第59話 勉の答え、新たなる疑問
「赤ちゃん。高校卒業する前に、できちゃいそうな気がするの」
──赤ちゃん?
目を閉じて、ゆっくりと彼女の言葉を口の中で転がしてみる。
年頃の男と女がアレコレすると子どもができる。それはわかる。
自分と茉莉花は彼氏彼女の関係にあり、このまま状況が順調に推移していけば、いずれはそう言うことをする。それもわかる。
しかし、このふたつの事実が勉の脳内で上手くひとつの線に繋がらない。
つい先日まで恋人ができるかどうかなんて考えてもいなかった人間に、いろいろ過程をすっ飛ばして子どもがどうこう言われても。
自分が結婚して、家庭を持って、子どもが産まれてくる。そんなシミュレーションするにしても、もっと未来の話だと思っていた。
──違うんだな。
目の前に立っている恋人、『
彼女にとってセックスすると言うことは、避妊の有無を問わず、妊娠の可能性に繋がっている。
性格の違いだろうか。性別の違いだろうか。同い年にも関わらず、茉莉花は妊娠を現実的な未来として捉えている。
「いや、しかしだな、それは話が飛びすぎじゃないか?」
そこまで察しても、勉の口から出たのは往生際の悪い言い訳じみた反論だった。
展開がいきなり過ぎて頭が追いつかないのだ。
「さっき言ったじゃん。
「それは確かに言ったが……」
そう、言った。
ふたりの距離が限りなくゼロに近づいたあの日あの時、あの場所の記憶。
生々しい茉莉花の体温と匂い、衝動に突き動かされる自分の身体。何もかも鮮明に思い出せる。
義妹からの電話がなければ、勉はきっと茉莉花と最後まで致していたはずだった。根拠はないが、確信はあった。
茉莉花もまた、否定はしなかった。自身もまた性欲に負けて勉を受け入れていただろうと口にしていた。
お互いに避妊なんて、これっぽっちも考えないまま。
彼女の危惧は大袈裟かもしれないが、非現実的と切って捨てることはできない。恋人とはそういう関係なのだ。
甘やかしい響きの裏に潜むヘヴィなリアルを垣間見てしまい、知らず知らずのうちに、ゴクリと唾を飲み込んでしまった。
勉はようやく事の重大さに思い至った。同時に背筋を震えが駆け上がっていく。
「あのね、勘違いしないで欲しいんだけど、私だって狩谷くんとえっちなことしたいし、いずれは子どもも欲しいって思ってる。でも……」
「でも?」
「私たち、まだ高校生だよ」
「……そうだな」
まだ高校生。
当たり前の事実を突きつけられる。
しかし……どう反応すればいいのか、これがわからない。
──高校生って、どういう風に付き合うのが普通なんだ?
朴念仁で唐変木な勉には、その『当たり前』だの『普通』だのがピンとこない。
他の連中は、いったいどうやって、その手の常識を身につけているのだろう?
「ううん、私たちは別にいいの」
「いいのか!?」
勉が食ってかかると、茉莉花は引き気味に頷いた。
勢い込んでしまったことを反省するも、余計に訳がわからなくなる。
茉莉花の表情は晴れないままだ。どうやら懸念は別のところにあるらしい。
「私たちは……てゆーか私はいいんだけど……」
「けど?」
「私、子どもに無責任な親にはなりたくない」
桃色の唇から零れた声は小さかったけれど、内側には隠しきれない強い決意があった。
『立華 茉莉花』は両親の都合によってこの世に生み落とされ、ただの一度も両親に愛されることがなかった。
体面を取り繕うために、あるいは家庭が円満であると世間に知らしめるためだけに。
ただそのためだけに茉莉花は生を受け、牢獄じみた広い豪邸で孤独に暮らしてきた。
本来ならば与えられるはずの愛はそこになく、ただひたすらに金銭ばかりが積み上げられた。
いわゆる育児放棄(ネグレクト)である。茉莉花の心の傷は深く、胸の内には計り知れない闇が広がっている。
長らく顧みられることのなかった彼女は、一年がかりの計画を立案し、教師を使って両親から言葉を引き出そうとした。
計画──裏垢にエロ自撮り画像を投稿し、自作自演の炎上騒動を起こしてから、まだほとんど時間は経っていない。
そして自爆テロじみた捨身の計画の結果として、茉莉花は両親との決定的な断絶を目の当たりにしてしまった。
『子どもに無責任な親にはなりたくない』
他の女子が口にしたならば、苦笑と共に流しかねない言葉だった。
しかし……茉莉花の事情を鑑みれば、そこに宿る感情の重さと深さに唸らざるを得ない。
勉は茉莉花が計画の果てに壊れゆくところを寸前で食い止めた男だ。
彼女が語ってくれた範囲内とはいえ、立華家の事情をある程度は知悉している。
『立華 茉莉花』はエキセントリックでエロい少女だが、同時に強く気高い少女でもある。
「そうだな。確かに立華の言うとおりだ」
自身の欲情に流されて茉莉花の決意を無碍にすることなど、できるはずがない。
正直なところを言えば、あの夜に茉莉花と情事に至れなかったことを残念に思う自分がいた。
後から考えてみると『別にあの時ヤっていても結果は同じだったのではないか』と悶絶した。
今しがた耳にしたところでは、茉莉花もまた拒否はしていなかった。
だけど──
──違うんだな。
流れに任せて身体を重ねていても、最終的な結果は同じだったかもしれない。
それでも……やはり、あそこで立ち止まることができてよかったのだと、改めて思う。
彼女の想いを踏み躙ることがなくてよかった。彼女に想いを踏み躙らせることがなくてよかった。
最悪のタイミングで連絡を入れてきた義妹に対する恨みはあったが、今となっては感謝の念しかない。
今度会ったら、好きなものを何でも奢ってやろうかとさえ思った。なお、会う気になるかは別の話だ。
「なるほど、それで付き合いを考え直す、か……」
勉はエロい。
茉莉花もエロい。
エロいふたりが一足飛びにくっついた。
このままでは、お互いに感情と性欲をエスカレートさせる未来が目に見えている。
無念に思う心はある。それでも茉莉花の胸中に想いを馳せれば納得できる。
いつの間にか再びずり落ちていた眼鏡の位置を直し、勉は頷いた。
茉莉花も無言で頷いた。とても、とても申し訳なさそうだった。
「ごめんね、狩谷君」
「そんな顔をするな。立華の言うことは間違っていない」
「あ、でもね」
「どうした?」
「えっと、その……話はそれだけで終わりじゃなくって……」
「?」
まだ何かあるのか?
勉は訝しんだ。
茉莉花の声のトーンの変わり具合から察するに、暗い話ではなさそうだが……
「私たちって若いじゃん。だから色々あると思うの」
「そうかもな」
『色々』の具体的な意味は尋ねなかった。
概ね想像がついたから。
お互いに若い男女だ。
性欲を持て余すことはあるだろう。
「だから、ふたりで助け合いましょって、そーゆーお話」
「助け合う?」
おかしなことを言い出した。
率直にそう思った。
今の文脈で『助け合う』と言う言葉が何を意味するのか。
否、わからなくはないのだが……
「狩谷くんも私もえっちなんだから、我慢なんてできるはずないじゃない?」
「そう言われて素直に頷けると思うか?」
「いや、いいの。わかってるから」
「ひとりで勝手に納得されても困るんだが!?」
「まぁまぁ。そんなにかっこつけなくっていいって」
いい感じに流された。
実に腑に落ちない。
「ゴホン。それで、立華は結局何が言いたいんだ?」
話がとんでもない方向にぶっ飛んでいきそうな気配がある。
ひょっとしたらもう手遅れかもしれない。
さして長くもない付き合いだが、この手の展開には何度となく立ち会ってきた。
「だから助け合おうっていってるの」
「助け合うって……お前、それは……」
「……まぁ、そーゆー方面のアレコレです。言ってくれたら何でもするから」
「『何でもする』!? 『何でもする』って言ったか?」
聞き捨てならない。
その言葉は、断じて聞き捨てならない。
疑問も懸念もどこかに吹き飛んでしまった。
「うわー、狩谷君……ガチすぎて引く。私以外の女子にそんな食いつき方したら警察呼ばれるからね。でも、イエス。代わりに私が我慢できなくなったら、狩谷くんも、その……」
「わかった。できることなら何でもする」
「今『何でもする』って言った?」
「言ったが、それがどうかしたか?」
「うん、さすが狩谷君だなって感心した」
茉莉花が、うんうんと頷いた。
セリフが棒読みなのが、若干気になった。
「褒められたと思っておこう」
「あ〜はいはい、狩谷君すごいすごい」
呆れ気味ではあったが、茉莉花の顔を覆っていた重苦しい影は消えていた。
勉もジョークを交えて返しつつ、内心では別の問題に思考を巡らせていた。
──恋愛とか交際とか、全然意識してこなかったな。
色恋沙汰なんて縁がないと思っていた。
だから、その手の話題に耳目を傾けることもしなかった。
これからは、興味がないでは済まされない。
最高の恋人を得て、これだけのことを言わせたのだ。
自分も最大限の誠意を持って茉莉花と向かい合わなければならない。
──差し当たっては……恋愛ってどうやればいいんだ?
とてもではないが、目の前で微笑んでいる恋人には尋ねられない疑問だった。
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