第3話

 放課後、沙希は健一に呼び出された。


 好きです、と言った健一の声は耳たぶの近くを素通りしていく。

 本来なら舞い上がってしまうはずのこれ以上ないくらい嬉しい言葉。


 健一の青は今までで一番、暗く濃く沙希の視界を覆っていた。


 青、青、青……。


 胸が塞がり、溺れているかのように息が苦しい。


 健一君は私のこと嫌ってる。

 バツゲームで告白しなくちゃならなくなっただけ。

 とっくにわかっちょぉよ、そんなこと。


 青が纏わりついてくる錯覚を覚える。

 沙希の存在が削り取られていくような、生きてる価値もないような気さえしてくる。

 私、今まで、健一君に恋、してたんだなあ。


 ――断らなきゃ。


 でも、どんな理由で?

 ただの悪ふざけなんでしょ、と突き付けてその後は?


 足が竦んでいた。

 結局沙希が考えさせてください、とか細く息を吐いただけに終わった。




 一週間近く健一の告白にまともな返事ができないまま、保健委員会の集まりに参加した。

 プール開きに向けての注意や健康管理についての説明だった。


 最後に班活動でポスターを作ることになっていた。「プールでのルール・マナーを守りましょう」というものだった。


 同じ班に分けられた男子が面倒そうに口を尖らせた。


「なあ人工呼吸のやり方とかまとめたってさあ、使わんやろぉ」


「そうやなぁ」と沙希と同じ班に割り振られていた健一が相槌を打ちながら、


「まあ、けど知ってんのと知らんのとじゃ全然違うくない? 先生呼ばなきゃヤベェって気付けるかが大事なんやろうし」


「あれ、お前そういうの詳しいと?」


 少し言いづらそうに健一は頬を掻く。


「あー俺、時々父さんとダイビングに行ったりするっちゃわぁ。まあ、やから知ってる方ちゃあ知ってる方やけど」


「えっ初耳。好きやっちゃ? ダイビング」


 健一は始め口ごもったが、段々と楽しそうな口ぶりになっていった。


 その様子を見ていた沙希はいつの間にか右手で喉をつまんで、ぐっと力を込めていた。




 昼休み。快晴と呼んでいい清々しい空。


 今回は沙希の方から健一を校舎裏に呼び出した。


「最初に訊いていい? 健一君が私に告白してくれたのはさ、ゲームに負けたペナルティ、やからやと?」


「えっ! 何で……!」


 健一はあわあわと狼狽し、


「違う! 違うって! 俺、ほんとに佐藤さんのこと……」


 言葉を詰まらせて辛そうに黙る。

 沙希が責めるでもなく待ち続けると、


「俺は佐藤さんのこと最初に会った時から好きで、あの時は反射的に嫌って言ったけどバツゲームみたいになって告白するのは嫌って意味で。あっでもたぶん、あんなやり方やけど、友達とかは俺を応援しようとしてくれたんやと思うから……。けどごめん、傷つけたよね……」


「うん。傷ついた」


 沙希には珍しくはっきりと断言した。

 健一は胸を抑え、ぐっとよろめいた。


「……ごめん、ほんとごめん……」


「うん。でもこれで傷つくってことは私、健一君のこと好きなんやと思う」


 健一が、へっと虚を突かれたように顔を上げた。


「悪ふざけで言った言葉やないっちゃなって分かったから、許すよ」


 沙希の視界から見た健一の周囲に青が広がった。


 同じ青をいつも見ていた、ダイビングについて話す時も。


 健一にとってはこの青が好きな色なのだ。楽しさや心地よさの象徴なのだ。


 本当のところ沙希には人の本音までは見えていなかったのだ。

 それどころか健一の本心を見誤っていた。


 素直に彼の表情を見て、素直に彼の言葉を聴いて、受け止めるだけでよかったのに。


 沙希はその青が優しい深海の色だと漸く認めることが出来た。





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