第三話 少年A、少年B


事件後、テレビやネットニュースが、

この事件一色になってしまったことは、

読者諸兄姉も記憶しているだろう。


あまりに凄惨な事件だったために、

世の中が騒然としてしまったのも無理は無い。


中には

「イギリス、ロシア、アメリカ、大清国による破壊工作」


などという陰謀論もあったが、

その程度の話は放っておいても問題はないように思われる。


なぜなら何事にも陰謀論一派は

しゃしゃりでてくるものだから。


では一体どんな事件だったのかと問われれば、

私はこう答える。


「超名門高校の暴走した生徒二人が、教師と生徒を刀で殺傷した事件」と。


犯行は同学園の男子生徒二人により行われた。


凶器は、彼らがあらかじめ、

ロッカーに隠していた

四振りの刀であった。


それぞれ、

「景光」

「友成」

「長谷部」

「兼光」。  



二人が四本の刀を取り出し、

誰も居ない廊下を走りながら容保講堂へ向かうのが防犯カメラに映されている。


またカメラは、

呼び止めた女性教師を斬りつけ逃走した二人の姿も捉えていた。


その後、二人は生徒4人を殺害。


被害者の生徒の一人が首を斬られたことからみても、

事件を起こした二人がいかに異常な状態だったかがうかがえる。



以上が事件のあらましであるが、

ここで、犯人二人がどんな生徒だったのかをおってみよう。



仮に二人を少年A、少年Bと呼ぶことにする。


彼らは平城14年(2002年)生まれの17歳であった。


両者とも身分は「平民」であった。



少年Aの父親は、

都内一部上場企業、周優予備校で数学の講師をしており、

母親は、公立中学校で社会の臨時教員をしていた。


超絶裕福とはいえないが、

決して貧困家庭ではなく、

どこにでもあるダブルインカムの一般家庭であった。


教育熱心な両親は、

Aが幼い頃、一戸建て住宅の購入を諦めた。


ただし、そのお金を、

受験に必要なAの教育費に充てることを決意。 


松平学園中学合格に向けて、

小学校2年の時から進学塾へ通わせはじめたという。


両親の期待を一身に受けたAは、

通い始めた2年生の時には、

すでに週4回の通塾をこなし、

受験の年である小学校6年の時は、

月曜日から日曜日まで毎日塾へ通い詰めだったという。


時間は夕方5時から夜の12時までというのだから、

松平学園の中学受験がいかに厳しいかが分かる。


ちなみにAが通っていた小学校で、

6年生の時、担任だった緒方文博氏(仮名)に当時のAの様子を聞いてみたところ、

こう答えてくれた。



「Aは本当に優等生でした。


運動はダメでしたがとにかく努力家でして。


小学校の友人たちが放課後、

ゲーム、野球、サッカーなどで仲良く遊びまわってる中、

それを横目に毎日、塾通いを頑張っていたのですから。


テストでも主要5科目はいつも満点でしたね。


ただ塾通いも大変だったのでしょう。


ある時、Aに声をかけたことがありました。


顔色が悪く今にも倒れそうだったからです。


『どうしたA。

顔色が悪いぞ。

病院に行った方がいいんじゃないか?』


こう言って声をかけた私に、

Aは


『父さん、母さんが頑張ってくれているのに、休んでなんていられないです。

この後も塾なので。先生サヨナラ』


と答えて、フラフラとした足取りで帰っていったのを覚えています。


しかしあのAがまさかあんな事件を起こすとは」



その後、

Aは平城27年(2015年)2月、

松平学園中学を受験。


5年間の努力を実らせ、

見事合格を勝ち取ったのだった。


ちなみにAの通う小学校は、

生徒のほとんどが地元公立中学へ進学するため、

Aは唯一の中学受験者であると同時に、

松平学園中学の合格者となったのだ。


学校中が祝福ムードに包まれ、

合格時はAも両親とともに、

涙を流して喜んでいたという。



ではここでもう一人の犯人、

Bについて述べようと思う。



Bは、

Aと同じく平城14年(2002年)生まれの17歳。


中華料理屋を営む父と母の元に生まれた。


父方の祖父母は、

太正時代に大清国から日本へ移住してきた経緯があり、父の代に大日本連邦に帰化。


母方は庄和40年(1965年)の

大清国内戦で大日本連邦に亡命してきた難民であった。


そのため、

父母の家系は日本に経済的基盤が無く、

中華料理屋で働いてはいたものの、

自分たちの店を持つまではとても貧しい生活を強いられていたようである。


自身が貧しい生まれのためか、

Bの父も母もBには出世をして欲しいと考えたのも当然の成り行きであったといえよう。



そのため、

Bの両親は、親戚一同から借金をしてBの教育費を捻出。


元々、わんぱくだったBを徹底管理し、

中学受験に向けて勉学に猛進させることとなった。


しかもBはAとは違い、

経済的余裕もなく一流塾へは通えなかったようである。


そのため、Bの両親は我流でBを徹底教育。


自宅で、こもりきりで勉学をさせることで、

松平学園中学の合格を勝ち取ったというのだから驚きである。


当然、Bの両親も、いや両親だけでなく、

親戚一同、松平学園中学の合格を大喜びし、


「これで将来は安泰だ」


と涙を流して喜んでいたという。


そして二人は平城27年(2015年)4月、

無事に松平学園中学に入学。


Aは1年1組、

Bは1年3組の生徒として

憧れの中学生活をスタートさせることとなった。


ちなみに、二人は違うクラスだったため、

この時はまだ出会っていない。


出会うのは、中学3年の時、

同じクラスになってからとなる。



Aは入学後、部活には入らず帰宅部となった。


これは、社交性が欠けていたという理由よりも、

国内でも最高の難易度を誇る授業内容についていくために、

「少しでも勉強時間を」

という理由で、入らなかったようである。



一方のBは野球部に入部したものの、

練習のレベルについていくことが出来ず、

玉拾いばかりをさせられるようになったという。


文武両道を旨とする士族が多い学園では、

野球もレベルが高い生徒が多かったのだ。


そのため、Bは段々と部活をサボりがちに。



その後、

チームメイトと折り合いがつかず2年の夏に退部。


帰宅部となったのであった。



だが勉学以上に武道とスポーツを奨励する学園内において、

帰宅部のAとBは、

非常に肩身が狭い思いをさせられたようであった。


Aの方は帰宅部ながらも成績だけは上位を取ろうと頑張っていたが、結果はまったく振るわず。


中間考査、期末考査ともに、

100人中80番台あたりの順位をさまようことになっていった。


しかし、それも仕方のないことなのかもしれない。



松平学園は、

大日本連邦の中でもトップレベルの子弟たちが集う学校であり、

生まれながらに優れた頭脳の生徒が多いのだから。



一方のBも、野球部を退部後、全く勉学には身が入らず、成績は常に下から数えた方が早くなり、


「今回の考査、Bは学年ビリかビリじゃないか」



ということが、クラスメートの賭けの対象とされることもあったようだ。


勉強ができない上、武道、スポーツにすら身を入れない帰宅部ということで、

学年内で徹底的に侮蔑の対象にされるようになってしまったAとB。



彼らは、

松平学園の理想とする「文武両道」「質実剛健」とは真逆であり、

軟弱者としてさげすまれることとなってしまったのであった。



また彼らが「士族」ではなく「平民」だったのも災いした。



勉学、武道・スポーツと、競争を何より奨励される学園内。

ストレスにさらされている「士族」家庭の生徒達にとって、

AとBは格好のストレス発散の対象となってしまったのであった。


「これだから平民は根性が無い」


「切腹したことがない奴等の子孫」


「軟弱者」


「オタクナード」


こう言った言葉で、

AとBはさげすまれていたのである。


だが、Aの場合、

徹底的に糾弾されるきっかけを

自らの手で引き起こしてしまった。


それは中学2年生の秋のある日。


「具合が悪い」


といって早退したAであったが、

実はこの時、Aは授業をサボって、

アニメのイベントに参加していたのであった。


後日、クラスメートにそのことが露見され、

教師に伝えられた。


学校はAに停学3日の処分を与え、

この事件は終わったかに見えた。


だが停学が明けた翌日。


「平民への指導」という名のもとに、

クラス会長による徹底した鉄拳制裁が行われたのであった。


その制裁というのがすさまじい。


クラスメートが一人ずつ、

握りこぶしでAの頬を殴りつける。


Aが耐えたら次の人間に順番が回るが、

Aがよろけた場合、もう一度殴り直し。


こうしてAは50回近く殴られ続け、

頬が腫れあがったものの、


これについては

「罰則者への士族文化の通過儀礼」


として学校側も黙認していたようであった。


そんなAであったが中学3年の時、

3年4組となり、Bと同じクラスとなった。


A、Bの2人は、

クラスでも目立たない日陰者としてクラスの隅っこにいったものの、

初めてお互いの存在を認識するようになった。


「平民」


「オタクナード」


「勉強が苦手」


「スポーツ、武道が苦手」


といった劣等生の二人は、

アニメを通じてたちまち邂逅。

仲良くつるむようになったという。



こうして彼らは、

お互いに助け合うようにスクールカースト最底辺を生き延びる術をえたのだった。


学校という名の閉鎖空間。


孤立し罵られる二人の唯一の心のよりどころは、

お互いの存在とアニメだけとなっていったのだった。


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