第7話 見返り美少女



 職員室を辞し、無言で廊下を進む茉莉花まつりか

 少し遅れて追いかけるつとむ

 ふたりの歩みは同じ方向を向いていた。なぜなら同じクラスメートだから。

 貴重な昼休みは終わりに近く、これからは眠気と戦わなければならない午後の授業がある。


――おお。


 学園のアイドルの後ろから見る光景は、勉にとって未体験だった。

 廊下を歩いていた生徒が無言で左右に退いていく。

 十戒で有名なモーセが海を割ったような一幕だった。

 もちろんこれは神の奇跡などではないし、彼らは別に勉に遠慮したわけではない。

 前を行く茉莉花の剣幕に恐れ慄いて道を譲っているのだろう。

 勉の側からは、リズミカルに前後するスラリと伸びた白い脚が眩しい。眼福。

 ついでに揺れる毛先とスカートの上からでもわかるお尻の動きも魅力的だった。


――あんなところにほくろがあるのか。


 純白と思われた茉莉花の脚、右膝の裏にほくろがひとつ。

 100%のホワイトよりも、一点だけ黒がある方が印象に残る。

 角度的にも距離的にもなかなか観察する機会がない部位だけに、妙なレア感があった。


「……はぁ。うん……ありがと」


「ん?」


 急に立ち止まった茉莉花が大きく息を吸って吐き出し、唐突に感謝の言葉を紡ぐ。

 彼女の脚に気を取られていた勉は、それが自分に向けられた言葉であることを理解するのに、わずかな時間を要した。

 居心地の悪さを咳払いで誤魔化すのと、茉莉花が振り返るのがほぼ同時だった。


「先生たちに睨まれてまで私を助けてくれたの、ほんと助かったって思ってる」


 わざわざ言葉にするあたり、律儀だなと思える。

 勉が知る彼女は華のJKであり、教室の中心人物でもある。

 教室を世界に例えるならば、さながら太陽のポジションと言ってもいい。

 そんな茉莉花の漆黒の瞳に気圧されそうになり、慌てて平静を取り繕う。

 ずり落ちた眼鏡の位置を直す余裕はなかった。


「別に気にしなくていい。俺と連中はもともと仲が悪い」


「そうなの? ガリ勉って……あ、ごめん」


『ガリ勉』は勉強に熱心なものに向けられる蔑称としての意味合いがあるが、今回の場合は勉のあだ名であった。

『かりや つとむ』をモジった『ガリ勉』という呼ばれ方が、いつの間にか定着していた。

 初めて耳にしたときは『誰がつけたのかは知らないが、上手いこと考える奴がいるものだ』と感心させられた。


「狩谷君みたいな人って先生と仲いいのかと思ってた」


「それはないな。多分この学校で最も教師を嫌っているのは俺だろう」


「……そうなの?」


「そうだ」


 学校のそこかしこで教師に対する不満を述べる生徒は少なくない。

 ただの愚痴だったり、叱責に対する怨みごとだったり、理由は様々だ。

 

「なんでって聞いてもいい?」


「大した理由でもない。あいつらは無能だ」


 勉が教師を嫌う理由はシンプルだ。

 無能。このひと言に尽きる。

 授業中に自分が別の勉強をしているのは、教師たちのレベルが低いから。

 県下一の進学校を謳っていても、しょせんは公立高校に過ぎない。

 入学してしばらくして、その事実に思い至って落胆を覚えた。

 もともと教師という職業に期待してはいなかったが、進学校ならせめてもう少し……という気持ちは消えない。

 以後、勉はこの学校の教師を毛嫌いしている。今までと何も変わらなかった。


「それは言いすぎじゃない? 狩谷君のレベルに合わせてたら、みんながついていけないよ」


「だからと言って、俺が放置されていい理由にはならないと思うがな」


 フンと鼻息ひとつ。

 授業料を(家族が)支払っている以上、勉には教育というサービスを受ける権利があるし、教師には教育というサービスを提供する義務がある。

『金は払え。あとは勝手にしろ』だなんて、サービス業としては問題外レベル。

 飲食店でアルバイトをしている身として、つくづくそう思わざるを得ない。

 日本の教育制度は、どこか間違っているのではないか、と。


「天才にも色々あるんだ。で、教師が気に食わないから私を庇ってくれたの?」


「まぁ、そんなところだ。それだけでもないが」


 勉は天才ではないと自認しているが、訂正はしなかった。

 正確には、それどころではなかった。

 大粒の黒い瞳で間近から覗き込まれると心臓に悪い。

 そっと目を逸らして顎を撫でつつ勉は口を開いた。


「うちの母親がな」


「え、ガリ……狩谷君のお母さんがどうかしたの?」


「まぁ、ずっと働いている人なんだが、どんな時でも化粧を欠かさない人なんだ」


「それで?」


「『メイクをキメると気合いが入る』と言っていた。俺にはよくわからんが」


 民族的、あるいは儀式的な意味合いがあるのかもしれない。

 世界各地のそういうイベントでも、化粧をしている場合が多い気がする。


「だから、俺は学校にメイクをしてくることも悪いとは思っていない」


「えっと、つまり……」


 勉の話を聞いていた茉莉花は訝しげに眉を寄せた。


「マザコンなの?」


「……」


 ずり落ちていた眼鏡の位置を中指で戻す。

 あまりと言えばあまりな言葉に、指の震えが止められない。


「冗談だから、冗談。で、どう思う?」


「どう、とは?」


「先生たち。自分のメイクを落としてまで、私たちに押し付けてくるかな」


「ないな」


 即答した。

 断言した。


「そうよね」


 茉莉花も同意した。


「うちの教員って半分は女の人だし。社会人が職場ですっぴんとかありえないし」


「まったくだ」


『生徒VS教師』の構図では、立場の違いで勝ち目が薄い。

 何だかんだと言ったところで、学校において権力を握っているのは教師たちだ。

『陽キャ』だの『リア充』だのと言った生徒の属性は関係ない。

 生徒は羊で教師は羊飼い。それが学校という世界の真実。


 羊は羊飼いに勝てない。だから羊飼い同士が相争うように仕向けた。

 気が乗らないのを我慢して注目を集めたのは、生徒がやれば校則違反と叱られるようなアレコレに勤しんでいる連中に話を聞かせて巻き込むため。

『教師VS教師』になれば……生徒指導教諭がどれだけいきり立っても、人数の差で押し切られるのが関の山。

 

「狩谷君って意外と悪辣だね」


「……褒められたと受け取っておく」


「何か意外。イメージと違うって言うか」


「いったいどんなイメージを持たれてるんだ、俺は」


 勉のボヤキに茉莉花は口角を持ち上げた。


「それは秘密。だけど……感謝してるのはほんと。借りはちゃんと返すから」


 微笑みひとつ残して、茉莉花は歩みを速めた。

 見た目は清楚なヤマトナデシコ、中身はギャル寄りの活発キャラ。

 ひとつひとつの所作がとにかく華やかで、やたらと目を奪われる。

 さすがミスコン覇者だけのことはある。近距離からの笑顔は破壊力抜群だった。

 

「……その笑顔だけで十分だ」


「何か言った? もうすぐ昼休み終わっちゃうよ!」


「何も言っていない」


 リアル女子に関わるなんて柄じゃない。

 そう思いながらも悪い気はしない勉だった。

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