第42話

 迷宮探索自体は非常に楽なものだ。

 メレクは道を熟知していてついていくだけでいい。が……体力に欠けているカルアは早くもバテていた。


「うう……私が体力ないわけじゃないです。そもそも、半日歩いて戻ってきてやっとお風呂に入って休めると思ったら、次の瞬間には迷宮ですよ。迷宮。幾ら荷物がないと言っても、普通にキツイです」

「……まぁ、まだ6階層だが……そろそろ休憩にするか。次の階層は水場だから休憩には向かないしな」


 カルアは草原の上にへなへなーと倒れ込み、俺に手を伸ばして何かを要求する。

 仕方なく水を渡すと、カルアは美味そうにこきゅこきゅと音を立てて飲み、ぷはぁっと息を吐く。


 貴族のお姫様という話はどこに行ったのだろうかという様子である。


 四人だけなので適当に座れそうな丸太を幾つか出して布をかけ、座る場所を作る。


「ランドロスのそれ、本当に便利だな。魔法使えねえから羨ましい。あー、一応、お前らは新入りだからネネのことはあまり知らないだろ。紹介しとくな」

「時々天井に潜んでる奴だろ?」

「あ、気が付いてたのか」

「マスターに甘えていると殺気を飛ばしてくるな」


 俺がそう言うと、黒づくめの少女は口元を隠しながら頷く。


「我も知ってる。ヒモとアホだ」

「アホじゃない」

「ヒモじゃないですよ! あれです、パトロンみたいなものですから、ランドロスさんは!」


 ネネは「ふん」と鼻を鳴らして離れた場所に座る。


「む、むきー! むきーですよ! 言い訳すら聞きやしないですよ!! あの子!!」

「……言い訳って自覚あったんだな」

「もう怒りましたからねっ! プンスカしてますからねっ! ランドロスさん! チョコください、チョコ!」

「……いや、全部子供にあげたから」

「押し付けられた荷物にありましたよ」


 よく覚えてるな。などと思いながら押し付けられた荷物を取り出し、そこからチョコレートを見つけて手渡す。


 ヒモ……ではなくカルアがもしゃもしゃとチョコレートをやけ食いしていると、メレクが寄ってきて溜息を吐く。


「おいおい、仲良くしろよ」

「いーや、許せないですね。見てくださいあのふてぶてしい態度、ランドロスさんがアホアホ言われるのは構わないですけど、私は私をヒモと呼ぶ人は許せないです」

「……カルア、そういうところだぞ」

「ランドロスさんはうるさいです。食べ物を寄越せですよ!」


 そういうところだぞ……。

 プンスカしたまま、カルアはメモを取っていく。どうやら迷宮の研究らしいが、やっと文字が読めるようになった程度の俺ではわからないような複雑な文法で知らない単語や謎の記号を書きまくっていた。


「こんちくちょうめ、ですよ」

「……カルア、語尾にですます付けていたらお嬢様になると勘違いしてないか?」

「私がお嬢様なので、私のしゃべった言葉がお嬢様言葉です! こんちくちょうめはお嬢様っぽい発言です!」


 その理屈はどうなのだろうか。

 それにしてもよっぽどヒモと呼ばれたのが嫌だったのだろう。俺としては、カルアはまだまだ幼い年齢なので養ってやるぐらいは全然構わないのだが……カルアのプライドに触れてしまったらしい。


 なけなしのお嬢様感を全て捨ててしまっている。


「おほん、それにしても……本当に迷宮の中は日が沈まないんですね」

「ん? ああ、まぁ一応は室内ってことなんじゃないか? ただ光の魔道具か何かの照明があるってだけだと思うが」


 俺が言うと、カルアは「やれやれですよ」と首を横に振る。


「見てください。これを」

「……草だな」

「一日中光が当たってるのに、乾いて枯れてないんですよ? 雨が降るわけでもないのに土は湿気ています。本来なら自然環境があって、雨があって昼があって夜があって、季節があって、やっと植物は育つんです」

「……まぁ、魔物とかも餌とか足りないのにいるから、そういうものなんじゃないか?」


 カルアは俺に隣に座るように、隣をパンパンと叩く。

 仕方なく横に座ると、カルアは紙に絵を描いて植物の生態を説明していく。


「それで、この草は普通に塔の外でも生育している草なんです。本来なら結構な周期で世代が入れ替わるはずで、雨が降らないこの塔の内部では結構な枯れ草が残っているのが普通なんです。意味が分かりますか?」

「いや、ちょっとな」

「この塔は魔物だけでなく、植物などの普通の生き物を自在に育てる技術を持っているんです。それを解明、することが出来たら、野菜を安定して生み出すことが出来るわけなんです」

「……野菜か」

「この世から飢えを無くせるかもしれないです」


 それはすごい研究だな。と、俺が頷くと、カルアは深くこくこくと頷いた。


「つまりですね、私は働いていないヒモではないのです。立派な研究者なのです」

「……気にしすぎだろ」


 それだけ言ってから、カルアは大きく欠伸をした。


「んぅ、眠くなってきました。迷宮の中だから明るいのに、眠たいというのは不思議な感じですね」

「テント張るから、その中で寝てろ」


 いつものように長槍を突き刺して、それを支柱にして布を貼る。空の太陽に似た光のことを思うとこれだけではまだ中が明るくて眠りにくいかと思って二重にする。


「メレクとネネも寝るか? 見張りならするぞ」

「……いや、お前も眠たそうだし、ゆっくりしとけ」

「そうか?」


 もう一つテントを張ろうとしたとき、眠たそうにしているカルアが、青い目をこすりながら、ちょんと俺の服の裾を引いていた。


「ランドロスさんも、寝ましょう」


 ……まぁ、もう一つ用意するのも面倒なので別にいいか。孤児院でも散々一緒に寝た仲だしな。

 テントの布を持ち上げてカルアを中に入れて、俺も続いて中に入り、布を下ろす。


 二枚も布を重ねたからか、太陽に似た光は太陽よりかは明るくなかったのか、ほんの少し薄暗い。


 あまり時間を無駄にしてもメレクに悪いかと思い、そのまま横になると、カルアが俺のすぐ隣に寝転がった。


 少し汗の混じった少女の匂いがする。不思議なもので、男のものとは違って、汗なのに変な臭さはない。


「……結構、汗もかいたな」

「えっ、あ、汗臭かったですか?」

「いや、臭くはない。俺は汗臭いだろ。そんなに寄っていたら」

「少し肌寒いですから、これぐらいの方がいいんです。それに臭くはないですよ?」


 カルアは不思議そうに俺の首元に顔を近づけて鼻をクンクンと鳴らす。

 カルアの息のこそばゆさに少し身をよじって逃げようとするが、カルアは俺の身体を掴んでそれを止める。


「いや、汗はかいてるから臭いだろ」

「汗の匂いはしますけど、全然臭くはないですよ? どっちかと言うといい匂いです」


 自分の腕を近づけて匂ってみるが、あまりいい匂いとは思えない。隣から感じる汗の匂いは良く感じるのだが。


「私の汗はやな匂いなのに、不思議ですね。……人種の違いでしょうか?」

「いや、カルアのは不快感がないぞ」

「ええ……変な趣味持ってます? 変な匂い好きみたいな」

「ねえよ」


 カルアは再びクンクンと鼻を鳴らしたあと、寝転んでこっちを見たまま薄桃色の唇を開く。


「あ、もしかしたら程度の仮説なんですけど、異性だからじゃないです? ほら、異性同士って子供を作るためにくっつく必要があるじゃないですか。なのに匂いが気になったらくっつけないので…………」


 そう言ってからカルアは顔を赤くする。


「や、ち、違いますからね? 今は、その、そういうことをするためにくっついているのではなく、あくまでも、暖のためですからっ! 生物的にそういう風にいい匂いと感じているだけですからっ!」


 ……いや、そんな話をされたら流石に俺でも気まずいのだが……。

 思わずカルアの胸の膨らみや、柔らかそうなスカートから伸びる白い脚を見てしまう。


「ね、寝ましょう」

「あ、ああ、そうだな」


 変な気を起こさないように、何も気にしないように目を閉じた。

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