名もなき二人の契約

 彼はうなされていた。久々に眠り着くことが出来た彼の体はみるみるうちに怪我を治癒していく。治癒していくたびに彼の体は大きくなっていく。まるで、筋肉が傍聴しそのたびに繊維がちぎれる。彼は元々そこまで体格に恵まれていたわけではない。普通の男子より少しばかり小さいくらいで、平均ほどだろう。しかし、彼女の目前にいる彼は180を超え始めていた。

 彼女はずっと彼のそばにいた。

「そなたを眷属にした我を許してくれ……」

 彼はうなされながら、その言葉だけが記憶に残っていた。


 夢を見た。扉をくぐる前に見た回顧の続き。炎に包まれていくはずの建物が徐々に止まっていく。外から響いていた人々の狂気の声は徐々に魔獣の声へと変わっていく。いつしか、声は聞こえなくなった。人を守っていたはずの兵士も人を切り始める。人が人を襲い、襲われた人はさらに人を襲う。

 彼は夢の中を歩き始めた。自分の体に自由がないことをすぐに悟る。それでも、体は勝手に動いて街の中を見て回る。神に祈る女、家族を守る男、守るはずだった女性を殺した男、親を殺した子供。ありとあらゆる狂気が街を覆い尽くしていた。街はどこもかしこも火が回っている。しかし、その火が徐々に動きを止めていく。そして、灰色が支配する。そして、時が止まる。


「やあ、君が扉を開けた英雄だね」

 彼は止まった時間の中で動き回ろうとしていたら、また別の場所へと移動してた。そこで、目の前に先代の英雄が立っていた。

「ええ、色々と知る事が出来ましたし、何をしなければならないのかをしれましたよ」

「だろうね。でも、大事なところは隠した。それは、君がこれから自分で知っていかなくちゃならない。経験して、それでもなお、何かをしなければならない、何かを為さなければならない、そう考えることが出来るのならば、そのとき、君は何者かになれるだろう。ところで、君は召喚された英雄と言うことで良いのかな?」

 彼はうなずいた。

「ええ、ですが、英雄達の一人です」

「達? 一人じゃないのか。でも、ここにたどり着いたってことは、君が真の勇者なのだろうね」

 彼は首を横に振って、何が起こったのかを一つ一つ話すことにした。


「ふむ、なるほど。僕が召喚されてからかなりの時間が経っているようだね。そして、君は全てをクリアしたわけではないのか。実はね、僕が作った扉はここに至るまでに全ての困難を克服したものにのみ開くようにしたんだよ。理由は、まあ分かるね。短い時間の間に良く作れたものだよ。あれは、一世一代の錬金術と魔術の融合だったよ。これはね、そのとき作った残像。僕自身に実体はないんだけど、どうにか意識を残すことが出来てね。さて、君が聞きたいのは、どうして扉を開けられたのか、ということだね。他にもあるだろうけど、ここから話そうか。


 君は魔王が認めるような戦いを繰り広げた。誰かを助けるため、自分の威信を見せつけるためではなく、人のため。これは、英雄の、勇者の唯一無二の資質。職業なんて関係ない。勇者って言うのは、誰かがなるんじゃなくて、結果として勇者となる。僕はそう思う。僕が君のいた時間でどう表現されているかは分からない。多分だけど、一切残っていないんだろうな。もしくは悪として描かれているか、もし、まだ読んでいないなら、まあ、悪魔とか、そっち系の本の方が書いてあるかもね。

 話を戻そうか。ここまで来る中、まあ、君は見てないのだけれど、ここのダンジョンは記憶を見たのなら察していると思うけど、僕が封じた王都の跡地だ。地下深くに封印したんだけど、時間が経つにつれて、地盤が変化していき、いつしか、どこかが地上に出たのだろう。そして、誰かが散策をはじめた。世界にはこういったダンジョンはあまりないよ。むしろ、僕のようなタイプは珍しい。ダンジョン自体、その生成の過程はよく分かっていない。ここの状況を理解できていないのなら、おそらく未だに分かっていないのだろうね。


 扉を開けられたのは、君が真に英雄だから。そして、君にならこれらは語るに値する、と。僕の意志がそれを許した。つまり、君がどれだけ否定しようとも、君は英雄だよ。だからこそ、僕は君に語りかけることが出来た。これはね、夢の中だよ。でも、君は、すぐにこの夢から覚める。すると、君は彼女と行動に共にすることになる。君は拒否権を持つことなく、行動しなくてはならない。それは、覚悟の出来ていない人にはあまりにも厳しいことだ。僕はね、君に聞きたいんだ。これからいろいろな真実を知って行くにつれて、その真実を背負って、そして、責任が発生する。君はその責任を放棄することなく、背負っていけるのかい?」


 彼は、先代が語る言葉の重みに今まで以上に自分の振るう拳の重さを知らされた。自分がこれから振るう暴力にそれだけの意味が与えられるのか、自分がそれに値するのか。彼にはまだ分からなかった。しかし、一つだけ分かることはあった。それは、これから自分が正義を為していけるもっともな人間であることを。だから、彼はほとんど考えることなく、

「大丈夫ですよ。僕は、もう、死んだ身。これから何を為そうとも、それは全て正義の、いや、僕の正義のため。無意味に誰も殺させはしない。僕は世界を救うさ。それが、あんたの願いだろ?」

「その通りだ。救って欲しい。英雄として召喚された人間の義務だから。でも、どうして?」

「今更ですよ。否応なく色々見せられて、その上で嫌だ、なんて言えませんよ。そういう妥協を除いても、それが帰る近道だと思ったからですよ。まあ、今の状態ではさらなる強敵には勝てないでしょうからなんとかしないといけませんが、まあ、なんとかしますよ」

 先代は腕を組んでうんうんと頷いて聞く。

「君にこれからのことを託してどうやら正解のようだね。じゃあ、伝えることは伝えたから、あとは、彼女と頑張れ。じゃあな」

 たったこれだけ、これだけを伝えたあと、枯れ野からだが光に包まれ、先代の体は透明になっていく。ふわっと体が浮いたと思ったら、意識が闇の奥底へと誘われ、そして、目覚める。


 暖炉の火がパチパチと音を立てている。温かい。ゆらゆらと揺れる火を見てどこか安心感さえ覚える。そして徐々に感覚が戻っていくにつれて、頭がさえていくが、自分が何処にいるのかがいまいち予想がつかない。体の痛みは一切なかったが、どうにも服のサイズが合っていない。足が半ズボンのようい小さかった。彼はゆっくりと体を起こし周りを確認するとそこが暖炉のある小部屋であることが分かった。体中に包帯が巻かれていたが、傷を感じない。むしろ、包帯の下にある、自分の筋肉の方に見入ってしまう。ここまでごつくはなかった。訓練の過程で筋肉がある程度ついたが、それでも、こんなに大きくはなかった。筋肉だけではない。体格も全体的に大きくなり、あちこちが小さく見えてしまう。


 すると、急激な飢餓感に襲われた。意識がままならないほどの飢餓感が彼を襲い、何か食べ物はないのかと探し回ろうとしたが、一切体に力が入らなかった。魔力を使って体を無理矢理動かすことも考えたがその集中力がなかった。するとちょうど、後方からガチャッと音がなって、コツコツとヒールとおぼしき足音を鳴らしながら誰かが入ってくる。それが誰であったかはすぐに分かった。あの、美しい女性だ。がさっと、机の上に置くと、ゆっくりと彼の方に近づいてくる。

 彼はどういうわけか狸寝入りをしてしまった。

「お前様、まだ起きぬのか……」

 彼女は小さな声でぼそっと呟いた。その声色があまりにも美しい。彼女は何処をとっても美しかった。彼女は、ゆっくりと近づいて、膝をついて、彼の頭を自分の太ももに乗せる。彼は、起き上がるタイミングを逃し、膝枕の状態で彼女と目が宇。

「なんと、眠ったふりをしておったのか! わしが目の前で心配してたのを振りをしながら聞いておるとは、なんと無礼な!」

 初めての会話がこれとは彼も思っていもいなかった。彼はそれに対して何も帰さなかった。このコミュ障のおかげでここから沈黙が続いた。この沈黙があまりにも痛い。

「え、えっとー、まあ、ありがとう?」

 彼は何に対してかは一切分からないが、感謝の意を述べた。おそらく、人生初の膝枕にたいしてだろう。

「……」

 彼女は何も帰さない。顔を真っ赤にしているのが彼の目からでも明らかだった。それに気がついた彼女は彼の顔を無理矢理暖炉に向ける。


「えっとー、僕の名前は内山基喜っていうんだけど、君の名前はなんて言うんですか?」

「どうして、わしが我が眷属に名乗らなくてはならないのじゃ?」

 眷属って……。いつの間になったのか分からないことを言われて戸惑ってしまったが、いつも通りの口調で。

「ほら、命の恩人に対して、礼とその名前を聞くのは礼儀かな、と」

「ふむ、それもそうじゃな。ふーん、さて、どの名前でいこうかの」

「そんなにあるんですか?」

「もちろんじゃ。名前というのは、本人を縛り上げるもの。わしのような高貴な人間には幾つも名前があるものじゃよ。じゃが、本名は誰にも明かしてはならぬ。本名を縛ればそれは、そのものに一生の隷従を契約することになるからの」

「一生の契約って……、って、僕手遅れじゃん。本名名乗ったよ!?」

 彼は、膝枕をされながら、突っ込みを入れる。

「おお、元気で何よりじゃ。それよりも、腹が空かんかの? モトキよ」

「そりゃ、かなり空いてますが……、ここに、食料なんてあるんですか?」

 彼は、鼻をクンクンと犬のように匂いを嗅ぐが、さして、食べ物の匂いはしなかった。

「まあ、ここら一帯は食料には事欠かんよ。味は保証せんが」

「そうかい。僕の記憶が正しければ、君が封じられてからかなり時間が経っているんだけど、いくら時間が止まっていたからって、食べるのは……、まあ、背に腹は変えられないか」

 彼は彼女がようやく恥ずかしさから立ち直ったのを確認したで、ゆっくりと立ち上がった。足に力が入らなかったので、彼女の肩を借りて、目の前の椅子に座る。

「さて、何が食べられるのかな?」

「わしはお前様の従僕ではないのじゃぞ? むしろ、お前様が我の従僕じゃ」

「そうは言っても、僕がいなかったら君はずっと、あの状態だったんだけどなー」

「そういうのなら、わしがお前様を眷属にしてなかったら、死んでおったぞ」

 どちらもお互いの命の恩人である以上踏み込むことは出来ない。


 彼は、席の前に置かれている大きな袋が目にとまる。急に中から良い匂いがした。理性より速く、本能が、その袋の中にあるものがなんなのかを理解した。しかし、極度の飢餓状態に陥っている彼は、それを無視して、かぶりついた。

 口いっぱいに血の味が広がる。体が溶けて、幸せな気持ちでいっぱいになった。そして、懐かしい思いに駆られる。母親が作ってくれた味を思い出してしまった。それが、とてもおいしくて、あまりにも懐かしく、そのせいか涙が流れてきた。そして、彼は、唐突に現実に引き戻され、そして、理性が何を食べてしまったのかを理解した。

 死体。彼の口の周りにべっとりついた血は人の血液。腹を満たした肉は人の肉。彼の体を構成する要素は骨と肉と血、その全て。彼の目の前に置いてあった、一体の死体はものの数分でなくなってしまう。そして、食べ終えたとき、彼は自分が何をしてしまったのかを唐突に理解してしまった。そして、次には理性による悔恨が始まる。


 すると猛烈な吐き気に襲われる。

「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」

 ただひたすらに吐き気を抑える。

「まあ、眷属をはじめて作った割には、上手に行ったな。しかし、この反応……。ふむ、興味深いな」

「お前、僕に何をした!?」

 彼は何度もゲホゲホと咳き込み、収まったかと思えば次には強烈な吐き気が襲ってくる。喉の奥に指を入れようとするがそれも出来ない。彼を襲うのは、食べた事への罪悪感よりも、背徳感だ。道徳観念への裏切りが彼の理性を苦しめる。そして、もう一つ。自分がそれに気がついていながら、本能を優先して、非人間的な行為をしてしまった。道徳への裏切りは彼にとってあまりにも辛いことだった。彼が道徳的な人間、というわけではない。むしろ、彼は道徳を蔑ろにしている節すらあった。しかし、それでも基本的な人間の道徳性というのはかなり尊重していた。

 この世界に来て、何が起こるかを知ったときから、人を殺すという行為がいつか来ることは覚悟していた。だが、それを食べる日が来るとは一切考えていなかった。


「だから、わしは何度も言っておるじゃろ。お前様を眷属にした、と。ああ、そうか、わしが何者か知らぬのだな」

「お前、何者なんだ……」

「わしはお前様が封印を解く遙か昔、ある国では、アンディール、ある国ではアリスと呼ばれておった。それらは全て字じゃ。さっき、わしは、名前についてなんと言ったか覚えておるか?」

「本当の名前は相手を縛る」

「そう、名前を縛る。これは祈りにもなれば呪いにもなる。わしははじめから、お前様に名前を教えるつもりでおった。じゃが、先に、お前様がどんな状態になったのかを知ってもらわなければならなかった。その上で、お前様に名前を教えなくてはならない。わしはの、ありとあらゆる国、ありとあらゆる世界でいろいろな立場にあった。しかし、我の正体を知るものはおらぬ。我は魔人。しかし、ただの魔人ではない。そうじゃの、お前様の知る言葉で言うとすれば、わしは吸血鬼じゃ。人を喰らい、人の血を啜る魔物じゃ。そして、わしは、お前様を、死にかけているお前様を眷属にした。お前様を生かすためにはわしと同じ吸血鬼にならなければならなかった。

 吸血鬼は人を喰らうことでしか生き延びることは出来ない。わしも、もう忘れてしまったが、とうの昔に同じ事をしたのじゃろう。じゃが、じきになれる。これから、人を喰らっていく。ここにある人を喰らっていく。お前様にその覚悟はあるのか? わしの名を聞き、わしの従僕として、生きていくことが出来るか?」


 彼女はまっすぐな目で、真っ赤に染まった目で彼を覗く。彼女は初めから答えを知っていた。彼はそれを直感した。彼女は彼を見透かしている。だから、彼の答えも決まっていた。

「分かってる……。取り乱しただけだ。僕がもう人ではないのは、知っている。全てをやり抜くためには、必要だったんだ……。分かってるさ。僕は、君の力で世界を救う。何があっても……。まだ、君は僕に隠していることが沢山あるんだろ? 全てを詮索するつもりはない。だが、これだけは教えてくれ、君の本当の名前はなんですか?」

 彼女はこの言葉を聞いてクスクスと笑った。

「ええ、その通り。わしは全てを知っておったよ。お前様が受け入れてくれるのを。長い時間、悠久の時を経てわしを救い出してくれたお前様に、わしは全てを授けよう。モトキ、わしの名前はユリア。ユリア・フォン・ヒンデンブルク。よろしく頼む」

「ああ、よろしく頼む。ユリア」


 そのあと、彼は彼女と契約を結んだ。教会の壊れかかった祭壇の上で、お互いの血肉を交換することで、その契約が完成する。それはあたかも結婚のように見えた。神の祭壇の下で、彼らは正式に主従関係を結んだ。しかし、彼女の希望もあってか、眷属でありながら、事実上の同列。彼女曰く、

「まあ、夫婦みたいに思ってくれたら良い。むしろ推奨じゃ。眷属というのは、一種の主従契約者が、結婚とはそういうものじゃろ?」

 彼は、ガクッと、ずっこけそうになった。

「結婚って……、僕は君と知り合って、まだ数時間。そして、結婚のイメージが悪すぎる!」

「数時間がだからなんじゃと言うのじゃ。これから何千年と同じ時間を過ごすのじゃから、そういった関係でも良かろうに」

「いや、まあ、そうなんだけど、順序ってものが……、あと、指輪とか……」

「おや? お前様は、わしに何か贈り物でもしてくれるのかの?」

「まあ、時が来たら。まずは、お互いを知っていくことからはじめないと、ほら、順序ってあるでしょ?」

「うむ、確かに。ならば、結婚してからでも分かっていけるじゃろ!」

 彼は頭を抱えた。まさか、ここまで話が発展するとは思ってもいなかった。しかし、彼も彼女も共通しているのは、この話を嫌がっているのではなく、段階を重んじる彼と、結果を重んじる彼女の差だけで、特にそれ以外は問題ない。


 端から見れば、彼の彼女はかなり釣り合っているように見える。それは、同じ境遇だったから、というのもあるが、それ以上に、知り合う前からお互いを知っていた。そんな関係に見えた。

 彼と彼女は、祭壇の上で契約を交わした印として、キスを交わした。それは、人外の美しさを十全に現していた。これでようやく、最強のコンビが生まれた。二人の物語はこれから始まる。

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