第3話 掃き溜めに鶴が鳴く その1
わざわざ言葉にするまでもない事実のひとつとして、学生にとって昼休みはとても貴重なものだ。
昼食を摂る時間としての重要性は語るまでもないが、シンプルに一番長い休憩という点は非常に大きい。
勉強や友人あるいや恋人とのひととき、そして部活動などなど活用法は多岐に渡る。もちろん寝るのもアリだ。
『時は金なり』でありレアリティもハイグレード。そんな貴重な貴重な昼休みに、
――堪ったものではないな。
学生に取って職員室とは地獄あるいは拷問部屋の別称である。
余程の物好きでもない限りは、好き好んで足を踏み入れたい場所ではない。
そもそも生徒がこんなところに呼びつけられるときは、大抵ロクな理由がない。
昼休みと職員室。
このふたつのワードの組み合わせは、学生生活においておおよそ最悪と言って差支えない。
その『最悪』こそ、現在の勉を取り巻くシチュエーションであった。
――まったく……見ていられん。
眉間に皺が寄った。こめかみがキリキリと痛みを訴えてくる。
苛立ちと共にずり下がった眼鏡のフレームを中指で押し上げる。
勉は沈黙を貫いていたが、心の中では何度となくため息をついていた。
『表に出さないだけ我慢している方だ』と自分で自分を褒めてやりたい気持ちすら湧き上がってくる。
なぜなら……昼休みの職員室に広がっていたのは、一介の高校生にとって看過しえない光景だったからだ。
思い思いの姿でくつろぐ教師たちは、ハッキリ言ってだらしない。
乱雑に積み上げられた書類や、散らかりっぱなしの机は目に余る。
校則で持ち込みを禁止されているはずの菓子を頬張る教師がいる。
スマートフォンを弄って一喜一憂している教師がいる。
掲示板には『校内ではスマホの電源をオフにすること』と張り紙があるのに。
――こんな連中がデカい面してやがるんだからなぁ……
『こんな連中』こと教師たちが、したり顔して『服装検査だ~』だの『整理整頓が~』だの『忘れ物をするな~』だのほざくのだ。
勉にとっての『大人』とは、もっとピシッとしていたり、凄かったりする存在だった。
物心ついたときからずっとそう考えてきた。今でも間違っているとは思わない。
しかし、この職員室にそんな人間は見当たらない。
ここにいるのは、どう見ても図体がデカくなっただけの子どもだ。
子どもが子どもに上から目線でアレコレ抜かす。想像するだけで苦笑いを禁じ得ない。
そんな説得力ゼロのハチャメチャが許容されている世界、それが勉の知る学校という空間である。
……だから、勉は小学校に入学したその日から、一度たりとも教師に対して尊敬の念を抱いたことはない。
「
「聞いています」
甘ったるい声で想像から現実に引き戻された。耳障りなことこの上ない声だった。
声の主は勉の目の前でプンプン怒っているのは担任教師(25歳・女性)だ。
まだ若々しく溌剌としていて、容姿にも気を遣っていることが見て取れる。
生徒からも他の教師からも人気のある人物で、今日もメイクが決まっていた。
わざわざ貴重な昼休みを割いて職員室に足を運ぶ羽目になったのは、彼女が原因である。
1000%の熱意が空回っている若い教師は、控えめに言って煩わしい存在であった。
なぜなら、彼女は勉に様々なことを求めるが、彼女は勉の求めに応じることができないから。
生徒と教師で釣り合いが取れていない。そして――そのことを自覚していない。実に腹立たしい。
なお、勉が教師に求めているのは熱意ではなく能力である。
「狩谷君の授業態度については、色々な先生から苦情が出ているんですよ」
「はぁ」
気の抜けた返事を返さざるを得なかった。
教師の苦情なんぞ、まったくもって知ったことではなかった。
理由は極めてシンプルで、勉の成績には何も問題ないからだ。
否、問題ないどころか、学業系に限定すればブッチギリの主席である。
入学して以来ずっと定期考査ではトップを維持し続けているし、全国模試だって常に上位に顔を出している。
ここは県内一の進学校であると自称している学校だ。あくまで『公立学校としては』という前提はあるが。
大学進学を第一目標に掲げている以上、学業は何よりも優先されるべきであり、今の自分の成績で文句を言われる筋合いはない。
だから――授業なんて聞く必要が無い。それが一年ほどをこの学校で過ごした勉の結論だった。
内職(自分で勝手に勉強)している方が効率的であることは、これまでの定期試験の結果が証明している。
勉は現在高校2年生。大学受験の足音が聞こえてくる頃合いだ。
勉強は効率的に、効果的に積み上げなければならない。繰り返しになるが、教師の苦情など知ったことではない。
学業成績だけではなく、生活態度だって悪くはない。
毎日きちんと出席しているし、授業だって静かにしている。
放課後のアルバイトだって、ちゃんと学校の許可を取っている。
もちろん校則違反の類を犯した覚えもない。そんなことをしても、何もメリットがない。
『俺が……俺こそが、模範的な生徒だッ!』などと厚かましいことを口にするつもりはないが、些細なことで揚げ足を取られるとムカつく。
「そもそも狩谷君は周りのみんなとの距離が……」
口を閉ざしたままウンザリしていると、ついに担任は勉の交友関係にまで言及してきた。
深刻ないじめに遭っているというのならともかく、まったくもって余計なお世話だった。
確かに勉には友人と呼べるような人間はほとんどいない。それは事実だ。
――友達がいないからって、それがどうしたってんだ。
どうせ学生時代の友人なんて、数年も経たないうちに大半は縁が切れてしまう。
中学時代にもそこそこ仲の良いクラスメートはいたが、今なお関係が続いている人間はひとりもいない。
高校時代に友人を作ったところで、結果は似たようなものだろう。歴史は繰り返す。
ひとり暮らしで大学進学を志す勉には時間の余裕がない。無駄なことに割くエネルギーもない。
進学校で教鞭を執りながら、そんなことすらわからない担任には、もはや閉口するほかない。
「狩谷君はこれから社会に出て様々人と関わっていくことになるんです。今みたいに自分だけ勉強できていればいいとか、そういう身勝手な考え方をしていると……」
沈黙する勉を『反論できない』と誤解したらしい担任は、『我が意を得たり』とばかりに持論を展開し続ける。
――社会から隔絶された学校という狭い世界で生涯を過ごすことになる教師の口から、こんな言葉が出てくるなんて。
ジョークとしてなら笑える。ジョークじゃないから笑えない。
いずれにせよ、勉がこの手の話題で表情を動かすことはない。
どこまで行っても時間の無駄でしかなく、ただひたすらに煩わしい。
「うるさいわね! 何なのよ、いったい!?」
いい加減ポーカーフェイスを保つのがしんどくなって来た時だった。
鬱屈が沈殿したような空気を切り裂く声が職員室に響き渡ったのは。
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