第88話 新生活

 早朝、カーテンの隙間から光が差し込み、ベッドで眠るアリスは目を覚ました。

 今日から【オラトリオ】のメンバーとして活動する事となっている。

 昨日は緊張のせいで中々寝付けず、殆ど眠っていなかった。

 普通なら寝不足で多少の眠気も感じる筈だが、興奮している今は眠いという感覚すら無い。

 

 見慣れぬ部屋を見渡しながら、自分が新しい場所にいるという事をアリスは再確認していた。

 今居る場所はマリーが用意してくれていた首都【ストレッド】の住宅街にある一軒家だ。

 家はそれ程大きくはないが必要な物は一通り揃っており、一人で暮らすには少々広いかもしれない。


「私とラベルさんがおじい様の所に行っている間に、お母様が移住の準備をしていてくれたなんて」


 母の優しさを感じながら、感謝の言葉を口にした。

 

 今は起きたばかりで、アリスは肌触りの良い薄い生地で作られた肌着を着ている状態だ。

 薄い生地のせいでアリスの雪の様に白い素肌が透けて見えている。

 その姿は魅力的で色気があり、普通の男なら理性を抑えるのは難しいだろう。

 アリスは着替える為に足を滑らせベッドから降りる。

 家を出るにはまだ余裕があり、ゆっくりと準備をしても時間が余るので焦る必要はない。


 最初に顔を洗った後に髪を整え、着心地が良い肌着を脱ぎ捨てる。

 次に防具の下に着る分厚い生地で作られた服へと着替え始めた。

 着替え終わると、そのまま朝食の準備を始める。

 朝食の準備と言っても、昨日の帰りに市場で買っていたパンに野菜を挟んでオリジナルソースをかけただけの簡単なサンドイッチだ。

 出来上がったサンドイッチとスープをテーブルに並べる。


「準備完了。早速食べてみようかな」


 アリスは自分が作ったサンドイッチを口に放り込んだ。


「おっ意外と美味しいかも。でももうちょっとアレンジが必要かも。今日の帰りにまた市場によって調味料を買って帰ろうかな?」


 今までは身の回りの事はメイドが殆どの事をやってくれていた。

 しかし一人暮らしを始めた今日からは何でも自分でやらなくてはいけない。

 ダンジョンに潜っている間は自分の事は自分でやる必要があるので、一通りの事は普通にできるのだが、しかし家事だけは別である。

 掃除や洗濯、それに手の込んだ料理などは殆どやってこなかった。

 これからは家事が増える分、自分の時間は確実に減るのは分かっている。

 しかしアリスは初めての一人暮らしを楽しんでいた。


 今日からアリスは【オラトリオ】の新規メンバーとして活動を始める。

 食事を終えたアリスは窓から外の景色を眺めながら、ここ数日間に起こったの出来事を思い返した。


「たった数日でこんなに変わっちゃうんだね」


 先日までの一連の流れを思い出しながら、アリスは窓から自宅がある方角を見つめた。 

 カインとの親子喧嘩が発端で最後には【オラトリオ】に移籍する事となったが、後悔はしていない。

 今は新しい仲間と共にダンジョンへ潜る未来を想像して、気持ちが高鳴るのを感じている位だ。


「みんな私を見て何て言うんだろう? ビックリしたりしないかな?」


 リオンやダンのリアクションを想像しながらアリスはクスリと笑った。

 

 気付くと家を出るのに丁度良い時間だ。

 アリスは装備を身に付け家から飛び出した。

 アリスが住む家から【オラトリオ】のギルドホームまでは歩いて十五分程度で到着する。

 

 ギルドホームが近づくにつれて、不思議な緊張感がアリスの中で膨らんでいた。

 

「やっぱり、ちょっと怖いかも」


 それはリオンやダン、後はリンドバーグ達がアリスを受け入れなかった時の事を想像しての言葉だった。


 リオンとダンはラベルがギルドを作った時からの発足メンバーなので、二人のどちらかに嫌われれば最悪【オラトリオ】から追放される可能性もある。


 リンドバーグは上手に信頼関係を作る事に成功している様なので、後で秘訣を教えて貰おうとアリスは心に決めた。


 そんな事を考えているとすぐに十五分は過ぎ去り、【オラトリオ】のギルドホームの前にたどり着いた。

 ラベルから指示を受けた時間より三十分も早い。

 外で待っているのもいいが、既にホームに誰か来ているかもしれないと考えてアリスは入口のドアをノックしてみる。


「開いてますよー」


 部屋の中から聴こえたのはリオンの言葉だった。


(リオンちゃんも早くきているんだ)


 アリスはそんな事を考えていた。


 高鳴る心臓を抑えながらドアを半分だけ開き、顔だけ出して部屋の中を覗いてみる。

 すると部屋の中でこちらを見ていたリオンと目が合う。


「アリスさん。今日は来てくれたんだね」


「今はリオンちゃんだけなの?」


「うん、ラベルさんは市場に寄ってから来る事が多いからいつもギリギリになる事が多いし、ダンは寝坊助だから普通に遅刻が多いの。それとリンドバーグさんは毎日同じ時間に来るんだけど、その時間はもう少しだけ後かな」


「そうなんだ。リオンちゃん、実は報告があるんだけど」


「報告? 何?」


 リオンは真っ直ぐアリスを見据えてながら聞き返す。


「えっとね…… 実は」


 アリスが勇気を振り絞ってギルドに加入した事を伝えようとした時、ドアが開いてリンドバーグが入って来た。


「おはようございます。あっアリスさん、来ていたんですね」


「リンドバーグさん。おはようございます」


 アリスより、リンドバーグの方が年上なのでアリスはリンドバーグに対して敬語を使っていた。

 リンドバーグもアリスがカインの娘だと知っているので、お互いが敬語を使い合っている。


「今日はどうしたんですか? 今日は一緒にダンジョンに潜るんですか?」


「ダンジョンに潜る事にはなるんだけど、実はね……」


 二人に対してもう一度報告しようと身構えた時、またドアが開く。


「セーフ!! おっしゃー、今日は遅刻しなかったぜ。リオン姉ちゃん、俺もやる時はやるんだぜ……ってアリス姉ちゃん来てたのかよ」


「ダン君、おはよう」


「アリス姉ちゃん、おっはーっていうか、アリス姉ちゃんがここに居るって事は今日は一緒にダンジョンに行くって事か?」


「ダンジョンには一緒に行くと思うよ」


「やったー アリス姉ちゃんがパーティーに入ってくれていると狩れる魔物の数がすげぇぇ増えるんだよな。今日は俺も頑張ろうかな」


「ダンは毎回本気出せばいいのに、日によってやる気のムラが大きすぎるんだよ。だから未だにラベルさんに怒られているんだからね。今日はアリスさんからも怒られるかもしれないから覚悟した方が良いよ」


「リオンねーちゃん、それは甘いぜ。最近の俺は違う! 前のアタックの時、俺の動きをラベルさんがベタ褒めしてくれたんだからな」


「ダンはわかってないだけだよ。それはラベルさんがやる気を出させる為に言っただけだよ。私も最初の頃は良く褒めて貰ったんだから」


「えぇぇぇー それ本当かよ」


 ダンはガクンと肩を落として、見るからにテンションを下げていた。


「そんなに気にしないで、ダン君は今でも凄く強いから。だって同じ歳でダン君より強い人を私は見た事がないよ。だからこれからも一生懸命頑張れば、きっとこの国一番のアーチャーに成れるって」


 アリスはダンを元気付けようと思って、そう言ってみる。


「ほら見たか。やっぱりアリスねーちゃんは違うぜ。ちゃんと俺の事を見てくれているんだからな。リオンねーちゃん聞いたかよ? 俺と同じ歳位の奴で俺より強い奴が居ないってよ」


 アリスの言葉を受けて、ダンの調子が一瞬で元に戻っていた。


「アリスさん、ダンを調子に乗せたら駄目だって……」


「リオンさんの言う通りです。ダン君にはしっかりと言わないと」


「うぅぅ…… ごめんなさい」


 ダンを褒めてあげようとしたのだが、二人に注意されてしまい、結果は空回りに終わる。

 こんな事ではすぐに追放されてしまうとアリスは焦りを覚え、一人で勝手に落ち込んでいた。

 

 何となく告げるタイミングを失ったまま時間だけが過ぎて行く。

 

 それから十分位が経過した時、ラベルがギルドホームにやってきた。

 朝市で仕入れたアイテムを袋いっぱいに詰め込んで抱えている。

 袋が頭の高さ位あり、ラベルは前方がよく見えていない感じだ。


「みんないるのか? 悪いが前が見えないんだ。勝手に歩くから避けてくれよ」


 そのままテーブルに向かってゆっくりと進むと、テーブルの上に抱えていた荷物を置いた。


「ふぅ~疲れた。ちょっと買いすぎたんだよな」


「ラベルさん、おはよう」

「マスター、おはようございます」

「ラベルさん、聞いてくれよ。今日、俺遅刻しなかったんだぜ」


「おはよう。みんな遅れてすまなかったな」

 

 三人がラベルと挨拶を交わした後、アリスも緊張した様子でラベルに声をかけた。


「おっ、おはようございます。よろしくお願いします」


「アリス、おはよう。今日から頼むな。皆には話したのか?」


「いやぁ~、タイミングが悪くてまだ話せてないんだよね」


「そうか、それなら丁度良い。少し待っててくれ」


 ラベルはそう言うと、テーブルの上の袋から一枚の布と一つの魔石を取り出した。

 魔石は加工されており、何かに使う道具であるのかはすぐに分かる。


「ラベルさん、それは何?」


 最初に声を掛けていたリオンにラベルは近くに来るように手招きをする。


「ちょっと動くなよ」


「ラベルさん!?」


 ラベルはリオンの小手に布を押し当てると、その上から魔石を滑らせた。

 リオンは黙って俺のやる事を見つめていた。


「これでいいだろう」


 その後、ラベルが布をどけるとリオンの小手にはギルドのシンボルエンブレムが刻印されていた。


「ラベルさんこれって!?」


「以前から知り合いの商人に依頼を出していたんだ。少し前に出来上がったって連絡が入っていてな。どうだ? これが【オラトリオ】のエンブレムだ」


「凄い」

 

 リオンは笑顔を浮かべながらエンブレムを見つめていた。


「次はダンだ」


 ダンの装備は布の部分が多いが、この方法ならどんな素材にでも焼きつける事ができる。

 ラベルはダンの上着の胸の部分にエンブレムを焼き付けた。

 

 「えへへへ」


 ダンは鼻をかきながら、小恥ずかしそうに笑う。


「リンドバーグも来てくれるか?」


「了解しました」


 リンドバーグにもエンブレムを焼き付けた後、ラベルはアリスにも声を掛けた。


「最後はアリスだ」


 ラベルのその言葉にアリス以外の者が驚いた表情を浮かべた。


「ラベルさん、今…… アリスさんって言ったの!?」


「それはつまり……」


「アリスねーちゃんも俺達の仲間になったって事か?」


「言いそびれちゃったんだけど、今日から私も【オラトリオ】の一員になります。よろしくね」


 ラベルは無言でアリスの肩の部分にエンブレムを焼き付けると、そっとアリスの背中を押した。

 アリスは押し出される様に仲間の方へ一歩あるいた。


「アリスさん!! 私本当に嬉しい」


 最初に抱き着いたのはリオンだった。

 

「へへへ。アリスねーちゃんがいるなら、ダンジョンの狩りが楽になるな」


「アリスさんが仲間になるって事は戦力が大幅にアップしますね。私は中衛か後衛に回らせて貰いましょう。その方が効率がいい」


「みんな、ありがとう」


「アリス、今日からよろしく頼むぞ」


 最後にラベルが声を掛けて、アリスは全員から大歓迎で迎え入れられた。


 勝手に色んな事を考えてしまっていたが、それは全て自分一人の空回りだったんだとアリスは気付く。

 いつの間にかアリスもみんなと同じ様に笑顔となっていた。

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