英雄と騎士

 王都から徒歩で4日ほど行ったところに完全ではないが、大方攻略の済んだダンジョンがある。昔は攻略難度の高さから脱落者が多かったが、制圧が進むに連れて、軍の訓練所として機能しはじめていった。魔物が無限に現れ、時々強敵が現れたりとかなり実戦に近い形で訓練できることから、重宝されている。

 ひたすら歩いて、ようやく着いた頃には夜だったため、潜るのは翌日の早朝からとしてそれぞれ宿舎で寝る事となった。この訓練には戦闘訓練を重点的に行ってきた戦闘組はもちろんのこと、相手を知る、という意味で後方支援を主とする補助組も同行していた。これにはおそらく、護衛という体験を行なわされるためだろう。


 28人の英雄たちを引き連れるのは、軍の中でもトップの実績を持つハインリヒ・フォン・アイリーン騎士団長で、金髪青目の美女という印象を受けた。アイリーンは剣の腕もさながら魔法も長けている。男性社会の中で、アイリーンは誰よりも強く、美しい。最初それをみくびって、攻撃を仕掛けた男もいたが、見事に返り討ちに遭っていた。誰にでも分け隔てなく接し、彼も例外ではなかった。むしろ、無能力ながら努力している姿を知っているハインリヒは彼を気にかけていた。

 その夜、アイリーンが彼のもとに直々に話に来た時はさすがの彼も驚いた。

「騎士団長、どうされたのですか?」

「ふふ、私のことはアイリーンでいいと何度も言っています」

「いえいえ、自分の上司ともあろうお方を呼び捨てになどできません。それで、こんな夜中にどのような用件でしょうか?」

「そんなに身構えなくてもいいですよ。私は純粋に君と話してみたかったのです。いえ、これまでも話してきましたが、それはあくまで必要だったからです。むしろ、今日は、私的な会話ですよ」

「自分と会話しても、何も得られないと思われますが」

「何も、会話は得られるかそうでないかで行うようなものではないでしょ? ただ話したいから話す。そうですね、納得できないなら、私の方から疑問に思ったので、質問しましょうか。どうして、君はいつも本を読み耽っているのですか?」

 彼にとってかなり難しい問いである。つまり、彼とってこの質問は、どうして呼吸しているのか、という質問とほとんど同義だったからである。だから、少し回答に詰まったが、時間をかけて答えた。


「そうですね、昔、自分の恩師に言われたことがあるのです。『自分の持っている疑問はこれまでも、そしてこれからも誰かが持ってきたものだ。言い換えれば、誰かが疑問に思ってきたからこそ、今でも疑問に思える。そして、それはすでに誰かが吟味し尽くしているのかもしれない。だから、一度同じように吟味してみなさい。その手がかりは本の中に全てあるのだから』って。だから、自分は本を読み耽っています。物事を批判するためには知識が必要ですが、その知識すら、使い方次第です。自分は先代が行なってきたことを継承して、先代と同じように吟味するためです」

 するとアイリーンが笑った。

「なるほど。物事を吟味する、か。そうなると、君はさぞ生きづらいでしょうに」

「ええ、色々と不便なことはあります。ですが、吟味することなく無批判のまま迎合するのは自分には耐えられないので。知識を持つことは無力になることですが、それでも、無知からくる無意味な力は持ちたくありませんから」

「無意味な力。私はその無意味な力を持っていると思いますか?」

 アイリーンはまっすぐ彼を見つめる。彼はそれを気恥ずかしそうにするが、その目に信念に似た力を感じたからかしっかりと真っ直ぐ見つめる。


「騎士団長様がもし、自分の頭で考えることができるのならばその力に意味を与えることができるでしょう。もしそうでないのなら、貴女のもつ力は無意味な暴力と変わりません。何に忠を尽くすのか。貴女が剣を振るのは国のためですか? 王のためですか? 自分のためですか? それとも、民のためですか?」

 アイリーンはこの問いにすぐに答えられなかった。事実そうだ。アイリーン含め騎士団並びに軍は全員が国家に忠誠を誓う。彼が問おうとしているのは、国家のありようなのだから。


「なるほど、君から目が離せない理由がわかりました。あなたは、私に何かを与えてくれそうだ。私が果たすべき義務は民にあります。民こそ我らを支え、国を支える。王だけでは国はまわりません。民がいてこそ初めて国が成り立つのです」

「流石は騎士団長様。もし、それが王やら国などと言うなら遠慮なく批判するつもりでしたが、どうやらその必要はないらしい。その在り方を忘れないでください。何があっても、民のために。その想いがある限り、貴女の振るう剣は意味のある剣でしょうから」


 彼は、そんなことを言いながら自分を笑った。何かそれらしきこと言っていながら、自分にはそれが伴わない。ここにやってきて2ヶ月。自分がこの世界でどれだけ無力で無能なのかを思い知らされた。使えるとすれば身体強化のみで、それ以外の適性はない。『ガンスリンガー』と言いながら、撃つべき銃もない。名ばかりである。スキルといえば、格闘スキルだけが高くなっていく。しかし、それでも、剣や槍に比べると応急的側面が大きい。生存率を上げるだけで、基本的に魔物を討伐するのには向いていない。世の中には格闘職という戦闘系の中でも格闘に全振りした職業もあるが、その人は剣闘士になるだろうし、あいにくそれに向いた生徒はいなかった。さらに傾向として、剣闘士は嫌われ、それは、彼の周りでも同じだった。


「君のことは少しはわかったようだ。ところで、君は無能と呼ばれているが、そのことについて憤りを覚えないのかい?」

「確かに自分は、この銃なき世界では無能です。自分にできるのはせいぜい自己強化くらいですから。その効率が人より優れているだけで、それ以外にありません。だからこそ、自分は知識をつけているのですよ。魔法が使えなくても、自分を守ることくらいならどうにかできそうですから……」

 彼はまるで聞かれたらそう答えるように答えた。

「そうか……。君の真の実力がいつの日か拝めることを願っているよ。おや、もうこんな時間か。すまない。こんな夜更けまで。明日早いから遅刻しないように」


 アイリーンは座っていた椅子を正して、部屋を後にしようとする。

「こちらこそ、このようなものの話を聞いていただき感謝します」

 アイリーンは去り際にはっきりとしただけれども小さい声で、

「君は私が守るよ」

 そう言って出ていった。


 明け方、妙に胸騒ぎがして目を覚ました。小鳥一匹として鳴いていないのがさらに不気味に感じる。何かが近づいているようにも思えてならない。彼は不安になりながらも支度をして、誰よりも早く集合地点に辿り着いた。道中、兵士から揶揄われたりもした。剣闘士だと思われたからだ。彼はそれを全て無視して突き進んだ。彼は厳密には拳だけを使うわけではない。短剣というよりナイフに近いものを使うことができる。それは、剣カテゴリーではなく拳の派生として使えるからだ。

 これは、『ガンスリンガー』の性質が大きく関わっていた。『ガンスリンガー』の能力の多くは銃撃スキルに関係するが、近接戦闘においてはナイフを用いることもある。近接戦闘格闘術という名称で登録されたスキルは唯一、この世界で行使できる『ガンスリンガー』の特権とも言える。もちろん、職業に『ナイフ使い』が、ないわけでもない。未だに極めたものはいないそうだ。

「おお、無能のくせに早いなー」

 英雄の軍団が足並みを揃えてやってくる。最近は英雄パーティとも言われてる。もちろん、彼にちょっかいをかけるのは勝城だが。

「ええ、無能だから早くきたんですよ。無能のくせして皆さんより遅くくるとさらに面倒になると思ったので」

「はは、張り合いのない」

「別に張り合いたいとも思いませんから」

 勝城はまだ突っかかろうとしたが、英雄に制止された。

「どうして、基喜君はそう突っかかるのかな?」

「はて? 自分は声をかけられたから返しただけなんですが。挨拶に無能がついているので、罵倒されればこう返すより他ないでしょう。それとも、他に何かありますかね」

「自分の身分は弁えた方がいいよ」

「はは、同じクラスメイトに身分の差を説くなんて」

「クラスメイト? 何を言っているんだい? 仲間だろ?」

 会話が噛み合っていない。彼はこれ以上の会話は無意味と判断したが、相手は流してくれない。

「仲間なら、なおのこと、身分差を設けるのは至極おかしいようにも思いますが? 軍隊ならまだしも、皆、それぞれの英雄なのですから」

「訳の分からないことを。英雄は、勇者は俺だけだ。それ以外に英雄はいないんだぜ」

 この発言に周りが引くと思っていた。しかし、ことはそうはいかない。むしろ、悪化の一途をたどり、誰もそれに意を唱えない。

「……」

 彼は絶句した。そして次に襲われたのは、この空間それ自体がもはや異常であったこと、それぞれの人格がありとあらゆる形に曲がっていることを自覚してしまった。友人はもはや友人とは呼ばず、彼らにあるのは昔からの縁、という程度の認識にまで落ちてしまっている。あろうことか、英雄はただ一人でそれ以外はそのお供と言うことになってしまっている。


「そこまでだ。これ以上の言い争いは厳罰に処す!」

 彼が困窮しているところにちょうどアイリーンがやってくる。多分もう少し前から事の顛末を見ていたのだろう。切れ目を見ていったのではなく、問題がもっと大きくなる前に手を打った。

「おいおい、いくら騎士団長様でも、英雄に逆らうのはどうかと思うけどな」

 英雄はもともと自意識過剰ではあったが、ここまで自尊心が大きい人間ではなかった。それは彼も同意している。むしろ、自己本位的なところは多分にあるが、それでも、それを前面に出さずに、ほとんど天然でやっている。

「英雄は奉られるでしょうが、誰も、そんな驕りをふんだんに盛り込んだ英雄などまつることはあり得ません。あなたが英雄を名乗るならば、それ相応の態度があります。今のあなたは英雄を名乗る資格などありません。勇者という職を持ちながら、それを誇示するのは勇者失格です。あなたは、勇者とは何者なのかについて深く考えるべきです」

 アイリーンははっきりと言いのけた。

「それに勝城。あなたは、あなたで人の努力を無視して他者を無能呼ばわりするのは、いつか足下をすくわれますよ? その自尊心の大きさには私どもも少しは見習わなければなりませんが、他者を傷つけて満たされるような自尊心は捨ててしまいなさい。その自尊心はいつか人を殺しますよ」

 誰もこれに反論できなかった。一方の彼は、これまでこのようなことをされた経験がなかったためあっけにとられた。


 そのあと、こっそり、アイリーンに彼は感謝を伝えに行った。行軍ルートにそこに湧くであろう魔物の強さなどをメモった地図が広げられていた。

「ふふ、昨日のお礼だよ。言ったでしょ? 私は君を守るって。この言葉がどういう意味か、君が分からぬ訳なかろう。どうだ? この訓練が終わったら、一度私の屋敷に来ないかい?」

「そんな、自分にはそういった資格はありません。こうやってお声かけできるだけで光栄でございます」

「そこまで来ると最早病気の一種だな。謙遜もほどほどにな。さっきのようなことが今後も起こってしまう」

「まあ、慣れてますから」

「それがいけないのだよ。自ら変えようと思わないと、おっと、時間だな。それでは行くとしよう。なあにすぐ帰ってこられるさ」


 彼は感謝だけでなく、今日、抱いた違和感について話すつもりだったが、ついにその時間がとれなかった。

 しかし、それも、訓練が始まると杞憂だったのか何事もなく順調に魔物を処理していった。やはり戦闘系の職業は順応が早い。みるみるうちに強くなっていく。彼も負けじと身体強化とナイフスキルでどうにか食らいつくが、それでも限界を思い知らされる思いを何度となくした。


 ぐんぐんと奥へ奥へと進んでいった。何の困難もないからか気が緩んでいたところ、ふと空気が変わった。その変化に気がついたのは彼含めてアイリーン以外にいなかった。

「騎士団長様、何かおかしくないですか?」

 彼がその違和感をアイリーンに伝える。

「うむ、気がついたか。空気が急に変わった。そして、今気がついたのだが、地形も変化している。地図通りを見ても意味をなしていない」

「一度撤退した方が良いのでは?」

 戦場において違和感は重要な指針となる。それは、人間の本能が生き死にを伝えているからだ。それを理性で押さえなどとは考えてはいけない。理性を使うのは、この場合、違和感の正体へ、だ。

「おいおい、無能はこんな位で怖じ気づいたのか?」

「いえ、怖じ気づいたのではなく、この違和感は無視できません。いとど立て直す方が賢明だと考えたからです」

 勝城は余裕を出している。あまりにも油断していた。彼以外にもその違和感に気がつき始めた人もいた。しかし、言い出せばかっこうの的になると思って何も言えずにいた。

「いえ、ここは一度退きましょう。何か、嫌な予感がします」

「おいおい、騎士団長様までもが弱腰とは、この先が思いやられるな。こっちには英雄がいるんだぜ、負けっこねえよ」

 そういって、勝城はずかずかと先に行く。当の英雄も退く気は一切なく、共に進む。英雄が進めば、それはここにいる連中は前進することを選択する。吸い寄せられるように奥へ奥へと歩いていくと、その先に大きな広間が現れた。その広間は中央が円形で、その周りをあまりにも深い溝が囲っている。何も見えないが、しかし、その中心に禍々しい空気を感じる。さすがの英雄もその違和感に気がついたのか、抜刀する。全員が戦闘の態勢をとる。彼は索敵を優先したが、何かがいるのに、それが何かを見つけられなかった。


「ははは、はははははははははっははh……」

 どこからともなく高笑いが聞こえる。その笑い声を聞いた瞬間、彼は心の底から後悔した。彼は、自分が今日、ここで死ぬことを刹那に悟った。彼だけが感じる圧倒的殺意。生物としての抵抗すら意味を持たないと言わんばかりの殺気が彼を襲った。

「誰だ、出てこい!」

 勇者組は叫び散らす。

「我はここにおるぞ。愚かな人間よ」

 すると中心部分に急に大きな竜巻が現れ、そこから彼らと同じくらいの身長の明らかに人間とは異なる人型実態が現れた。

「魔人!」

 アイリーンが叫ぶ。

 魔人。魔界に住む人間。人間とほとんど変わらないが、身体能力含めありとあらゆる能力が人間の数倍を誇る。魔界の覇者とされている。

 その魔人がここにいる。どういう因果で、どういう訳かは一切分からないが、しかし、事実としてそこにいる。魔人は明らかに魔人魔人している。前進かあらあふれる黒のオーラ。肌色とはほど遠い黒。そこに浮かぶ目と口。フードを被っている。そのフードをゆっくりととると、そこから2本の角が現れた。

「皆逃げて!」

 魔人と認めた瞬間、アイリーンは戦おうとする勇者組含めて退くよう要請するが、誰もその声に耳を貸そうとしなかった。


「ふ、愚かな。我はまだ攻撃しておらぬ。逃げ出すならば今だというのに、おお、なんと愚かな。ここに来るまでに、何度も我はその危機を示してやった。それに気がついていたのは、先ほど叫んだ女騎士と、その隣にいる男」

 そういって、彼をさす。

「愚かな。自らの力を示したいがために利用されているとも知らずに、死に急ぐことはなかった。しかし、ここで逃げようとしないのは、褒めてやろう。我も弱い者と戦いたくはない。一度だけ生かしてやる。ほら、かかってきなさい」

 魔人は無防備に手を広げる。

 この安い挑発に乗せられた英雄達は一斉に斬りかかる。しかし、たった手を振っただけで、そこから発生した空気圧に弾かれてしまう。

 趣向を変えて、魔法をメインに火力援護をしながら突撃を敢行するが、魔法は結界に阻まれ、弓は風にながされる。英雄は無謀な突撃を繰り返す。

「神よ全ての法則を我が手中に、全ての理を我に! 《ブルーソード》!」

 魔人はその場から一歩も動かず指だけで勇者の剣を弾き、そのまま、英雄の腹めがけて拳を入れる。

「がはっ」

 みぞおちに入った拳は英雄の呼吸を刈り取り、そのままくの字に体が折れ曲がる。

「面白くない。やはり弱い。もっと強くなることを願っているが、お前は駄目だ。勇者は殺さなくては」

 そのまま、手で串刺しにしようとした。その瞬間は誰もが目を背けた。しかし、


 カキーン


 勢いよく弾かれる。

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