どうして「社会学」は「世間」学じゃなくて「社会」学なの?

 こんにちは!


 さて、今日はですね、ちょっとだけ真面目に、社会学の「面白さ」をアピールしたいなと思いまして。はい、今回は小学校に押しかけて営業をかける、みたいなかたちでね、お話させていただければなー、なんて。


 いつも社会学面白い面白い言うてますけども、具体的に何が面白いねんっていうね。面白い面白い詐欺にならないように、こうして馳せ参じた次第です。


 で、社会学に興味なんてないよーって人にもね、お付き合いいただければ嬉しく存じます。

 損はさせませんから(言ったもん勝ち)。

 これを読み終える頃には、こう…なんか…充実した気持ちになってると思う…よ(押しの強さも時には必要)。


 しつこく言い続けていたら夢は叶うと思っています。

 最後に勝ち残るのはしぶとさ。

 小学校の基礎科目に是非社会学を!


 それでは早速まいりましょう。



 社会学って一体何を明らかにしようとしているのでしょうか。

 「社会」の学ですから、「社会」が対象になっていることは何となくイメージできると思うんですけど、その「社会」っていうものがはっきりしませんよね。


 こういうときは、まず言葉の意味を確認してみましょう。

 当たり前のように使っている言葉ほど、普段は意識されていない価値観をはじめとする意外な発見が隠れていることがありますし、私が社会学で得られる力の一つであると考えている「自分の言葉で話す」第一歩は、言葉に対して敏感であること…すなわち、言葉の意味を曖昧にしないことにあると思っています。


 とりあえず、辞書で「社会」の意味を確認すると、一番目には「共同生活をする人々の集団」とあります。そして二番目に「世間」とありました。(三省堂ウェブディクショナリーより)


 そういえば、芸能人が謝罪会見をする際の文言として


 「世間のみなさまに大変申し訳なく〜」


 としばしば耳にしますが、このとき、「社会のみなさまに〜」とはあまり言わないような気がします。

 世間に対する体裁は気にしても(≒「世間体を気にする」)、社会に対する体裁として「社会体」を気にするとは言いませんしね。


 日本では「社会」よりも「世間」とか、いわゆる「世の中」のほうが、自らの生活範域や所属集団を指し示す言葉として、まだまだ馴染みがあるのかもしれません。


 じゃあ、「社会」っていつから日本にあったのでしょうか。


 それは明治時代まで遡ります。旧幕臣、ジャーナリスト、劇作家、政治家などさまざまな顔をもっていた福地源一郎が1875年、新聞紙上で「society」の訳語として「ソサイチー」のルビ付きで「社会」という言葉をあてたのです。

(ただし、このとき使用された「社会」という言葉は、現在使われているような意味合いではありませんでした)


 「社会」なる言葉が日本に登場したのは今から145年前の話だったんですね。

 個人的に、江戸時代だとかなり歴史を感じるのですが、明治時代になった途端に「あ、けっこう最近なんだな〜」なんて。え?そうでもないですか?しょんぼり。


 そうそう。余談ですが、日本で「社会学」の講義が初めて行われたのは、1878年の東京大学。担当はアーネスト・フェノロサ(彼の専門は哲学でしたが、東洋美術にも関心が深く、あの岡倉天心と東京美術学校を設立しています)。ただ、当時は翻訳語であった「社会」という言葉がまだ定着しておらず、「社会学」ではなく「世態学」と呼ばれており、「社会学」の科目名称が採用されたのは初めて講義が行われてから7年後の1885年でした。


 「社会」にせよ「世間」にせよ、その内実は人と人とのつながりやまとまりであることに違いないでしょう。社会学は、(ざっくり言うと)複数の人々の集まりを対象にするのです。(ざっくり)言い換えると、人と人との関係やつながりのあり方を考えようとするのです。


 このとき、ひとつのツッコミが想定されます。そう、「世間」だって複数の人々の集まりを指してしるんだから、社会学ではなく世間学といってもいいんじゃないかっていうツッコミです。


 それでも「社会」学とするのはどうしてなのか。

(「社会学って言ったら何が何でも社会学なんだよバーロー!」って言えたらめっちゃ楽。でも頑張る。営業中だから)


 ここで「社会」を構成する基礎単位である「個人」という言葉に着目してみたいと思います。


 個人、という言葉は「個人主義」や「個人的には〜」などのように、今やなんの違和感もなく日常に浸透していますよね。それはあたかも、「個人」が実在するものとして存在しているかのように感じられると思います。


 ところが、です。もうお察しいただいている方もいらっしゃるかもしれませんが、この「個人」も、「individual」の翻訳語で明治時代、1894年頃に造語された言葉なのです。


 つまり、造語される以前の日本において「個人」や「社会」といった認識は欠如していました。


 そういう「個人」とか「社会」という発想そのものがなかったのです。


 そのかわり、日本にあったのは先ほど言及した「世間」です。

 ただし、「世間」の構成単位は「個人」ではありません。

(日本には「個人」という概念そのものが存在していませんからね)

したがって「世間」では、「個人」と対をなす「society≒社会」をうまく表すことができないのです。

 ここに「社会学」たる所以が立ち現れてきます。


 「個人」や「社会」というのは、もともと西欧にあったものです。

 もとはといえば、西欧の歴史背景をもつ「個人」から成るものが「社会」なのですが、日本語で言う「個人」や「社会」というものが日常語としてすっかり定着したことで、そうした概念および「現実」が最初からあったかのように錯覚してしまうのですね。


 もう少し踏み込んで言いますと、「社会」およびその基礎単位としての「個人」は、最初から自明のものとして存在していたわけではなく、ましてやいつでもどこでもあったわけでもなく、歴史的・文化的につくられたものなんですね。


 歴史的なところで言えば、社会学の誕生と密接に結びついている「近代」と呼ばれるある特有の時代が浮かび上がり、文化的には西欧というある特有の「空間」そしてかつての西欧社会で支配的であった「キリスト教」も関わってきます。


 ここまでの話を踏まえて、

 じゃあもとは日本になかった社会だとか個人みたいな概念をわざわざ使ってどうするのか、っていう疑問が浮かぶかもしれないのですが、


 「社会」や「個人」はあるひとつの「視点」と考えてください。

 その視点を用いた場合にどういうモノが見えてくるのか。


 「社会」はもともと西欧発祥のものだ、と先程お話しましたが、その西欧においても 「社会学」が誕生する以前は「社会」の存在そのものがまだはっきり意識されていなかったのです。

 「近代」を契機とした「社会」が発見されたことで、さまざまな問いが生まれ、「社会学」が誕生しました。


 すなわち、ある時代にある状態を理解するため「社会」と名付けられた。

 大雑把に言うならば、「社会」という概念、視点、切り口が登場したことで、いろんなモノの見方、発想等が可能になったのです。


 そうしたユニークなモノの見方、さまざまな道具立てを提供するのが「社会学」なのです。

 社会学はたくさんの面白い発想がありますが、とりあえず基本的な原理と発想は次の3人の代表的な社会学者に求めることができるかと思います。


 その3人とは


 ▪️エミール・デュルケム(代表作『自殺論』)

 ▪️マックス・ヴェーバー(代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

 ▪️ゲオルク・ジンメル(おすすめ『ジンメル・コレクション』)



 なのですが、そうですね…私、じつはほかのところでデュルケムの『自殺論』についてお話したことがあるので、ヴェーバーかジンメルのお話でもしましょうか。うん、そうしましょう!


 むしろここからが本番!

 社会学のエッセンスがぎゅーっと詰まったとっておk…あれ?


 え?そろそろ帰って?

 うーん…(無理矢理営業続けて通報されたら嫌だしなぁ)わかりました!それではまた別の機会にいたしましょう!


 あ、私、社会学小説も書いておりますので(『今日は何を注文しよう?』カクヨムにて連載中、『愛と秩序の四時間目 ―小学六年生への社会学講義―』Amazonにて発売中)、よろしければそちらもお目通しいただけると嬉しく……あっ、すみません、もう帰りますから!通報だけは――――!!!


 ここまでお読みくださりありがとうございました。

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