第4話 掃き溜めに鶴が鳴く その2

 何事かと声のした方に視線をやると……そこには生徒がひとり、教師がひとり。

 互いに睨み合って火花を散らしており、遠目に見てもわかるほどに空気が険悪になっている。

 どちらもつとむの直接の知り合いというわけではなかったが、いずれも校内では有名人だった。


 生徒の方は、同じクラスの女子だった。

 まず目につくのは腰まで届く艶やかなストレートの黒髪。

 次いで整い過ぎた美貌が際立つ顔。美少女は見ているだけで幸せになる。


 大粒の黒い瞳と切れ長の眼差しに、すーっと通った鼻梁。

 口そのものは小さめだが、色づく唇がやたらと印象に残る。

 ひとつひとつのパーツの出来が抜群に優れているのだ。

 さらに配置も完璧と言って差支えない。


 背は女子としては高め。170センチ少々の勉より少し低いくらいだから160センチぐらい?

 スラリとした体形で、お尻の位置が高い。短いスカートから伸びる脚は白くて眩しい。

 ブラウスを押し上げる胸元は大胆に存在感を誇示しており、全体的な完成度が半端ない。


立華 茉莉花たちばな まつりか


 見目麗しく、学業も運動も優秀で、コミュ力も高い。人として弱点が見当たらない。

 当然のようにクラスの中心を占めている、生まれついてのヒロインじみた少女だった。

 昨年の文化祭で開催されたミスコンでは、当時の3年生を差し置いてクイーンの座に輝いた。


 対する教師は――こちらは生徒指導の教諭だった。

 うだつの上がらない風貌の50がらみのオッサンで、毎日毎日朝から晩まで上下ジャージ。

 生徒のやることなすことケチをつけずにはいられないという稀有な気質の持ち主である。

 レアではあるが、ありがたくとも何ともない。珍しければいいというものではないのだ。

 悪い意味で目立つ教師であり、生徒はおろか同僚たちからも好かれていないともっぱらの噂。


――なんだ?


 ただ事ではない雰囲気を纏っている茉莉花と生徒指導教諭。ひと目でヤバさがわかるレベル。

 剣呑というか、もはや一触即発の火薬庫じみた有様で、他の教師たちも迂闊に近づけないでいる。


「立華! お前という奴は……そんな浮ついた格好で学校に来るなと何度言えばわかるんだ!」


「ハァ? 浮ついてるって何! どこからどう見ても普通じゃないの」


 いきり立つ生徒指導の視線をオーバーリアクションで真っ向から受け止める茉莉花。

 ともすれば華奢にも見える少女は、しかし外見とは裏腹にまるで怯む様子を見せない。

 大半の生徒を委縮させるであろう教師の恫喝じみた言動に堂々と相対する様には、同じ生徒として爽快感すら覚える。


「普通? お前のどこが普通だ! ガキのくせに色気づきよって」


「色気づくって……キモ」


――いや、まったく。


 距離が離れていたから口には出さなかったが、勉も心の中で同意した。

 コンプライアンスが叫ばれるこのご時世、先ほどの発言はセクハラに該当しかねない。

 そっちの話を抜きにしても、いい年こいたオッサンが女子高生相手に色気云々は普通に気持ち悪い。

『生徒指導』の肩書を持つ人間の台詞としては、完全に単語のチョイスがアウトだった。


「キモ……って、この、口の減らん奴だ」


「で、わざわざ昼休みにこんなところに呼び出して、いったい何なの?」


 茉莉花は苛立ちを隠そうともしない。気持ちはわかる。

 わけのわからない理屈をこねられて貴重な昼休みが奪われるのだ。腹が立って当然である。

 ……ウザい担任の妄言を適当に流そうとする自分より、あちらの方がカッコいいと思った。


「だから、その化粧を落とせと言っている!」


 そう言い放って、生徒指導教諭はポケットの中から何かを取り出した。

 途端に茉莉花のきれいな眉が跳ね上がる。


「うわ、メイク落とし……正気?」


「本気も本気だ。今から洗面所に行くぞ。これでさっさとメイクを落とせ!」


 ドン引きしている茉莉花に頷く年配の教師。

 その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。

 

「立華さん、困るわねぇ」


 勉の傍からため息交じりの声が聞こえてきた。

 担任だった。今日もメイクが決まっている担任だった。

 

「学校に化粧をしてくるのは、そんなに悪いことですか?」


「それはそうよ。だって校則で禁止されているもの」


 つい口に出してしまったら、なんと即答された。


――何言ってんだ、コイツ。


 心の中で担任の顔に『失格』の判を押した。もはや何個目かは勉も覚えていない。

 茉莉花も自分の受け持ち生徒なのだから、口うるさい生徒指導との間を取り持つなりすればいいのに。

 この担任は勉に対しては溢れんばかりの熱意をぶつけてくるのに、茉莉花に対しては一歩引いているように感じられた。


――理由は……まぁ、想像はできるが……


 下世話な話だったので、そちらには言及しない。煩わしさが増すだけだから。

 気がつけば、職員室の中に『茉莉花はメイクを落とすべし』という空気が醸成されている。

 あんな戯言でも『生徒指導』の肩書を持つ男が口にすれば、説得力があるように勘違いされてしまう。

 件の教諭がなまじ年を重ねていて、しかも声が大きいものだから、余計に肩書の効力が増幅している。

 

「バッカじゃないの! そんな安物で適当に落とすとか……マジでバカじゃないの」


――怒るところはそこなのか……


 茉莉花の反応は意外なものだった。高級品なら従うのだろうか?

 あの言い回しでは、化粧を落とすことそのものに文句はないということになる。

 彼女の思考回路は、つくづく勉の理解の外であった。


「自業自得だ。校則で禁止されているメイクをしてくるお前が悪い」


「てゆーか、何で私ばっかり目の敵にするわけ?」


「別にお前を狙い撃ちしているわけじゃない。単にお前から始めるというだけの話だ」


 生徒指導の言葉は理に適っているようで、本音を語ってはいない。その証拠に目が泳いでいる。

『立華 茉莉花』という少女は、この学校におけるカリスマのひとりだ。

 こと美貌においては突出した存在であり、ファッションを始めとする彼女のオシャレトークは教室でも大好評。

 そんな茉莉花を制圧することができれば、他の生徒に対する影響力は計り知れない。身だしなみの取り締まりが大いに進むことは想像に難くない。

 周りの教師たちの様子をチラリと窺うと……生徒指導に賛同する者、我関せずとスルーする者がほとんどで、生徒の声を聞こうとする者は見当たらない。


――はぁ……見ていられん。


「あっ、狩谷かりや君!? どこに行くんですか?」


 もうひとつため息をついてから……勉は担任を捨て置いて、スタスタと歩みを寄せた。

 爆発寸前の危険な気配を纏っているふたりに近づいてから、おもむろに口を開く。

 

「ちょっと待ってください」


 敵対していたはずのふたつの視線が、ほとんど同時に乱入者である勉に突き刺さった。

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