水族館をざっと一周して外に出ると、ローラは羨むように水平線を眺め、「海に行きたい」と呟いた。


海は俺の嫌いな場所だった。理由なんて知らない。生理的に受け付けないのだ。「行かねぇからな」と先手を打つと、ローラは苦笑いを浮かべた。


「リュウイチロウは海が苦手?」

「そうじゃねぇけど。行かねぇから」


ローラを置いて、駅の方へ歩き出す。駅に向かう坂道を登るにつれて、背後の波音が遠くなっていくのを感じる。


克服する気はないの? 誰かがいつか、そう言ったのを覚えている。臆病な龍一郎。このまま一生、苦手だって逃げ続けるの?



母親か知人だったような、大学の同期だったような気もする。うるせえ、と言ってやりたい。触れてくんな馬鹿。


俺の体も、俺の心も俺のものだから。他人の心に平気で土足で上がり、踏み荒らそうとする連中が許せない。それに全く気が付かずに、のうのうと生きている鈍感さに嫌気がさす。


思考は黒くけぶり、頭上で影を地面に焼きつかせるように強く照る太陽にすら、苛立ちを覚える。


「龍一郎」


思考を遮ったのは、背後から投げかけられた、まるで日本人のようなはっきりとした声だった。驚いて振り返ると、海を背後にしたローラが立っていた。


ローラはにっこりと笑って俺の手を取ると、ぐいぐいと手を引いて坂を駆け降りる。前にも誰かに、こうやって手を引いて貰っていた気がする。不思議な懐かしさを覚える。


砂浜についてから、ローラは「きれ〜!」と叫んで、波に躊躇なく向かっていった。


「おい、濡れるだろ! 帰りも電車なのに!」

「いーじゃん! リュウイチロウもおいでよ!」

「行かねぇって! 帰ろうぜ!」


ローラは聞く素振りもなく、俺に大きく手を振る。水を含んでぐっしょりと濡れた金髪を見ていると、妙に胸騒ぎがした。馬鹿女、と口の中で呟く。


靴と靴下を脱ぐと、海の中のローラを追った。腿まで海水につけたローラが俺に気がついて、ジャンプして俺に飛びついた。驚くほど軽いローラの体は簡単に受け止められたが、足を水につけていると膝が震えて堪らなかった。


こらえきれなくなって地面に膝をつくと、波が俺達にぶつかって水飛沫があがる。粒のひとつひとつが日光を反射しながらきらきらと輝いて、目がくらむ。


ローラが俺に抱きついたまま、白く、美しく笑う。


日光は海面に垂直に降り注いでいる。水面の揺らぎはそのまま影となって砂浜に映されている。俺を見つめるローラの瞳も、揺れている。


ずっと前からこうしていたような、こうしていることが自然だったかのような感覚にわっと襲われて、いっそ叫びたい程の衝動に駆られて、強く、つよくローラの体を抱き締め返した。


ローラは少し苦しそうに息を吐いて、俺の耳元で小さく囁いた。


――龍一郎。龍一郎が自分のことをどう思っているかわからないけど、私は龍一郎のことが大好きだよ。ずっと。


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