第62話

 カルアに渡された瓶を持つとゆっくりと魔力が吸われて、すぐにそれが止まる。ドアノブの時のような魔力は取られていないうえに、目に見える変化もない。

 不思議に思って首を傾げているとカルアが漏斗を取り出してその瓶に装着させて、水差しから水を注いでいく。


 何をしているのかと思って見ていたが、何かおかしい。明らかに水差しに入っていた水の量が、瓶の容量よりも多い。


 けれど、何処かに水が溢れている様子もない。


「……これは?」


 不思議に思って俺がカルアに尋ねると、えへんとばかりに胸を張って答える。


「迷宮の基本構造というか、根本となっている空間魔法による空間の拡大をこの瓶の中に再現したのです。簡単にランドロスさんにも分かるように言いますと、この瓶の中は縦横高さが全て二倍で、合計八倍の容量となっているんです。だからまだまだ入りますよー」


 そう言いながらカルアは水を追加していき、突然瓶が勢いよく割れる。


「ふわっ!? な、なんで……。あ……水が重すぎて単に圧力で割れちゃったっぽいですね」


 カルアは辺り一面に水が飛び散ったのを見ながら、ゆっくりとガラスを拾おうとして、俺はそれを制止する。


「手を切ったら危ないから掃除はしなくていい」

「えっ、いえ、掃除ぐらいしますよ。大丈夫です」

「……じゃあ、何か水を拭く布でも持ってきてくれ」

「……過保護ではないですか? まぁいいですけど」


 ガラスを拾って適当な袋に詰めていく。

 カルアが楽しそうでいいと思ったが、少し危なっかしい。


 ガラスを拾おうとした手に白い手が当たり、少し目線を上げるとイユリが驚いたような表情でこちらを見ていた。


「す、すみませんっ。お掃除なんてさせて」

「……いや、別に気にしなくていいが。……この瓶、イユリが作ったのか?」


 そういえば、顔と名前は知っていたが、話すのは初めてだな。イユリが拾わないように軽く手で制してからガラスを拾うのを再開する。


「あっ、はい。カルちゃんとの合作ですけど。あっ、あの、カルちゃんはすごいねっ! 私ひとりだと一年かけても全然進まなかった魔法の解析がふたりでしたら数時間で終わって、こんなのまで作れて! 魔法も使えないのにこんなに魔法にも詳しいだなんてすごい……」


 イユリはそう言ってから、顔を真っ青にして首を横に振る。


「あ、えっと、ち、違うから! 魔法も使えないのにっていうのは、全然悪口とかではなくて、その、単純にすごいなぁって! 嫌味とかじゃなくて!」

「いや、悪口を言ったなんて疑っていないが……」

「と、とにかく、すごいと思ってるだけで、悪口なんて言ってないの! 常識外れの発想が度々出てくるし……ああっ、じょ、常識外れって、いい意味で、いい意味で常識がないというか!」

「……いや、だから悪口を言っているとは思っていないぞ」

「ち、違うんですっ! 本当、信じてください!」


 ええ……。イユリはひとりで慌て出し、半泣きになる。


「ま、マスター……助けて、マスター……」

「い、いや、大丈夫だから。ふたりで楽しそうにしていたのは見てたし、イユリが人の悪口を言うとは思っていないからな。な、大丈夫だ」


 半泣きになってマスターを求め始めたイユリを慰めながら、ガラスを拾い終える。

 この子、情緒が不安定すぎる。


 戻ってきたカルアに「何泣かしているんですか」とばかりに冷めた目で見られるが、完全に誤解だ。


「うう……カルちゃん、ごめんね……」

「いいんですよ。どうしたんですか? この変態さんに変なことをされたんですか?」


 イユリは首を横に振る。良かった、誤解は解けそうだ。


「ううん、そうじゃないの。変態さんは関係ないの」

「えっ、俺、何もしてないのに変態さん呼びされてるのか?」

「あ……ご、ごめんなさい……。そんなつもりはなかったんです……」

「ランドロスさん……何またいじめてるんですか、可哀想じゃないですか」

「ええ……変態さん呼びされたのは俺なんだが……」


 理不尽な……。カルアは俺にする乱暴な頭の撫で方ではない優しげな手つきでイユリを撫でる。


「カルちゃん……」

「大丈夫ですよ。悪気がないのは分かってますよ」


 ……いや、ハーフとは言えど、エルフの血を引いているんだから、俺達よりも遥かに歳上だよな。なんでカルアに甘えているんだ。

 ……エルフというのはそういう種族なのか? 歳下の女の子に甘えるのが好きとか、そんな性癖を種族全体で拗らせている種族なのか……?


「いや、別に俺も怒ってはないけどな。変態呼ばわりは慣れたものだし」


 ……慣れたくはなかったな。変態と呼ばれるの。


 カルアの持ってきた布で濡れた床を拭く。

 俺にもあんな風に優しく撫でてくれればいいのにと、恨めしくふたりを見ていると、イユリはびくりと俺の方を見る。


「……ええっと、まぁ……ちょっとさっきの瓶の話を聞いてもいいか? あれも空間魔法だよな」

「あ、はい。そうですね。ちょっと椅子を持ってきますね」


 カルアは近くにある椅子を持ってきて俺の前に座る。昨日のことがあって非常に気恥ずかしく、思わず真っ直ぐ見ることが出来ずにいると、カルアは不思議そうに俺の方を見ながら説明を始める。


「まず、こちらのイユリさんは他者の魔法を書き換えて乗っ取る【ハッキング】という特殊な魔法技術を持った天才魔法使いなんです」

「そ、そんな、天才だなんて……。そんなこと……あるかもだけど、えへへ」

「当然書き換えるには他の魔法を知る必要がありまして、まぁ魔法技術全般における専門家ですね。空間魔法の知識もありますし素晴らしいです」

「えへへ……迷宮の術式を見てたらちょっと知っただけだよ」


 イユリは大分機嫌を取り戻してくる。

 それにしても……すごい技術ではある。極小規模、簡易的にとは言えど、個人で迷宮の一部を再現したということだ。


 カルアの言う救世にかなり近づいているように思える。


「まぁ、当面の問題としては空間魔法の魔力がないと発動出来ないことなんですよね。ちょっとずつは魔力も漏れていきますし。まだまだ実用段階ではないです」

「空間魔法の魔力がなくても発動出来るように出来るのか?」

「現段階の技術では絶対に無理なので、当面はランドロスさんの魔力を使って発動する感じにはなりますね。他の供給元がないですし。でも、いつかは出来るはずです。だって、迷宮はそれが出来ていますから。まさか、あれだけの施設を人力で魔力を発生させているとは思えませんからね。何かしらの技術で、空間魔法の魔力を生み出しているようです」


 カルアの言葉にイユリはこくこくと頷く。


「じ、実現出来たら、ちょっとした大きさの鞄で沢山の荷物が運べるようになるの。便利そうだよね?」

「……俺はそもそも荷物を持つ必要がないしな。それにさっきの瓶の感じだと、重さは変わらないんだろ?」

「あ、あぅ……」

「こら、ランドロスさん、イユリさんをいじめないでください」

「いや、いじめてないだろ……」


 イユリのメンタルが弱すぎる。

 まぁ色々と便利なのは分かったし、革新的な技術なのだろう。

 カルアに慰められているイユリに嫉妬の目を向けつつ、俺の方の本題に入る。


「俺も新しい魔法を身につけたいんだが、どうにも魔法の理論とかが不得手でな。教えてもらいたいんだが……」

「えっ、あっ、いいよ。私も、空間魔法の実験はしたかったから」


 イユリはこくこくと頷いて俺の頼みをあっさりと受諾した。

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