青
その日から、ローラは俺の前から消えた。好きだなんて言った割に、さして悲しみも惜しさも残らず、宇宙人の存在なんてなかったかのように、また退屈な日常が続いていった。
実際に交したやりとりなんてほんの少ししかない。ローラがいようがいまいが、俺は変わらないし、変われない。ひとときの非日常が楽しかったというのは本当だが、あえてそれをまた掴もうとするほど、体力と気力が有り余っているわけではないのだ。
そんな日々のひとつの区切りとなったのは、父親からの一通メールだった。
『龍一郎、七回忌だから帰ってきなさい』
挨拶も気遣いもない、要件のみを淡々と伝える内容。そのメールを見て、胃がきりきりと痛んだ。実家では散々に罵られるが、この歳まで甘えておいて逆らえるわけもない。金を出してくれるだけ十分すぎるのだ。
俺が両親から嫌われている理由は、俺がニートだからというばかりでない。むしろそちらは付属された理由で、本当は、姉貴の件なんだ。
俺より二つ年上の、六年前に亡くなった姉ちゃん。どこから受け継いだ遺伝子なのか、俺と姉弟だとは思えないほど姉貴は美しかった。それでいて文武両道で、できない事なんて何もない、完璧な人間だった。
しかし、俺は姉貴のことが苦手だった。姉貴は外面こそは良かったものの、よく裏では俺をからかった。なにもできない馬鹿なやつ、とねちねちとなじられたものだ。
十三回忌までいくと、俺はもう呼ばれないだろう。つまりこれが最後ということ。もう両親と会わなくてすむとほっとする反面、姉貴を悼まないことへの罪悪感もある。
俺が姉ちゃんを殺したんだから。六年前、両親にそう打ち明けた。二人が俺を見る目は元々冷えていたのに、まるで動物を見るかのような視線に変わる。
夢の中に出てくる姉貴は、黒い髪に重そうに水を含ませて、鋭く俺を睨む。髪の隙間から、姉ちゃんの特徴的な、体格の割には大きくて、尖ったような形をした耳が飛び出している。
霊安室で水死体を初めて見た時、まるで宇宙人のようだと思った。透き通るように白かった姉貴の肌が、ぶよぶよに膨れ上がっていた。遺族に配慮して汚れを落としていたことが姉貴の異質さを助長させているようだった。
姉ちゃんが死んだ日、俺は姉ちゃんと海水浴に行っていた。大学も卒業して社会人になったばかりだというのに、姉ちゃんはいつもまでも天真爛漫なところがあって、危ないから遠くまで行くなと何度も言ったのに、うるさい馬鹿、と俺の言うことをぴしゃりと跳ね除けた。
姉ちゃんは遠くから俺に手を振って、「龍一郎も来なよ!」と言った。その日は風が強く、いつもより波が高かった。俺は何度も「帰ってこい!」と怒鳴った。
その時、今までで一番高い波が姉ちゃんに迫り、姉ちゃんを飲み込んだ。姉ちゃんの細い体は、うねる波にあっという間に飲み込まれる。姉ちゃんは泳ぎがうまかったから、すぐに抜け出して戻ってくると思っていたのだ。まさか、まさか死ぬなんて思っていなかった。
俺は姉ちゃんのような人は少し痛い目を見なきゃわからないだろうと思って、海には入らなかった。姉ちゃんの白い腕が海面でもがいているのを見つけてようやく、まずい事になっていると気がつく。慌てて消防に電話をかけた。
電話を投げ捨て、姉ちゃんを助けに行こうと海に足を踏み入れた瞬間、恐れが全身に回って、一歩も動けなくなった。外耳に吹き込み、耳鳴りのように高く鳴り響く風の音がうるさくてたまらなかった。頭が割れそうだった。
膝から崩れ落ちて、俺はただ絶望しながら、姉ちゃんの腕が、海面から見えなくなるその瞬間まで、海を見ていた。救急隊が来てから、嘘のように風は静まる。ならしたような海は、青く、厳かに広がっている。
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