第86話

「……ふむ、なるほどですね。ランドロスさんの考えはおおよそ理解は出来ました」

「まぁ、ただの考えすぎだとは思うけどな」

「……そうかもしれませんけど、警戒はしておくのに越したことはないかと」


 カルアへの説明を終えて少し会話をしていると、ネネが立ち止まる。

 何か妙なものを見つけたのだろうかと思ったが、ジッと俺の顔を見ていた。


「……どうかしたか?」

「……シルガだったら、どうするの?」


 俺の方を見つめて、逸らす気配のないネネの視線。


「そりゃ、止めるだろ」

「……止めて、どうするの?」


 パチリ、パチリ、とネネが瞬きをするが、表情は変えておらず、ただ無表情に俺を見ていた。


「……シルガを止めて、どうするの? ……また逃すの? それとも……」


 ネネの口元が微かに動く。「殺すの?」と声に出すのも嫌なのだろうか、息すら漏れておらず、ただ口がその形をしただけだった。


 考えていなかった。……見つけたら、止めて終わりじゃないか。

 止めて……捕まえて、衛兵に渡す? 二度も大量の殺害を企てた人など、死刑に決まっている。殺すのと変わらないどころか……その結末をマスターまで知ることとなってしまう。迷宮鼠にも大きすぎる不利益だ。

 もし解散命令が出されたら、迷宮鼠にいる小さな子供達はどうなる。


 ……迷宮鼠でどこかに閉じ込める。……論外だ。そんな場所はない。それに、迷宮鼠は立場上、衛兵が立ち入って調べられることがよくある。すぐにバレる。


 逃す? ……三度目が発生するだけだ。


 ……何も考えていなかった。

 見つけたら、見つけてしまったら……殺すしかないではないか。


 ネネのため息が耳に入る。


「……ネネは、嫌だよな。別のやり方を探すか」

「……構わない。二年前、闘技大会の会場には、迷宮鼠の人も多くいた。……だから、シルガは、仲間じゃない」

「……そうか」


 彼女は俺達の前を歩いて、小さく言う。


「私がやる。……もし見つけたら教えて」

「いや、お前に押し付けるようなことは出来ないな」

「気にしなくていい。慣れてる」

「……慣れてるって」

「人を殺すのぐらいはなんでもない。……マスターに好かれたいなら、私に任せたらいい」

「いや、マスターには好かれたいが……。お前に辛いことを押し付けたりはしない。……まあ、やり方を考えておく」


 ネネは冷めた目で俺を見る。腰に下げた短刀をお守りのように触って、チッと舌打ちをする。


「間抜け。なら、闘技大会の本戦に集中していればいい」

「そんなこと言うなよ。仲間だろ」

「……お前は私を下に見ているだろう。何が仲間だ。馬鹿馬鹿しい。どうせそういうことしか出来ないんだ、私は。私からそれを取って何が残る。学はない、実力もお前に及ばない。友人も作れない。……人は変わらないし、臭いは落ちない」

「……ネネが残るだけだろ。そんなことをしなくても」


 地図に書いてあった路地裏に着くが、当然ながら何もない。ネネがヒョイっと俺から地図をひったくり、俺の目の前に伸びた爪を突きつける。


「帰って寝てろ。私の仕事だ」

「おい、ネネ……」


 俺が止めようとしたが、ネネは素早い身のこなしで家屋の屋根に登って、トントンと跳ねてどこかに行ってしまう。


「あ……ランドロスさん、ど、どうします?」

「帰るわけないだろ。……辺り一帯を見回るぞ」

「ですよね。お供します」


 ネネの後を追うように調査をしていくが、予想通り何も見当たらない。


「……あの、なんでネネさんは怒ったんでしょうか?」

「別に、大した理由でもないだろ」


 人を殺した過去がある。それで人を殺したくないと思って迷宮鼠に入った。

 ……そんなネネの過去を、いくらカルアが相手だろうと、不必要にペラペラと口にすべきではないだろう。


「……人は変わらないか。どうだろうな」

「ネネさんがどういうつもりで言ったのか分からないですけど。私は変わったので、同意はしかねます。ランドロスさんも、ちょっとずつは変わっていると思いますし。さっきまでなんか賢いっぽい感じになってましたし」

「いや、あれは……」


 変わったというか、一時的にテンションが落ちて冷静になっていただけというか……マスターのことで少し賢者になっていただけだ。


 ……先程のネネの言葉は俺も同意出来ない。

 いや、それどころか、ネネにとってすら完全な本意というわけではないだろう。


 俺は人を殺したことがある。それはネネも気がついているのだから……自分がその役を引き受けるなどと言い出して、俺が人を殺すのを止めようとするのは、言葉と行動が合致していない。


 それをネネ自身が気がついているかは分からないが、心の奥底では、人は変わらないなどとは思ってはいないはずだ。


 ネネと少し落ち着いて話をしたいが……アイツ、迷宮の中でもなければすぐに逃げるからな。


「ああ、くそ、なんでウチのギルドはこうも面倒なやつばかりなんだ!」

「…………それ、ランドロスさんが言います?」

「そのツッコミをカルアがするのもどうかと思うぞ。とにかく、調査しながら追って、ネネと話をするぞ」

「はいはい。もう、仕方ない人ですね」


 カルアの「仕方ない人」という言葉はネネに向いているのか、俺に向いているのか、それを問おうかと思ったら、俺の心を読んだようにカルアがため息を吐いて、俺の手を引く。


「二人ともですよ。まったく、なんでお互いのことを思って会話していて、喧嘩するんですか」

「……ネネと喧嘩するのはお前もじゃないか?」

「それはあの人がヒモ呼ばわりするからですよっ! この、世紀の大天才の世界の救世主の私をっ! 未来の基礎学習は国語、数学、歴史学、教養、カルア学になりますからね! それぐらいの超絶天才に対して……!」

「……ああ、そうか」

「そうですよ! まったく」


 プンスカと怒るカルアに連れられながら、闘技大会の会場周りを何か不審物はないか、ネネはいないか探していく。


「……カルアのことを知ってるだけで学があることになるなら、俺も学があることになるな」

「ランドロスさんは、カルア学のテストは満点じゃないと認めませんからね」

「はいはい」


 そんな馬鹿な話をしながら、夕方になるまで辺りをウロウロと歩き回っていった。

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