第79話

 宿に入ると変なお香の匂いがする。

 ランプの火も少し薄暗く、変わった宿だな。

 最悪、半魔族だからとすぐに追い出される可能性も考えていたが、受付席に座っていた中年の女性は俺たちを見ても、少し怪訝そうな表情を浮かべるだけだ。


 こんな宿があったのか、値段を見てみるとそこそこ値が張る宿だったようで、ランプの火に照らされたマスターの表情が曇る。


「ぜ、全然足りない……。二月分のお小遣い……」

「お小遣い制なんだな。ギルドマスターなのに」

「むぅ……秘書というか、実質的な業務を担当してくれている子が「小さいうちから大金を持ったら金銭感覚が壊れる」と言ってある程度管理されていてね……」

「マスターも大変だな。まぁ、この宿代ぐらいは俺が出しておくから気にしなくてもいい」


 マスターは繋いだままの手を引いて首を横に振る。


「い、いや……私のギルドマスター的な矜恃から、それは出来ない……。お小遣いは貯めて返すから……で、でも、半分は出してもらってもいいかな? その二人で一部屋なら、割り勘で払うのはギルドマスター的にギリギリセーフだよね?」

「えっ、同じ部屋に泊まるつもりだったのか?」

「ひ、一部屋まるまるの代金を払うのは難しいから……い、いや、ランドロスが嫌というなら大丈夫、大丈夫……しばらく、色々と我慢したら……」


 普通にそれぐらいの金は出すが……少し迷宮をうろつけば稼げる額だし、気にする必要はないと思うが……ギルドマスター的な矜恃があるのだろう。

 よく分からないが、まぁ部下に奢ってもらうのが嫌というプライドがあるのは理解出来る。


 別に一緒の部屋に泊まるのが嫌というわけでもないし、マスターの言う通りでいいか。


 受付の前に立つと、女性が「どの部屋にする?」と尋ねてくる。どの部屋って……と思って見てみると、どうやら部屋の広さなどが色々と違うらしい。

 まぁ二つベッドがある部屋に……と考えていると、俺の傍からマスターがひょこっと顔を出す。


「一番安い部屋でお願い」

「はいはい。これ鍵ね」

「……あっ、下着とか売っているんだ。……う……どうしよう。どうせいつかは買うんだから今買っても……」


 マスターはチラチラと俺の方を見て、小声で言う。


「その、ちょっとお金を貸してほしいのと、あっちの方を向いていてほしいんだけど……」

「ああ、分かった」


 高級な宿は下着なんて売ってるんだな。マスターに金を渡してから少し離れて入り口の方に目を向けるとチャリチャリとお金の音が聞こえて、紙袋を持ったマスターがトコトコとこっちの方に来る。


「うう……お金が……」

「俺も散々世話になってるんだから、気にしなくてもいいんだぞ? ほら、甘やかしたいと言ってただろ」

「金銭的なのは我慢しないと……ミエナに無限に貢がれてしまう……あ、でも、暗いから手は貸してほしい」


 マスターの手を引きながら鍵の番号の部屋に向かう。

 ずいぶんとしっかりとした扉で、全体的に壁やら何かやらが少し厚い気がする。


 部屋に入り、一応鍵を締める。


「あっ、この部屋すごい。魔道具たくさんあるね。っと」


 部屋に明かりがついて、まるで昼間のような明るさに変わる。


「おおー、便利だね。イユリに作ってもらおうかな? ……お金ないから無理だね」


 部屋の内装は小綺麗なものだ。短い廊下があり、その奥に寝室、廊下の横には風呂とトイレの扉が見える。


「あ、お風呂もある。綺麗だし、本当にいい部屋だね。……高かったけど」

「風呂入ったことないからちょっと楽しみだな」

「入り方分かる? 教えようか。こっちの魔道具で水を出してね、こっちの魔道具であっためるの」

「……何でも魔道具頼りだな」

「この国だと薪の方が高級品だからね。魔石は迷宮で幾らでも取れるけど、薪は迷宮から運ぶのが大変だから、同じ重さなら魔石の方が薪の数十倍の燃料になるしね」


 ああ、なるほど。魔道具の方が安上がりなのか。

 俺の元々いた国だと信じられないな。

 風呂場に入ったマスターが説明しつつ、風呂に湯を溜めていく。


 寝室に向かうと当然のようにベッドは一つしかない。まぁ一番安い部屋なのだからベッドが二つあるわけもないかと思ったが、妙にベッドが大きい。


「あれ、二人用のベッドだね。確かに一番安い料金しか払ってないんだけど……おまけしてくれたのかな」

「ありがたいな。……店で何かをおまけしてもらうなんて初めてだ。……メレクが時々来ているというのも納得だな」


 俺のような嫌われ者の種族が利用出来るのに、風呂という高級なものもあるし、おまけまでしてもらえるなんて……ちょっと感動だ。

 また、カルアとかシャルとかを連れて来てみようかな。風呂に入ってみたいかもしれないしな。


 いや、カルアは元々は王族だし風呂ぐらい入ったこともあるか。


 マスターはポスンとベッドの上に座りながら、ワンピースの裾を直す。


「外泊なんてなかなかしないけど、案外楽しいね。あ、お風呂先に入ってきたら? 垢とか落ちてスッキリするよ」

「いや、後でいい。ちょっと考えたいこともあるからな。ああ、寝巻きとかないよな。俺の服で良ければ貸すけど」

「ありがとう。じゃあ、それはお言葉に甘えるね」


 マスターに洗ってある服とズボンと、それに身体を拭くための布を渡す。


「後で洗って返すね」

「いや、どうせ一度に洗うから気にしなくていいぞ」

「……今日、妙に歳上ぶるね、ランドロス」

「そんなことはないと思うが……」


 俺が少し困って頰をかくと、マスターは悪戯っぽく笑いかける。


「ん、冗談だよ。ランドロスは甘えん坊だけど、面倒みがいいのも知ってるからね」

「……あまりからかうなよ」

「ふふん、マスタージョークだよ」


 マスターが着替えを持って脱衣所に行くのを見つつ、ベッドの上に寝転がって、先程の聞き取りについて思い出す。


 斬り方で斬り慣れていることが分かるから探索者が疑われているというのはおかしくない話だ。

 素人でも殺せることは殺せるだろうが、即死させるのは難しいだろうし、即死させなければ叫んで周りの人間に気が付かれることになる。


 この国は結構しっかりと区画が分けられているので、あまり探索者が立ち寄ることはないだろうし、たまたま道端で突発的に揉め事が発生したということでもないと思われる。三人も被害がでているわけだしな。


 つまり、まぁ……怨恨からというのは納得の出来ることだ。死体に何度も傷をつけたというのや、物盗りでもなかったのなら尚更だ。


 しかし、昼間にも思ったようにわざわざ夕方というのも分からない。待ち伏せをするにしても、見慣れない人物が立っていたとなれば目撃者ぐらいは出そうなものだし……道端で殺害する意味もない。


 ……もしかして、特定の人物に恨みがあったのではなく、人間だったら誰でもよかったのか? だとしたら色々と理屈が合う……。


 と考えていると、耳に衣擦れの音が聞こえて思考が止まる。


 ……マスターが服を脱いでいるのだろう。 いや、だからどうという話ではないが。

 衣擦れの音が止む。

 ……マスターがすぐそこで服を着ていないというだけである。


 思考を中断するような理由にはならない。

 パタンと扉が閉まる音が聞こえる。風呂場に入ったのだろう。微かにピシャピシャと水音が聞こえて、思わず息が詰まる。


 いや、別に俺、マスターに恋愛感情はないけど。マスターに恋愛感情がないのは確かだが……年頃の男として、美少女が近くで裸になっていたら気になるのは仕方ないだろう。


 いや、今は殺人犯について考えていたいのだが……どうしても、気になってしまう。

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