第3話 怠惰、憤怒、嫉妬

 勇者をやめる方法を伝えた翌日からデバルトスはアルトに七つの大罪を犯させ始めた。

 暴食。毎食、机一杯の豪華な料理が並ぶ。アルトはほとんど食べ尽くして、デバルトスをあきれさせた。

 怠惰。天蓋まで付いたベッドで、アルミスの子守歌を歌った。親が死別していたアルトだったが、親がいたらこんな感じなのかなと思いながら寝た。

 憤怒。デバルトスに魔王の屋上に連れて行かれて、怒りを叫べと言われた。何も浮かんでこないアルト。


「お前さ、普通に考えて回りの人に怒りとかないの?」


「でも、僕が悪いんだし」


 何が悪いのかも理解しないまま、それでもアルトは口にしている。まるで自分に言い聞かせるような声色。幼さの残る瞳から光が消えていた。

 デバルトスは頭をガリガリと掻いてから、しゃがむ。アルトと視線を合わせて、その細い肩を掴んだ。


「いいか。理不尽には怒れ」


 彼の言葉にアルトの身体がこわばる。


「そりゃ大罪の一つだぞ。犯すのは怖いに決まってるさ。でも怒れ。お前は怒っていい」


 力強く、そして言い聞かせるようにデバルトスは言葉を続ける。


「それに、なんだ。今は我がさせているんだ。魔王だぞ。人間を強いるのは当たり前さ」


 デバルトスはアルトを抱えて窓に向かせた。あかね色の空に針のような山々のシルエット。魔界の景色にアルトは息をのんだ。


「大丈夫。全部我のせいにしろ。我が受け止めてやる」


 優しい言葉にアルトは叫んだ。



「あとは強欲、嫉妬。傲慢か」


 七つの大罪って結構かぶってるよな。適当すぎるないか?

 そんなことを思いながらデバルトスは視線を横に投げた。

 ベッドに腰掛けたアルミスも諦めたように首を振る。腰まで伸びた青髪から雪の結晶が散った。アイシャドウを伏せて、ベッドから立つ。

 彼女が部屋を出ていく。閉まった扉の音を聞いて、デバルトスは静かに腰を下ろした。首を回してアルトを見下ろす。彼はベッドの上でデバルトスに背中を向けた。なぜか拗ねているようにも見える。


「アルト、罪の時間だ、何か欲しいものはないか?」


 先ほどから繰り返した質問に彼は顔を隠すばかり。与えたものはデバルトスの想像以上に受け取る彼だが、自分から欲しいものをいうことはほとんどない。

 そういえば十三歳だったかとデバルトスはため息を零す。息子ってこんな感じなのかとデバルトスは柄にもなく思った。


「罪を犯さないと勇者はやめられないぞー」


 ちゃかすも彼は反応を示さない。デバルトスはため息をついた。

 時計の音だけは響く。気まずさを孕んだ沈黙の中で、アルトがぽつりと呟いた。


「アルミスばっかりずるい」


 気をつけないとなかったことになりそうな声。デバルトスは静かに顔を向けた。


「アルミスはいつもデバルトスといる。僕へのおもりだってほとんどアルミスだ。それは嬉しい。けど、僕はデバルトスと一緒にいたい。子守歌だって聞きたい」


 小声だけれども、止まらずに話し続ける。掛け布団を握りしめているのか不自然にしわが寄っていた。

 デバルトスは面を食らいながらも頭をがりがりと掻いた。そしてぷいっと顔を正面に向ける。

 大きくなる時計の音。その中に調子外れな声がためらうように流れ始めた。


「ねーむれ、ね、ねーむれ」


 音程もテンポもずれているデバルトスの歌。声が小さくなり、そして思い出したように大きくなる不器用な音量。

 けれど、それは確かに子守歌だった。

 アルトはデバルトスを見る。動揺が表れているかのように見慣れた黒が乱れていた。たまに隙間もできている。銀色の甲冑と冒険服、そして赤髪が見えた。

 ああ、もう! とデバルトスがアルトに顔を向ける。魔力の乱れは消え、いつもののっぺりとした黒になっていた。


「なぁまだ聞きたいか? 寝てくれないか?」


 恥ずかしさがにじんだ声にアルトはくすりと笑った。


「まだ聞きたい」

「そ、そうか」

 

 アルトがせがむと、仕方なさそうにデバルトスは正面を向いた。そしてためらいがちに歌い出す。

 アルトはその歌声に目を閉じて静かに聞いていた。

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