第2話 女神の力と枠外の人間

 ギリシャ神話にモイライという三姉妹の女神がいる。

 長女であるクロトが糸巻き棒で糸を紡ぎ、次女であるラケシスがその長さを計り、三女であるアトロポスが切る。

 これは人間の寿命を定めるものであり、死と生に関わる因果を司る彼女たちは運命の女神とされた。

「そのモイライの力を、私たちは有しているわけです」

 貰井もらい紡綺つむぎは、自身の能力についてそのように語った。

 王戸学院大学の近くにあるカフェテリア。その店内の奥まった一角に四人は座っている。横並びの三姉妹がテーブルを挟んで、自分と対面しているという配置だ。

「質問は?」

 紡綺にそう訊かれて、陽咲ひさき矢雲やくもは困った。

 モイライ? 運命を司る? さっぱりだ。普通だったら“頭のおかしい奴”で片付けて、今後関わり合いにならないようにするだけの話である。

 しかし実際に見てしてしまったのだ。彼女たちが逃げる子犬を捕まえるために、超常の力を行使した瞬間を。キャンパス内の学生の行動を如何な手段かで操った光景を。

 ともあれ何を質問すればいいのか。

「あはは、何を質問すればいいのかわからないって顔してる。そりゃそうだよね」

「君はえっと……」

「名前? 芽守めもりだよ」

 気楽な口調で言うのは、貰井芽守だ。三姉妹の次女だという高校生の彼女は、どこかツンケンした姉とは違ってまだ親しみやすさを感じた。

「まあ、無理からぬことでしょう。崇高な女神の力を体現できる私たちの存在を、あなたのような一般の感性ですぐに受け入れられるとも思いません」

「さいですか」

 いちいち突っかかる物言いをしてくる長女め。

 ふと三女に視線が移る。中学生で、確か羽三美はさみという名前だった。羽三美はろくに会話に入って来ず、スマホをいじっている。

「やった、SSRだ。今回のイベント、確率渋いよ~」

「ちょっと羽三美。ちゃんと話を聞いているの?」

「聞いてますよ、つむぎ姉様」

「なら、この俗世の方に教えて差し上げなさい。私たちが神話の女神の顕現であると」

 羽三美はスマホから顔を上げて、矢雲に言った。

「要するに、転生したら人間だった件、みたいな」

「急に俗っぽくなったな」



《――★★女神の力と枠外の人間★★――》



「じゃあ、いくつか質問させてもらうが」

「どうぞ」

 紡綺は素っ気なく応じた。

「運命を定めるというのがよくわからない。その、因果……? とかいうものに、どういう干渉の仕方をしてるんだ」

「私たちが三人そろわないと能力の全ては発揮できません。故に手順としては、主に三段階です。まず芽守が能力の及ぶ範囲を決める。次に私が範囲内の対象となる人々の因果の糸を紡ぎ直し、その時点での運命に再構築をかける。最後に羽三美が複数に束なった糸を切断することで、再構築された運命の強制執行が果たされる――とまあ、概ねこのような形です」

 なるほど、と矢雲は大学での一件を思い返した。

 今の工程を当てはめるなら、芽守が大学全域を範囲と定め、紡綺が学生たちの行動を変え、羽三美がそれを実現させるトリガーを引いた。そしてどのような作用かで、学生たちは史学科棟の裏側に自発的にやってきた――ということだろうか。

 いや、待て。それだとおかしいことがある。

「妹たちと合流する前、俺と二人で行動していた時だ。子犬が逃げるルートを予見しただろ。あれは一人で力を使っていたことにならないか?」

「思いのほか頭が切れますね。思いのほか」

「二回言うな」

「私は因果の糸を視れます。それ自体は私一人でも可能です。そして糸には“色”があります」

「色? ……ああ、黄色とか青色とかの」

 大学を芽守のフィールドが覆った際、矢雲にも糸が紡がれていく様が視界の中に映っていた。さらにその糸には確かに色があった。

「そう。たとえば青色であればその人にとってプラスの出来事が、黄色であればマイナスの出来事が迫っているということ。ちなみに白色は変動なしといった具合で、色によって意味が異なってきます。ついでに言っておくと、因果の糸を観測できるのは人間が対象の場合のみです」

「なら、あの時に犬を追うことができたのは、糸を辿っていたってことか」

「正確には黄色の糸を出していた人間だけを辿った、ですね。その人に何が起こるかまではわかりませんでしたが、あの状況で負の出来事が発生するとしたら犬関係でしょう? だからその人たちのところに子犬が走るだろうと予測したのです」

「理解は……した。やっぱりまだ信じがたいけどな。じゃあ三姉妹がそろった時は、その運命はどの程度視えるものなんだ?」

「全て」

 と、紡綺は言い切った。

「ある人が道端で倒れたとしたら、誰が助けに来るとか、どこの病院に搬送されるとか、結局その人は助かるのかとか。倒れた人を助けに来た誰かは、そのせいで元々あった約束の時間に遅れて、相手を怒らせてしまうとか。怒らせたその約束相手は、帰り道に苛立ちながら横断歩道を渡っていて交通事故に遭うとか」

「なんかピタゴラスイッチみたいだな」

「チープな例えですが、運命の連鎖と考えれば、まあ……似ているかもしれません。実際はもっと凄まじく複雑ですよ。仮に今の事例を誰にとっても不利益のない未来に変えようと思ったら、数十人単位の因果を変えないといけないでしょうしね。さて……質疑はこんなものですか」

 聞きたいことはまだあった。

 運命の操作は本人の意志とは関係なく、急な心変わりを誘発させるものなのか。それは人格の破綻に繋がったりはしないのか。他に制約はないのか。その能力は生まれつきのものなのか。それになにより、

 俺の脳裏によぎったあの三人の少女は、お前たちなのか。

「では、次はこちらから質問させてもらいます」

 矢雲が二の句を継ぐ前に、先に紡綺が口を開いた。

「答えなさい。あなたから因果の糸が出ていないのはなぜ? 私たちが能力を使っている最中、他者の因果の糸があなたにも視えていたのはなぜ?」

「わからん」

 沈黙。わずかな間のあと、

「は?」

「いや、本当にわからないんだって」

「嘘をつくと身のためになりませんよ。隠し立てをする気なら貰井家の戦力をもって――」

「家にいったい何を保有してんだ」

「失礼。火力の間違いでした」

「もっとダメだろ!」

「……本当に、わからないんですか?」

「そりゃだって、因果の糸なんて言葉を聞いたのも今日が初めてなんだからな」

「そんな……そんなの……」

 紡綺の声が震える。

「だとしたら、秘密の教え損ではないですか!」

「え? あー、これって交換条件みたいなあれか。やけに質問にも丁寧に答えてくれるとは思ってたが……」

「よくも騙してくれましたね……! こうなったらどんな手段を用いてでも吐かせてみせます。まずはお薬的な何かを使って」

「怖っ! そっちが一方的に暴露したんだよ! それに俺、このあとバイトがあるって言っただろ。これ以上ゆっくり話す時間はないんだって」

「バイト? どこです」

「どこって……色々かけもちしてるけど、今日は大学近くの古本屋。個人経営の小さな書店な」

「ここから二〇〇メートルぐらいですか。芽守、範囲設定を」

 急に話を振られた芽守は、飲みかけのジュースでむせ込んだ。

「えふっ!? 今日は二回目じゃん。なんで~?」

「やりなさい」

「……はい」

 姉の圧に耐えられなかったのか、大人しく従う。

 またあのフィールドが展開され、店内にいる店員や客から発される光る糸が、矢雲にも可視化して認識できるようになった。

 しかし紡綺は店内に存在する糸には見向きもせず、壁を透過し、店外のどこかから伸びてきた複数の糸を手繰り寄せた。解き、紡ぎ、束ねられていく因果の糸。

「今回のはそんなにややこしくないわ。羽三美、やってちょうだい」

「はーい、ちょっきん」

 羽三美が糸の束を切断する。同時にフィールドは消えた。大学の時といっしょだ。

 直後、矢雲のスマホが鳴った。コーヒーカップを手にしつつ、「どうぞ」と紡綺が促す。

 こいつ、何をしたんだ。嫌な予感しかしないが、とりあえず電話に出てみる。

「はい、陽咲ですけど。あ、店長? はい、はい……え? それは仕方ないですね……はい、わかりました。失礼します」

 矢雲の通話が終わると、紡綺は澄ました顔でカップを卓上に戻して、

「どうかなさいましたか?」

「店長、急用ができたから今から店を閉めるって。今日はバイトはなしだと」

「まあ、残念。予定が空いてしまいましたね? ゆっくりお話しする時間ができてしまいましたね?」

「やってくれたな」

「なんのことだか」

 矢雲の睨みをさらりと受け流す。そんな紡綺の袖を羽三美がくいくいと引っ張った。

「つむぎ姉様。ですけど私たちの門限も近いです。そろそろお店を出ませんと」

「母様は帰ってこない日でしょ? 多少は大丈夫よ」

「爺やがいます。お説教が長い上に、話が永遠にループする爺やが。因果操作してやっと脱出できるレベルの爺やのお説教なんて、羽三美は遠慮したいです」

「………」

 無言で三姉妹は立ち上がった。

「また日を改めます。ごきげんよう」

 と足早に去ろうとして、紡綺は不意に足を止めた。

「……あの子犬はどうなったんです」

「ああ、足裏にトゲが刺さっていただけだった。大きなケガもない。飼い主もすぐに見つかった。小学生の女の子だったが、散歩中にリードが手からすっぽ抜けたらしい」

「そうですか……あの、えっと……」

「姉さん、言うことは言わないと」

「わ、わかってるわ」

 何やら口ごもる紡綺を、横から芽守がたしなめた。

「あ、ありが……ありがとうございます。その、子犬が私に走ってきた時に庇ってくれて……」

「え? どういたしまして……?」

「失礼します!」

 高速で踵を返して、紡綺は店から出て行った。妹たちもその後を追う。一人取り残される矢雲。

 俺はどうしたらいいんだ。

 不明なことは多いが、とりあえず今日のバイトがなくなったことだけはわかった。



 ●



 その日の夜。天蓋付きのベッドに横になり、紡綺は矢雲のことを考えた。

 本当に因果の糸のことや、自身から糸が出ていない理由を知らないのか。意図的に隠しているという線も捨てきれない。それを今日の会話の中だけで判断するのは難しかった。

 私に視えないだけ、という可能性はないだろうか。因果の糸を観測できないのは、自分と芽守と羽三美の三人――すなわちモイライの力を宿す三姉妹だけだ。

「おそらくこれは〈天上の意志〉による制約……」

 その制約に矢雲が含まれているとでもいうのか。わからない。いったい彼は何者なのだ。

 いや、何者であったとしても、糸が視えない理由を不明のまま放置することはできない。

 貰井家のここ八年の繁栄は、私たちの運命操作によって築かれたもの。不遇の状況を好転するために、あり得ない幸運の連続を実現させたりもした。

 そのような土台の上に成り立つ現在だからこそ、不測の事態を生み出しかねない因子は何よりも怖い。

 そう。あの子犬を捕まえる最後の局面。学生たちの配置を利用して退路を塞ぎ、子犬を矢雲の元へと走らせるはずだった。

 だが子犬は直前で紡綺へと飛びかかった。それを予見できなかった理由は一つ。矢雲に因果の糸がなく、再構築した運命に彼を組み込めなかったからだ。

 未来を読み切れなかった。こんなケースは初めてだった。

 もし今後も運命操作が及ばない同様の事態が起きた場合、それが私たちに害を成す事象だとしたらどうする?

 これまでなら事前に予測し、何の疑問もなく回避しただろう。しかしそうできないイレギュラーも起きうると知った今、絶対に看過できない。たとえそれが1パーセント以下の確率だったとしても。

 家を守るために、妹たちを守るために、なんとしても陽咲矢雲の謎を解明する必要がある。

「そうだわ」

 枕元にある受話器を手にする。この屋敷は広いので、どんな場所にも内線で連絡を取れるようになっている。

 通話先の人物を呼びつけると、紡綺はベッドから身を起こし、部屋の電気をつけた。

 絨毯敷きの床に、シャンデリアを模した飾り照明。小物一つ取ってもブランド物ばかりで、高級感あふれる内装である。ありていに言ってお金持ちのお嬢様の部屋だ。

 ややあって扉がノックされる。

「入っていらっしゃい」

「姉さん……」

 やってきたのは芽守だった。目元をこすって眠そうにしている。

「もう夜の十一時だよ。いきなり呼び出してさあ」

「悪いと思ってるわ。でももう高校は夏休みに入っているんでしょう。いいじゃない」

「微塵にも悪いと思ってないじゃん……で、なんの用?」

「陽咲矢雲のことでね。彼の秘密を探る妙案を思いついたの」

「秘密? ああ、因果の糸が視えるとか視えないとかの? それってやっぱり重要なの?」

 この妹はどうにも危機管理の意識が薄い。

「最重要で最優先よ。将来のリスクになりそうなものははっきりさせて、前もって対策を立てておきたいわ」

「姉さんがいうなら異論はないけどさ。その妙案って?」

「芽守。あなた、彼と同じところでバイトしなさい」

「なんでよ!?」

 芽守はずっこけそうになっていた。

「会話からの手がかりは得られなかったけど、常に近くで動向を観察していればきっとヒントがあるはず。芽守は夏休みだから時間もあるし、高校生だからバイトもできるし、問題はないでしょう?」

「あるよ、ありありだよ! あたし、バイトなんてしたことないし! だいたい姉さんももう夏休みなんだから、自分がやればいいじゃない!」

「あなたは私に労働を強いるつもりなの?」

「理不尽……」

 がっくりとうなだれる芽守。

 紡綺は優雅に諸手を打ち鳴らした。

「快諾してくれて嬉しいわ。明日までに面接用の履歴書を仕上げておいてね」


 ●


「――というわけで、今日から一緒に働かせてもらうことになった貰井芽守なんだけど」

「どういうわけだよ!」

 矢雲はツッコまずにはいられなかった。

 なぜか貰井の次女が、同じバイト先の店員として自分の前に立っている。

「いや、まあ……店長から連絡はあったよ。急の用件が長引きそうだから、しばらく店を俺に任せたいって。代わりに新しいバイトを雇ったからって」

「うん。それがあたし」

「そもそも店長の用件も、運命操作とやらで昨日にこしらえたものだったよな。それが変に長引くってのは、またお前らが因果の糸ってのををいじったんじゃないのか」

 芽守はあさっての方を向いて、

「古本屋って何するの? 棚の整理とかでいいのかな?」

「話をそらすな」

 わしっとつかんで、顔を正面に戻してやる。

「いたい! いたいって! 仕方ないじゃん! 紡綺姉さんに言われたんだもん!」

「あいつにか!? 目的はなんだ!」

「古本屋の店長さんが困ってるから助けに来たんだって!」

「お前らが困らせる要因を生み出したんだろうが!」

 ぎゃーぎゃーと店先で口論すること数分。

「くそっ、小さな書店だが一人で回すのが厳しいのも確かだしな……。もういい。どんな目的か知らんが、仕事はきっちりやれよ」

「最初からそのつもりだって。そんな目くじら立てないでさ」

「誰のせいだと思ってんだ……」

 彼女は店員用のエプロンをつけながら、

「あたしのことは芽守って呼んでよ。教えてね、矢雲先輩?」


 ――つづく――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る