第80話

 去れ。去るんだ俺の性欲。

 節操もなくマスターに反応するとか、カルアとシャルに申し訳ないと思わないのか、俺よ。


 それに、マスターも俺のことを信用して同じ部屋で寝ることを許してくれているんだ。

 いくらマスターが無防備で魅力的で、風呂を覗いても謝れば許してくれそうだからと、妙なことを考えてはいけないだろう。


 しばらくすると水の音が止んで、マスターの鼻歌が聞こえてくる。若干音痴で可愛い。

 落ち着くために水を取り出して飲んでいると、少し慌てていたせいか喉に詰まって咳が出てしまう。


 ごほごほと咳をしていると、マスターの鼻歌が止まる。


「あ、あの……ランドロス、もしかして、聞こえているか?」

「えっ、ああ、はい」

「……歌なんて歌ってたの、他の人には内緒にしててね。恥ずかしいから」

「……そんな恥ずかしがるようなことでもないと思うけど」


 パシャパシャと音がして、マスターが秘密にするように念押ししてくる。……今、裸のマスターと話をしているのかと思うと変に緊張してしまう。


「とにかく、秘密ね。下手なの分かってるから」

「可愛いと思うけどな」

「……そういうお世辞はいい」


 そう話してからマスターの声が聞こえなくなる。

 しばらくすると再び水温が聞こえて、衣擦れの音が聞こえてから扉が開いてマスターの姿が見える。


 この前見たときのような湯上りの赤い頰と、湯に濡れながら頭の上で纏められた灰色の髪。寝巻きがないため俺の服を着ている。


 手には俺が渡したズボンを持っていて、下は何も履いておらず、透明感のある白い肌に水が浮いて赤く染まっていた。


 その細いふとももに目が吸い寄せられていることに気がついて、無理やり視線を上げると俺の服では大きすぎたのか、襟元が大きく余ってダボついていた。

 白い鎖骨が目に入り、見ないように目を横に逸らす。


「……何で下のズボンを履いてないんだ?」

「ちょっと大きすぎて、履いてもぶかぶかすぎてずっと手で持ってないと脱げちゃうし、買った下着も……その、ちょっと大きくて、落ちるズボンに引っかかったら脱げちゃいそうになるから。普通にしてたら全然大丈夫なんだけど」

「……じゃあ、仕方ないのか」


 いつもの丈の短いワンピースよりも、より一層に丈が短く、ちょっと屈んだり座ったりしたら下着が見えてしまいそうだが……仕方ないのだろう。

 まぁ、そんな格好で外を出歩くわけでもないし、俺さえ気にしなければ……。


「ランドロスも入って来たら?」

「……ああ、そうする」


 とりあえず、風呂に入ったらスッキリとするらしいので一度入って落ち着こう。大量のお湯に浸かるという贅沢な行為だというのに、愛好する人間がいるほどだ。きっと気持ちが良いのだろう。


 脱衣所に畳まれて置きっぱなしにされているワンピースに心を乱されながら、手早く服を脱いで異空間倉庫に片付けて風呂場に入る。


 湯気に混じって石鹸の匂いが混じっていて心地よい匂いだ。手桶で湯船からお湯をすくい、身体にかけようとしたところで気がつく。


 これ、さっきまでマスターが長い間浸かっていたお湯だ。……いいのか、そんな物を身体に掛けたりしても。

 それ、ギルドの一員として許される行為なのだろうか。バレたらミエナ辺りに怒られたりしないだろうか。


 ……手桶にお湯を張って、それを身体に浴びる。

 確かに汗が一気に流れていき、ベタついた身体がスッキリとして心地よい。

 備え付けられている石鹸を手に取り、横に置いてあった布を手に取る。


 ……これ、さっきまでマスターが身体を洗うのに使っていたんじゃないか?


 ミエナに殴られると思い、異空間倉庫から別の布を使って身体を洗う。お湯を大量に使えるとかなり洗うのが楽だな。


 身体を流してから湯に浸かろうかと考えて……湯に伸ばした足が止まる。

 ……これ、マスターが浸かっていたお湯である。そんなものに浸かるなんて……一度お湯を流すか?

 いや、あちらの部屋に音が結構響いていたのでそんなことをしたらバレるだろうし、わざわざお湯を流したら傷つけるかもしれない。


 お湯に浸からずに出てもバレるだろうし……。

 ミエナにバレなければ、バレなければいいんだ。そもそも、一緒の部屋に泊まる時点で、血涙を流しながら羨ましがられるような状況だ。


 ……よし、入るか。マスターもあまり気にしていない様子だったし、多少マスターの汗などが混じっているだけのお湯だ。

 気にしなければ気にならない程度のものだろう。


 ゆっくりと湯に足を入れる。暖かい感触に妙な心地よさを覚えながらゆっくりとお湯に肩まで浸かると、お湯が湯船から溢れ出していく。


 かなりの量のお湯が溢れていき、そのお湯の量がそのままマスターと俺の体の大きさの違いであることに気がつく。


 改めてこうやって感じてみると、かなり身体の大きさに差があるのが分かる。


「ランドロス、お湯加減はどう?」

「……よく分からないが、気持ちいい気がする」

「えへへ、いいものでしょ。気持ちがいいから、私は自分の部屋にまで入れちゃったよ。……お金使いすぎだって怒られて、お小遣い制にされたけど」

「……ああ、そういう経緯なのか」

「そのせいで魔石も満足には買えないし、毎日お風呂に入る計画が……」


 壁の向こうからマスターが嘆く声が聞こえて思わず苦笑する。なんだかんだとマスターのことを年齢に見合わない完璧な人間だと思っていたが、子供らしいところもあるのが分かる。


「もう、笑わないでよ」

「いや、気持ちは分かる。確かにこれは気持ちがいい」

「だよね。魔石を持って私の部屋にきたらお風呂に入る権利をあげなくもないよ」

「……ありがたいけど、シャルやカルアには悪いな」

「別に二人も来ても大丈夫だよ」

「じゃあ、マスターに余裕がありそうなときにでも」


 ゆっくりと湯船に背をもたれ掛けさせて息を吐く。

 ああ、なんか気持ち良くて今日の疲れが取れるな。

 なんだかんだと、ダマラスは一番強い技を使わなければ勝てない程度には強かったのでかなり疲れた。

 その後の相手も手を抜いたり油断が出来る相手でもなかったしな。


 深く息を吐いていると、マスターから声がかけられる。


「……ランドロス、闘技大会、予選突破おめでとう。……でも、今から棄権してもいいんだよ」

「……どうしたんだ。突然」

「ん……実は、その……優勝は難しいぐらいの実力だと思っていたから、ほら、私は戦闘とか出来ないから、その、強さとかもよく分かってなくて、てっきりミエナと同じぐらいで、強いけど優勝はギリギリ出来ないぐらいかと思って……」

「優勝したら何か困るのか? それなら棄権するが」

「いや、困るというか……その……勇者との試合があるから、その……」


 ああ、俺が勇者と会うと辛いと思って気を遣ってくれているのか。


「……いや、少し話したいこともあるから丁度いい。……見下すな、と、何度も言われてな。……一度ちゃんと向き合った方がいいのかもしれない」

「……向き合っても、相手が勇者だとね……。まぁその、棄権するのも手だと思っていていいからね」

「ああ……なんかボーッとして来たな」

「のぼせる前に出た方がいいよ。あ、お風呂の栓は抜いてね」


 マスターの指示に従って風呂から上がって、手桶に水を出して身体に浴びる。

 あー、お湯に浸かるのも気持ちいいが、水も気持ちいいな。冷たくても熱くても気持ちがいいのはどうなっているんだ。


 脱衣所で体を拭ってから服を取り出す。少し暑いので、いつものやつよりも薄着でいいか。


 寝室に入ると、マスターが棚の方に手を伸ばしていたのが見えた。服の裾から下着が見え……と思っていると、棚から変な板を取り出したマスターが振り返る。


「見て見て、ランドロス。ボードゲームが置いてあった。このまま寝るのは勿体ないから一緒に遊ぼう。ルールは教えるから」


 寝るために入ったんだから寝ないのも勿体ないのではないだろうか。

 まぁマスターがやりたそうだからやってもいいか。

 ……ただ、マスターの格好が格好なだけに、あまり長い時間向かい合いたくはないが。

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