【第2章】第7話 夫は「男」じゃない。
💎前回までのあらすじ💎
【20年近く、夫一筋に家庭円満のためだけに生きてきた
そうすると、日常生活で様々な失態をやらかすことになった。
この前は、よりによって憲介の前で、事務所スタッフの子供の名前を言ったつもりが、力斗の名前を口走って慌てた。
その後は言動によくよく気を付けているから、少々いぶかしんだ憲介も、今では忘れてしまったように見える。
瑠色が若い時から男慣れしているような女であれば怪しんだかも知れないが、自分と婚約するまで処女であったし、セックスが非常に苦手な瑠色に限って、浮気などできるわけがないと高をくくっているようだ。
憲介には
昨日は、自家用車を車検に出しているため、瑠色はタクシーで職場へ行った。
しばらくして自宅に忘れ物をしたことに気付き、仕方なく再びタクシーを呼んで取りに戻った。
車に揺られてぼうっとしていると、またぞろ力斗のことを考え出す。
「お客さん、この辺りですか?」
と運転手に声を掛けられ、ハッとして答える。
「あ、はい、ここを右折して下さい……ここです、この家の前で停めて下さい。またオフィスへ戻って頂くので、少し待っていて頂けますか?」
瑠色はそそくさとタクシーを降りると、玄関扉の前に立ち、手提げ袋の中をまさぐった。
(……ない!)
玄関の鍵が見当たらないのだ。
忘れ物を取りに戻るだけだから、ほんの小さな手提げ袋に財布だけ入れて事務所を出て来たのだが、自宅の鍵を大きなバッグの中に入れたまま、事務所に置いてきてしまったようだ。
(忘れ物を取りに家へ戻ったのに、家へ入れないなんて……)
タクシー運転手に事情を話し、オフィスへ引き返してもらって鍵を手に握り締め、再び自宅へ帰って忘れ物を取り、ようやく職場へ戻れたのだった。
(ああ、なんだか疲れちゃった。よりによって車が無い日に忘れ物をして、それを取りに行くのにタクシーで2往復するなんて……私、何をやっているのかしら)
そして今朝、憲介に背広一式を用意するように言われ、2階へ上がってウォークインクローゼットに入った瑠色だったが、自分の下着をしまってある引出しが目に入るとそれを開け、
(今度力斗さんに逢う時には、どれを着けて行こうかな)
などと、一番下の引出しの奥にしまってある色とりどりの下着を手に取って思案し始めた。
力斗とはこの前研究室で交わったが、瑠色は、ノーブラで男の職場を訪ねるなんて
しかし、帰り際に彼が
「今度はパンティも取ってきてね」
と耳許で
(こんなことしちゃって良いのね!ご要望通り、今度はノーブラ、ノーパンで逢いに行っちゃおうかな)
と考える。
(だとしたら、下がスースー寒いから、スリップはロングでないと…どれにしようかしら)
ああ、なんて愉しいのだろうと、すっかり好い気分になって、鼻歌混じりで階下へ降りた。
すると憲介が、あきれた顔をこちらへ向けて言った。
「鼻歌なんか唄って、ご機嫌で降りてきたのは良いけどさ、俺の背広はどうしたの?」
「あ、そうだ、忘れちゃった!」
「お前、今、2階で何やってたんだよ!?」
「えっと……ごめんなさい。引出しの中を整理し始めたら、背広を取りに行ったのを忘れてしまって」
「……ったく、お前らしいよ」
憲介の背広を取りに上がったのに、自分の下着を整理しただけで、手ぶらで降りてきてしまったのだ。
(ほおんと、私、すっかりイカれちゃってるわ……)
瑠色は我ながらあきれ果てた。
🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎🍎
(力斗さんのキスは全部好き)
仕事が休みの日は、憲介と幸介を送り出した後で、瑠色は独り思う存分力斗を想った。
(軽めでも、濃い目でも、
あの、鳥がついばむようなフレンチキスは特に感じるわ)
と、思い出しただけで軆の奥から蜜が溢れ出す。
「貴女は、私のキスを全く拒否しないでしょ。全て受け入れてくれるのが嬉しいです」
と力斗に言われた。
過去に交際した男達に対しても、キスを拒否した覚えはないが、言われてみれば、特に喜んで受け入れていた訳ではないから-ベトベトのディープキスは苦手であったし-それが伝わっていたかもしれないと思う。
それにしても、力斗と出逢うまで、「どんなキスも全て受け入れる」などと、瑠色は意識したことがなかった。
(ディープキスもすっかり好きになったわ)
瑠色は、こうして力斗の唇の感覚を思い出すだけで、満ちることができた。
これまでは、何をやっても何かが足りない、足りないと、ずっと感じてきのだ。
両親に大切に育ててもらい、多少イジメに遭ったものの、おおむね恵まれた学生時代と呑気なOL時代を送り、一応恋愛も経験して、結婚は見合いでした。
夫の憲介は、欠点はあるが、それはお互い様であるし、結婚相手としては世間的に非常に好ましい人だと思っていた。子供にも恵まれ、ぜいたくに暮らさせてもらっている。
だから、自分は幸せなのだと思っていた。そう思わなければいけないと、ずっと自分に言い聞かせてきた。
しかし、もう何年も前から、その声は聞こえていたのだ。
何かが足りない、足りないと。
(でも、何が?)
何が足りないのか、瑠色には判らなかった。
その不足感、空虚感を埋めようと、ファッションが好きなものだから、お気に入りのブランドの洋服を季節ごとに買ってコーディネートを愉しんだり、インテリアも好きだから調度品を揃え、まめに模様替えもした。憲介の事業を大きくしようと仕事にも身を入れ、弁護士4人、事務員4人の規模にまで拡大してきた。
しかしどれも、胸に広がりつつある深い穴を埋めてはくれなかった。
この厄介な飢餓感は、瑠色の体の奥底に重くしずんで
もがく程に
(他人に
その足りないものが何か判ったのは、3年余り前に、加納健に恋をしてからだった。
瑠色は初めて、強く男を欲っした。
加納の美しい
しかし、この強い欲望は、いまだ叶えられてはおらず、今も彼女の胸の内でそっと息づいている。
(私は恋をしたかったのだろうか、それとも単に、男を手に入れたかっただけなのだろうか?)
と瑠色は思う。
夫という男を長年手に入れているではないか?夫は男ではないのか?
(そう、私にとって夫は「男」ではなかった。それどころか、憲介さんは私の中の「女」を痛め付け、なじり、放置して、
今の私には、最大限の女の悦びを与えてくれる者こそ、本物の男なのだわ)
瑠色はずっと女の悦びを知らなかったが、それを認めるのは哀しすぎたし、それを欲するのははしたないことだと信じてきたから、この欲望は長らく心の深層に埋められてきた。
そうして、長年自分が切望しているものが何なのか、自身でも判らなくなっていたのだ。
今、彼女は、ようやく女の悦びを知りつつあった。
これまで味わったことのない快感と充足感を与えてくれる、恋するに足る
その雄は、彼女を
瑠色は45年間「女」をやってきたつもりだったが、力斗に愛されて初めて、自分が女であることを実感し始めた。
彼女は、これまで自分に許してこなかったことを、ようやく許すことにした。
好きな男と快楽の舟に乗り、果てまで行き着きたいと望むことを。
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