応援コメント

どうして「社会学」は「世間」学じゃなくて「社会」学なの?」への応援コメント

  • 「世間」と言う言葉ではあまりにも未分化であった為、「社会」を定義して、
    また、「自身」を指す「私」の入った「私人」ではなく、
    より広範に、独立した「一個体の人」を表す「個人」を定義した、

    と言う事でよろひいのでひょーか?

    「キリスト教」……。
    ボクは大きくなったら、異端審問官になりたいデス!

    作者からの返信

    「世間」という言葉があまりにも未分化である、というのは、もしかするとある程度(西欧とは内容が異なるにせよ)「社会」や「個人」という意識が多少なり育っている現代から見ているからこその気づきや発想かもしれませんね。


    当時、留学している面々であれば、西欧の価値観や「個人」にふれ、日本との差異に思索を巡らせていたかもしれませんが、西欧から輸入された言葉を「翻訳」せねばならないといったときに、どこまで「世間」を客観視して「社会」を定義できたのか、また、翻訳語の意図をどこまで周囲と共有できたのか、はなかなか難しい問題かと思います。
    (個人、については、自律性をともなったものというより、それまでの共同体的な紐帯から解放された、のような意味合いでしょうか。個別性、とか)

    色々とおすすめできそうなものはありそうなのですが(福沢諭吉や丸山眞男など)、一つだけ・・・もしご興味があれば、阿部謹也さんの『ヨーロッパを見る視覚』をご参照ください。西欧においても11世紀頃では日本と同じような「世間」があったにもかかわらず、なぜ個人を重視する社会へと転換したのか、などについて大変興味深い論考が示されています。

    異端審問官…神学者(ジョブ)をマスターせねばなりませんね!

    編集済
  •  大学生の時、社会学科に入学したのですが当時は政治学や国際関係論、統計学の方に興味が向いていて、ウェーバーやデュルケームと言ったスタンダードな古典はさっぱり読んでいませんでしたね(滝

     エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とかベネディクトの『菊と刀』ぐらいですかね……さわりの部分だけでも覚えているのは。

     読んでいて懐かしくなりました。

    作者からの返信

    はじめまして、コメントありがとうございます。

    社会学科のご出身なのですね。
    私の周囲を振り返ってみても、古典に関心をもっているという人はほとんどいなかったように記憶しています^^;
    扱っている領域が多岐にわたるので、さまざまに興味関心を刺激されるところも社会学系の魅力だなと思っています。
    (かくいう私も、一年生の頃は古典より社会心理やメディア論に興味がありました)

  • まず初めに言葉ありきということですね。
    社会という言葉が発見されていない状況では
    社会という概念も理解できないということでしょうか。
    つくづく西洋は進んでいたのだと思います。
    でも、鎖国のまま日本が今も続いていたら、
    そんな空想も面白いです。
    今頃、そうだったらどうなっていたのだろう。

    作者からの返信

    >社会という言葉が発見〜理解できないということでしょうか。

    おそらくそのように思われます。
    似たようなもの(共同体、世間、仲間、村、家族etc…)などに近づける形で理解することはできるかと思うのですが、西洋発の「社会」にはキリスト教や市民社会の形成など文化的背景諸々も絡んでくるので、やはり現在の日本で言われている「社会」も西洋で言う「社会」とはイコールではないと思われます。
    (ですが、そこのところの違いが面白いですよね^^)

    鎖国のまま日本が…
    それはとても興味深いですね!

    コメントありがとうございますね。

    編集済