第12話
俺は……勇者が怖いのか?
ベッドに倒れ込みながら頭の中で繰り返し問う。
勇者は……俺よりも弱い。他の三人も同様で、四人合わさっても俺に勝てない程度の戦力しかないだろう。
だが……戦力の話ではない。
一年の旅の記憶と、裏切られた深く辛い過去が「お前に幸せになる権利などない」そう言ってくるようだった。
苦しい息を吐き出して、シャルの写真を取り出してそれを見る。いつも彼女のことを思って耐えてきた。だから、今日も大丈夫だ。
俺は優しくされたことがある。その思い出があれば、生きていける。
そう考えていると、扉がギィ……と音を立てて開き、カチャリと鍵が締められる。
そちらに目を向けると、灰色の髪の少女が不安そうな顔をして俺を見つめていた。
薄手の黒いワンピース。丈は短く、白く細い太ももが見えていた。
そんな男の部屋に一人で上がり込むなんて警戒心がなさすぎるだろう。
……それも俺のような半魔なのだから、尚更だ。
そう思っていると、マスターは小さくコテリと首を傾げた。
「……大丈夫?」
「……少し疲れただけだ」
トテトテと歩いてこちらにくるマスターはベッドに寝転がる俺に顔を近づけて、額を触って体温を確かめたあと、そのまま俺の手を握る。
「……手、冷たいね」
両手がふにふにと握られる。
俺の手を温めるためにか、ベッドの縁に腰掛けたマスターのふとももの上に乗せられた。
すべすべしていて柔らかい。……思えば、女性の肌に触れたことなんて初めてだ。
「……別に大丈夫だ」
マスターは小さく首を縦に振って頷く。薄桃色の形の良い唇が小さく開いた。
「君は……うん、確かに大丈夫なんだと思うよ。でも、私は心配で食事も喉を通らないから……こうしていてもいいかな」
「……好きにしたらいい」
お人好しもすぎるだろう。
マスターは冷え切った俺の身体を温めるように、ベッドの上で少女は俺に寄り添う。人肌の温もりなんて……母とシャルしか与えてくれなかった。
とくり、とくり、静かに鳴る少女の心音が心地良く、いつの間にか落ち着いてきている自分に気がつく。
「……俺が、怖くないのか?」
「怖くないよ」
「半分は魔族だぞ。それに、君よりもよほど強い。俺が手に力を込めれば、触れさせてくれている脚なんて簡単に千切れる」
「千切ってないじゃないか」
俺のことを一欠片たりとも疑っていない少女の眼。……優しげで、甘く柔らかい視線だ。どうしても母やシャルを思い出す。
その優しさに応えたいと知らず知らずのうちに思っていた。
「……俺のことを、話せばいいのか?」
「ううん。でも、話してくれるなら、嬉しいかな」
元は話すつもりなど一つもなかった。
けれど、ぬるい篭った空気のせいか、少女と俺の匂いが混じっているせいか、少女の身体が暖かくて柔らかいからか。
いつの間にか口を開いていた。喉が震えていた。
「……勇者シユウは、俺のかつての仲間だ」
「……へ?」
マスターは口を開けて、年相応の驚いた表情を見せる。
「仲間って……勇者と? えっと……ええっと、名前が出てこない……し、し……シユウ?」
「……ああ。勇者シユウ、重戦士グラン、魔法使いレンカ、僧侶ルーナ。……俺は、魔王を殺すための勇者パーティの仲間だった」
「……あの男は、大の他種属嫌いと聞いているけど」
「利用されただけだ。俺はある事情から、どうしても金が欲しくてな。……同行していた」
話しているうちに胸の奥がじくじくと痛む。
勇者に突き刺された聖剣の傷跡が嫌に痛んだ。マスターはそんな俺の手をギュッと握る。
どうして、この人はこんなに簡単に俺の痛みに気がつくのだろう。
「……そして、魔王を殺したところで……襲われ、全てを奪われた」
少女はベッドの上で立ち上がって、俺を押し倒すようにしてギュッと抱きしめる。柔らかく暖かい感触と、甘い匂いが心地良い。
「辛かったんだね」
「……ああ」
「ごめんね。勇者なんて、あの場では言うべきじゃない不用意な言葉だった」
「いや……そんなトラウマ、知るはずもないだろ」
「それでもだよ。……大丈夫。私はずっと君の味方だから、何があっても裏切らないから」
……エルフのミエナが、明らかに年下である彼女に懐き、甘えている理由が分かった。
この人は俺を裏切らないと、受け入れてくれると、心底そう信じさせてくれる。
「……今日は、こうやってゆっくりと過ごそう。大丈夫だから、大丈夫だから」
よしよしと頭を撫でられて、いつの間にか、少女の胸の中で眠っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めると、少女の温もりを感じる。
小動物のように丸まって、すーすーと寝息を立てている少女を見て、今になって心臓がドクドクと鳴る。
シャル一筋、俺はシャル一筋だから。そう思いながらも、マスターから目が離せなくなっていた。
魔性の女である。いつの間にか心を許していた。一年間一緒にいた勇者達相手にも寝ているところなんて見せたことがないのに……無防備に、それこそ一人でいる時よりも警戒せずに眠りこけていた。
……可愛いな。髪もサラサラで綺麗だ。
思わず頭を撫でると、マスターはピクリと身体を動かして小さく目を開く。
「んぅ……? おはよー。えへへ、朝から君の顔を見れるのはラッキーだ」
「……お、おはようございます」
何故俺は敬語を使っているのだろうか。
けれど、どうにもただの少女とは見ることが出来ない。
マスターは寝ていたことで少しだけよれていたワンピースを直していきながら、えへへと浮ついた笑みを浮かべた。
「あ、今どれぐらいだろ。……あ、朝日だ。そこまで眠りこけていなかったかな。……いや、夕方からだからすごく寝てたね」
「……そうですね」
「んぅ、敬語なんていいよ。あ、それより、メレクとミエナの二人もすごく心配してたから声を掛けてあげてね」
「……俺のために色々してくれていたのに、悪いことをした」
「いいんだよ。仲間なんだから、迷惑をかけて、困らせて」
そんなものだろうか。
勇者は不快なことや迷惑を感じたらすぐに怒鳴っていたし、他の三人も似たようなものだった。
それに、怒鳴られるのが嫌というわけではないが、仲間、大切な人には迷惑をかけたくないと思ってしまう。
俺が目を伏せていると、マスターは俺の頭をポンポンと撫でる。
「例えば私が困ったとしよう。そうだな……うん、病気になって、珍しい薬草が必要だとして、どうする?」
「……? そりゃ、なんとしてでも取ってくる」
「えへへ、即答されると少し照れるね。ん、おほん……それでランドロスは「迷惑だ!」とか「不快だ!」とか、怒る?」
マスターは両手の人差し指を立てて鬼のフリをして怒った真似をするが、可愛いせいで子ウサギにしか見えない。
「いや、心配はするけど……迷惑とは思わないだろうな」
「そういうことだよ。迷惑をかけられたくないなんて、思っていないよ」
「……そう、なのか?」
「うん。もちろん」
マスターはベッドの上にペタリと座り込み、コテリと首を傾げながら俺に微笑みかける。
不意に流れ出てしまいそうな目元を押さえて、俺はマスターにひとつ頼みごとをした。
「……マスターが嫌じゃなければ、俺に……言ってほしいことがあるんだ」
キョトンとした顔を浮かべたあと、得心がいったように、マスターは満面の笑顔を咲かせる。
「もちろんだよ」
あの日、マスターが俺のためにとっておいてくれた言葉。今、俺が一番ほしい言葉を、母のように優しい少女は言った。
「ようこそ、ラビリンスラットへ」
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