した。
「……ボス、なんでしょうね、これ?」
壁に沿って移動していた金剛が突然、声を上げてわたしの方を振り返った。
「どうしたの?コンゴ」
「壁際の床に、なんか土みたいな物があるんです。それと……」
金剛はいったん言葉を切ると、屈みこんで何かを拾いあげた。
「こんな物が落ちてました」
金剛がつまみ上げて私に披露したのは、片方だけのサンダルだった。
「それ……もしかして彼女が履いてた奴?」
「そのようですね。まるでここまで歩いてきて、壁の前で消滅しちまったって感じです」
「壁の前で……」
私はマミコが消えたと思われる壁の前に移動した。確かに飾られている絵のちょうど真下に、土のような黒い物質が小さな山を作っていた。
「この絵と関係は……ないか、さすがに」
私は消滅地点の上に掛けられている絵を見つめ、ふうと息を吐いた。絵はアクリル画で、窓から少女が顔を覗かせているという物だった。
「見ようによっては、あの「お嬢様」に似ていると言えないこともない……かな?」
「そうですかね。俺には若い女の子はみんな同じように見えますが」
「言いたいことはわかるけど駄目よコンゴ、二十九でそんなおじさんみたいな事言っちゃ」
私が人間消失という不可解現象から冗談で逃げようとした、その時だった。ふいに金剛の携帯が鳴り、私は肩がぴくっと動くのを意識した。
「すみません」
金剛は携帯の画面をあらためると、大きく目を見開いた。
「まいったな」
「どうしたの?」
「綾子からです。おじさんが遅くなりそうなので、近くのファミレスで夕食を取るそうです」
「あら、じゃあ行ってあげた方がいいわ。調査の途中だけどここ、いったん出ましょう。あなたはもう上がって、コンゴ」
「そういうわけには行きません。あいつももう大人です。仕事が終わったら行くことにします」
金剛は厳しい口調で言うと、携帯をしまって私の方を見た。
「それよりこのまま出ちまっていいんですかね?我々には外から施錠することはできないし、勝手に入ったことを謝るにせよ、どうやって侵入したかを説明しなくちゃなりませんよ」
「困ったわね。私たちが見たことをそのまま言っても信じてはもらえないだろうし……」
私が腕組みをして唸った、その時だった。突然、甲高いアラート音が鳴り始め、私と金剛はその場で身を固くした。
「セキュリティだわ。どうしよう、警備の人が飛んできちゃう」
「もうこうなったら逃げちまうしかないです。行きましょう」
「でも、もし防犯カメラに映ってたりし……」
私が金剛を宥めようとしかけた途端、またしても周囲の風景がチャンネルを切り替えるように一変した。
「……たらどうするの?」
気がつくと私たちは美術館前の歩道にいた。どうやら金剛の能力が発動したらしい。
「ありゃ……外に出ちまいましたね」
金剛がばつの悪そうな顔を私に向けた途端、私たちの目の前を警備会社の車両がスピードを上げながら走り去ってゆくのが見えた。
「侵入者を捕まえに行くのかしら」
「だとしたら無駄足になりますね。気の毒なことしちまいました」
「とにかく離れましょう。後で事務所に連絡が来るかもしれないけど、その時はその時よ」
私と金剛は顔を見あわせ、今さら戻る勇気はないという事を互いの表情で確認した。
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