朧と歌丸

 花と梟が振り返ると、開きっぱなしのガラス戸のところで女性の妖が立っていた。


 男と同じく20代前半。彼女にもやはり鹿のような角があり、折り鶴と黄色の玉飾りを飾っている。髪は灰色で、肌は健康的な小麦色。亜麻色の着物のすそを太もものあたりで結び、腰にはオレンジ色のエプロンを付け、袖はたすき掛けをしている。



「お、おぼろぉぉーー!!」



 涙目で抱きついてきた男性に、女性はキョトンとする。


歌丸うたまる? どしたん?」

「どうしよう! 俺、消されるかもしれへん! 近衛さまの力で〝討伐とうばつ〟されてしまうかもーーっ!!」

「……は? 〝たこ焼き〟にされてしまうかもって? どうゆう意味?」

「この非常事態に1文字もかすってない聞き間違いせんといて!? 〝討伐〟や! 近衛さまからの遣いが来てんねん!」

「近衛さまの?」

「そんで二郎さまの客人とかいう人間もおるし!」

「っ! 何やて!?」


二郎の名前が出ると、女性は口元を両手で覆った。信じられないものを見るような視線を花に向けてくる。


(……この妖さんも、二郎さまが怖いんだ)


 13丁目の妖はみんなそうなんだ。女性の反応に、花はだんだん悲しくなってきた。

 花が俯いたことに気づかず、歌丸はアワアワと騒ぎ続ける。


「わざわざ家まで来るってことは、絶対ヤバイ案件やって!」

「ウ、ウチには信じられへん……」

「オレも信じたくない! でも事実なんや!」

「そんな……っ!」

「うぅ、朧〜〜、どないしよう!?」

「驚いた……! まさか、〝客人〟と呼べる知り合いがおったなんて! あの人、絶対に友達おらへんと思ってたのに!!」

「って、驚いてるポイントそこかい!?」

(って、驚いているポイントそこなの!?)


 真顔で言う女性に、花と男性は同じ突っ込みをした。梟だけはクスクス笑っている。


「お久しぶりです。朧さん」

「あ! いらっしゃい、梟さん。ホンマにお久しぶりですねぇ」


 女性もお辞儀をした。そして自分の体にしがみつく男性を引き離し、花のもとへやって来る。


「こんにちは、人間さん。ウチの名前は朧です。ウチの亭主、歌丸が騒いでしもうてすみません。これは通常運転なんで、どうかお気になさらずに」


 花は慌てて名乗る。


「わ、私は花です! こんにちは!」

「花さん! まぁ、かわええ名前やねぇ」

(あ)


 花はぽーっと見惚れてしまった。朧の瞳はキラキラ輝いている。この町で、妖に笑いかけられたのは初めてだった。


(朧さんは、他の妖たちと違う……?)


 外部から来た花への好奇、二郎への恐怖。朧が持つおおらかで明るい雰囲気からは、そういったものが感じられなかった。


「この亜麻屋はね、1階では歌丸が新刊と定番の本を、2階では私が古本を売っとるんです。二郎さんは、常連さんなんですよ」

「常連?」

「えぇ。時々やけど、2階に買い物に来てくださるんです。最近の本よりも昔の本が好きみたいです」

「そ、そうやったんか!? そんなん全然知らんかったんやけど!」


 歌丸が言うと、朧は呆れ顔になる。


「歌丸がいない時に来てもらってるの! さっきみたいにギャーギャー騒ぐから。……で、梟さんと花さん。今日はどうしたんですか?」

「花さんに、人間の教科書を売って欲しいのです」

「かしこまりました。花さんはおいくつかしら?」

「14歳です」

「ほら歌丸の出番やで。人間さんの文字で書かれた教科書を持ってきて。セットでね」

「……うぅ、了解」


 床に尻餅を着いていた歌丸は、店内で1番背が高い本棚へ歩いて行った。数ある種類の中から次々と本を手に取り、左手にバランス良く積み重ねていく。


「梟さん。本は重たいから、宅配さんに頼みましょうか?」

「そうしていただけると助かります」

「かしこまりました。……じゃあ宅配さんのとこに行く前に、これを貼っとこか」


 朧は1枚の用紙を取り出した。そこには妖の文字で短い文章を書いている。


「おや? 〝〟を募集するのですか?」


 内容を読んだ梟が尋ねた。


「えぇ。本は何かと管理が大変やし、町への配達もあるし。そろそろアルバイトさんが欲しいなって思って」


 ガラス戸に紙を貼ると、朧はそのまま外へ出た。


「ほな宅配さんを呼んできますから、花さんはゆっくりしていってくださいね。興味のある本があったら言ってください」


 興味のある本。


 そう言われた花は、無意識に天井を見上げた。この上は2階。

 二郎が通っているらしい2階にはどんな本があるのだろう?


 視界を歌丸に戻す。本の高さは彼の身長をとっくに超え、そろそろ崩れそうだった。

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