神の力
天鬼は、西洋刀を真っすぐに立てた。次の瞬間、フッと天鬼の姿が消えた。カナギは、しまったと思った、次の瞬間には、天鬼は既にカナギの背後を抜けていた。
あ……、とカナギは声を漏らした。
カナギが背後を見た時には既にその光景が広がっていた。
天鬼の西洋刀から血が滴り落ちた。音も立てずに、刀が引き抜かれて、その華奢な身体は崩れるように落ちていった。そして、鮮血が身体の周りに溜まっていった。
「姫様っ!! 貴様、何てことを……!」
カナギは刀を振りかざし、天鬼へと斬りかかった。しかし、天鬼の姿は既にそこには無く、カナギの背後へと回り、腕を固めた。
「ぐっ……」
「落ち着きなさい。よく見なさい。あれを」
天鬼は、椿が横たわっている姿を指した。
「貴様っ! 何を言っている!?」
カナギは、天鬼の手を振りほどこうとしている中、ふと、椿の方を見た。
「え……?」
カナギは目を疑った。無い。椿が居ない。いや、違う。椿はちゃんといた。数秒前と同じく、物陰に隠れて、心配そうにこちらを見ている。
――さっきのは一体? 幻覚でも見ていたのか?
「不思議よね。私も同意見よ。確かにこの剣で彼女を貫いたわ。その感触は残っている。けど、血の一滴すら残っていない。まるで、それは元々、無かったことのように」
天鬼はカナギの腕を離した。カナギは飛び退いた。
「私も何が起こっているのかは分からないわ。一瞬で傷が癒えたのか、時間を戻したのか、あるいは、私の攻撃を無かったことにしたのか。あの子自身に自覚は無いかもしれないけど、これはとてつもなく危険な能力なの。能力と言っていいのかしら。ある種、神の力と言っても良いかもしれない」
カナギは今、起こっていることを理解することが出来なかった。椿が神の力を持っている、そんなことを言われても、カナギには理解しようがなかった。
「貴女がここに来る前に、雷鬼がそこのお嬢さんを何度か粛清しようとしたわ。だけど、御覧の通り、私達には今のところどうすることも出来なかった」
天鬼はため息交じりにそう言った。
「あと、貴女のその力ね。おそらく、彼女が授けたのでしょう。神の力が使えるのなら、造作もないことだわ。他の城の者達ではなく、貴女にその力を与えたのは何故だか分からないけど……。こう言ってしまえば、体裁が悪いですが、我々は貴女方を追い詰めているように見受けられるかもしれませんが、むしろ、追い詰められているのは我々の方なのです。彼女に対して、何ら影響を与えることが出来ない我々に対して、彼女は自分から我々に対して攻撃することもは無くとも、貴女を通して、我々に歯向かってきている。今はまだ、私の方が貴女よりも少し強いくらいですが、彼女の力を持ってすれば、貴女が私を超えることは造作もないでしょうね」
「そこで、提案、というか、懇願と言った方が良いかもしれません。貴女には協力して頂きたいのです。彼女から力を与えられた貴女であれば、彼女に対して、何らかの影響を及ぼすことが出来るのかもしれない」
「私に、姫様を手にかけろ、と言うのか?」カナギは言った。
「そうですわね。意味がないかもしれませんが、彼女が信頼している者が裏切る、という行為は、何かしら、彼女に影響を与えるかもしれません。単なる希望ではありますが……。考えてみてください。今はまだ、彼女は子供で、この力の使い方をよく知らない。しかし、次第に自分の力の大きさに気付くのでしょう。そうなれば、この世界の均衡は明らかに崩れてしまう。そんな危険な力を彼女は持っているのです」
カナギは、椿を振り返った。椿は怯えた様子でカナギの方を伺っていた。カナギは刀を握りしめ、椿の方に向かっていった。
「カナギ……」
椿は俯き、涙を溜めていた。
「私、分からないの。神の力なんて知らない。私は何もやってないの。でも、あの人の言うことは本当なの? 私は危険なの? 殺されるべきなの?」
カナギは、椿の肩に手を置いた。
「姫様。何も心配することはありませんよ。殺されるべき人間なんているわけがない」
カナギには、椿が神の力を持っているかどうか良く分からなかったし、例え、そんな力を持っていたとしても、椿が粛清されるべき存在であるとは考えたくはなかった。
「はぁ。愚かな人間。世界の均衡よりも個人の感情を優先する生き物なのね」
天鬼は、二人のやり取りをみて、諦めた様子でそう言った。天鬼は、西洋刀をカナギと椿に向けた。
「仕方ありません。どれほどの影響があるのか分かりませんが、貴女を失うことで、彼女の心に傷を入れることが出来るのかもしれませんし、肉体的には難しいかもしれませんが、精神的に追い詰めていくしかありませんものね」
カナギも刀を天鬼に向けた。
天鬼が真っすぐ、カナギに向かってくる。先ほどは見切れなかったが、今はカナギには天鬼の動きが見えていた。天鬼の突きを咄嗟にカナギが払う。天鬼はそれでも立て続けにカナギに斬りかかってきた。カナギは何とか凌ごうとするが。
「うっ……」
天鬼の刀がカナギの身体を切り刻み、鮮血が飛ぶ。天鬼の攻撃に耐えきれず、少しずつ、カナギは劣勢となっていった。
「まだ、私の方が上のようですわね」
カナギが足をついた。
「カナギっ!」
椿がカナギの元へ駆け寄ってきた。
「あの人の話では、私がカナギに力を与えたんだよね? 私はどうすればいいの? カナギにどうやったらいいの?」
「姫、様……。大丈夫です。私はまだ戦えます」
「どうやら、やはり、まだ力の使い方が分かっていないようね。つまり、今が好機ということね」
天鬼がカナギに向かって、刀を振りかざした。振り下ろされる瞬間、椿は様子が変わったように立ち上がり、天鬼を睨んだ。
カナギの目の前が真っ暗になった。カナギは目を開けると、広大な海の真ん中にいた。そう。雷鬼との闘いの際にも来たこの場所だ。ここでカナギは、椿に力を与えられたのだ。
「カナギ」
不意にカナギは後ろから声を掛けられた。振り返ると、椿が立っていた。しかし、椿の雰囲気が少し変わっていた。子供のようなあどけなさは無くなり、大人びた雰囲気が漂っていた。
「姫様。天鬼はどうなったのですか?」
カナギは辺りを見回したが、天鬼らしい姿も気配もなくなっていた。
「心配ないよ。鬼達は居なくなったよ」
「そうですか。姫様のお力なのですか?」
椿は、何も答えず、歩き始めた。不思議な空間だった。海の上のはずなのに、立って歩くことが出来る。カナギも椿を追って、歩き始めた。
「もう気付いているかもしれないけど」
椿は歩きながら不意に話し始めた。
「私は、あなたの知る椿であって、椿でない存在。あなた達の言うところの神様のような存在なの」
「あの鬼達の言うことは本当なのですね」
「そうね。この世界にとっては、私は異物なのかもしれない。だから、この世界の神達は、私を何とか除外しようとするのね」
カナギは違和感に気付いた。
「その言い方だと、あなたはこの世界の人間ではないという事なのですか?」
椿は振り向き、ゆっくりと頷いた。
「この身体は、この世界の椿という娘のもの。私はこことは違う世界から来て、この椿の身体を借りて存在しているの。断っておくけど、私はあの鬼達の言うような危険な存在であったとしても、別にこの世界をどうこうしようとする気は無いわ」
カナギは、椿の言っていることは本当のことだと思えた。
「では、あなたはなぜこの世界に来たのですか?」
「来たくて来たわけじゃない。いくつもの偶然が重なって、たまたまこの世界に留まることになってしまったの。出来るなら元の世界に帰りたい」
「その神の力を持っても出来ないことなのですね」
椿はフフッと笑った。
「私も万能の神と言うわけでもないの。それに、この世界への干渉はなるべく避けるようにしている。言った通り、私はこの世界の神になりたいわけじゃないからね」。
「これからどうするのですか?」
椿は海の先の方を見ていた。
「そうね。元の世界に帰る手段は探したいけど……。今回の鬼達の襲撃は無くなったけど、彼らを滅ぼしたわけでは無いから、きっとまた私を排除しにやってくるでしょうね」
カナギはこれほど絶大な力を持ってすれば、撃退するのも容易だと思った。
「そんなに簡単なことじゃないの」
椿はカナギの心を読んだかのように言った。
「さっきも言った通り、私は万能の神と言うわけじゃない。私はこの能力を改変と言っているけど、私の意思で何でも出来るわけじゃない。詳しい条件は私にも良く分かっていないのだけど、カナギ。あなたが何らかの鍵になっている可能性があるの」
「私ですか?」カナギは驚いた。
「私は、ずっとこの娘の深層意識の中にいたけど、今まで外に干渉することが出来なかった。だけど、あなたと関わってから、外に干渉できるようになったの」
カナギは、力を与えられた時のことを思い出した。
「あなたがあの鬼達に対抗できるようになったのは、偶然なんかじゃなくて、あなただからこそ出来たの。他の誰でも強くなれたわけじゃない。なんでかは分からないけど、あなたに干渉する中で、分かったことがある」
「あなたもこの世界の人間ではないわね?」
椿はそう言い放った。カナギは狼狽えたが、それは自分自身にも分からなかったのだ。
「私は記憶が無いのです。気が付いたら、ただ鬼を斬っていた。私にはそれしか術が無かったのです」
「そう。あなたは鬼を殺すという使命を持って、この世界にやってきたのかもしれない。だからこそ、力も与えることが出来た」
「私もあなたと同じ世界からやってきたのですか? 私の事を何か知っているのですか?」
カナギは懇願するように椿に問いかけた。
「ごめんなさい。私が元居た世界では、あなたに関することは何も知らないわ」
「そうですか……」
カナギは、時折、思い出すあの記憶を思い返した。
――私は誰かを残して、この世界に来たのかもしれない。置いて行かれたあの少女は今も私を待っているのだろうか。
「カナギ。提案があります。私と一緒に来ませんか? 私と一緒に元の世界に帰る方法を探してくれませんか? 私が居た世界と、あなたの居た世界は違うかもしれない。けど、あなたが居た世界の事を知ることは私にとっても、有益かもしれない」
カナギは考えた。確かにそうかもしれなかった。第一、自分一人の力では、再び、鬼が襲ってきても撃退できる自信が無かった。あの天鬼よりも強い鬼が襲ってくる可能性もあるのだ。
「分かりました。共に行きましょう」
椿は、初めて笑顔を作った。その時だけは、元の椿に戻ったように見えた。その時、海の彼方から、眩しい光が差し込んできた。
「そろそろ、時間ね。椿の意識が目覚める。私は椿の深層意識にいる存在だから、普段はあなたからは私に干渉できないし、私からも出来ない。覚えておいてね。あと、ちょっと、この娘の意識に仕掛けをしといたわ」
眩い光が世界を包んだ。カナギの意識も真っ白になっていった。
カナギが目を覚ますと、いつもの寝泊まりしている宿の一室に居た。カナギは飛び起き、外を見た。辺りは既に日が明けていた。城の方も見たが、焼け落ちておらず、昨夜の惨事が無かったことのようだった。町の様子も特に変わったことはなかった。これも椿の影響なのか、とカナギは思った。
それから、カナギは町に出て、いろいろな人に聞き込みをしたが、誰も昨日の事を覚えている者は居なかった。どうやら、本当に椿は天鬼達が襲撃したという事実自体を消し去ってしまったのだ。いや、カナギ自身、昨日のことが本当だったのか、夢だったのか分からなくなっていた。
「カナギ」
カナギは不意に声を掛けられた。振り返ると、椿が居た。いつものように町人の恰好をしていたが、少し装いが変わっていた。
「カナギ。私、決めたの。旅に出るわ」
椿は、意気揚々とそう言った。どうやら、神の力を持った椿ではなく、城主の娘の椿のようだ。しかし、昨日までとは何か雰囲気が違っていた。
「どうしたのですか、いきなり……」
「この世界に鬼が蔓延っている限り、平和なんて来ないわ。だから、鬼を根絶させるために私達は旅立たなくてはいけないの」
椿は冗談などではなく、真剣な眼差しでそう言った。
「それはまた、大層な……。って、私達って?」
「もちろん、あなたもよ。カナギ」
「え。それは……。でも、お城の人達は?」
「もちろん、抜け出してきたわ。私を止めるに決まっているもの」
「それはちょっと……」
カナギが困っていると、椿は一瞬、立ち眩みして、直ぐにカナギを見た。その眼は、さっきまでと違って、大人びた雰囲気に変わっていた。
「もしかして、神様の方ですか……?」
カナギは恐る恐る聞いた。
「その呼び方はやめてほしい」
椿は、溜息混じりに言った。
「私にはこの世界での呼び名など無いのだけど、それも不便だからね。そうね、カミラとでも呼んでもらったらいいわ」
カナギは、このカミラという存在がいることで、昨日のことが夢ではなかったのだと改めて信じることが出来た。
「カナギ。一応、城の者達の記憶も改ざんしておいたから。椿という娘は、実は鬼を根絶させる力を持っていて、世界を救うために旅立ったのだということにしておいたわ」
「それで、姫様もあんなことを……。でも、そんな事をしていたら、また天使達に目を付けられるのではないですか?」
「そうね。だから、早く旅立たないといけない」
カナギは、自分に選択肢は無いのだと諦めた。
「私の時間も長くはないわ。椿に戻るわ」
カミラは、意識を失ったかのように一瞬、よろめいたが、すぐに立ち上がった。
「あ。カナギ」椿が目を覚ました。
「姫様。分かりました。私も同行しましょう」
「本当!」
椿の顔がぱあっと明るくなった。
カナギは思った。これから長い旅になるだろう。また、天鬼のような強敵と戦うことになるだろう。きっとこれまでよりも辛い戦いになるだろう。そして、その先には自分の過去を知ることになる。自分の居た世界を思い出すことになる。それは辛い記憶からもしれない。カナギのあの断片的な記憶がそれを物語っていた。だが、この椿やカミラを救うことになる、また、自分自身を取り戻すことに繋がるのなら、何も恐れることは無かった。
カナギと椿は、世界を取り戻すための旅へと旅立っていった。
カナギノカタリ まゆほん @mayuhon
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