第34話
私はロクな人間と出会うことがなかった可哀想な人間である。だから、仕方ない。
ギシギシとベッドの軋む音が鳴る。
目の前の男の名前はなんだったろうか、と思案しながら、まぶたの裏に映るのは半魔族の穢らわしい男だ。
完全に油断しきった男の表情。武装もしていないその姿は、私の貧弱な攻撃魔法でも簡単に倒せそうに思えた。
今、私が突然この男を撃ったらどうなるのだろうか。火炎の魔法を放ち、顔を焼いてみれば……どんな反応をするのだろう。
行為には優越感がある。
決して色事に夢中になるということはないが、目の前で男が無防備な姿を晒すのは面白いし……そんな間抜けを愛する女が家で男を待っていると思えば、尚更に愉快で仕方ない。
私はいつも父の言うことを聞いていた。厳格な父のフリをした、隠れて信者を手篭めにするような人間の言うことをだ。
それの命令で勇者シユウと共に旅をすることになったと思ったら……今度は勇者の命令に従う日々だった。
男の息が荒くなる。熱の篭った息が頰にかかる。
女の私は男に従うしか許されないのだろう。そう思っていたから、勇者の命令に従って愛想を振りまいた。
けれど、そんな中にも楽しみがあった。
こういう……男の人が間抜けな顔を晒して必死になりながら、隙だらけの姿を晒すときだけは、強い強い優越感があった。
だから……だ。あの男、私に興味すら持たなかったあの男は許さない。
ズタズタに引き裂かれた姿を見るのは、これをも超えるような悦びだった。
思わず口から声が漏れ出る。
「ランドロス……。ランドロス」
目の前の男が不快げな顔を浮かべる。暴れるような男を指先で宥める。
──ああ、でも、まだ、満足出来ない。
勇者の妻で、英雄のひとりで、教会でも有力な力を得て、やっと父親の命令にも、勇者の命令にも、従わなくて良い立場になった。
だが、あの目を忘れられない。私を見下す、あの紅い目を忘れることが出来ない。
……ああ、そうだ。あの孤児院を襲わせてもっと壊してやろう。資金と土地を奪うだけでは足りない。もっとめちゃくちゃにするところを見てやる。
そうしたら、あの紅い魔族の、見透かしたような冷めた目を忘れられる気がする。
◇◆◇◆◇◆◇
平和だな。……戦えなくなったらギルドで子供の面倒を見て生活するのもいいかもしれない。
こういう孤児院の運営は俺には無理だろうが、それぐらいなら出来るようになるかもしれない。
そんなことを思いながら座っていると、背後からやってきたカルアに頭を触られて「わーすーれーろー」と言いながらグシャグシャと頭を撫でられる。
そんなことをされたら余計に忘れられないだろ。
子供も真似をして俺に「わーすーれーろー」と言って頭をグシャグシャにしていく。子供同士でもわーきゃー言いながらやりあっているし、謎の文化が発生してしまった。
そろそろ商人の荷物も少なくなってきたので、明日辺りには出ることになるかもしれない。
「……離れる前に、もう一度好きと言いたいな」
俺がポツリとそう言うと、カルアはつまらなさそうに俺に言う。
「やめといた方がいいですよ。あまりにもしつこいと嫌われますよ」
「……やっぱりそうか……俺はただ、想いを伝えたいだけなんだが」
「フラれた相手にいつまでも付き纏うというのはよくないですよ。……他の人に目を向けるといいです」
「他なんていない」
「……いますよ。その……例えば……い、院長先生とか、です!」
「……なんで院長先生を推されてるんだ」
もはやおばあさんの年齢の女性だろうに……多分三倍は年齢が違う。
「それなら、まだカルア……」
そう言おうとした口を、思わず閉じてしまう。……いや、ただの雑談の中の軽口にそんな深く考える必要は……などと考えていると、カルアは白い髪を揺らすようにコテリと首を傾げた。
「どうかなされました?」
「……何でもない」
俺が誤魔化すように立ち上がったその時だった。
玄関の方から轟音が響く。
一体何が起きたのかと駆けつけると、扉が大きな斧によって破壊されていた。
「……は?」
俺が思わず声を上げると、破壊した人物であろう大男が斧を担ぎながら、俺に言う。
「金を出せ」
後ろにも数人の男が控えているのが見えた。
「……お前、ここを教会の孤児院と知ってのことか?」
「あん、当たり前だろ。俺達の寄付で豪遊してんのも知ってんだよ。ほら、金を返してもらおうか。俺はガキに遊ぶ金を渡すために寄付したんじゃねえんだよ!」
「……寄付? ここの孤児院は資金不足で、遊ぶどころか今日食う飯にすらも困っている有様だったんだぞ。何を言って……」
「ゴチャゴチャとうっせえんだよ!! 金を出さねえってんなら、ガキども全員ぶっ殺してやってもいいんだぞ!!」
話が通じない。いや、元々略奪するのが目的なのだったら話が通じるはずもないか。
だが、普通は金がないような孤児院を襲うのは……俺が寄付をしたからか?
半魔族である俺の正体がバレるのは不味い。衛兵にやってこられるのを考えると揉めるのはまずいと思ったが……背後に子供の気配を感じる。
男の荒い吐息、滲み出る殺気に……頭の中が斬り変わる。追い返して、俺がいないときに再びやってきたらどうなる。
……やるしかない。
空間魔法により剣を取り出す。男達は七人だけ。俺ならば容易に殺せる人数だ。
一瞬で血が出る前に殺して、死体は空間魔法で隠す。そのあと、ノアの塔で魔物にでも食わせればいい。
頭の中で算段がついたその時だった。
背後から、カルアの声が聞こえた。
「──
男の喉を斬り裂こうとした刃を止めて、大男の斧にぶつけて斧を弾き飛ばす。
違う? 何がだ。俺の隣を通り抜けようとした男達の脚を斬って止めると、外にいた男がナイフのような刃物を投擲する。
それは俺を狙うものではなく……背後のカルアを狙ったものだった。
「……カルアに、手を出すな」
ナイフを空中で掴み取る。刃物を握り込んだ手から血が出てくるが、構うものか。
ナイフを投げた男が焦り、手に持っていた武器を落とす。
「一体こんな男に何を手間取って!」
大男が周りの男から剣を奪って俺に振り下ろすが、俺はその手首の腱を斬り裂いて男を止める。
「ランドロスさん! その人達、ゴロツキの強盗じゃないです! ……だって……その人、軽鎧の日焼けの跡があります! 国か貴族か、それとも教会かは分からないですけど、正規の騎士です!」
「……は……はあ!?」
手に幾つもの投げナイフを呼び出し、男達に向かって投げつける。それを防ぐ隙にメイスを取り出し勢いよく振るってガードの上から吹き飛ばしてぶっ倒していく。
一瞬で制圧は終わったが……だが、一体どういうことだと言うのだ。……本物の騎士が、身分を隠して孤児院を襲うなんて。
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