第二章 無能と封印されし者の脱出撃

 あまりにも高いところから落とされた割に目立った外傷はなかった。戦闘中に負傷した傷とダイアによって受けた最後の攻撃による負傷はあまりにも大きなダメージだったが、不思議と落下のダメージはなかった。おそらく、彼が落ちたところが水だったからなのか、もしかしたら、ダイア自身による心遣いなのかもしれない。


「体中が痛い」

 彼は半分以上水につかりながら落ちてきた穴を見上げるが光は一切届いてなかった。しかし、洞窟の中は一切暗くなかった。光源がどこかにあるとも思ったが、それでも、おかしい。でも、そんなことを考えるのは体力の無駄だと判断して、体が少しでも動くようになるまで待った。すると、だんだんと気が付いてきたのが、ここの水がただの水ではないということだった。傷口にしみこむと思っていたが、それはむしろ、傷口に浸透していき、血液となっていく。

「輸血液と似た効果があるのかな? まあ、いずれにせよ、今は、回復に努めよう。魔法力が回復すればどうにでもなるだろう、きっと」

 彼は、少しの間瞑想にふけった。その間に死ぬかもしれない、と思ったが、それは一向にやってこなかった。


 半時ほど回復に努めた後、見える範囲でどこへ向かうかを考えた。ありがたいことに道は一本だけだった。

「さて、ゆっくりと進んでいくか……」

 彼は自身の体をもう一度強化して、動けるようにした。戦闘のためではないため、動けるだけでいい。彼はゆっくりと壁伝いに歩いて行った。一歩進むごとに体が痛みを訴える。しかし、途中で止まってしまったら今度こそ動けないような気がしてならないから止まれなかった。

 彼は歩きながら、何が起こったかを整理しようとした。しかし、考えれば考えるほど、自分がどうしてダイアに気に入られたのか分からなくなった。しかし、それは同時に誇りに思えた。最恐最悪の敵にあそこまで立ち回れたのは、そして、あそこまで本気で戦えたのは、幸運とも思える。しかし、同時に彼の瞼の奥には最後、アイリーンの後悔の顔、そして、英雄達の勝ち誇った顔が映っていた。それは、彼がただ前に進むだけの原動力となった。彼を支えていたのは魔力でもなければ精神力でもない。ただ、復讐心と生への執着だった。しかし、彼はそれに気が付いていなかった。


 何時間もただ一本道を進み続けた。しかし、上りの階段どころか、下りもなかった。彼はだんだんと本当は自分が死んでいて、それに気が付いてないだけで、地獄への道を歩いているのでは、なんて邪推するくらいに何もなかった。そのおかげか少しばかり思考がまともにまとまっていった。彼らの性格と、これまでの王国の記録改ざんの関係からおそらく、結託したのだろう、とまでは予測でき、さらには、それを利用しているのだろう、とまで考え付いた。王国制という権力一極集中型の権力体制は無謬性の上に成り立っている。


 王国はただ、王国一つの権力基盤を持っているのではない。アルザス教といわれるこの世界の世界宗教があるのだが、この宗教は世界宗教なだけあって、各国が国教としており、さらには、各地に教会が存在する。その教会は独自の権力基盤を持っており、二重体制を図っている。教会が定める税金と国家が定める税金。どこの世界でも、どこの国でも起こっている。

「アルザスがあれば、ロレーヌもあったりして……」

 なんて、彼は少しばかり思考の余裕を持てている。

 ただ、彼が気がかりなのは、教会における英雄の位置づけだ。バートランド王国が英雄たちを召還したが、趣旨としては世界を救うだが、一国だけがそれを担うのはあまりにも不合理だ。だから、彼が思いついたのは教会の所有としての英雄ならば、と。しかし、どうにもそれでもおかしい。彼の記憶する限りでは一度も教会の関係者と会ったことがない。何なら教会を見なかった。バートランド王国は何か後ろに、確実に黒いものを抱えている。英雄の記憶の改ざん。あの国が望んでいるのは、教会からの脱却ではないのか、それだけではない、もしかしたら、世界の基盤を壊そうとしているのかもしれない。


 彼らがやってくる数年前、魔界との大きな戦争があった。その戦争は世界四大大国が連合を組んでようやく撃退することができた。それでも、その死傷者数は淳軍兵士のうち半数以上を占めた。しかし、内訳で見たとき、バートランド王国は従軍者の十分の一だった。つまり、明らかに戦力が保持されている。さらにそこに英雄の戦力。英雄達はやはり、ほかの兵士に比べて大きな戦力となる。おそらく英雄のうち一人でもその可能性としては一個師団の力を持つことになる。それだけの力を持っている。27人。27個師団。一軍集団を超えていく。現代の基準でだ。なら、この中世、近世を彷彿とさせるこの世界において、一軍集団は異常戦力である。

 その力を一国が管理するのはやはり問題しかない。考察すればするほど理解できる軍備増強、記録の改ざん、プロパガンダ、まるで戦争の前触れな気がしてならない。いや、確実に戦争が起こる。ダイアが言っていた言葉が理解できるような気がしてならない。「敵は内側に」。ダイアがあそこにいたのは、実際にこの先に何かがあって、それを目的としていたのだろうが、もう一つは威力偵察。最後に、推論を確信にするため。ダイアはおそらく、まだ戦闘を仕掛けることはしないだろう。いくら魔界だとしても、先の大戦で撤退するほどのダメージを受けている。当分は軍事力の増強を行うだろう。

 急に自分が持つ役割が大きいのではないか、という疑念に駆られた。今、もし本当に生きているのならば、生きているのだろうが、アウトサイドにいるアウトローとなった今、死んでいる、という事実を逆手にとって各国の均衡を図るか、野望をくじくか、いずれにせよ、自分が持つ役割は大きいのかもしれない、というのだけがすぐに分かった。しかし、それが分かったからと言って、まずここからでなければならない、それだけはわかる。


「まだ続くのか、ここ……」

 さらに数時間歩くと、いかにも何かが隠されている、そんな予感しかしなくらいに重々しい扉が彼を待ち受けていた。

 そこに手をかけた瞬間、。そこに、何が閉じ込められ、何を願っていたのか、それを知った。感じたのは恐怖、恐慌。負の意思を感じる。でも、同時に、一つ、そういった負の感情とは違う感情が見えた。

「これは、願い……? ……!」

 彼はふと、意識が切れた。


 ……これは、記録?

 彼の目の前に現れたのは炎に包まれた王国。いつの時代かはわからない。住民は逃げまとっている。何か強大なものに立ち向かおうと兵士たちが隊列を組んで火のもとへと向かっている。それを率いている兵士はほかの兵士とは違う。どういうわけか、彼は直感した。その兵士は英雄だ、と。

 次の瞬間、彼の意識はその火のもとへと吸い寄せられる。そこは教会の祭壇だった。その真ん中で、彼女が膝に男を抱きながら泣き崩れている。

「お前は、どうして、この国を亡ぼすんだ!」

 例の英雄が祭壇で泣いている彼女に力強い言葉で問い詰める。

「貴公は、この世界が持っている秘密を知ったうえでそう言っているのか?」

 彼女は死んでいると思しき男から目を離さない。

「秘密? お前は何を言っているんだ!?」

「そのままじゃよ。この世界の、お前たち英雄の秘密を!」

 英雄はその声にひるんだ。

「その秘密とはなんだ?」

 彼にはその声が聞こえなかった。まるで、それを探ることを求められているように。


「もし、もしそれが本当なら、お前が今、殺している人たちは……」

「そうじゃ、これが証明されなければ、我はただの人殺しじゃ。英雄。そなたはそいつらに利用されている。それに気が付かなくてはならぬ」

「なら、俺がどうにかするしかないのか」

「貴公ではもはやどうしようもならぬ。この国を滅ぼさねば、じゃが、それも無理じゃろう。わしは貴公に打たれる。それでよい。我を封印するがよい。じゃが、お願いがある。これから貴公はわしを遺志を継いでもらいたい。それを断るもよし、それを受け入れるもよし、貴公に任せる。じゃが、ここで何が起こったのか、何を起こしたのか、その真実を記録するのじゃ」

 英雄は剣をしまって彼女に近づく。

「わかった。俺はお前を封じる。この場所をこのまま地下深くに隠蔽する。俺はすべてを守る扉となる。ここは、俺が守るべきだった国だ。この国を亡ぼすために、俺はこの国をすべて封じる。俺の職業は『錬金術師』だ。真実の姿を現させ、それを地下に封じる。ここまで大きな術を展開するのはかなり難しいが、それでも何とかなるだろう」

「頼む」

 彼女は決して英雄と目を合わせない。

「ところで、その男は何者なんだ?」

「ああ、こやつか。こやつは、真実を知ってもなお我に付き従った従者よ。こやつを殺すのは忍びなかった。しかし、こやつも「人間じゃ」仕方あるまい。こやつはどうしたって眷属にはできん。魔力に不安があるようなら、我の魔力を使うか?」

「できるのか?」

「≪ギブト≫」

 紫色の精霊が英雄のもとに集う。英雄の魔力があふれていくのがわかる。

「ありがとう。君との約束、君の証明をする。俺は約束を守る男だからさ」


 そして、意識が戻される。

「ふう、何が何だか……」

 すると、つぎは、頭の中に声が流れる。

「これが、今、これを開けてくれた君に必要な記憶。多分、ここまでたどり着くのは英雄。しかもただの英雄じゃないな。ここまでのダンジョンをすべて制覇してきた先にここがあるようになってる。このダンジョンは並みの英雄じゃたどりつけない。つまり、これを聞いている君は相当な手練れということだ。まあ、どうやってきたかはこの際重要じゃない。ここに立っているということは英雄でも選ばれた英雄ということだ。

 さて、この先は、時間をそのまま止めてる。どうやってここに来たのかは知らないけど、ここから先、必要なことは徐々に彼女に聞いて。これは、俺の残留思念。俺は当の昔に、といっても、何年たったか知らないけど、これを残して、扉になった時点で死んでるから。

 俺の記録はここで終わり。そのほかはたいして重要じゃない。俺がどういった訓練をしたとか、利用されたか、とかだけだから。大事なのは、俺と彼女の契約。この音声が聞かれている、ってことは、その契約が果たされたってことだ。じゃあ、仲良くな。時間は動き出す。俺と同じ、日本人が聞いていることを切に願うよ。あばよ」


 声が頭から消えると同時に扉が消え、先に進めるようになった。扉があったところには一体の死体が転がっていた。状況からして、先代の英雄だろう。時間を止めていたからか、死体は朽ち果てていなかった。

「先輩の意志、僕が継ぎますよ。ゆっくり、休んでいてください」

 先代の英雄の亡骸に一礼して、前へと進んだ。


 これまで歩いてきたところは、どこまでいっても洞窟の穴だったが、扉の先は石畳になっているし、壁も綺麗に作られている。あいも変わらず、光源がないのにも関わらず、明るいため、恐怖は湧いてこなかった。というより、たとえ暗くても今の彼はそう言った恐怖から無縁の存在になったのだろう。ダイアと極限でのやり取りを生き残った彼に、何かが襲いかかっても、いつ命が果てるか分からない状態で、恐怖などといっていられない。それは、命を燃料とした時点で、克服している。


 数分歩いて、自分がいるところが教会と言うことに気がついた。所々に壊れた石像が並んでいた。おそらくその石像は教会が認定するところの聖人達なのだろう。しかし、それらは軒並み壊されている。厄災で壊されている、というよりは、意図的に壊されている、そう判断した方が合理的だった。道行く先で魔物が死んでいた。殺し合いが行われていたようだった。それは重なり合っている死体を見てすぐに分かった。何処にも人間はいなかった。不気味に重いながらゆっくりと先へと進んでいく。


 ようやく礼拝堂へとたどり着いた。揺れてはいないが、あたりは炎に包まれている。その真ん中にはさっき回想で見た彼女がいる。膝には魔物が横たわっていた。彼はそれを見た瞬間、ここで何が起こったのか、それを理解してしまった。彼らが殺し合ってしまった理由。ここが封印されてしまった理由。何年前なのかは分からないが、英雄の記録が残っていない理由。それらを理解してしまった。


 彼は、ゆっくりと祭壇へと近づき、膝をついて、彼女に触れた。

 彼女は止まっているが、明らかに生きていた。彼女は止まっているが、それでも美しい。大人の女性の魅力を感じる。彼は思いっきり魅了されていた。スタイルの良い体に、整った顔立ち。腰まで伸びる髪は金色で止まっているにもかかわらず光り輝いている。揺らめくことのない炎も相まって妖艶さが増しており、嘆きの美女に見えた。いや、実際嘆きの美女なのだろ。


 彼が触れた瞬間、何かが動き始めた。そして、彼の体中の傷から完全に止血できていたはずなのに、血があふれてきて、吹き出しはじめた。

 そして、動き出した時間の中で、彼の意識は遠のきはじめる。体中が激痛と疲労で動くことが出来ない。

 彼女はその血を浴びた瞬間、ゆっくりと立ち上がった。そして、彼に語りかけた。

「お主は、まだ生きたいか?」

 彼は、何も考えずにうなずいた。

 そして、彼女は彼の首に牙を立ててかぶりつく。

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