第110話

 目元を腫らして充血している。

 泣きすぎたせいか唇まで真っ赤になっていて、少しばかり……大泣きしたのだろうことが分かる顔をしていた。


 起きたのは昼過ぎで、まだ疲れが取り切れていないのかグッタリとした表情で俺を見ていた。


「……あ、ランドロス……あの、恥ずかしいところを見せたね。……でも、ありがとう」

「えっ、な、何で突然この前の宿のときの話を!?」

「えっ……ち、違うからねっ! 何で見られた時のことでお礼を言うと思ってるのっ!」


 マスターはベッドの上でワタワタと動いて、顔を赤らめながら俺を見る。


「そうじゃなくて……みっともなく、泣いてるところなんて見せて」

「ああ、それか……。いや、みっともないとは思っていないし、恥ずかしいことだとも思っていないから……恥ずかしいところを見せたと言われたら、そっちかと」

「それは忘れてよ……」

「……どっちを?」

「どっちもっ!」


 いや、無理だろう。それは……と思っていると、椅子に座っていた俺の手を、マスターは握り、顔を俯けながら小さく口を開く。


「……やっぱり、忘れなくていい」


 ……どっちを? ……どっちもだろうか。


「ランドロスは、私の弱いところ、覚えていて」

「……ああ」


 ギュッと握られた手を引いて、マスターの頭をヨシヨシと撫でる。

 それから何をするでもない時間を少しの間過ごす。


「……ギルドマスターを辞める話はどうするつもりなんだ?」

「今はバタバタしてて辞めるに辞められないから……落ち着いたら、またどうするかを考えようと思う」

「そうか。……腹も空いたし、ギルドの方に何か食べにいくか」

「うん。あ、でも、着替えたりお風呂に入ったりしたいから、ちょっと待ってて」


 ああ、まぁ……あの格好のままはいけないか。

 マスターは風呂に行くが、あの時とは違って、あまり音も聞こえない。


 ……いや、聞き耳を立てたりはしないが。


 しばらく待っていると、バッチリとおめかしをしたマスターが戻ってくる。

 不思議と髪も綺麗になっているのに濡れていない。何かの魔道具を使ったのだろうか。


 流石に目元は腫れたままだった。

 二人でギルドの方に歩いて行こうとして、不意に嫌な想像をしてしまう。


 幼い女の子が好きな俺が、泣いた跡のあるマスターを連れて歩くというのは……変な誤解を招かないだろうか。


 ビビリながらギルドの戸を開けると、メレクと目が合い、メレクは一瞬マスターの目元を見た後、俺の方を見て目を泳がせるが、すぐに察したように頷く。


「ずっと忙しそうにしていたけど、今日は休んでいたんだな」

「ん、あ、ああ……」

「お疲れさん。カルア達ならあっちにいたぞ」


 メレクに軽く礼を言ってから、机を囲んでやいのやいのと騒いでいるカルアとシャルとイユリの方に向かう。


 俺が近くに寄ると、シャルは少し心配そうにマスターを見た後、机の上に置いてある聖剣をチラリと見る。


「あ、ランドロスさん。すみません、聖剣さんと話をしていて……お食事をするなら、隣のテーブルでお願い出来ますか?」

「ん、ああ。……それ、カルアも言っていたけど話なんて出来るんだな。……まぁ、話しているのは気のせいだとは思うが」


 俺がそう言うと、女性の声が頭の中に響く。


「何がそれだ。この私に向かって失礼な混ざり物が」

「……ん?」


 俺の耳にも聞こえたような……そう思ってマスターの方に目を向けると、マスターも充血した目をパチパチと瞬きさせていた。


「今、この剣……しゃべった?」

「……いや、話さないだろ。剣だぞ。……そもそも、俺が勇者と旅をしていたときには一度も話していなかったしな。気のせいだろ」

「あの男が嫌いだから話していなかっただけだ」

「……とのことです」


 カルアが聖剣を突きながらそう言う。


「……いや、お前が選んだんじゃないのか?」

「違う。私という意識と勇者の選定は同一ではない。魔王を殺せる者を探し出して勝手に勇者が決められる。私の役目は剣や魔法の指南と補助でしかない。先代……いや、先々代勇者のシユウは元々そこそこ戦えたから声をかける意味がなかった」


 ……訳の分からない存在だ。どうしよう、コレ。

 シルガが死ぬ原因だったりとあまり良い印象を持てない聖剣だが……イユリは面白そうにその話を聞いていた。


「……シユウの元に帰らないのか?」

「アレの役目は終わった。基本的には新たな勇者が選定されるまでは魔王を倒した後も引き続き使われるが、今回の場合はな」


 勇者であり魔王でもあるシルガが自決して終わりだったため……持ち主不在のままというわけか。


「……カルアが触っていたが、今はカルアが勇者なのか?」

「違う。が、勇者になるのも可能と判断されているから触ることが出来ている」

「……どういうことだ?」

「新たな魔王が発生した場合、この小娘を勇者に選ぶことが出来るようだ」

「……よく意味が分からないが……シルガを殺せたのがシルガだけだったから、あの場でシルガが選ばれたんだろ? もう魔王になるやつが決まっているということか?」


 不意に自分が紅い雷を発生させられることを思い出す。……もしかして、俺か? と思ったがそういうわけでもないようだ。


「こういう状況は私も初めてだが、どんな人物が魔王になろうとも、この小娘は勇者の責務を果たせるということのようだ」

「えぇ……」

「えへへ、そこまで評価されると照れますね」


 ということは、選ばれなかっただけで、シルガを仕留めることが出来ていたのは、シルガ本人だけでなくカルアもなのか。

 聖剣に手を伸ばしてみるが、やはり透明な壁に弾かれる。


「まぁ、救世を目指してるものとしては当然ではありますが」

「…………私も古い道具だからな。壊れたのかもしれない。こんな小娘がそれほどの大器とは思えない」

「何でですかっ!」

「いや、そもそも小娘は私の体を持つのでやっとだろう」

「剣なんてなくても私は無敵ですからっ」


 ……ああ、まぁ、重さに負けてヨタヨタと歩いていたな。マトモに振ることも運ぶことも難しそうだ。

 壊れていると思った方が自然だ。


 聖剣に対してカルアはワーワーと言い立てて、聖剣もそれに反応していく。


「……なんだこれ」

「……いや、私の方が驚いてるんだけど。……とりあえず、お腹も空いたし何か食べよっか」


 あまり深く考えても仕方ない。というか、俺の手に負えるようなことではなさそうなので、イユリとカルアに任せたらいいだろう。


 ……何か疲れたな。と思うが、よく考えたら一日中走り回ったあとに徹夜でマスターを抱きしめていたので疲れていて当然だな。

 別種の疲れではあるが。

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