第四十話 厄災の娘(5)

「――そういうわけでね、そっちも大変だったと思うけど、こっちも大変だったわけよ」

 窓枠に腰掛けてレイヒは朝起こされてからの出来事を順番に語った。

「なるほどなー。俺はザグハとは班が別だったから見てはいないけど、あの事故は結構騒ぎになってた。みんなで山を降りても仕方ないからって俺たちは夕方まで仕事だったよ。サボりたかったなあ」

 オキは外から窓枠に頬杖をついてレイヒを見あげている。山の男たちはみんな無骨でむさ苦しい連中ばかりだが、オキは違う。体はがっしりとして日焼けもしているが、どことなくすっきりとした美丈夫だ。よく見るとまつ毛も長くて、大きな犬を思わせる。

「それで、あの穴はどうするんだ?」

 指差した方向はヴァルダとシハルが天井に開けてしまった大穴だ。今は筵をかけてふさいであるが、雨が降ったらどうにもならない。あの事件は今思い返してもよくわからなかった。結局、屋根の上には何がいたのだろう。

 ヴァルダはシハルと一緒にすると何かするのではないかとハルミが籠に入れたまま監視している。ヴァルダは体の大きさを自在に変えられるようでハルミに気を遣ったわけではないだろうが、ちょうど籠におさまるいいサイズ感になっている。ハルミはいまだにシハルがヴァルダをつかってレイヒの家を調べようとたくらんでいると思っているようだった。被害妄想というか、シハルを見ている限りそこまで計算高い人には見えない。

 今夜はヴァルダと一緒に寝られそうになかった。とにかくレイヒにとっては何ひとつ楽しいことがない。

 神様だというあの子供はいつの間にか姿を消している。あの子供もヴァルダのことを嫌そうに見ていたのでハルミ同様嫌いなんだろう。

「そのうち山仕事が休みの日に町長たちに修繕を頼むってハルミが言ってたけど」

 オキは聞いているのかいないのか、ぼんやりと穴の方を見ている。

「本当にそんな大きな化け物が出たのか」

「私は見てないよ。でもすごい音がしたな。おおっきな鳥が飛んでいくみたいな音がした」

 レイヒは両腕を広げて見せようとして窓枠に手をぶつける。

「いたっ」

「バカだな」

 言いながらオキは少しだけ赤くなったレイヒの手をさすってくれる。癒される。

「でも山の事故の前後に何か、こう、予兆というか、そういう感じのことってあったりするの? もう何が何だかわからない。ハルミもヴァルダもシハルも何を言ってんのか全ッ然わかんないんだけど、そろそろなんとかしないとなぁーと思ってはいるんだよね」

「うーん、俺にもわからないな。ハルミさんたちは何て言ってるって?」

 レイヒはしばし考え込んだ。何かいろいろ言っていたので、とにかくよくわからないことをいっぱい言ってたとしか言葉が出ない。

「ああ、シハルがこの家に心臓があるとか言ってた。気持ち悪いでしょ? どういう意味かな」

 オキはきょとんとしている。

「心臓?」

「うん。心臓だって」

 ばたんっと奥の間から音がした。

「誰かいるの?」

「うん、ハルミが今日は夜通し探し物をしたいって祭壇の部屋でごちゃごちゃやってるよ」

 オキは一瞬ひどく驚いたような顔をした。それから怪訝そうな顔で「夜通し? 何をさがしているんだろう」とひとりごとのようにつぶやいた。

「ハルミもよくわかんないからなぁ。ばあちゃんと一緒で」

 レイヒはため息をついた。今日は本当に疲れてしまった。

「じゃ、そろそろ帰ろうかな。明日も仕事だし」

「ええー。もう帰っちゃうの?」

「また明日来るよ」

 いつもオキがいてくれるからつい夜更かしをしてしまうのだ。明日は早起きをして祠に行こうと思っていたので、レイヒはあっさり引き下がる。

「仕方ないか、山仕事は危ないもんね」

 頭には怪我をした宿屋の息子が浮かんでいた。山ではちょっとしたことで危険な目に遭う。

「また明日ね」

 オキの背中を見送りながら、余韻に浸りぼんやりしていると、いきなりハルミが部屋に入って来た。なぜかヴァルダの入った籠も抱えている。片時も目を離したくないとでもいうようだ。

「えー、勝手に入ってこないでよー」

「今、誰かいましたか?」

 ハルミは真剣な顔でどんどん部屋に入ってくる。

「いない、いない、誰もいないよ」

 もういないのだからこれは嘘ではない。オキのことはハルミにはいってなかった。なんとなく面倒だったからで深い意味はない。ヴァルダは籠の中で「くわぁ」と大あくびをしていた。相変わらずかわいい。

 どうやらいろいろと神経質になってしまったハルミは部屋をゆっくりと見渡している。

「話し声が聞こえたんですが」

 そりゃ、話をしてたからね。レイヒは心の中でつぶやく。

「それで、探し物は見つかった?」

 話題を変えようとレイヒはまだ注意深く部屋を探っているハルミに聞いてみた。

「いえ」

 ハルミは力無く首を振る。

「お前は何も聞いてないのか?」

 ヴァルダが籠に揺られて眠そうに口を開く。もしかしてヴァルダはハルミに探らせて、その何かを横取りする気なんじゃないだろうか。シハルとよくわからない競争をしているらしいので、それはあり得る。

「聞いてるって何を?」

「レイヒ様に話しかけないでください」

 すかさずハルミが籠を揺する。

「やめなよ、かわいそうじゃん」

「レイヒ様、これは悪霊ですよ。隙を見せれば取り憑かれます」

 ヴァルダはまた「くわぁ」とあくびをもらす。

「わかったわかった。気をつけるから、探し物があるんでしょ?」

 レイヒはハルミの背中を押して部屋を追い出す。

 ようやく静かになって、レイヒは息をついた。寝ようとする直前までやかましい。そんなことを思っていると、開けっぱなしだった窓の外に人の気配があった。

「オキ?」

 レイヒはうれしくて笑顔で振り返る。しかしすぐに窓を閉めておくべきだったと後悔した。

「さっき、ここに誰かいましたか?」

 シハルだ。次から次へと……。

「ハルミとヴァルダ」

 レイヒはむすっとしたまま答える。

「外に? 人の気配ではないように思うのですが」

「ヴァルダは悪霊なんじゃないの?」

 シハルはしばらく何かを考えこんでいた。額の金色の香は落としたらしい。湯浴みでもしたのだろうか。

「悪霊だと思うんですけどね。レイヒさんは悪魔って知ってますか?」

 レイヒにそういう知識を求めないでほしい。

「聞いたことはあるけど、何と聞かれるとわからないな。それが何か関係あるの?」

 シハルは虚をつかれたような顔をしている。

「――この町に関係はないですね」

 レイヒは山の異変をなんとかできるなら協力してもいいと思っているのに、関係ないことを言わないで欲しい。

「何かヒントはないでしょうか。お祖母様はレイヒさんに何かいってなかったのですか?」

 それはさっきもヴァルダに聞かれたことだ。

「残念だけど何も。そもそも何も期待されたなかったからね。お前は裏庭の畑でも世話してればいいってそればっか言ってたなあ」

「畑? 何を育てているんでしょう」

 完全に世間話に入ってしまった。

「芋みたいなやつ。町の人と他の食べ物と交換してもらったりしてるよ」

「――お腹が空いてきました」

 シハルは何かを思い出したかのように、ぼんやりと宙を見ている。まだ夕飯を食べていないのか。

「ねぇ、ヴァルダの正体を探る方法を思いついたよ」

 いつの間にかあの子供がいる。またシハルの袖を強く引いていた。シハルはしゃがみこんで子供の要求するままに耳を貸す。

「それは結構危険ではないですか?」

 シハルは首を傾げている。内緒話なら他所でやって欲しい。

「シハルは神様の加護を受けているから大丈夫だよ」

 それを聞いてシハルはものすっごく嫌そうな顔をした。普段、腹立たしいほど機嫌よさそうにしているので、レイヒはぎょっとして見つめてしまう。

「神の加護には頼りませんが、やってみてもいいかもしれませんね」

 シハルは立ち上がるともはやレイヒの存在など忘れてしまったように背を向けてしまう。

「ちょ、ちょっと、山の件はどうなるの? 調べてなんとかしてくれるんでしょ?」

 しかしシハルの姿はすでに夜闇に消えていた。

「なんなの、もう〜」

 レイヒが力無く窓枠にうなだれかかっていると、再度予兆なくハルミが部屋に飛びこんでくる。

「今、誰かいましたか?」

 やはりヴァルダの入った籠を抱えているが、ヴァルダは中で眠っているようだ。

「いい加減にしてよ。永遠にやるつもり?」

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