第8話 初めてのコメント
職員室で揉めようと、高校生の日常は粛々と営まれていく。
学校、アルバイト、そして家事。予習復習も忘れない。
風呂に入って汗や埃や疲れや何やらを洗い流してサッパリ、ベッドに倒れ込んでスマートフォンをチェック。
☆
RIKA@裏垢
今日は嫌なことがあったから見せ
※
☆
「むぅ……」
ありがたいことに、本日も『RIKA』の投稿があった。
時計をチェックすると、ほぼ定刻どおり。
何となく、彼女は律儀な性格をしているのかもしれないと思った。
そんな『RIKA』が身に纏う本日のコスチュームは……
「リクエストはダメだったか」
思わず天井を仰いで慨嘆した。
それはそれとして、画像から目が離せない。
今日の写真は『RIKA』にしては露出が低い。
メリハリの効いたナイスバディの大半は真紅の布地に覆われている。
露出は両腕と、腰の上あたりまで大胆に切れ上がったスリット。
「残念だが……チャイナドレスもいいぞ!」
バニーガールが見たかったが、チャイナドレスもよく似合っている。
程よい肉付きのスラリとした美脚がこれでもかと強調されており、今までの写真と比べても神がかっている。
自分ではリクエストしなかったものの、これを選んだ奴もわかってるなと頷かざるをえない。
「やはりチャイナドレスは中国が生んだ最高の文明だな」
自分の希望が採用されなかったことは残念ではあるものの、これはこれで最強レベルの眼福であることは間違いない。
そっと手を合わせて拝み、そそくさと画像を保存した。
『RIKA』の名を冠したフォルダに、新しいコレクションが加わった瞬間である。
それはそれとして……今日の更新には気になる部分があった。
「『嫌なこと』か。何があったんだろうか?」
『RIKA』が写真と一緒にコメントを投稿することは珍しくない。
大体『○○だから見せ』という形式で、前後の脈絡なく露出する。
ただの枕詞なら構わないのだが、わざわざ『嫌なこと』と言及しているあたりが微妙に心配になる。
現にツイートに連なるリプライでも、彼女を気にかけるコメントが散見される。
彼女の投稿コメントの中に、ネガティブなワードを目にした記憶がない。
同情を誘うようにも取られかねない言い回しは避けているイメージがあったのだが。
今日の出来事とやらが、よほど腹に据えかねたということだろうか。
「もしトラブルか何かがあって投稿を辞めるなんてことになったら……死ねるな」
この手の裏垢は別に『RIKA』だけというわけではない。しかし今の勉の一番のお気に入りが彼女であることは間違いない。
そんな彼女の画像がこれ以上見られないなんて、想像するだけでも生きる気力の減退がヤバい。
もはや心の胃袋をガッツリ掴まれているのだ。
『RIKA』がアカウントを削除したら精神的飢餓で発狂するかもしれない。
だからと言って、勉に出来ることはない。もどかしい思いが募るものの、それが現実だった。
SNSの中で輝く少女(多分美少女な気がする)と自分には、接点と呼べるものがほとんどないのだ。
意外な感慨を抱いてしまう自分に驚きを禁じ得なかった。
リアルの『
例外は母親と義理の妹ぐらいで、このふたりはどちらも家族である。
そんな勉が異性の心情を慮ったり、あれこれ心配したりしている。
現実(?)の、それも同年代の異性に対して、こんなことで頭を悩ませた記憶がない。
相手は顔も名前もわからず、どこの誰かもわからない。会話以前に面識もないときた。
内容が内容だけに、誰かに相談する気にもならない。それでも心配なことは心配なのだ。
――せめて応援ぐらいするか?
これまで頑なに我慢してきたコメントを解禁しようと思った。
それぐらいしか自分に出来そうなことが考え付かなかったというのもあるが……そもそも勉自身も裏垢閲覧用の裏垢を利用しているわけで、正体がバレる心配はない。フォロワーもゼロ。
ならば、感想やら応援ぐらいもっと自由に述べても何も問題はないはずだ。
――俺はいったい何を慄いていたのだろう。
頭の中に渦巻いていた怯懦が消え失せ、心が定まった。
「む」
たかがコメント、されどコメント。
憧れと言ってもいい『RIKA』に声をかける。
そう考えると、妙な高揚感を覚えた。
教室でアイドルやタレント談議に花を咲かせる同級生を笑えない。
『なるほど、彼らもこんな気持ちを抱いていたのか』と新たな知見を得た。
しかし――指が動かない。
「こういうときに、どういうことを言えばいいんだ?」
投稿すると思い立って頭を捻っては見たものの、ここで『頑張って』というのは違う気がした。
彼女に降りかかったトラブルの概要を窺い知ることはできないが、もし勉自身が何らかの揉め事に巻き込まれたと仮定したら……安易に『頑張れ』なんて言ってほしくはなかった。
なぜなら――『頑張れ』という言葉は、『まだ努力する余地があるだろう? なぜもっと努力しない?』という意図を裏に秘めていると感じてしまうから。
自身の半生を振り返ってみれば、そういう経験が何回かあった。言った方はそこまで意識してはいなかったかもしれないが、言われた方はたまったものではない。
勉は決して順風満帆な人生を送ってきたわけではない。口には出すことはなかったが、誰かの何気ないひと言で怒りが限界突破しかかったことは一度や二度では聞かない。
『RIKA』は誰かに言われるまでもなく限界近くまで頑張っているかもしれない。
普段のツイートを見る限り、元来あまり弱音を吐かない人物のように見受けられた。そんな彼女の思いが溢れたのなら……『頑張れ』は迂闊に口にはできないワードだった。
どんな言葉をかけるべきなのだろうか?
スマートフォンを前に、しばし沈思黙考。
『毎日生きる気力貰ってます。ありがとうございます』
悩んだ末に勉の指が紡いだ言葉は、『RIKA』のコメントとは何の関係もないものになった。
100%自分の都合しかない。あまりの身勝手ぶりに『これはダメだろ』と投稿してから自らダメ出ししてしまうほど。
「やっぱ消すか……って、な、何だと……」
『RIKA@裏垢さんが返信しました』
ディスプレイに触れかけていた指が震えた。
『生きる気力とか大げさすぎ。でもありがと! ちょっとアガった』
「へ、返信が来た!?」
表示されている文字を何度も読んだ。
読み間違いはない。
『ありがと』と書いてある。感謝されている。
胸の奥からこみ上げてくるものがあった。
ついさっき自分でダメ出ししたことは、頭のどこかにすっ飛んで行った。
対人コミュニケーションに難ありの自覚があるだけに、この返信は嬉しかった。
自分の言葉が誰かを元気づけることができたのだという達成感と、感謝の言葉に対する感謝。
――勇気を出してコメントしてよかった。
嫌なこともあった一日だったが……ただひと言で救われた。
胸がいっぱいになった。
応援するつもりが応援されてしまった。
「ぐぬぬ……これはいったいどうすれば……」
☆
RIKA@裏垢
いいことあったからサービスサービス!
※
☆
想定外の展開に震えていると、タイムラインに新しい画像が追加された。今度はバックショットだ。
真紅のチャイナドレスのスリットから零れる真っ白な脚が眩しすぎた。
もちろん、速攻で保存した。
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