【第2章】第17話 面白くもないクリスマス

 瑠色るいはイベントに興味がない。

 独身OLの頃、バレンタインデーがやって来る度に、同僚女性たちから

「上司に義理チョコ配るから、1人○○円出して~」

と半ば強制されるのが不愉快でたまらなかった。

 それで毎年断っていたのだが、そんな女は瑠色1人だけだったから、少々変わり者扱いされ、遠巻きにされていた。

 しかし、瑠色にしてみると、お互いにあげたくも貰いたくもない菓子を交換し合うくらい阿保あほらしいことはなかった。

 祭りも花火大会も、何が嬉しくてわざわざ人混みの中へ飛び込み、空騒ぎして疲労して帰ってくるのか解らなかったから、ほとんど出向いたことがない。

 結婚記念日も、この日だけ旦那だんなから花やレストランでの食事をプレゼントされたところで、それ以外の364日大切にされていないなら、芝居がかって互いに白々しいばかりだ。

(それともみんな、こういう日くらい、若い時にあえて誤解したように、2人が特別な関係のように取りつくろいでもしなければ、残りの日をやっていくことが出来ないのかも知れない)

 憲介けんすけは、むしろ、こうした記念日だの誕生日だのをいちいち祝いたがった。それはいかにも"上手くいっている夫婦”、"仲良しでまとまっている家族”を型通り外形的に演出することで、周囲からそう認知されやすいので、彼もそう信じることができるからではないかと、瑠色は思った。

 そんな大事な日を、年々忘れがちになっていく瑠色に憲介はよく腹を立てていたが、最近はようやくあきらめたようで、祝おうと言わなくなったから彼女も助かっていた。


「クリスマスか……面倒だわ……」

今年も、そんなイベントの1つ、クリスマスがやって来る。

 幸介こうすけが歓ぶのと、自分も室内装飾が好きだから、イベント嫌いの瑠色にしては珍しく、毎年華やかに飾り付けをし、サンタからのプレゼントも憲介と相談して用意してきた。

 しかし、今年は腰が重い。

 いつもなら1月以上前に、外のオリーブの木を電飾して近所の人にまで歓ばれていたし、室内装飾もかなり凝って、憲介や幸介だけでなく、幸介へのプレゼントを持って遊びに来る母や妹の目にも楽しんでもらうのが常だった。  

 しかし今回は、12月に入って1週間以上過ぎても、まだなんの飾り付けもしていない。

 それどころか、ここ数ヵ月はうちを掃除する気にもなれず、いえの中も外も雑然として、どこかすさんだ雰囲気さえかもし出し始めていた。


「お母さん、クリスマスの飾り付け、しないの?」

ある日、幸介がしびれを切らしたように聞いてきた。

「う~ん……面倒くさくてね……」

「えー!クリスマス飾り、してよー」

「ハイハイ、もうっ、分かったわよ!」

彼女は思わず舌打ちしそうになった。

 今や重荷にしか感じられない家庭の中を、美しく維持したり、飾り付けしたりする気力は、到底絞り出せなかった。

(どうでもいい……どうでもいい!)


 力斗がクリスマスを愉しみにしている様子が、瑠色をさらに苛立たせていた。

 力斗は毎年娘のために、サンタがマンションの自宅の中まで訪れてきたかのように細やかに演出したり、娘の欲しい物をさりげなく聞き出して、それがどんなに入手しにくいレアなオモチャであっても必ず探し出して用意したり、得意の料理に腕をふるって、パーティー好きの妻が自宅へ招くママ友たちにふるまったりするようなのだ。

「力斗は、家庭が苦痛ではないものね」

瑠色がこう口にするのは、何度目だろう。

「そう……ですね、苦痛ではないなぁ」

力斗も、電話口で申し訳なさそうに、いつもと同じ言葉を返す。

「いいな。私もせめて夫を嫌いでなければ、貴方あなたと逢えない間も耐えられるのだけど……」

「私は妻を、嫌いではないのでね」

「奥さんが、羨ましい」

瑠色は唇を強く噛んだ。

「人をうらやましがってはいけませんよ」

さとすような力斗の言い方にカチンくる。

「羨ましがらずにはいられないじゃない!私が毎日夫に怒鳴どなられて、説教されて、けなされて、息子とビクビク暮らしている間、貴方あなたは他の女を守っているのだもの。私のことをほっぽらかしにして」

「……」

力斗は何も答えなかった。

 嫌われたかも知れない。不倫相手に過ぎないのに、面倒な女だと思われたに違いない。

 瑠色には、沈黙がとても長く感じられた。今、力斗をうしなったら、明日からどう生きていけばよいのだろう?

「……ごめんね、どうしてあげることもできません」

力斗はよくやく、苦し気に言葉を洩らした。

「ううん、私こそ、わからないことを言ってごめんなさい」

「私は家庭生活に不満はないですが、すごく切ないですよ、毎日」


 インターホンが鳴った。

 スマホに耳を当てたまま、インターホンの画面を見ると、幸介が映っている。

「幸介が帰ってきたわ」

「そうですか。では切りましょう」

「ううん。いったん切るけれど、またすぐに掛け直す。いい?」

「もちろん、いいですよ」

電話の向こうで、力斗が微笑んでいるのが判った。

「お帰りなさい」

瑠色は電話を切ると、玄関の鍵を開けた。

「ただいまぁ」

幸介は勢いよくドアを開けて入ってくると、手袋を取り、靴を脱いで、急いでリビングへ入った。

「ああ~、あったかぁい」

幸介がランドセルを背中から降ろすのも待たずに、瑠色は言った。

「お母さん、ちょっと今、コンビニへお使いに行ってくるね」

「え、そうなの?オヤツないの?」

「チョコとお煎餅せんべいがあるわよ」

そう言いながら、瑠色はもう、勝手口のドアノブに手を掛けていた。

「じゃあ、買いに行かなくていいじゃん」

「他に買うものがあるのよっ」

そう答えるのももどかしく、ドアを開けてサンダルを引っ掛ける。

「なんだぁ……僕が帰ってくる前に行っておけば良いのに、なんで帰ってきたとたんに……」

幸介が言い終える前に、瑠色はドアを閉めて外へ出ていた。

 勝手口は駐車場へとつながっている。瑠色は自分の軽自動車へ飛び込むと、力斗に電話をかけ直した。白い息がスマホにかかる。


 家族に隠れて電話をするなんて、学生の頃に戻ったようだ。

 まだ携帯電話など無かった当時は、自宅の固定電話の子機を片手に自室へこもり、彼氏と小声で話したものだ。

 まさか、家庭を持ってこんな歳になっても、コソコソ男と電話することになろうとは、想像もしていなかった。

「もしもしぃ」

1コールで力斗が出た。

「お待たせしました」

「息子さんは、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。小さい子供じゃないのだから」

「私より、息子さんを大事にしてあげて下さいね」

(また言ってる)

瑠色はムッとした。今日の電話はやけに腹が立つ。

 海外の大学や研究機関との共同研究も多く抱える力斗は、12月になると"年末進行”に加え"クリスマス進行”も重なり、多忙を極めていた。

(今月はまだ1度も逢えてない。下手をすると、年明けまで逢えないかも知れない)

瑠色は泣きたくなるのをこらえて、また唇を強く噛んだ。

「幸介とは、毎日しょっちゅう一緒にいるのだから、大丈夫なのよ。それより、私には貴方との時間が大切なの!」

「息子さんのことは、一番大切にして欲しいんです」

「そんなこと、言われなくても解ってます!私、貴方よりずっと家にいる人間よ。長年、家にばかりいる。

 最近は、ひと月のうち29日間は家と事務所にいて、残りの1日、ううん、半日ね……月に2回逢えたとしても、合わせて半日、貴方と過ごしてる。

 貴方に触れられる時間は、1年で6日しかない……信じられない程少ないわ……」

瑠色はそう言いながら、絶望的な気持ちになってきた。

(私はもう45よ。好きな男に、あと何度抱いてもらえるのだろう)


 力斗と出逢った頃は、大学が夏休みだったこともあり、月に3度は逢え、朝は10時前から夕方5時過ぎまでベッドにいた。

 それでも、互いのからだを離さなければならない時刻が迫ると、瑠色は八つ裂きにされるような痛みを実際、心身に感じた。力斗との仲が深まるにつれ、家路に着く時の気の重さと言ったら無かったのだ。早く帰らねばいけないことは、頭ではよく判っている。しかし、體はベッドにいかりを下ろしたように動かず、瑠色は引き裂かれた。

 力斗も、やまいでもないのに胸が差し込むように痛むのは初めての体験だ、と苦笑した。

 しかし、大学の後期授業が始まった9月になると、力斗は講義以外に、本職の研究活動が徐々に増え始め-文科省の科学研究費で最高額を獲得したことが大きい-、2人の逢瀬の時間は減る一方だった。

「私は、尚美と過ごす時間も大切にしたいので、貴女あなたにも、息子さんとの時間を大切にして欲しいんです」

「それは前にも聞いたわ。そんなこと言われなくても、私だって、ほとんどの時間を家族と過ごしてる」

「そうですが、貴女の言い方だと、娘より貴女を大切にしろと言われているように聞こえます。私は、子供を犠牲にすることはできないのでね」

力斗は、静かだが、きっぱりとした口調で言った。

「子供を犠牲にする!?どこが?私達、犠牲にするほど逢ってないわ」

瑠色の声がむせび泣きに変わり始めた。

(電話でつながれる時間まで子供に捧げろと言うの?言われなくたって、私は20年近く、自分の時間のほとんどを家族に捧げてきたわ)

「今日はもう、めにしましょう。これ以上話しても、辛くなるばかりです」

力斗は大きくため息をついた。

「ごめんなさい。私を嫌いにならないで!貴方に逢いたいだけなの。逢いたいだけ、それだけ……」

口の中に血の味が広がった。下唇が切れたらしい。涙で濡れてぬめってきたスマホを強く握る手が固まってしまいそうだ。

「私は貴女を、嫌いになれないですよ」

力斗は苦しげに返したが、その声音こわねには、どこかいつくしみの響きが含まれていた。

「では、また……ね……」

瑠色は激しくしゃくりあげながら言った。

「今夜、またメールしますからね」

と答えた力斗が、いつまでも電話を切らないので、瑠色から切った。

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結婚、のち恋。 大川なおみ @naoerega

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