第29話

 いい答えが出るわけがない。

 ここの孤児院だけを助けて他の孤児達を見捨てる……などと、簡単に出せる答えではない。

 だからといって、別の選択肢があるわけでもない。


 ……カルアは俺よりも賢いが、それでも答えは出ないのか、ベッドにゴロゴロと転がって唸っていた。


「全部助けるのは無茶です。何をするにしてもお金も人手も権力も足りないです」

「……やっぱり、諦めるしかないのか」


 俺達の考えが行き詰まっていると、扉が勢いよく開く。見れば商人が艶々とした顔で俺の方を見ていた。


「……おい、商人。お前な……お前に渡した金が丸々この孤児院に入っていたんだが、どういうつもりだ」

「ん? ああ、バレましたか。いやぁ、実はアタシはとても良い善人でしてね、ちょっとばかり慈善事業もしようと」

「……なら、始めからそう言えよ」

「まぁ、別に得がないというわけではないんですよね。一時的に利子もなく元手が増えて商品や設備を買い揃えてから売ってから寄付をしているので、アタシに取っても利益は出ていますからね。お気になさらず」

「……誤魔化そうとしていないか?」

「いえいえ、アタシ達は大親友でしょうに。疑われるなんて心外ですよ」


 怪しいな……。いや、なんでコイツが善人で、それを隠そうとしているなんて疑っているんだ。

 ……いやしかし、別に儲けが出たからといってこの孤児院にその一部を渡す意味なんてないよな。


「ところで、次の分も出してくださいよ旦那。ドンドン売っていきたいんで。馬車ならすぐそこに止めてますから」


 商人に言われて部屋から出て、孤児院の敷地内に止めてある馬車の中に商品を入れる。


「いやぁ、助かります」

「……楽しそうだな」

「そりゃあ楽しいですよ。お金が増えると気分がいいですね!」


 意気揚々と出ていこうとした商人を、思わず引き留める。


「おい、商人」

「どうかしました? 旦那」


 何故引き留めたのか。自分でもそれが分からず、ぐるぐると頭を回す。

 何故か思い出すのは、勇者達のことだった。信用しようとしたかったが、信用出来ず、結局は裏切られて殺されかけた。


 もし、俺が心を開いていたら……本当に仲間になろうとしていたら、何か変わっていたのだろうか。


 俺は、この男を信用したいのかもしれない。


「……なんで、金を集めているんだ? 何か買いたい物でもあるのか?」

「何故……ですか。まぁ、基本的に金が大好きな商人にそれを聞くのは愚問だとは思いますよ。むしろ、金に興味がなく、贅沢にも楽にも、何にも興味を持たず、人を助けられる物としか金を見ていないランドロスの旦那の方が珍しいと思います」


 商人は顎を押さえて首を傾げる。


「まぁ、そうですね。あえて言うとしたらですね……。領主っているじゃないですか、アレに頭を下げさせたいんですよね」

「……頭を下げさせたい?」

「知ってます? 金を持っている商人には、貴族だって頭を下げて物を売ってくれ、金を貸してくれ、と頼むんですよ。アタシの父親をね、見殺しにした領主に頭を下げさせて、その頭の上に金を乗せてやるんですよ。二度と頭が上がらなくなるぐらいのね」


 商人はいつものニマニマ、ニヤニヤとした笑みではない……酷く攻撃的な、強い憎しみを感じさせる笑顔を浮かべた。


「……と、自分の話なんて商人として恥ずべきことでしたね。まったく、アタシというのは商才に欠けている。まぁ、何にせよ、儲けるために動いているので、アタシのことは気にしなくてもいいですよ。いつも通り「おい、商人」とでも呼んでいただければ」


 一瞬だけ垣間見えた商人の本音。俺は引き留めるのをやめて、商人が馬車を動かすのを見ていた。

 もう暗くなるというのに……よく働く男だ。


 振り返って部屋に戻ろうとすると、足元に小さな子供がいることに気がつく。


「おにーさん、こんにちは」

「……ああ、こんにちは」

「お姉ちゃんの友達さんですか?」

「お姉ちゃん? ああ、シャルのことか……まぁ、そうだな。友達になりたいとは思っている」


 こんなところまで出てきて大丈夫なのだろうか。抱き上げて運んだ方がいいか? ……いや、でも、ちょっとな……力加減を間違えて怪我をさせるかもしれない。


 そう思っていると、子供は俺のズボンをギュッと握る。


 どうしよう……下手に脚を動かしたら転けるかもしれないし、抱き上げたら力加減を間違えてしまうかもしれない。

 掴んだまま不思議そうに俺を見上げて全然動かないし、何も話しかけてこない。


 どうすることも出来ずに膠着していると、慌てた様子で部屋から出てきたシャルが、俺の足元にいた子供を見てホッと息を吐く。


「良かった……。面倒を見ていてくださったんですね」

「いや、たまたま会っただけで……」

「あ、よかったら抱っこしてあげてください。ほら、チョコレートをくれたお兄ちゃんですよ」

「い、いや、俺は……そういうのは苦手で……」


 シャルはヒョイっと子供を持ち上げて、俺の方に預けようとする。

 どうにも慣れないというか……とてもではないが、こんな武器ばかり握ってきた手で、小さな弱そうな人間を抱くなんて……。


 これは恐怖の感情と知りつつ「ありがとー」と言って温和に笑う子供に無理矢理作った笑顔を返す。


「大丈夫ですよ、ね?」


 俺に伸ばされた小さな手が、俺の指を摘まむ。小さい、柔らかい、暖かい……生きてる。


「生きてる……」

「そりゃそうですよ。えへへ」


 こんなに小さくて弱そうなのに、生きている。息をしているし、熱を発していて、笑っている。


 シャルに手を動かされて、小さな子供を抱かされる。


「……ご飯が、なかったんです。かびたパンをみんなで一欠片ずつ分け合っていたんです。小さな子には少し多めにあげるんですけど、でも、やっぱり足りなくて、かびているから、食べすぎてもお腹を壊して死んでしまいます」

「……ああ」

「生きています。全部、ランドロスさんのおかげです。だから、名前を呼んであげてください。ナミちゃんです」


 小さくて軽いけど、思ったよりも大きくて重い。柔らかくて脆そうなのに、思ったよりも動く力は強くてヒヤヒヤとする。

 落とさないように地面にしゃがみ込むと、子供の手が俺の鼻を握った。


「……ナミ、ちゃん」

「ふへへ、変なかおー」

「……はは、まぁ、こんなの付けてるしな」


 俺は自分の顔に付いている布を意識しながらそう言った。

 ああ、これはきっと、院長の策略なのだろう。俺と子供を触れ合わせて情を湧かせて……逃がさないようにするためだろう。


 分かっている。分かっていた。……けれど、その策略に気が付いたところで、その掌の上で踊らないという選択肢は消えていた。


 こんな子供を見捨てられるはずがない。


「えへへ、ランドロスさんがいてくれて良かったです。最初は怖かったんですけど」

「えっ……俺、怖かったのか?」

「そりゃそうですよ。めちゃくちゃ大金を押しつけてくるんですから。「どういうことなんだー」って院長先生とふたりでパニックでしたよ」


 シャルは俺が抱いていた子供を抱き上げて、嬉しそうに笑みを浮かべる。


「他の子供達も見てあげてください。みんな、ランドロスさんにお礼を言いたがっていますから」

「……俺は、元々シャルだけを助けようと思っていた」

「……キッカケなんて、些細なものですよ。僕は両親がいなくなったからですし、院長先生はミスをして飛ばされてきたそうです。初めて会った瞬間に「大好き」なんて思いません」


 罪悪感から目を背けると、シャルは片手で抱っこしたまま俺の手を引く。


「僕も初めて……ではないですけど、二回目森で会った時は、ちょっと怖かったです。でも、今は違います。ランドロスさんも、この子を知って、知らない時と同じようには思わなくなるのは、当然なんです」

「……そういうものか?」

「そういうものです。ね?」


 俺はシャルに手を引かれて、他の孤児達の元に向かわされた。

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