第5話 昔の人はいいことを言う その1


「ちょっと待ってください」


 つとむが放った声に、今にも取っ組み合いに発展しそうだった茉莉花まつりかと生徒指導教諭が振り向いた。

 茉莉花の整った顔には『何、コイツ?』的な不信感が浮かんでいる。

 教諭の顔は……醜く歪んでいる。


――生徒の前でその顔はどうなんだ?


 実に遺憾ではあるが……気持ちはわかってしまう。

 この教師は勉を嫌っている。それこそ蛇蝎のように。

 勉もまたこの教師を嫌っている。いがみ合いはお互い様なのだ。

 その勉が声をかけてきたとあって、さぞや不穏な気配を感じ取っていることだろう。


 勉は素行不良なわけではない。本来ならば生徒指導の注意を受ける謂れがない。

 しかし、このオッサンは何かにつけて勉に対してケチをつけてくる。

 学年主席であり、全国模試上位常連でもある勉を相手にしても態度を変えないのは、教師として筋が通っているのだが……腹が立つものは腹が立つ。


 閑話休題なにはともあれ


「なんだ狩谷……お前、この女を庇うのか?」


「言い方」


 思わず素の声が出てしまった。

 茉莉花は勉と同じクラスだから、この男は担任ではない。

 だが、担任でなくとも、生徒と教師の関係であることには変わりない。

 教師が生徒に対して用いる呼称として、あるいは大人のひとりとして子どもに対する呼称として『この女』が適切なものとは思えない。

 こういうところから滲み出る傲慢さが、生徒から倦厭される由縁のひとつである。


「何か言ったか?」


 勉は、この教諭と相見えるたびに酷い疲労感を覚える。理解できないのだ。

 同じ言語を操り、意思疎通はできているようなのだが……正直なところ同じ日本人の括りに入っているとは思えない。

 日頃の言動から推測するに、生徒を画一的にデフォルメすることを自らの使命としているように見受けられる。

 兎にも角にも『自由』とか『自律』とか『自主性』とか、そういう単語とは縁遠い男なのだ。

 21世紀の日本にこんな『自称:教師』がいることに驚きを禁じ得ない。

 平成を経て令和を迎えたと言うのに、この男の頭の中は昭和でストップしてしまっているのだろうか。

 アップデートとか、そういう概念が導入されていない旧時代の遺物。買い換えられる分だけ家電の方がまだマシ。

 そんなガラクタがこれから未来に向けて羽ばたこうとする生徒たちに圧し掛かっている教育の現場に目眩すら覚える。

 ……まぁ、教師に対する勉の評価は辛口に過ぎるため、これ以上は語らないとして。


「いえ、別に。それより……先ほどからの話声が、酷く乱暴に聞こえたもので気になりまして」


「乱暴? どこが乱暴だ。この女は学校にメイクをしてきている。校則違反だ。信じられないなら生徒手帳を見てみろ」


「もちろん生徒手帳には目を通しています。化粧の類が校則違反であることも理解しています」


「そうか、わかって言っているのか。俺は教師として校則違反の化粧を落とすよう指導しているだけだ。何が不満なんだ?」


――校則がそこまで大切なのだろうか?


 ふた言目には『校則違反』を繰り返す教師を見ていると、頭がキリキリと痛む。

 生徒手帳によると、本校の校則が定められてから、すでにそれなりの年月が経過している。

 現状にそぐわないものもあるし、違反していても誰も気にしていないものだってある。

 そもそも勉は校則にはあまり興味はない。茉莉花のメイクが目くじら立てるほどのものかもわからない。

 ただ……彼女ひとりだけ職員室という教師のフィールドに呼びつけて、恫喝じみた強要を押し通そうとするやり口が気に食わないのだ。

 単純に教師が嫌いなだけとも言う。

 そっと中指で眼鏡の位置を直した。脳内で戦闘開始のスイッチを入れる。


「確かに立華たちばなさんは校則違反をしているかもしれませんが……自分は、それも致し方ないことだと考えます」


「……お前は何を言っているんだ?」


「何言ってんの、アンタ」


――ハハハ、こやつめ!


 生徒指導どころか、槍玉にあげられていたはずの茉莉花本人にまで訝しげな眼差しを向けられた。

 おせっかいであることは百も承知だ。感謝して欲しいわけでもない。

 それでも……そんな視線を向けるのは勘弁願いたい。


――とはいえ、大したものだな。


 先ほどからの話を聞いている限りでは、茉莉花は『自分以外にもメイクをして学校に来ている生徒はいるのだから、そちらを先に取り締まれ』的な言説を避けている。

『赤信号、みんなで渡れば怖くない』といった論法は彼女の好みではないらしい。潔く、そして小気味良い。

 茉莉花は、単に容姿の出来栄えだけで多くの人間から支持を受けているわけではないことが見て取れる。


「不思議に思われるかもしれませんが、彼女がこのような装いで学校に来るのは理由があると思われます」


「理由?」


 普段は使わない思わせぶりな口調を用いる。途中で一度セリフを切った。

 ここから先は、茉莉花や生徒指導だけではなく、この職員室にいるほかの人間にも聞いてもらう必要がある。

 わざわざタメを作って注目を集めなければならない。目立つことは趣味ではないが、ミッション達成に求められるのなら、やむを得ない。

 案の定、遠巻きに茉莉花たちを観察していた職員室の住人達は、勉という乱入者が放った言葉に意識を向けてくる。そんな空気の動きを感じた。


「はい。理由です」


「ハッ、バカバカしい。そんなものあるはずがない」


「あります。聞いていただければ納得していただけるかと」


「ほう……そこまで言うのなら聞いてやろう。さっさと説明してみせろ」


 全く似合っていない芝居がかった口振りだった。勉も他人のことは言えない。

 この教師、あからさまに勉を毛嫌いしている心中を隠そうともしない。

 くだらないことを口にしたら、鬼の首を取ったように責め立ててくるだろう。

 ……これから自分が苦境に追い込まれるなんて、想像すらしていなさそうだった。


――勝利を確信している時こそ、油断に気を付けるべきなんだがな。


 勉は内心でほくそ笑む。

 チラリと視線を逸らせると、茉莉花の黒い瞳とぶつかった。

 突然の乱入者が次に何を言い出してもいい様に、勉の一挙一投足に気を配っている。


――悪いようにはしない。もっとも……希望どおりになるとは限らないが。


『立華 茉莉花たちばな まつりか』という人物については、通り一遍のことしか知らない。

 しかも、その大半が彼女の容姿と高校入学以来の経歴に関するものばかり。

 要するに、勉は茉莉花の性格やら人柄についてはさっぱりわかっていない。

 ゆえに自分の策が彼女のお気に召すかも判断できない。

 

――まぁ、嫌われても別に構わん。


 もともとボッチの身。孤独で気楽なおひとり様だ。

 クラスの人気者に好かれようが嫌われようが知ったことではない。

 彼女とは関係なく、勉は先ほどから職員室を騒がせている生徒指導が気に食わない。

 気に食わないから、茉莉花をダシにして一杯食わせてやろうと考えた。それだけだ。


 耳を澄ませば、いつの間にか職員室の喧騒は収まっていた。

 機は熟した。そして……勉は口を開いた。


「立華さんがメイクに気合を入れることには理由があります。なぜなら……生徒たちの手本となるべき教師の方々が、毎日毎日実に熱心に化粧をして来られるからです」


 勉の声が響き渡る。

 瞬間、職員室の空気が凍り付いた。

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