八つ当たり(7)

 こんなところに来るんじゃなかった。


 あの男の顔など2度と見たくない。


 病院を出た後、何とか自力で駅まで戻ってきた二郎は、塗装がほとんど剥げたベンチに座り、俯いていた。


 最初に着いた時には多くの住人に纏わりつかれたが、今はすっかり人気ひとけが無くなっていた。駅構内には二郎と、柱にもたれかかって酒を呑む老人が1人いるだけだった。


 時刻表によると、汽車が到着するまで、あと15分。汽車に乗って13丁目に着くのは約2時間後。


(僕は何をやっているんだろう)


 屋敷を抜け出すリスクを背負ってでも、会いたいと思ったのに。結果は最悪だった。時間と労力と金をかけて、1人の人間を殴ってきただけだ。



(父さんは、あいつと僕が友達になれるかもしれないと言っていた。何故なんだ?)



 永遠に解らない答え。父はもうこの世にいないし、自分がこの町に再び来ることは無いだろうから。


––––しかし。


(あいつの母親と妹を、見てみたかった)


 二郎の母親の遺体を守ってくれたという女性。彼女は既に他界しているらしいが、せめて写真でもあれば見たかった。妹がどういう子なのかも知りたかった。



 考えていると、〝カラン〟と、軽い音が聞こえてきた。


 ずっと足元に向けていた視線を上げれば、ベンチの近くに酒の缶が転がっている。背後の老人が投げたらしい。相当酔っているのか、楽しそうな大声を出して笑っている。


(……あ)


 空き缶は止まらない。駅は相変わらず汚くてゴミだらけなのに、空き缶は何の障害も受けることなくコロコロと進んでいく。その先は、線路だ。


 止めないと。


 二郎がそう思い、立ちあがろうとした時だった。



〝ぐしゃり〟––––と。



 空き缶が一瞬でぺちゃんこになった。


 誰かの足で踏み潰されたのだ。

 踏んでいるのは、見るからに重たくて固そうな黒色の紐靴。そして次に目に入ったのは、蜜柑のような橙色を持つ生地だった。


 冷静になりかけていた心臓が、またざわめいた。


 二郎は視界を徐々に、上へ移動させていく。



––––あぁ、やっぱり。



 橙色のズボン、上半身の部分を腰巻きにしたつなぎ姿、白い半袖のシャツ。嫌味なくらい整った顔。不機嫌そうな目つき。装飾具だらけの両耳。焦げた茶色の髪。血で赤く滲んだ唇。


 見れば見るほど、そこにいたのは2度と会いたくないと思っていた男だった。



「……」

「……」



 目が合っても、どちらも何も言わなかった。

 老人は眠ったらしく、豪快なイビキだけが2人の間に流れ始める。


(……どうして、ここにいる?)


 問いかけることも、顔を背けることも出来ない。

 すると、


「……これ」


 先に晴が動いた。


 ベンチまで歩いて来て、右手に持っていた物を二郎に差し出す。

 それは、二郎の財布だった。


「病院の廊下に落ちてた」


 無愛想に言いながら財布を二郎の隣に置いて––––、さらにその財布の隣に、晴は座った。

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