第5話「意識するなってのが無理な話」
モンスターを倒して経験値を獲得し、レベルアップする。
レベルが上昇した結果、姿形がより良い状態にアップグレードされる――つまり進化するということも、一理あるのかもしれない。
この世界の秩序がどうなっているのか、転生に携わった女神から聞かされることはなかった。
モンスターを討伐し経験値を貯め、レベルを上げる。その果てにジョブやスキルを進化させる――ゲーム的異世界であったという可能性も考えられた。
だが掃除機が虫を吸い込んだ結果、アンドロイドに進化するというのは、どうなのだろう。
「うーん」
朝だ。昼過ぎかもしれないが、どっちでもいい。寝坊したところで、誰かに文句を言われる筋合いはないのだ。
ベッドは一階と二階に一つずつあったので、一階の一室を寝室として使用している。
朝起きて真っ先にモンスターとのご対面は心臓に悪いので、カーテンは閉め切ったままだ。
「結局、メテオのことは投げっぱなしだもんなあ」
あの後@柊メテオは充電器と繋がったまま静かになったので、ケーネはそれ以上の追及をすることはなかった。
食事が終わった後、@柊メテオは何やらお掃除に精を出していたようだが。自分が食べこぼしたモノを這いつくばって掃除されるのを見るのは、精神衛生上よろしくなかったので、あれ以来ダイニングには戻っていない。
「アンドロイドっていうし、元は掃除機だし。そこまで気遣う必要もないんだろうけど」
人間とほぼ変わりない見た目をしているというのが、ケーネにとって悩みの種であった。
せっかくの引きこもり生活。一人で悠々自適な暮らしをしたいというのも正直なところだが、一抹の寂しさを覚えていたのも事実である。
害意はないようだし、清掃専門とはいえ献身的に働いてくれる。一人の女の子として接するのも、退屈しのぎにはなるのではないか。
「でもあまり意識すると、かえってギクシャクする可能性もあるんだよなあ」
5年間の引きこもり生活は、人間関係を育む重要な期間を、丸ごと棒に振った形となる。
同性相手でも会話が成り立たないのに、女性だと意識して果たして喋ることが出来るのか。
悩みに翻弄され、ケーネはゴロンと寝返りを打った。
目を開けると、@柊メテオがじっとケーネを見下ろしていた。
「――っ、メテオ!?」
「ご主人様」
@柊メテオのことを考えていたからか、思わず驚きの声を上げてしまう。
彼女は表情をピクリとも変えず黙したまま、ベッドで横になるケーネを見下ろしていた。
「い、いや違うんだぞ、メテオ。別に俺は、お前が嫌いとかそういうんじゃなくて――」
「ご主人様」
抑揚のないいつもの声。@柊メテオはベッドの端に手を置いて、ずいと顔を近づけてきた。
透き通るようなアメジストの瞳は、まるで人間のソレの如く生命の息吹を感じ取れる。心なしか呼吸もしているような気がして、ケーネは思わずたじろいでしまう。
藤色のロングヘアは、腰の辺りまで伸び、毛先には独特の癖が残っている。
アンドロイドというだけあって、顔立ちは端正だ。切れ長の瞳でじっと見つめられると胸がドキドキするし、吸引口であるはずの唇も薄く、柔らかそう。
@柊メテオの唇が、微かに震える。
凝視される照れくささに耐え切れず、反対側に寝返りを打とうとしたのだが。
「動かないでください、ご主人様」
@柊メテオの手によって、それは封じられる。
ベッドの上に膝を乗せ、覆いかぶさるような体勢。そのまま四つん這いになると、ケーネの顔をじっと見つめながら、ゆっくりと姿勢を低くしてきた。
@柊メテオはアンドロイド。そう自分に言い聞かせるが、かわいい女の子にベッドの上で迫られると、経験不足な男の子はもう冷静ではいられなかった。
心臓がバクバクいっている。熱くなった額に、@柊メテオはコツンと自らの額をくっつけた。
「目を瞑って、口を開けてください」
「あ、開けるのか……? そうだよな。こういう時、口は開けるんだよな!」
ない知識を振り絞って、同調するケーネ。
目をギュッと瞑り、恐る恐る口を開けていく。
半分くらい口を開けたところで――。
「スコ――――――っ、パシュン」
聞き覚えのある吸引音が聞こえた。
手首を押さえつけていた@柊メテオの重みが、消失する。
ベッドが軋む音を立て、間近に誰かがいる気配も薄れていった。
目を開けると、@柊メテオはベッドの脇に佇み、じっとケーネを見下ろしていた。
「……え、っと?」
「終わりましたよ、ご主人様」
何が。何が終わったのだ。
ケーネが期待していた嬉し恥ずかしな心地良さは、一瞬たりとも訪れることはなかった。
不思議そうな顔をするケーネに、@柊メテオは無表情のまま小首を傾げる。
「髪の毛がお口に入りそうでしたので、吸い込んでおきました」
「…………」
口先にあったくすぐったい違和感が、取れたような気がする。
そうだった。@柊メテオは掃除機。掃除機なのだ。
変なことを期待した自分に、ケーネは恥ずかしいやら何やらで、俯いてしまう。
「どうかされましたか」
「……いや、別にいいんだ。でもこれからは、口でゴミを吸い取るのはナシにしてほしい」
変な期待もしてしまうし。
「歯の間に毛先が挟まっておりましたので、
「でも、いきなり顔を近づけられると、ビックリするから……」
「畏まりました。では次回からは、こちらの吸引口を使うようにします」
言いながら@柊メテオは、エプロンドレスを押し上げる双丘を、ポンポンと示してみせた。
谷間をベキベキと剥がした時のことを思い出し、ケーネは慌てて叫んだ。
「い、いややっぱいい! メテオのやりたいようにやってくれ!」
「分かりました」
ベッドの脇に佇んだままの@柊メテオから、逃げるように寝室を後にする。
部屋を出る際に、気になって室内を見やると――。
「スコ――――っ、パシュン。スコ――――っ、シュパッ」
さっきまでケーネが寝ていたシーツの上を這いつくばりながら、モゾモゾやっている@柊メテオの姿が目に入った。
ケーネはそれを暫く観察してから、ダイニングへ向かったのだった。
◆◇◇◆
「意識するなってのが無理な話だよなあ」
用を足し、歯を磨いてから、遅い朝食を摂る。
テレビを点けると、再放送のドラマがやっていた。
サスペンスものだ。食事中に相応しくない題材だったので、チャンネルを変えた。
ワイドショー。映画。またワイドショー。映画は海外のもので、よく分からないが、ガス管に向かってピストルを構え、周りから悲鳴が上がっていた。
CMが始まった。健康食品のテレビショッピングである。青汁には興味がないので、テレビを消した。
「しかし、20年の人生で一番接近した女の子がアンドロイド――しかも掃除機とはなあ」
ホットサンドにかぶりつくと、隅に引っ付いていたコーンがコロリと床に落ちてしまった。
転がって視界から消えたコーンを探していると、床を這いつくばって移動してきた@柊メテオが、隠れていたコーンを探し出し口の中に吸い込んだ。
「…………」
「何でしょうか」
「いや……」
やはり彼女は掃除機だ。
そう自分に言い聞かせ、ケーネは食べ終えた袋のゴミを、ダストシュートに投げ入れた。
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