第267話

 カルアは俺にへばりつくようにしながら昨日管理者から借りていた板で勉強を始める。すぐに俺が折れることはないと思っての持久戦を視野に入れて、同時にこなそうという考えだろう。


 勉強の邪魔はしたくないが、秋の肌寒さを誤魔化すためにカルアを抱き寄せる。


「ん、んぅ……積極的ですね。もしかして、ついに私の魅力に気づきましたか?」

「いや、カルアはいつも頼りになるし可愛くて優しいから最高だろう」

「きゅ、急に褒めますね」

「いつも思っていることだ」


 ゆっくりと身体を起き上がらせながら、まだ残っている酒の感覚にため息を吐く。


「調子はどうだ?」

「んー、かなり分かりやすくまとめてあるので思ったよりも早く終わりそうですね。基礎部分は適当にしましたけど、まぁ余裕ですね」

「……すごいな」

「私がすごいのはいつものことです。……ん、と……何かありましたか?」


 俺の表情に疲れや不安が出ていたのか、カルアが少し心配そうに尋ねてくる。


「……いや、カルアはそっちに集中してくれていたらいい。不安そうにしているのは、誘惑に耐えられるか分からないからだ」

「……まぁ、そう言うならさっさと終わらせますが」


 ミエナから言われた不自然な箇所。

 管理者が嘘を吐いているか、妙な企みをしている奴がいるか……。

 あまりカルアに頼りきりになるのは避けたい。


 現実的な対応としては、ミエナが注意を呼びかけてくれるそうなのでそれに任せっきりにするか、直接管理者に問うて話を聞くか。


 ……正確な判断をするには情報が足りない。どうするべきか……。

 と、俺が考えているとカルアが抱きつくようにして俺の手を脚で挟む。柔らかい脚の感覚に手を引き抜こうとするとカルアが「ひゃんっ」と変な声をあげたせいで動きが止まる。


 どうやら変なところに当たってしまったらしく、カルアは気まずそうに目を逸らしながら誤魔化すように口を開く。


「ごほん、ん……私は大丈夫なので、予定とは違いますが、シャルさんと商人さんの三人で孤児院の方に向かってはどうですか? 今回は一泊二日程度で済むでしょうし」

「……また突然だな」

「突然でもないですよ。前から言っていたことではありますし、この機会を逃すとしばらくは行けなくなりそうです」


 いや……まぁ……確かにそうかもしれないが……。しかし迷宮に殺人犯がいる可能性を無視して向かうというのは……。


 俺がそう悩んでいると、カルアが口を開く。


「……ランドロスさんが背負うことではないですよ。本来なら衛兵さんですし、あるいは力もあって見つけていた管理者さんがするべきです」

「……そうかもしれないが」

「酷い言い方にはなりますが、ランドロスさんはシャルさんと見知らぬ人間のどちらを優先するんですか?」


 一瞬、ヒヤリと背筋に冷たいものが走る。

 そして間髪を入れずに、答えを返す。


「シャルだな」

「じゃあそういうことです。相手もこんな目立つギルドを狙ったりはしないでしょうから」

「……ネネのこともあるだろう」

「それこそ今は切迫した状態は脱しましたよ」


 そう言ってから、カルアは指先を動かして俺のズボンのポケットに手を入れる。突然の痴女のような行為に驚いていると、ポケットにカサリと紙の感触がする。

 折り畳まれた……手紙?


 カルアを見ると首を横に振り、ここでは開くなと訴えかけてくる。


 すぐに空間魔法にしまい込んで、頭を捻りながらカルアに尋ねる。


「それもそうだが……カルアと離れるのは寂しくてな。すぐにカルアの言葉を見聞きしたくなりそうだ。いつまで我慢出来ると思う?」

「んぅ……それは私もです。ランドロスさんのことですから、街の外に出て数分もすれば寂しくなって今のやりとりを思い出してしまうんじゃないですか?」


 なんとなくだが、カルアが言葉の裏で俺に伝えようとしていることが伝わってくる「今はこの手紙を開くな」「街の外に出て多少の距離を取ってから読め」ということか。


 わざわざこんな手紙を書いて口頭で伝えず、迷宮国から離れてから開けというのは……穏便ではないな。

 何か只事ではないことを発見したのだろう。


 今日中に旅の準備をして、商人とシャルを連れて行くか。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ガタガタと揺れる馬車の中、シャルが少しめかし込んだ服装でピタリと俺の隣に座る。


「いやぁ、助かります。今の情勢だと街の外に出るのも危ないですからね。食いっぱぐれた野盗とかたくさんいるらしいですし。何かあったらお願いしますね」


 いつものようにニヤニヤと笑っている商人を見つつ、俺は内心穏やかな気分ではいられなかった。

 カルアがわざわざこうも隠して俺に伝えようとしたことというのはなんだろうか。


 迷宮国の中で開くなということは……監視されているということか?

 何度か深呼吸をして整えたあと、カルアの手紙を空間魔法から取り出して開く。


 シャルほどではないが丁寧で綺麗な文字が、手紙に並んでいた。そして、その驚愕の内容に目を見開く。


『ランドロスさんへ。この手紙を読んでいるということは、きっとこの手紙を読んでいることでしょう。前置きはこれぐらいにして、本題に入ろうと思います。恋人らしく、ランドロスさんのことをらーくんなどと呼んでみたいですが、帰ってきたときにでも試してみてもよろしいでしょうか? PS.シャルさんが不安がっていると思うので、離れないようにしてあげてくださいね。』


 その手紙を持って、俺の手がワナワナと震える。

 俺の様子に気がついたのか、シャルが少し不思議そうに俺を見ていた。


「どうかしたんですか?」

「ッ……カルアの奴……! 騙したなっ!」


 意味のない手紙。あまりにも取り留めのないもので、口頭で言えば済むようなしょうもないものだ。

 ならば何故わざわざこうしたのか……。答えは決まっている。俺をシャルと一緒に孤児院へと向かわせるためだ。


 何か重要なことがあると思わせて、俺が国から一時的に出る必要がある状況にさせることで、俺の中の解決すべき優先度が変化してシャルの両親のことで孤児院を訪ねることとなる。


 完全に掌の上で転がされた。

 今から戻るという選択肢がないわけではないが……仕方ないか。もうそのまま行こう。行くしかない。


 全く……俺を騙しやがって、カルアめ……。

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