第109話
「……そんなの言っても、困らせるだけじゃないか。……解決も出来なかったことを、騒いで、泣いて……みんなを、ランドロスを困らせたくない。頑張ったみんなを、責めるようなことは言えないよ」
「いいんだ。俺を責めても。……ちゃんとマスターに話していれば、説得が出来たかもしれない相手だった。勝手に説得が通じないと思って危険だと隠していた」
マスターは俺の服をギュッと握って、首を横に振る。
「ランドロスは、何も悪くないよ。私が……私が……ずっと、間違えていたんだ。いや、そうじゃなくて……」
少女の目元からボロボロと涙がこぼれ出てくる。
往来で泣いている少女と抱き合っているという状況。
まばらに歩いている人が気にしたようにこちらを見ていたので、マスターの手を引いてギルドの寮に入り、そのままマスターの部屋に入り込む。
ぐすり、ぐすりと、年齢相応の幼い泣き顔を見せて、いつもの凛々しい表情が嘘のように子供っぽい顔をしていた。
「……正しくあろうと、したんだ。正しくあろうとして……」
「ああ、分かっている。マスターは、何一つとして間違っていなかった。ずっと、マスターは誰よりも正しかった」
「……違うんだっ!」
玄関の前で、マスターは感情のままに俺のことを押し倒して、地面に倒れた俺の上に乗り、ボロボロと涙を零す。
開きっぱなしの扉が勝手に閉まり、トントンと去っていく足音が聞こえた。
「違うの。全然、何もかも……逆だったんだ。間違うべきだった」
マスターは後ろの扉が閉じたことにも、去っていく足音にも気がつく様子はなく、俺の身体を掴んで、俺の胸に涙まみれの顔を押し付けた。
「正しくあるなんて、簡単な生き方に逃げるべきじゃなかった。楽な方に流れるべきじゃなかったんだっ! 間違うべきだった! 二年前、許されないシルガをそれでも庇っていたら、こんなことにはならなかった!」
「……そんなの、無理だろ」
「無理をするべきだった! 許されない人を許して、罪も罰も無視して、理不尽に生きるべきだった! 悪いものを悪いと言わずに、常識も良心も破り捨てて……そうしたら、シルガは、きっと……」
俺の胸の中でマスターはむせび泣く。息を全て吐き出すように大きな声を発して、涙や鼻水や汗を俺の服に染み込ませながら、日が落ちきってもそれでもマスターは涙を流し続けていた。
泣いて、泣いて、それでも泣いて、体の中の液体を全て吐き出すのではないかというぐらいに泣き続けて、顔をぐちゃぐちゃで真っ赤にしたマスターが、ひっく、ひっくと呼吸をめちゃくちゃにしたまま、顔をあげた。
「マスター、シルガは……」
シルガは死ぬ前に言うな、と言っていたが……そんなもの、俺の知ったことではない。あんな大悪をした人物の言葉を聞いてやるような義理はないだろう。
「……シルガの最期は、自殺だった。……魔王の力と勇者の力を両方得て……。誰にも止められないような力を手にしていた」
マスターには、誰もシルガの最期を話していなかったのだろう、泣き疲れて弱りながらも驚いた顔を浮かべていた。
……あの場にいた誰もがマスターに話さなかったのは、きっと、それはマスターを傷つけないためのものだ。
シルガも隠そうとしていて……多分、話そうとしている俺が間違っているのだと思う。
「……手にした聖剣の力を使って、自殺をした。自分の腹に突き刺してな」
「な……んで、そんな……」
「……俺が、勝手にシルガの心境を想像して語るのなんて、多分……間違っていると思うが」
マスターからの返事はない。
「……マスターが庇ってくれたのが、本当に嬉しかったんだろうな。本当に幸せそうにしていた。世界を嫌って世界に復讐しようとして大暴れしていたくせに、マスターに庇ってもらってからは「いい人生だった」なんて言ってな」
ちょっと女の子に優しくされただけでそこまで喜んでしまうのなんて、どうかしていると思わなくもなかったが……。
……それに関しては、まるっきり俺も同じだったので何も言えない。
多分、シルガはマスターのことを好きになったのだろう。俺のように優しくしてくれた相手に恋愛感情を覚えたのかは定かではないが……これ以上マスターを傷つけないために自殺したのだろう。
もし生きていれば、死刑は間違いのないものだった。
誰しもから憎まれるという状況になっていて……それがより一層にマスターの心を傷つけただろう。
だから、己の存在が知られる前に自殺をして、事態を終わらせた。
「ありがとうだってよ。……そう言っていたのを伝えるなって、シルガは言っていたが」
「……う、うぁ……うわああああん!! ごめん、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい」
マスターは再び、叫ぶようにして泣き崩れる。
呼吸がおかしくなり、泣きはらした目は、疲労のせいか少し痙攣してしまっていて、夏場なのに手先や足先は冷えて震えている。
「……救われたんだと思う。墓も建てられないけれど、それでもシルガは。……ずるい奴だよな。自分はこんなに被害を出しているくせに」
本当に、これだけの人を傷つけて、死者まで出したくせに……一人で勝手に幸せなまま死にやがった。
一人だけハッピーエンドで、他はみんな不幸ばかりだ。
……クソ野郎。マスターを泣かせやがって。
夜中の間、マスターは泣き続けて、俺はその小さな身体を抱きしめ続けた。
日の光が見えた頃に、マスターの体力は完全に尽きてしまったのか、こひゅーこひゅーと苦しそうな呼吸音で、眠り始めた。
どうしたものかと考えていると、それからしばらくして扉が開き、不機嫌そうな顔をしたネネが白い薄手の寝巻きを着て俺を睨んでいた。
「また、寝不足だ」
「ああ、悪い」
「……いや、よく頑張った。……マスターに本当のことを話すなんて、辛い役を押し付けて、ごめん」
ネネはそう言ってから去っていく。
俺はマスターの身体を持ち上げて、マスターのベッドに運び、汁塗れの顔を拭う。
マスターの着ているワンピースも、マスターの涙に濡れた俺の服と接していたせいで濡れてしまっていたが……俺が着替えさせるのは不味いだろう。
そもそも、俺がマスターと一晩中一緒にいるのも不味い状況かもしれないが。
マスターに布団を被せたあと、びしょびしょになっている服を脱いで別の服を着る。
……あー、今日は、瓦礫の撤去の手伝いは休ませてもらうか。
俺も眠くて仕方ないが、マスターが起きたときに不安にならないように、ずっと起きて待っていよう。
灰色の髪を撫でながらそう思った。
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