鬼
城の門扉は既に破壊されており、門番たちの死骸が転がっていた。カナギは扉の前で立ち止まり、破壊された跡をまじまじと見た。その扉は粉々に砕け散っており、その破壊のされ方が異様であることを物語っていた。カナギの知っているような鬼は、こんなことなんて出来ない。カナギは、嫌な予感がしていた。これは普通の鬼じゃない。
ともかく、火の手が上がっている城の中にカナギは駆け込んだ。カナギは違和感を覚えた。鬼が侵入して、まだ間もないはず。交戦中であれば、騒がしいはずだが、全くそのような気配がない。しかし、カナギはすぐに理解することとなった。カナギが通る廊下に転がる無残にも殺された兵士の死体の山を見たからである。カナギは近くの死体を見た。明らかに切り傷ではない。肉が抉り取られていたり、頭をぺしゃんこに潰されていたりしていた。信じられないほどの握力で引きちぎったりしたのだろうか。カナギはそれほどの腕力を持つ鬼を知らなかった。果たして、城内で生きている者などいるのだろうか。カナギは椿の顔が思い浮かんだ。カナギは決して、恐怖心が無いわけでは無かった。普通の人間と同じく、殺されるのは嫌だし、逃げ出したいという気持ちももちろんあった。ただ、誰かを守りたいという気持ちが人一倍強かったので、カナギは前に進みだせたのだ。
いや、この時、カナギは分かっていなかったのだ。自分がいかに奢っていたのかを。幾百という鬼を葬りさってきた自信がカナギにはあったのだ。だから、今回の鬼が強者と分かっていても、カナギは自分なら何とかなるという自信があったのだ。
カナギは城の最上階まで上がってきた。ここには領主の部屋があるはずだ。椿もここに居るはず。カナギは扉を開けると、その部屋には三人の人影が見えた。
一人は、あの鳳という鬼斬りの用心棒だった。そして、鳳と対峙している鬼が居た。そして、もう一人が……。カナギは胸を撫でおろした。椿である。相対してる二人から離れて柱に隠れていた。カナギは改めて鳳と向かっている鬼を見た。カナギは少し拍子抜けした。これだけの被害をもたらした鬼なのだ。屈強な鬼が大勢いるだろうことを想像していたが、実際には、華奢そうな鬼が一匹いるだけだった。確かに角を生やしているので、鬼に違いは無さそうだが、顔立ちは幼い少年のように見えたし、手足をぶらぶらさせて、見るからにやる気が無さそうである。
椿がカナギに気が付き、駆けてきた。
「カナギっ!!」
椿は、カナギに飛びついた。
「良かった! ちゃんと来てくれたんだ」
椿の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
「すみません。遅くなりました。鬼はあいつだけですか?」
「うん。みんなあいつに殺されたの……」
「そうなのですか」
カナギは信じられなかった。
「でも、大丈夫です。私も来ましたし、あの、鳳という男もいます。彼はああ見えても、用心棒の中では一、二の強さを誇る……」
「駄目っ!戦っちゃ駄目。逃げよう、カナギ!」
椿がカナギの手を引いて、部屋の外に出ようとした、その時……!
「きゃあ!!」
椿が叫び声をあげた。扉の前にはあの鬼が居たのだ。今の瞬間まで部屋の奥の方で、鳳と対峙していたはずだった。
「んー?」
鬼は気だるそうな声を出した。
カナギは、鳳は、と思ったら、その鬼の手に見覚えのある顔がぶら下がっていた。鳳の首である。カナギは目を疑った。鳳と鬼が対峙しているのを確認してから、ほんの一、二秒の出来事だったのだ。全く分からなかった。カナギは血の気が引くのを感じていた。しかし、自分の傍には、小さな女の子ががくがくと震えている。この子だけは助けなければならない。カナギは身を奮い立たせた。
「姫様。下がっていてください。私があいつを倒します」
「ひっく、ひっく。無理だよ……。何とか逃げようよ……」
逃げる、なんて甘い考えが通じる相手ではない。カナギには分かっていた。
「大丈夫です。私は決して負けませんから」
カナギは、椿を自分の後ろに下がらせ、刀を抜き、鬼と向かい合った。正直、カナギは勝てるかどうか分からなかった。カナギは多くの鬼と戦ってきて、その強さも分かるようになったはずだが、この鬼だけは異様だった。強さが見えないのだ。見るからにやる気が無さそうに見えるが、底知れない不気味さがあった。
「んー。お前は、少しはやるかな……?」
鬼は、にやりと歪んだ微笑を浮かべた、その瞬間、鬼が飛び掛かってきた。鬼はカナギの眼で追いきれないほど早かった。しかし、カナギは夢中で刀を構えた。バシッと鈍い音がした。鬼の手がカナギの首に掛かろうとする寸前で、カナギの刀が鬼の手を受け止めたのだ。しかし……。
――斬れない……?
確かにカナギの刀の刃が鬼の手に食い込んでいるはずだったが、まったく切断されない。硬い、というよりも、弾力のあるゴムを斬ろうとしている感覚に似ていた。鬼が後ろに飛びのいた。
「驚いた。俺の拳を受け止める人間がいるとはね」
鬼はさっきと打って変わって、屈託のない笑顔になった。そうなると、まるで新しいおもちゃを見つけた少年のような顔であった。
「自己紹介するよ。俺の名前はライキだ。雷の鬼って書いて、雷鬼。分かりやすいだろ? あんた、名前は?」
「……カナギ」
言葉を喋る鬼は、居ないことは無かったが、珍しかった。大抵の鬼は、獣のように吠えるだけだったからだ。今までカナギが出会った鬼は、喋ると言っても罵声を上げるだけで、到底、知性があるとは思えなかったのだ。しかし、この雷鬼という鬼は違う。ここまで流暢に言葉を話す鬼とは初めて会った。
「まあ所詮、人間だからなー。あんま期待してないけど、せいぜい楽しませてくれよなっ!」
ライキは、再び、カナギに向かって飛び掛かってきた。雷鬼の拳がカナギに向かう。カナギは刀で再び受けようとした、が。
「う、ぐ……!」
ライキの左足がカナギの脇腹に入った。そのまま、カナギは数メートル飛ばされた。
「カナギっ!!」
椿が駆け寄ってこようとした。
「駄目です、姫様!来ないでくださいっ!」
カナギに制され、椿が止まった。雷鬼がにやにやと笑っている。
「同じ手で来るわけないじゃん。ちょっとは頭使って戦おうよー。でも、咄嗟に受け身を取ったのはさすがだね。普通はあれで骨がバラバラになるはずだけど」
カナギは立ち上がった。カナギは脇腹を抑えた。やはり、骨が数本折れている。
――強い。カナギは確信した。この鬼は、カナギが今まで戦った、どの鬼よりも強い。鳳や他の鬼斬りでは歯が立たないはずだ。
――私では、勝てるか分からない……。かといって、逃げるわけにもいかない。
カナギは朦朧とする頭で考えていたが、ライキはそんなことはお構いなしに攻めてきた。カナギはライキの猛攻を何とか刀で凌いでいったが……。
「ぐ、はっ……」
雷鬼の拳がカナギの腹に入った。カナギは吐血し、よろめいた。
「あー。もう終わりかー。まあ、人間にしてはやったほうなんじゃない?」
カナギはまるで勝てる気がしなかった。こんな強い鬼がいるなんて、カナギは信じられなかった。
「そうだ。冥途の土産に良いことを教えてあげるよ。君ら、僕らのこと鬼って言うじゃない? 他の奴らはそれでいいけどね。僕はそう言われるとちょっとイラつくんだよね。だから、君だけに良いもの見せてあげるよ」
そう言って、雷鬼は右腕を上げた。
「人間に使うほどもない技だから、君は運が良いよ。死ぬ前に奇跡を見られるんだからね」
雷鬼は上げた拳を握ると、そこから眩い光がほとばしった。その瞬間、いくつもの光が雷鬼の拳から飛び出し、爆音と共に部屋の天井を突き破った。天井はすっかり抜け落ち、焦げ臭い匂いだけが残った。
――雷だ。雷鬼の拳から雷が発せられたのだ。まさか、とカナギは息をのんだ。
「ふふ。気付いた? 僕の名前、ライキって雷鬼って書くからね。言わば、雷様、つまり、君らの崇める神様なんだよ、実はね」
――雷神……。
雷神とも言われると、カナギは聞いたことがあった。雲の中には雷様が居て、ゴロゴロと音を立てているときは、雷様の機嫌が悪いときだと聞いたことがある。
――まさか、あの雷様が今、目の前に居るというのか。自分が戦っている相手は、ただの鬼ではない。雷様なのだ。しかし、何で雷様がこんなところで、大勢の人間を殺しているのだ?
「何で、雷神がこんなところに……?」
雷鬼はきょとんとした顔でカナギを見た。
「何でって。暗雲が立ち込めるところには雷も鳴るでしょ? 君らは運が悪かったんだよ。たまたま、雷が落ちたところにいたってことなんだからね」
カナギは力が抜けた。
――こんなのに勝てるわけがない……。神様になんて勝てるわけがない……。
「さて。そろそろ、飽きてきたし、終わらせようか」
雷鬼がカナギの方に一歩ずつ迫ってくる。カナギは目を伏せた。
――駄目だ。勝てるわけが無い。力が違いすぎる。私はもう精一杯やったのだ。これ以上、何が出来ると言うのだ……。
からん、と刀が地面に落ちる音がした。カナギは刀を落とした。
「あれ? 戦意喪失かよ。あーあ。つまらないなぁ」
雷鬼は気だるそうにカナギに近付いてくる。
「カナギ……」
カナギから少し離れた物陰から、椿がじっと見つめていた。
「姫、様……」
――そうだ。まだ姫様が残っていたのだ。私はどうなってもいい。姫様だけは助けないと……。
カナギは必死の力を振り絞って、落とした刀を拾い上げ、雷鬼に向かって構えた。カナギはチラっと椿の方を見て、雷鬼に視線を戻した。
――駄目だ。まともに戦っても絶対に勝てないし、姫様を逃がすだけの時間稼ぎすら出来ないだろう。
カナギは考えたところで仕方がないと思い、観念した。もうプライドも何もない。カナギは椿を助ける道があるなら、何にでも縋る思いであった。それがたとえ、鬼だろうとも……。
「鬼よ。私はこれから死力を尽くしてお前と戦うつもりだ。それで死んだとしても、何も悔いはない。だが、ここに残された少女は戦う意思のない、ただの子供だ。お前に慈悲の心があるとは思えないが、もはや、不要な殺生をする必要もあるまい。だから、お願いだ。この娘だけは見逃してはくれまいか?」
カナギは決死の思いで、そう伝えた。
雷鬼は、ぴたりと動きを止めた。俯いていて、表情が上手く読み取れない。すると、すっと、指をさした。椿が隠れている方だった。まだ表情は分からない。
「見逃せ、だと?」
雷鬼のその声には、怒りと少し戸惑いが混じっているように聞こえた。
「俺が、あの娘を見逃すとお前は思っているのか?」
雷鬼は、怒りを露わにしていた。
カナギは、やはり、鬼に情けなどあるわけが無かったと後悔した。もう自分が死力を尽くして戦い、その間に椿に何とか逃げ延びてもらうしかないという思いに至った。カナギは刀を雷鬼に向けた。
「姫様っ! 逃げてくださいっ。私が何としてでも時間を稼いでみせますっ!」
椿がビクッと反応して、その場から動き出そうとした瞬間、雷鬼は椿を睨みつけ、椿の方に突進していった。カナギは咄嗟に椿と雷鬼の間に入り、椿を庇う形で立ちはだかった。
「どうした? まだ私は生きているぞ。まず、わたしの相手をしろ、鬼よっ!」
雷鬼は無表情のまま、フッと姿を消したと思ったら、カナギの懐に入っていた。雷鬼は虫を振り払うようにカナギを吹き飛ばした。カナギは壁の方まで吹き飛ばされた。
「雑魚が。お前にはもう用は無い」
カナギは朦朧とする意識の中、何とか起き上がろうとした。その時、背中に暖かい手が触れた。
「姫、様……。何をしているのです? 早く、お逃げください。私が何とか食い止めてみせます……」
「カナギ……。もういいよ。カナギが逃げて。私じゃ逃げきれないけど、カナギなら逃げきれるかもしれない」
椿は涙を目に溜めて、必死に訴えかけた。
「そんなこと、出来るわけがない……」
その時、カナギの視界にまたあの光景が流れた。
――置いていかないで、置いていかないでよ……。
カナギの脳裏に過ったその光景は、カナギの昔の記憶なのかもしれない。誰だか忘れてしまった、けど、大切な存在だったに違いない。もう、あんな思いは嫌だ。その光景は過ぎ去り、椿が視界に戻ってきた。
――もう、誰も置いて行ったりしない。私はここで、こいつを食い止めるんだ。
カナギは立ち上がった。なぜだか分からないが、ボロボロだった身体に少し力が戻ったような気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます