第76話 初めてのデート その7
昼食を終えたのち、
よく晴れた昼下がりのことである。ただし季節は夏。
いよいよギラギラと照りつけて地上に猛威を振るう太陽を、遮るものなど存在しない。
「昼間に外を歩くなんて自殺行為だわ」
大いなる自然の力は、いつもなら元気一杯のJKすら辟易とさせた。勉も心の底から同意だった。
せめて直射日光を遮る帽子ぐらい用意しておくべきだったと今さら悔やんでも、もう遅い。
──今度からは、日傘を常備しておくか。
隣を歩く茉莉花がうんざりした気配を隠そうともしないことは、少し意外だった。
彼女の場合、自前で日傘を用意していてもおかしくはなさそうなのに。
さて、女性の買い物は長いとしばしば耳にしていた。
情報源は数少ない友人の『
ただ、勉としてはあまり実感がなかった。こうして実際に茉莉花と行動を共にしていても、特に違和感はない。
若干ながら振り回され気味ではあったものの、『実家で暮らしていた頃の義妹もこんな感じだったな』という記憶があったから。
……何に使うのかよくわからない小物あたりはまだいいとして、流石に下着売り場に連れ込まれそうになった時は撤退したが。
そんなこんなで訪れたのは大型書店。
先導されて自動ドアをくぐると、久方ぶりの冷房が汗だくの身体に心地よかった。
チラリと横目で茉莉花の様子を窺えば、こちらもひと息つきながらハンカチで汗を拭っている。
「
「ん〜、まぁね。
問い返されて、少し考える。
急を要するものは特になかったが、興味を惹かれるものはあった。
「そうだな、せっかくだから参考書でも見てくるか」
「うわ、真面目」
一瞬、ほんの一瞬。
呆れたような表情が茉莉花の整った顔立ちに垣間見えた。
高校2年生の夏休みを前に『お前はいったい何をやっているのか?』と言いたげな顔。
「せっかくだから一緒にどうだ?」
「え……あ、ごめん、私ちょっと見たいものがあるから」
引き攣った笑みと共に、そう言い置いて歩みを進めていく。
汗で下着が透けそうな背中を見つめながら、
「……今のはなかったな」
話題選択を間違えた。
頭を掻きつつ嘆息する勉だった。
こういうところは、いつまで経っても上手くならない。
★
宣言どおり、しばらく参考書の棚を眺めてから茉莉花を探す。
「いた」
腰まで届く艶やかなストレートの黒髪。
大粒の瞳が印象的な神がかった造形の顔立ち。
メリハリの効いたボディラインは、休日の人出にあってさえ一際目立つ。
周りの人間の注目を集めながらも、極めて自然体に振る舞っている。
そのさりげない仕草のひとつひとつに、元学園のアイドルあるいはカリスマとしての貫禄があった。
──ん?
茉莉花は雑誌を見ていた。
今まで目にしたことがないほどに真剣な眼差しで。
「ふむ」
勉は声をかけようとして、やめた。
怖気付いたとかそういうわけではない。
先程の話題チョイスのミスを思い出したのだ。
ここは是非とも汚名を返上したいところであった。
──立華の趣味ってなんだろうな?
あれほど熱心に立ち読みしているのだから、よほど興味を惹かれるもののはずだ。
しかし──親しくなって二ヶ月ほど、正式に付き合い始めてひと月ほど。
近しく交際している割に、勉は茉莉花がどのような趣味を持っているのか、よく知らない。
記憶にある限り彼女が好むものと言えば、せいぜいカラオケと運動ぐらいのもの。
自撮りやコスプレも趣味の範疇に含まれるかもしれないが、茉莉花が以前使っていたエロ自撮り用のアカウントは既に削除されている。
では、彼女は今、どんなことに興味を持っているのだろうか?
立ち尽くす勉の視線の先で、茉莉花は一心不乱にページをめくっている。
少なくとも勉の存在に気づかない程度には意識を集中している。
それこそ、余人の目に敏感な彼女らしくないほどに。
本人にバレないように本の内容を知る方法はないものか。
そう考えて──やめた。自分らしくないと思ったからだ。
「立華」
結局堂々と声をかけた。
茉莉花はすぐに頭を上げて勉を見た。
慌てた素振りはなく、本を隠すでもない。
別に人に知られたくない類のものではなさそうだった。
「あ、狩谷君。もういいの?」
「問題ない。立華こそ何を見ていたんだ?」
茉莉花の目が勉の手に向けられた。
何も持っていないことを確認した上で問われ、理解した上で答えた。
「これ」
先ほどまで熱心に読み耽っていた雑誌の背表紙を向けてくる。
「……旅行雑誌?」
「そ」
茉莉花が見ていたのは、色鮮やかな旅行雑誌だった。
しかも国外。
「海外に行くのか?」
勉が尋ねると、茉莉花は首を横に振った。
「行きたいな、とは思ってるんだけどね」
「……まぁ、別におかしくはないな」
勉には旅行の趣味はなかった。
生まれてこの方、家族で遠出をした記憶もない。
もちろん友人だけでどこかに行ったなんてこともない。
……自分のことはさておいて、ごく一般的に旅行に興味を持つことは別におかしなことではない。
むしろ『立華にしては普通だな』と奇妙な安心感を覚えたほどだった。
「でしょ。狩谷君もいっしょにどう?」
──立華と一緒に旅行、か……
旅行そのものに興味はないが、茉莉花とふたりでどこかに行くという想像は心が躍る。
彼女とふたり旅、それもおそらくはお泊まり。
控えめに言って最高のシチュエーションなのだが……
「そうは言うが、夏休みまで時間がないぞ」
その手の話題には詳しくはないが、旅行するにしても予約やらなんやら手続きがあるはずだ。
今から計画を立てて即レッツゴーというのは、スケジュール的に無理なのではなかろうか。
「さすがにそれはないって」
「だな」
「行くなら来年だね」
「……来年は受験だろ」
勉も茉莉花も、来年は高校3年生。
大学受験に向けて本腰を入れる頃合いだ。
想像するだけで気が滅入ってくる。
「受験って……狩谷君はヨユーでしょ?」
「前にも言ったが、全然余裕なんてないんだが」
ノートを貸したときに、そんな話をした気がする。
勉が目指しているのは今のところ日本一の国立大学。
国内最難関に挑むに当たって、合格する確信なんてあるはずない。
幸い現段階では模試等で良好な判定が出ているが、将来的にどうなるかはわかったものではない。
油断は禁物だった。
「……あれ、本気で言ってたの? 狩谷君でダメだったら日本中の高校生が終わっちゃうと思うけど」
「買い被りすぎだ」
即断すると、茉莉花が眉を顰める。
機嫌を損ねているのはわかるのだが……さっきの話の流れで何故そんな顔をするのか、理由がいまいちよくわからない。
「狩谷君って、時々自己評価低いなって思う」
「高く見積りすぎるよりはマシだろう」
「それにしたって限度があるし」
露骨に不満げな感情を見せる茉莉花に戸惑いを覚える。
そういうものだろうか?
勉には俄に判断できなかった。
軽々に結論を出せるとも思わなかった。
だから──ここはとりあえず話を逸らすことにした。
「ま、まぁ、それはともかくとして……もうすぐ夏休みだが、立華の引っ越しはどうなってるんだ?」
「む〜」
あからさまな方向転換だったので、茉莉花はさらに頬を膨らませた。
お互いに口を閉ざしたまま見つめ合うことしばし。
茉莉花は持っていた雑誌を棚に戻し、わざとらしく肩をすくめた。
「うん、引っ越しは順調だよ。乞うご期待って感じで」
「そ、そうか。それはよかった」
「どういたしまして」
「……」
「……何?」
「……いや、なんでもない」
──『乞うご期待』ってなんだ?
茉莉花が話を合わせてくれたことに心の中で胸を撫で下ろしつつ、やはり心の中で勉は首を傾げた。
単純に考えるならば彼女の目に叶う新居を発見し、手続きも順調に進んでいるということなのだろうが。
ほんの少し口角を釣り上げた艶やかな唇を見ていると、それだけではないように思えてくるから不思議だ。
なんの根拠もない。ほとんど妄想あるいは言いがかりに近い。でも、妙な確信がある。
こういう表情を浮かべた茉莉花は、大抵の場合で勉の想像の斜め上をかっ飛んでいく。
ほんの二ヶ月程度の関わりの中で、そのことを散々思い知らされてきた。
「そう、乞うご期待」
2回言ったということは……きっと大事なことなのだろう。
勉の背筋に震えが走った。
冷房の効きすぎだと信じたかった。
「帰ろっか」
「ああ」
夏の日はしつこく空に残っていて、煩わしい熱を振りまいていた。
『うわ』と呻きがすぐ側から聞こえた。勉の口からも同じ声が出た。
思わず空を見上げ、時計を見れば──それなりに時間が過ぎていた。
勉と茉莉花は帰路につきながら、どちらからともなく手を握り合う。
「ね、狩谷君」
「どうした?」
「夏休みって何か予定ある?」
「……アルバイトぐらいだな」
アルバイトして勉強して家事をこなして。
それだけできっと勉の夏休みは終わる。
去年はずっとそんな感じだった。
──でも、今年は立華がいる。
隣を歩く初めてできた彼女に視線を送る。
手のひらに力がこもり、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
何かが変わるかもしれない、そんな予感がする。
……本人を前に口にすることは憚られたが。
「実家に帰ったりはしないの?」
勉の内心に気付いているのかいないのか。
茉莉花は、そんなことを聞いてきた。
それは──あまりにも想像外。
「実家? なんで帰るんだ?」
「え……なんで帰るって言われると、困るけど……」
『普通は帰るもんなんじゃないの?』
そう問うてくる茉莉花に、勉は首を横に振った。
めんどくさいので、帰るつもりなんてなかった。
「めんどくさいって……顔ぐらい出してあげなよ」
「……」
勉は既に茉莉花の事情を知ってしまっている。
両親に愛されなかった彼女。
両親に期待していない彼女。
そんな茉莉花を前で実家の両親や義妹を煩わし気に語るのは、申し訳なさが募る。
本音はともかく、彼女を傷つけないようにしなければならないとは思う。
「……そうだな、考えておこう」
「考えるだけじゃ、ダメだからね」
グサリと太い釘を刺された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます