第121話

「……まぁ、その……何というか……聞き出してごめん」

「い、いやいいよ。好きになってしまったのにずっと隠しておくのは誠実じゃないから。……謝るべきだったのに、フラれるのが嫌で隠してた」


 泣きそうなマスターの姿に罪悪感が募ってしまう。

 カルアの方を見てコソコソと話す。


「な、なぁ、恋愛感情と性欲って混同しやすいのか?」

「わ、私に聞くんですか!? ……これから話すのは、わ、私のことじゃなく、一般論ですよ。というか、学術的な話としてですが」


 カルアはベッドの上でもじもじと動く。

 俺とカルアがコソコソと話していると、マスターは顔を赤くしながら聞いていた。


「……そもそも、性欲というのは、生物が繁殖するための手段なわけです。性欲がない生き物は子供を作らないので絶滅します。従って、現在いる生物のほとんどは性欲がありますし、人間も同様です。私の話じゃないですからね」

「……カルアはどうなんだ?」

「セクハラですっ! 察してくださいっ! 察して!」


 ……カルアにも性欲があるのか……? ……いや、あるんだろう。

 顔を赤くして、おほんと言ってから話を続ける。


「ですが、まぁ、常日頃から発情しっぱなしだと、狩りやら日常生活やらと、普段の生活には不向きですからね。発情したり、発情しなかったりするわけです」

「そ、それで、私は見られたら変な気持ちになってしまうんだけど」

「……まぁ、その、それは一度置いておくとしまして。発情するというのは子供を作るのには必要なことですが、不利な側面もあるわけです。なので、発情する回数や期間、条件に制限をつけるわけです。例えば動物なら発情期などが決まっておりまして、弱い赤子が成長しやすい時期に産まれるような時期に、逆算して発情期がくるわけです」


 マスターと俺はカルアの知識に「へー」と二人して話す。


 そうしていると突然扉が開き、シャルが手に料理を持って登場する。


「ランドロスさん! 料理したんで食べてください! ……あれ? マスターさんもいて、どうかしたんです?」

「あ……いや、その……と、とりあえず、机と椅子を出すためにベッドを片付けるからそっちに寄ってくれ」


 ベッドの上で食べるわけにもいかないので二人には移動してもらい、机と椅子を二つ取り出して座ると、シャルが俺の目の前に料理を置く。


 いつも食べている物と同じ料理だ。……いや、習っている以上、材料や作り方は同じなのだから同じ料理が出てくるのは当然なのだが……そっくりそのままで、不慣れさゆえのアラなどが見当たらない。


「……旨そうだな」

「えへへ、頑張りました。お墨付きを得たので食べてもらおうかと」

「ああ、ありがとう」


 マスターの告白で罪悪感を覚えながらそれを食べる。そのまま、いつも食堂で食べる味だ。


「めちゃくちゃ美味い。この世で存在するどんな料理より美味い」

「そ、そんなことはないと思いますよ。レシピそのままですから」


 シャルは照れたように身をよじり、パクパクと食べていく俺を見てにまにまと笑みを浮かべる。


「……あ、そういえば、何の話をしていたんですか?」


 こてりと首を傾げながらシャルは尋ねる。

 びくっとマスターは肩を震わせて目を背けた。


 まさか「マスターが俺に性欲感じていることについての話をしていた」と言えるはずもなく、口籠ると、カルアがパッと口を開く。


「ど、動物の話をしてたんです」

「にゃんにゃんとか……おほん、猫とか犬とかの話ですか?」

「にゃんにゃん……。ま、まあ、そんなところです」

「僕も猫好きなので、話を聞いてもいいですか?」


 ……カルアの誤魔化しが変な方に言ってしまった。ここから断るのもおかしいためか、カルアは意を決したように口を開く。


「まぁ、何にせよ、人間も動物の一種ですから、異性と触れ合っているとそういう変な気持ちになることはありますし、それを性欲と断じるのは良くないです。マスターのそれは恋愛感情と言えるでしょう」


 一仕事した……といった様子のカルアではあるが、何か解決したのだろうか。

 話を聞いていたシャルはムッとした表情で俺を見つめる。


「……あの、ランドロスさん。……ええっと、その、勘違いでしたら失礼なんですけど。また、浮気しました?」

「……ごめんなさい。浮気のつもりはなかったんです」


 マスターに一方的に好意を持たれてしまっただけ……と、言うのはあまりに不誠実だ。

 恋愛感情を持っているというのなら、俺も……マスターに勇者に裏切られたことを告白した時から持っていた。

 だというのに、後から好きになったからとマスターに責任を被せるのは卑怯だ。


「ち、ちがうよ! ランドロスとは別にアレから何もしてないし、浮気とかもしてなくて、全然……その、全然……一方的に、ランドロスを好きになっただけでごめんなさい……」


 マスターが深々とシャルに頭を下げる。シャルはむっとした後、けれども頭を下げさせていることに不慣れだからか、すぐにパタパタと動いてマスターに頭を下げないように頼む。


「そ、その、顔はあげてください。べ、別に、マスターを責めてるわけじゃないですから。悪いのは、すぐに女の子を口説くランドロスさんでして」


 お、俺が悪いのか? ……いや、まぁ俺は悪いか。擁護は自分でも出来ない。


「……ランドロスのせいには出来ないよ。私が、その横恋慕をしただけで」

「よ、よく分からないですけど、カルアさんの説明だと、仕方ないみたいですから、その……誘惑とかをしない限りは仕方ないです」


 マスターは顔を紅潮させたまま目を逸らす。


「あ、あるんですか?」

「そ、その……それは……。昨日……」

「ふ、ふしだらですっ! ダメです! そういうのは良くないですっ!」

「ご、ごめんなさい。つい、出来心で……」


 昨日……俺がネネの椅子になっていたときのことだろうか。

 あのときのわざとだったのか。……そういえばいつもはちゃんと膝を閉じて座っているのにあの時だけ、少し開いていたな。


「好きになるのは仕方ないですけど慎みを持ってください」

「ご、ごめん。慎みがなくて……」


 どうにか止めようとして立ち上がると、顔を真っ赤にいているシャルが言う。


「な、なあ……喧嘩はしないで……」

「一番ダメなのはランドロスさんですからねっ! 僕はランドロスさんが我慢してるのが可哀想だと思ってるからカルアさんのことも許しているだけで」

「わ、悪い。ごめんなさい」


 誰がダメとかそういう話だったろうか。いや、一番悪いのは間違いなく俺だろうが。


 随分と話が逸れていて、まぁこのまま逸れたままだったら……と、期待していたのも束の間、シャルの手が俺の手を握る。


「……まぁ、いずれ、こうなるのは何となく分かっていたことですけど。……ランドロスさんは、小さな女の子に囲まれるのが好きな人だとは分かっていましたから」


 商人の言葉がまだシャルの中に残っている。……いや、そりゃ、みんなそうだろ。


 普通……シャルとかカルアとかマスターとか、可愛い女の子に囲まれてイチャイチャするのが嫌な男なんてこの世に存在するわけがないだろう。


「……理性で我慢しているだけで、みんな小さい女の子に囲まれてベタベタしたいと思っているものなんだ。俺だけがおかしいんじゃない」

「いや、私は別にランドロスさんの特殊な趣味は否定しませんけど、ランドロスさんの趣味は一般的なものじゃないですよ。現状ドン引きされるものかと」

「みんな我慢して隠しているだけだろう。だってシャルもカルアもマスターもめちゃくちゃ可愛いし」

「……褒められるのは嬉しいですけど、ランドロスさんはおかしいですよ」

「……カルアに好かれてうれしくない男なんてこの世にいないだろ」

「私が美少女なのは周知の事実ですが、それはそうとしてランドロスさんはおかしいですよ」

「俺がおかしいとしても、世界中の男は全員おかしいということになるだけだろ」

「いや、何を言おうとランドロスさんはおかしいですよ」


 俺は頭を抱えて否定する。違う。違うはずだ。


「……可愛いじゃん」

「恋愛感情を持つのはおかしいですよ」

「……みんな優しいし、普通好きになると思う」

「普通は恋愛感情には結びつかないですよ。……商人さんも言ってましたが、もう認めましょう? シャルさんも、ランドロスさんがそうだと分かっていたから今回はそれほど怒ってないわけですし、これ以上そんな欺瞞を貫いても仕方ないじゃないですか」

「…………」


 俺は、これ以上……人としての品格を落としていいのか? ただでさえ、歳が離れた子供二人を恋人としているド畜生の半魔族なのに、結婚の約束をした翌日に「また可愛い女の子に好かれちゃったぜ、げへへ」などと言えるはずもない。


 俺が頭を抱えていると、マスターがおずおずと口を開く。


「い、いや、私は無理に中に入り込もうと考えているわけじゃないから、その、そんなにランドロスを責めなくても……」

「でもランドロスさんのこと好きなんですよね。私はハッキリさせた方がいいと思っているというか……。こういうのを放っておいたら後から絶対に修羅場になるじゃないですか。立場上、会わないで良いという状況にはならないわけでして……」

「だ、大丈夫。私もマスターとしてね、ちゃんと節度を持って接するから」

「……でも、好きになったんですよね。我慢できるんですか?」


 マスターの口が閉じられて、ゆっくりと目が横に逸らされる。


「だ、大丈夫だもんっ!」


 慌てているせいか普段よりも幼い感じの声と口調でそう言ってから、逃げるようにして出て行く。

 カルア……人を責めるときだけは本当に強いな……。自分が責められる側になったらへなへなになってしまうのに……。


「正直なところ、また増えるというのはあまりいい気はしないですけど……そもそも私も横恋慕しての関係ですから責められませんし……。何よりですね、この流れでランドロスさんがマスターに手を出そうとしない未来が見えないです。見えませんよね、シャルさん」

「……ま、まぁ、ランドロスさんは、そうですね。……うーん、まぁ…………いつか我慢が効かなくなりそうです」


 ……もしかして、俺ってめちゃくちゃ信頼されていない。

 浮気する可能性があると思われているのではなく、マスターと浮気するのが前提としてどれだけ我慢出来るかの話なのか……?


 否定したい。否定したいが……この状況で否定する勇気はない。


 どうしよう。人としての最低限の品性すらなくなっているかもしれない。

……違うんだ。そんなつもりじゃなかったんだ。俺は純粋にマスターの心が傷つかないか心配だっただけで、惚れてもらうためにしたわけじゃ……。


 俺が頭を抱えていると、ベッドから立ち上がったカルアにポンポンと頭を撫でられる。


「欺瞞はやめましょう。今更です」

「……違うんだ……。違う……」

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