第9話 地上の歯車と群像の夏(前編)

 〈天上の意志〉による制約を受けていない陽咲ひさき月夜つくよを介することで、自分たちの封じられた過去の記憶を紐解く足掛かりとする。そして陽咲ひさき矢雲やくもに絡む一連の謎の真相に迫る。

 これが紡綺つむぎの打ち出した策だった。

「うまく行くのか? 月夜が覚えている俺の過去が、謎の解明に直結するとは限らないんだろう?」

 矢雲が訊くと、紡綺は首をすくめた。

「それはそうです。やってみないとわからないというのが本音ですね。でもただ手をこまねいているよりは余程いいでしょう?」

「まあ、そうだな。俺には代案も思い浮かばないし」

「ふふん、勝ちました」

「いつから勝負だったんだよ……」

 ショッピングモール〈アイオン〉のフードコート。人々の行き交うそのスペースで、紡綺はそわそわと周囲に視線を巡らせている。人に聞かれたくない話だから警戒しているのだろうか。

「そうなると、まずは月夜だな。さっそく協力を頼んで――」

「あっ、待って!」

 スマホを取り出そうとして、紡綺が焦って止めてくる。

「な、なんだ?」

「考えてもみて下さい。いきなりそんな話を持ち出しても不信に思われます。協力を取り付けるにしても、私たちの状況を伏せたまま事情を説明するのは難しいでしょう」

「……確かに」

「ですから因果の糸のことや、運命操作の力のことも月夜さんには伝える必要があると考えています」

「いいのか? それは口外したくない紡綺たちの秘密のはずだろ」

「やむを得ないことです。ですが昨日今日あったばかりの私からそんな話をされたところで、すぐに信じられるはずもありません。運命を変えるだなんて、普通の人からしたら荒唐無稽なことでしょうからね」

 紡綺の言う通りだ。実際、自分でさえ何度もその光景を目の当たりにして、ようやく受け入れるに至ったのだから。

「そしてその話をするにあたっては、月夜さんが信じるに足る人間であると私が判断することが大前提。私とて出会ったばかりの人に秘密を語るリスクを負うのなら、見極めはさせてもらいたいですし」

「それは理解するが。けど俺には会ったその日に力のことを教えてくれたじゃないか」

「今考えたら妙な話です。どうして私はあなたに、あれほどあっさりと話したのか。少なくともあの時点では最大限に警戒していたのに……」

「俺に訊かれてもだ」

 自分でもわからないらしく、紡綺は不思議そうに考え込んでいた。

 話を戻す。

「月夜が信用できるって判断基準はどうする」

「それは難しくありません。単純に私が彼女を知らないので、その人となりを知るだけでいいのです。そこで妙案を思いつきました」

「妙案……」

 そういえば以前に芽守が言っていた。姉の出してくる妙案は、本当に妙な案であると。

「すなわち“月夜さんと仲良くなる大作戦”です。お互いに気を許せば、私も安心して秘密を話せますし、彼女も受け入れやすくなるはずです」

「距離を縮めるってことか。オーソドックスだが効果的かもな。大作戦とやらの具体的なプランはあるのか?」

「そこを矢雲君が考えるんですよ」

「おい!」

 肝心なところをぶん投げてきやがった。

「はぁ、だったら二人でなんか話す機会を作るとか」

「え、いきなりハードルが高いのですけど」

「お前のコミュ力低いんだよなぁ……」

 今後の方向性が決まり、ひと段落したところで紡綺が立ち上がった。視線を鋭く左右に振って、何かを探している。

「さっきからやけに落ち着かない様子だが、周囲の人間を気にしてるのか? 別に聞き耳を立ててるやつなんて――」

「とりあえずクレープ買ってきていいですか?」

「そわそわしてた理由それかよ!」


 

《――★★地上の歯車と群像の夏 前編★★――》



《★scene-① 夏霞の入り口★》


 そんな作戦を任されたものの、紡綺と月夜の関わりをすぐに持たせられるものでもなかった。

 なにせ生活圏が被らない。シチュエーションを用意しようにも、偶然の出会いといったベタな展開を使えないのだ。

 自分が顔繫ぎしても良いのだが、妹に知り合いの女性を改めて紹介するというのは、なんかこう……違う意味が出てしまう気がする。

「兄さん? じっと見つめられても困るんだけど……」

 いい方法はないものかと考え込んで、無意識に月夜を凝視してしまっていた。矢雲は体を後ろに引いて、ごまかしの咳払いをする。

「いや、すまん。何を注文しようか悩んでいただけだ」

「私の顔にメニューは載ってないと思うよ」

 駅近くのファミレスである。テーブルの上のメニュー表を挟んで、兄妹は向かい合っていた。

「私、このグラタンが食べたいな。いい?」

「もちろん。付け合わせにポテトはどうだ」

「別にいい……ってか、バイトの口上が混じってない?」

 月夜はグラタンとスープのセット、矢雲はハンバーグとライスのセットを注文する。

 昼時だが、平日とあってか客は少ない。月夜はグラスの氷をストローでつつきながら、こちらを見やる。

「で、私に話があるんじゃないの? わざわざ呼びつけるなんて」

「……ん?」

 とぼけてみる。

 雑談の最中にさりげなく紡綺の話題を振って、ひとまず彼女の印象でも聞こうと思っていたのだが、相手の察しの良さのほうが早かった。

 とはいえ月夜と紡綺が会ったのは、観覧車事故の一件のあとのカフェでのみ。しかもそこでは主に羽三美と口論していたのだから、月夜はそもそも紡綺に対する印象が皆無に等しいかもしれない。

 どう切り出すべきか。いや、思いつかない。

「時間が空いたから月夜とランチでもと思い立っただけだ。今まであまりゆっくり話す機会もなかったからな。そんな理由じゃダメか?」

「そ、そうなんだ。へぇ……別にいいけど。ダメじゃないし。グラタンおいしいし」

「グラタンまだ来てないだろ」

 月夜はさらに氷をぶすぶすつついて、グラスの奥底に追いやった。その行為にいったい何の意味があるんだ。

「でも時間が空いたからって、バイト忙しいんじゃないの?」

「話したろ? 羽三美の家庭教師の日給がいい分、他を減らしたって」

「ああ、あれね。羽三美め……」

 さらにストローを押し付けられた氷が、グラスの底でベキッと二つに割れた。謎の圧力がかかっている。

「えっと……仲良くしてるんじゃないのか。俺は一応そう聞いてるんだが……」

「仲良くっていうか、ちょっと連絡取り合ったりするくらい。今度、羽三美の家に遊びに行くことにはなったんだけど」

「はは、やっぱり仲良いじゃ――待て、家に行くって言ったか?」

「うん」

 そこの繋がりは盲点だった。貰井邸には当然紡綺もいる。出会って違和感のない環境だ。

「うまくいくかもしれないな……」

「うまくって、何が?」

「え? あ、あーあれだ。ハンバーグがうまかったってこと」

「ハンバーグまだ来てないけど」

 月夜は怪訝そうにしながら、グラスに口をつける。

 紡綺たちの屋敷というのは、自分にとっても色々と都合が良かった。

 〈天上の意志〉が俺に“死の運命”を絡めようとしているかは、ただの憶測であって現時点ではわからない。

 故にあちこち一人で下手に動かず、なるべく三姉妹の誰かの近くにいるようにと、紡綺からお達しを受けている。不測の事態が起きても、まだ対処しやすいからという理由だった。

 八月下旬。

 それぞれの想いが交錯する、夏休み後半が始まった。


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《★scene-② エンドオブアルバイター★》


「陽咲くん。今までお疲れ様。本当にありがとう」

 店長が力強く肩を叩き、労いの言葉をかける。

 バイト先の一つであるバーガーショップ〈ヘレネスバーガー〉では、矢雲の辞任式が執り行われていた。

 休みのスタッフもわざわざやってきて、色紙や花束の贈呈がなされる。

「ありがとうね。やっくんのおかげで何度地獄のピークを乗り越えられたかわからないわ」

 年上の女性リーダーが目じりに涙を浮かべる。彼女だけではなく、バイト仲間からの賛辞が次々と矢雲に送られていた。

「いや、おかしいでしょ!」

 その中で芽守だけがツッコんだ。

「バイトの辞任式ってなによ!? しかも花束て! ていうかまだ普通にお客さんいるしね!」

 がっつり昼時だ。そんなお客さん達も雰囲気に流されて拍手をしていたりする。

「静かにしないか、貰井さん! 君は矢雲さんの偉業を知らないからそんなことを言えるんだ!」

「お、大きな声出さないでよ……」

 怒られて首を引っ込める芽守。なんやかんやで彼女もここでのバイトは続けていたのだった。ちなみにまだ新入り扱いである。

 そのサブリーダーの男性スタッフは饒舌に言う。

「新メニューの出たあの日はまさしく世界の終末。途切れることなく並ぶお客様方は、バーガーという餌に群がる飢えた屍鬼グールのようだった……」

「ダメなんじゃないの? そんなこと言ったらダメなんじゃないの?」

「列の順番待ちなど聞き入れもせず、統制の取れないお客様方グールどもの怒号に等しい注文が入り乱れた。いや、注文という名の蹂躙と呼ぶべきか。ナイアガラの滝のごとく流れ出る伝票。正気と理性を失い、叫び狂うスタッフ。フリスビーよろしく宙を舞うパテとバンズ。ストローと間違えてドリンクにぶっ刺されるポテト。クレーマーの顔面にめり込む店長の右ストレート」

「このくだり、お客様方グールどもに聞こえてるんだけどいいのかな? 右ストレートはやばいんじゃないのかな?」

「ピークが過ぎてもオーダーのブザー音を聞くだけで発狂するほど、重度のPTSDを抱えたスタッフもいた」

「もう戦場じゃん!」

「そう、その戦場に現れたのが矢雲さんだったのさ!」

 大げさな身振り手振りで、さながらオペラ歌手のようにサブリーダーは語る。ここが舞台であれば、スポットライトがさぞ似合ったことだろう。

 ようするに、そういうピンチを幾度も矢雲の采配で切り抜けてきたということらしい。

「先輩の武勇伝はわかるけど、わかるけども!」

「ここかね、陽咲矢雲くんがいるという店舗は」

 いきなり恰幅のいいスーツ姿の男が現れた。雷に打たれたみたいに店長が目を見開く。

「し、社長!?」

「邪魔をするよ。陽咲くんの評判は私にも届いている。もし君がマネジメントに興味があるなら本部に来ないかね? もちろん大学を卒業してからでいい。経営幹部の席を一つ空けておく。共にこの世界をバンズで挟みこもうじゃないか」

 まさかの代表取締役が直々のご来店だ。

「もう待遇壊れてるよ! あと先輩やめるならあたしもやめたいんだけど!」

 芽守は我慢できずに言い放つ。

 やめさせてはもらえなかった。


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《★scene-➂ 誰がためクッキング★》


 交錯する様々な謎。封じられた過去へと迫る手段。

 考えることは多くあれど、月夜との邂逅が策の第一段階だとすれば、今すぐにできることはないというのが現状だった。

 夏期の課題も矢雲に手伝ってもらったおかげで、すでに完了している。

 つまるところ紡綺はヒマだった。

「えっと……材料はこんなものでいいのかしら?」

 人払いを済ませた厨房で、紡綺は独りごちる。

 彼女の前には広いキッチンカウンター。その作業スペースにはたくさんの食材が並んでいる。

 普段、厨房を訪れることなどまずない。前に来たのはいつだったか思い出せないほど。

 しかるに自分は料理などする機会がない。というよりする必要がない。貰井家では専属シェフを抱えていて、一流の三食を毎日提供してくれるからだ。

「まず包丁の消毒? ああ、アルコールを使うのね」

 慣れない手つきで包丁の刃をふき取る。

 料理をしようと思い立ったのは、先日の牛丼屋での一件がきっかけだった。

 矢雲の作り上げた牛丼。あれはとてもおいしかった。和洋中、多くの名高い高級レストランで食事をしてきたが、あの牛丼なる一品ほどのものを出してくれた店はない。〈牛丼の吉田屋〉おそるべし。

 あれを自分でも再現してみたい、というのが理由の一つ。

 なにより彼にできて、私にできない、というのは容認できない。それになんというか、八雲の方が料理ができるというのは、なぜか良くない気がする――というのが二つ目。

 まな板を敷き、眼光鋭く食材を睥睨して、

「……ここからどうすれば……」

 包丁を握りしめたまま、お嬢様は動きは止まった。


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《★scene-④ 教えて欲しいのは★》


「月夜を家に呼んでくれたんだってな」

 家庭教師として勉強を教える合間に、矢雲はそんな話題を振った。羽三美は一瞬きょとんとして、すぐに笑う。

「そうだよ、明後日に会う約束してるの。月夜から聞いたんだ?」

「ああ、妹と仲良くしてくれて助かる。あいつも友達多い方じゃないからな……」

 最初の出会いこそ、なぜか険悪なムードになっていたのだが、苦手なアンケート調査を一緒に終わらせて以降は何かと話すようになったらしい。

 そもそも課題のためとはいえ、一人で遊園地に赴くことのできる少女たちなのだから、思考回路や感性は似た者同士なのかもしれなかった。

「さて、数学はこれくらいにするか。他に見て欲しい教科があるなら、次はそれをやろう」

「どうしようかなぁ」

 毎度のことながら羽三美は物覚えがいい。家庭教師などいらないのではないかと思う。実際にそのことを言ってみたりもしたのだが、彼女は頑としてそれを認めず、自分の専属家庭教師を続けて欲しいと強くお願いしてくるのだった。

「やくも兄様ってどの教科でも教えられるから、すごいよね」

「これで大学生だし、中学生くらいの勉強なら、一応な」

「なんでも教えてくれる?」

「まあ……わかることなら」

 勉強を教える時は、部屋の中央に置かれたローテーブルに横並びに座るのが、いつの間にかスタンダードの位置になっている。羽三美がすっと身を寄せてきた。上目遣いで俺を見ながら、

「頼りがいのある兄様も好きだけど、羽三美は兄様の困ったお顔も見てみたいなぁ」

「なんだそれ」

「いじめられるのも好きだけど、いじめるのも好き、みたいな?」

「お前の将来が不安になってきた」

「あ、でも羽三美をいじめていいのは兄様だけだよ」

「聞いてない」

「あはは、質問に戻るね。やっぱり教えられないことってないの?」

「ん……専門の教科を深く指導ってなると、さすがに厳しいかもな」

 国語はいけるが、古典だと微妙だ。美術史はいけるが、絵の描き方はわからない。そんな感じである。

「専門ねー……あ、そうだ!」

 何かを思いついたらしく、羽三美は両手を打ち合わせた。

「保健体い――」

「お菓子お待たせーっ!!」

 芽守が勢いよく部屋の扉を開けて突入してきた。

「めもり姉様、またノックもなく入ってきて! せっかくいいところでしたのに!」

「なーにがいいところって!? 保体くらいあたしが教えてあげるからさ!」

「でも実技ですので……」

「実技ぃ!?」

 ぎゃーぎゃーと姉妹喧嘩が始まる。例によって、俺はそっと退散した。


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《★scene-⑤ 使用人のメモリアル★》


 もちろん使用人たちにも休憩時間はある。

 このような屋敷勤めであれば、一般的には来館者が立ち入らない区画に従業員用の詰め所があって、そこで食事や休憩を取ったりするものだ。

 しかし貰井家では、外来の客人でもいない限りは、好きな場所で休憩を取ることが認められている。

 これは『屋内だけの缶詰勤務では息が詰まるでしょう。気分転換した方が仕事の効率も上がります』という、紡綺の意向であった。

 実にお優しい。言い換えれば“休む時くらいは気を遣わず、しっかり休んで”ということである。しかしながら、その態度や言い回しのせいで真意が伝わらないことが度々あるというのは、そば仕えする自分としても心苦しいところだった。

「その場で代弁できたらいいのですが……」

 主人の言葉を言った端から『お嬢様の発言の意図はこうですよ』などと言えるわけもない。

 此花このはな氷見子ひみこは嘆息し、一人首を横に振った。

 現在は休憩中。中庭の一角に設置されている小さなテーブルを使っていた。卓上のグラスには自前のアイスティーが注がれている。

 午後からは定期の清掃チェックに、諸々の備品発注。それからご来館者の名簿作成を済ませて、次月のシフトも手掛けておきたい。やることはいっぱいだ。

 が、それもいつものこと。根を詰めなければできないほどの作業量でもない。

 ふと氷見子が目線を上げると、黒スーツ姿の強面が近くをきびきびと歩いていた。優美な中庭にはおよそ似つかわしくない、剃り込みの入った角刈りにレイバンのサングラスだ。

「岩城さん」

 とっさに呼び止める。軽い会釈をしてそのまま通り過ぎようとする彼を、「こちらにどうぞ」と向かい合わせの席に誘う。

「自分は巡回中ですので」

 無機質で平坦な返答。まだ最近のAIのほうが感情らしきものを込められるのではないだろうか。

「お茶の一杯くらい付き合ってください。どうせ休憩も取っていないのでしょう」

「ですが……」

「若い使用人の娘たちから、『岩城さんは立ったまま寝る』や『食事は注射器で摂取している』とか『そういうプログラムを施された機械人形』だなんて噂されているの知ってます?」

「………いえ」

 いつもと変わらず――いや、わずかにむっすりとした顔で椅子に腰かける。

「それでなにか御用で」

「雑談です」

「自分は会話というものが不得意なのですが」

「知っています。それでも以前よりはお話して下さるようになりましたよ」

「そうでしょうか」

 相変わらずの仏頂面に、氷見子は苦笑する。

「以前と言っても、あなたがこの屋敷に来たのはもう七年も前でしたね。私のちょうど一年後です」

「ええ。ずいぶんと経ちました」

「仕事はどうです。やりがいは出てきましたか? 最初の頃のあなたときたら――」

「やりがい、というか責任は」

 初期の話には触れて欲しくないようで、彼は遮る声音で言う。

「自分の主な任務はお嬢様方の身辺警護ですので」

「そうですね。岩城さんにはいつも感謝しています。奥様にお任せ頂いた大切な三人のお嬢様をお守りできるのは、やはりあなたの尽力によるところが大きいです」

「……天水あまみ様がお戻りの予定で?」

「いえ、そういうわけではありませんが」

 どこからか吹いた風が、中庭の芝生を揺らしていく。

「八年前。どうしようもなく打ちのめされていた八年前のあの日。私は不思議な偶然が重なって救われました。……もしかして、あなたも似たようなことがあったのではありませんか?」

「……七年前、自分もいくつかの偶然によって助けられ……この屋敷へと流れるように――いえ、流されるように・・・・・・・たどり着きました」

「……それは本当に偶然だったのでしょうか。私は今でも考えることがあります」

「自分は考えません。考えても意味のないことは」

「そう」

 流れ着くというのなら、まさしくそうだ。

 足の赴くままにこの屋敷の前に来て、門の前にまだ中学生の紡綺お嬢様が立っていて、私がここに来ることを予見していたかのように、当然のごとくその手のひらを差し出して下さった。

 大げさな表現ではなく、女神がそこにいるように思えた。きっと生涯忘れることのできない光景だろう。

「ああ、そういえば」

 と思い出したように話題を変える。

「矢雲様の妹御の月夜様に、羽三美お嬢様と友人になって欲しいとお願いしたそうですね」

 岩城の瞳に、ようやく感情らしき色が揺らいだ。

「お叱りはごもっともです。使用人として出過ぎた真似をしました。以後このようなことがないよう――」

「咎めようと思っているわけではありません。実を言えば私も先日、矢雲様に紡綺お嬢様の良き理解者になって頂きたいとお願いをしたのですから」

「……あなたが、彼に?」

「意外ですか?」

「はい」

 そうだろう。今までお嬢様方のことは、可能な限り自分の裁量の中で守っていたつもりで、それを他者に委ねるという選択肢はなかった。

 でも、なぜか、会って間もないはずの彼に、三姉妹は心を許している。

「矢雲様は不思議な方です。特に紡綺お嬢様は初見の人に対し、強い警戒心を抱かれる。それなのにあれほど自然にお話をして、怒ったり笑ったり、感情を隠すことなく一緒に行動して。そう、まるで昔からの知り合いだったみたいに」

「それは……確かに今までになかったことかもしれませんが」

「見ていて微笑ましいというか、お似合いというか、いい傾向だと思いませんか?」

「それとこれとは別じゃろうがい!!」

 いきなり激昂した岩城が、割れんばかりの勢いでテーブルに拳を叩きつける。

「あんの小僧め……お嬢様方に指一本でも触れてみぃ……焼けた鉄板の上にデコこすりつけて煉獄土下座を――」

「岩城さん、岩城さん。前職の癖が出てますよ」

「はっ……申し訳ありません」

「あと私のアイスティーがこぼれました」

「……申し訳ありません」

 そういうプログラムを施された機械人形であるかのように、岩城はただ頭を下げ続けた。


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《★scene-⑥ 紡がれた果てに生まれ出づる何か★》


 屋敷の通路を二人して進む。

「兄様、どこでしょう。……めもり姉様のせいですからね。勉強中だったのに」

「なーにが勉強よ。羽三美が変なこと言うからでしょ。中学生が色気づいちゃってさ」

「そういう姉様こそ、花の女子高生なのに色気が少ないように思いますが」

「はあ? 言うじゃん」

「本当のことですので」

 芽守と羽三美が言い争いをしている間に、矢雲が部屋を抜け出してしまった。

 ケンカが収まったというわけではなく、矢雲捜索のための連帯行動だ。

「うーん、いませんね。岩城の車があるので、まだ帰ってはいないはずですが」

「屋敷の中で先輩が行きそうなところって、そんなにないんだけどね」

 三姉妹の居住スペースでもある中央区画から、使用人たちの作業場が固まっている左棟へ移動する。

 普段は芽守も羽三美もこちらまで来ることはない。どこに何があったのだったか、などと記憶を辿りながらしばらく歩いていると、厨房から人の気配がした。

 何気なく中をのぞいてみると、矢雲よりも意外な人物がそこにいた。

「ち、ちょっと羽三美。あれ……」

「なんです? ……え、うそ」

 二人そろって目をこする。エプロンを着けた紡綺が、キッチンの前に立って料理をしていた。

「し、信じらんない。紡綺姉さんが料理だなんて――って痛っ!? なんでつねんのよ!」

「これは夢ではないかと思いまして」

「自分にやんなさいよ!」

 紡綺は妹たちに気づくことなく、鍋の火加減を見たり、フライパンを振ったり、忙しなく動いている。

「“パンがなければお菓子を買って来なさい”を地で行く姉さんが、いったいどういう風の吹き回しで……」

「めもり姉様。羽三美には一つ気がかりが」

「気がかり?」

「近頃、つむぎ姉様とやくも兄様との距離が近まっていると思いませんか。先日も姉様の課題に兄様が付き合っていました。それに最近、何やら二人でこそこそと密談しているみたいで」

「それってまさか……」

「ええ、ハサミセンサーがちょっきんちょっきんに反応しています」

「そのセンサーの存在は初めて知ったけども。……紡綺姉さんは矢雲先輩のために手料理を作ってるってこと?」

「可能性は高いかと」

「いや、でも、だって、あの紡綺姉さんよ?」

「ですが兄様とは同い年ですし、大学も一緒ですし、話してみたら以外と気が合ったとか……」

「だ、だとしたら……」

「これは作戦会議が必要ですね」

 諍いは一時中断。そっとその場を離れようとしたその時、

「あら、芽守に羽三美? どうしたの、こんなところで」

 紡綺が気づいた。二人はびくりと背すじを伸ばす。

「べ、別に? 親愛なるお姉様におかれましては本日もご機嫌うるわしゅう。ね、羽三美?」

「は、はい。麗しゅうでございますですわ」

「何言ってるのよ、あなたたち……。でもちょうどいいわ。実は今、料理をしていてね。完成したところなのよ。少し味見して行かない?」

 妹たちは知っている。“して行かない?”は“して行きなさい”の意だ。断る選択肢はない。

 促されるまま、席に着く。

「姉さんが料理なんて珍しいね。何かあったの?」

「……暇だったからよ」

 と言って、芽守の前に置かれた皿はパスタだった。

「牛丼を作ってみようと思ったのだけど、難しくて路線変更したの。カルボナーラよ」

「牛丼からカルボナーラになんの!? 変化球の角度エグくない!?」

「いいから食べなさい」

「う、うん。頂きます」

 フォークでパスタを巻いて一口。

「あー、けっこうおいし――かはっ!?」

 やばい。黒コショウの量が狂ってる。戦場に降り注ぐ死の灰みたいになってる。チーズもおかしい。これブルーチーズ入れてる。臭いがえげつない。極めつけは茹での甘いパスタだ。ところどころ針金みたいになって、容赦なく喉を貫こうとしてくる。そのまま命を刈り取られそうだ。

 こんなのカルボナーラっていうか〈刈るボナーラ〉だ。

「に、逃げて、羽三美……」

「めもり姉様!?」

「意識が前世まで飛ぶ……なんか彗星が落ちてきた……」

「……多分それ、前前前世くらいまで飛んでますよ」

 戦慄する羽三美の前に、無情にも新たな皿が差し出された。

「ひっ?」

「芽守ったらどうしたのかしら、白目なんかむいて。まあいいわ。羽三美も食べなさい」

「は、は、羽三美は用事を思い出しまして。可及的速やかに自室に戻らなくては」

「食べるくらいすぐでしょう? ほら」

「な、なんです、この黒い集合体は」

「シンプルに野菜を炒めてみたわ」

「野菜を痛めつけたのですか……」

 野菜炒めではなく〈野菜痛め〉だ。

 意を決して、暗黒の物体を口に運ぶ。もれなく羽三美の意識も前前前世まで飛んだ。



 ――後編につづく――

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