第3話「これが天界パワーか」

 唐揚げにレモンをかけるかどうかというのは、しばしば食事会での議題に上がる重要な問題であるそうだ。


 親戚の大食漢の伯父さんは、学生時代唐揚げの皿が運ばれてくると、いの一番にレモンを絞っていたそうだ。


 顰蹙を買う場面はままあったが、ぐちぐちと責める方も器が小さいとか何だかんだ理由をつけて、なあなあで納めていたらしい。


 ちなみに何故毎度真っ先にレモンをかけていたかといえば、レモン嫌いがメンバーにいればそいつの分が自分の取り分に回ってくるからという、最低な理由であった。


 ウチの親戚は皆レモンはかける派なので、その技が通用しないと嘆いていた。


「まあ、レモンなんてかけなくても美味いのが唐揚げってやつなんだが」


 唐揚げを貪りながら、無糖のレモンソーダを口にする。

 冷蔵庫の中身は勿論。キッチンの収納に仕舞われた食材や飲料は、全て消費期限が3000年後という果てしない代物であった。


「今度極限まで腹を空かせて、ビュッフェ形式の晩飯ってのもやってみようかな」


 窓の外が、またしても赤く光った。


 何の気なしに外の景色を写真に撮ってみる。迫力のある、真に迫った生命のやり取りが画像として残されていた。


 仄かに魔が差して、SNSにアップしてみようかと、そんな気持ちが芽生えた。


 試しにSNSを開設しようと新規登録の手続きをしてみたが、いつになっても確認用のメールが届かない。


「そういえば、悪戯とか犯罪防止のために一部のサービスは制限かけるとか言ってたっけ」


 異世界の写真をアップされるのは勿論。法に触れる書き込みをしても、モンスターの巣窟に住んでいるケーネのもとに、リアルな捜査の手が回ってくることは有り得ない。


 一方的に無敵の書き込みが出来るとなると、精神のタガが外れてしまうものなのだろう。


「通販もデリバリーも出来ないって言ってたし、全能ってわけじゃないんだよなあ」


 とはいえ元の引きこもり生活でも、店屋物を頼む機会はまずあり得なかった。

 通販が使えないのは痛いが、今は無料のコンテンツだけでも十二分に楽しめる世の中である。


「有料チャンネルが観られるんだから、サブスクリプションサービスくらい繋いでくれてたらいいのに――――お?」


 アプリを漁っていると、天界チャンネルなる見慣れないアイコンが浮かんでいた。

 開いてみると、CMでよく見る定額サービスの動画アプリや音楽アプリが、何者かによって登録された状態で繋げられていた。


「これが天界パワーか」


 懐かしのアニメ作品が配信されていたので、寝落ちするまで一人鑑賞会と洒落込むことにした。




 ◆◇◇◆




 配信アプリの存在に気付いてから2週間。時が経つのが、早く感じるようになった。


 目ぼしいアニメも粗方見尽くしてしまったので、最近は「あなたへのおすすめ」を有効活用している。

 意外と知らない作品もいっぱいあって、新たな世界との出会いを期待することが出来るのだ。


 空になったペットボトルをダストシュートに投げ込むと、深い穴の中から見慣れない生き物が這い出てきた。

 虹色に輝く甲虫である。タマムシに似ているが、形はどちらかというとカナブン寄りである。


 放っておくのも嫌だったので、お掃除ロボットに吸い込んでもらった。


 もしやダストシュート内に虫が湧いているのではと不安になったが。それ以来、ダストシュートから件の虫が出てくることはなかった。


『ああっ、ご主人様! いけません。いけません、こんなところでなんてぇっ!』


 お掃除ロボットにキッチン周りの清掃を任せながら、ケーネは某動画サイトで、いやらしい動画を鑑賞していた。


 タブレット端末をテーブルに置いて、ソファに腰掛け、ケーネはだらりと情けない顔を晒していた。


 一軒家丸ごと自分のものというのは、こういう時に都合がいい。

 誰かが後ろを通るということもないし、少しくらい音量が大きくても、誰にも迷惑がかかることはないのだ。


『ああっ、ご主人様ご主人様! いけません。他のメイドに見られてしまいます。メイド長たるわたくしは、皆の模範でなくてはならないのです! ですから、こんなはしたない姿は、はしたない姿はぁ……!』


 有り得ないくらい魔改造されたエプロンドレス姿のお姉さんは、鼻にかかった甲高い声で、生々しい単語を幾つも叫んでいた。


 こうして見ると、従順なメイドさんの一人でも用意してもらっておけば良かったかなと、軽く後悔してしまうのも正直なところだったりする。


 無論深い意味はないし、家政婦をそういったものだと曲解しているわけでもない。


 事実ケーネが“ヒロイン”の手配を所望しなかったのは、初対面の女性と二人きりになって、普通に会話ができるとは到底思えなかったからだ。


 中学卒業の頃より5年間も引きこもり生活を続けてきて、その生活に良くも悪くも馴染んでしまっている。


 せっかくの異世界引きこもり生活なのに、他人と共同生活するというのは、死亡直後のケーネには想像することすら不愉快であったのだ。


「でもこう、何もかも満たされていくと、次なる欲求が芽生えてくるのが人としての本能だったりして」


 かわいいメイドさんに身の回りの世話をしてもらうのも、ロマンと言えばロマンであったような気がする。

 この状況で無いものをねだったところで、詮無いことには相違ないのだが。


「ご主人様」


 音ズレだろうか。画面の中のメイド長さんは、どう足掻いても喋れない状態になっているのに、はっきりと主を呼ぶ声が聞こえた。


 抑揚のない声は、大袈裟な反応を見せる画面内のメイド長とは似ても似つかない。

 バックグラウンドで別の動画が再生されてしまったのか。


 口に頬張り塞がったアップの画面で一時停止し、ケーネは他のアプリが開いていないかどうか確認しようとしたところで――。


「ん……。んんっ!?」


 一瞬暗転した画面に、人影のようなモノが映った。


 誰もいない一人暮らしに慣れたケーネにとって、それがどれほど衝撃であったか。

 見えたのは一瞬だけだったが、ケーネは恐怖のあまり、その場に硬直してしまう。


 誰かがいる。背後に、誰かが立っている。


 どうやって入った。辺りは火山地帯で、獰猛なモンスターもいっぱいいる。

 人間である可能性は低い。ならば何だ。幽霊か。


 悪い妄想が頭を巡り、ケーネは両手を頭の上に挙げて、ゆっくりと立ち上がった。


 見間違いならいい。だがもし、何者かがそこにいるのだとしたら。


「…………」


 ゆっくりと、身体ごと後ろを向く。


 チラっと視界に人影が入ったところで、ケーネは情けなくも悲鳴を上げてしまった。

 喉が痙攣するような、ひゅぅぁと奇妙な声が出る。


「だ、誰だ!?」


 ソファの後ろに佇んでいたのは、白っぽい装束を身に纏った髪の長い女性であった。


 思わず飛び上がり、テーブルに足をぶつけて悶絶する。腰から力が抜け、尻もちを着いた。

 膀胱がキュゥと縮み上がり、じわじわとズボンが湿っていった。

 20歳にもなって情けないことだが、そんなことを恥じている余裕はなかった。


「だ、誰だ! 何者だ。何故ここにいる。どうやってここに入った!」


 誰もいないはずの家で、背後に見知らぬ女が立っていた。ケーネの感じた恐怖は、並大抵のものではなかっただろう。


「わたし、ですか……?」


 抑揚のない声で、髪の長い白装束の女性は、こちらに向かってそう問いかけた。


 少し戸惑ってから、彼女は姿勢を正して、崩れ落ちたケーネを見下ろしながら、告げる。


「自律思考型清掃用アンドロイド@柊メテオと申します」


 一回では聞き取ることが出来なかった。

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