【第2章】第1話 初めての " 浮気 "

💎前回までのあらすじ💎

【瑠色(るい)は、出会い系サイトで出会った男達のうち、最も"男"を感じさせない、典型的な草食系男子の倉松と、気楽に2度目のデートをする。相変わらず服装も構わず、ちっとも口説いてこない倉松に安心しきった瑠色は、彼をカラオケボックスに誘ったが……】



       【本  文】


(倉松さんのキス、気持ち好かった……)

瑠色は、10年振りのキスの感触を、何度も唇の上に思い出していた。

(また、したい)

と思う。

(キスしたい、してもらいたい。倉松さんに、抱きしめてもらいたい!)

そう思って、瑠色ははっとした。

(私、倉松さんに欲情してる)

加納健かのうたけし以外の男にも欲情を感じることになるとは、つい一昨日まで、瑠色は想像していなかった。

 そう自覚すると、倉松に抱いて欲しくて堪らなくなる。

(逢いたい……逢いたい……倉松さんに逢いたい!)

キスは、憲介以外の男性とも経験はあったが、こんなに気持ち好く感じたことはなかった。

 ディープキスにいたっては、唾液で唇をベトベトにされるのが苦手だったし、憲介とは、気持ち好いと感じたことは1度もなかった。

 しかし、倉松の唇には、吸い寄せられて離れることができなかった。いつまでもいつまでも、吸われていたいと思った。

 瑠色は居ても立ってもいられなくなり、昨日海外旅行から帰ってきたばかりの憲介が、次に留守になる日が無性に気になり出した。

 憲介は、今日から通常どおり仕事に出ているが、普段から自分の予定をなかなか教えたがらない。

 連絡なく外食して帰ってくることなどしょっちゅうだし、出張など外泊の予定も、直前になるまで教えない。

 かといって、瑠色の方から確認するとうるさがるから、彼女はいつも、事務所のスケジュール管理表を見たり、スタッフに確認したりして、夫のスケジュールを知るのだった。


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 倉松に会うチャンスは、思いの外早くやって来た。

「来週末の幸介の予定はどうなってる?」

と憲介に訊かれたのは、倉松と別れて3日後のことだった。

「特に何もないけれど……」

「そうか。実は□□先生に、来週の土曜、ハイキングに誘われているんだよ。幸介も連れて行こうと思ってさ。どうせお前は行かないだろ?お前の体力じゃ、みんなに付いていけないから、迷惑をかけるしな。俺と幸介とで行ってくるから、登山の用意をしておいてくれ」

「はい」

瑠色は抑揚のない声で答えたが、内心では飛び上がらんばかりに喜んでいた。

(倉松さんさえ都合が付けば、来週末には、また逢えるかも知れない!)

たとえ憲介が留守になっても、小学6年生の幸介を、休日に朝から晩まで一人きりで家に置いておくのははばかられる。しかし、憲介が幸介も連れて、早朝から夜半まで遠出してくれるのは、渡りに船だ。

 瑠色は早速、メールで倉松に都合を訊いた。

『思ったより早く貴女に逢えそうですね。すごく嬉しいです』

と即座に返信がきた。

 2人は、これまで2回デートしたのと同じ場所で、土曜に、朝9時半から会うことに決めた。

『きっとまた、時間が全然足りないに決まっていますから』

と、倉松ができる限り早い時間から会いたがったのだ。

 ところが、ほどなくして彼女は不安になってきた。

 果たして、今度会った時には、倉松はどんなデートをするつもりなのだろうか。まさかまた、喫茶店巡りでもするつもりではなかろうか。

 2回のデートとも、倉松は全く予定を立ててこなかった。彼のことだ、今度もきっと、デート・コースなど考えてこないに違いない。

 前回、前々回同様、駅周辺を歩き回っているだけでは、キスすることもおぼつかない。

(ホテルに、誘ってくれるのかしら……?)

瑠色の方から誘わなければ、永遠に誘ってくれない気がする。

 彼は、毎日くれるメールに好意をにじませてはいるものの、それはとても控え目な表現に過ぎず、関係を発展させようとする積極性は感じ取れなかった。


    🍑🍑🍑🍑🍑🍑🍑🍑🍑🍑


 倉松と3度目のデートをする当日、軽登山へ出掛ける憲介と幸介を明け方に送り出すと、瑠色はまたベッドへ潜り込んだ。

 今朝はこの後8時半には家を出て、都内へ向かうが、また炎天下を歩き回ることになりそうだから、少しでも睡眠を取って、体力を蓄えておきたい。

 ぎりぎりまで寝てベッドから起き上がると、早速身支度を始めた。

 パジャマと、普段使いの下着を脱いで、全裸で姿見の前に立つ。

 幸介を出産後、一時は「貫禄が出たわね」などと友人に揶揄(やゆ)された体型も、加納健と並んで見劣りしないようになりたい、という一心から、食事の質と量に気を遣い、毎朝30分程のストレッチと軽い筋トレを日課にするようになって、すでに4年近くが過ぎた。

 その甲斐あって、いつしか、憲介以外の人からは、スタイルが好いとか、けっこうグラマーだとかと、褒めてもらえるようになった。

 娘時代のほっそりしたラインは消えたが、ほどよく引き締まった軆はメリハリがあり、腰やヒップに女らしい豊満さが表れている。

 瑠色はさらに、アンダー・ヘアの手入れもすることにした。

 インターネットでアレコレ検索していたら、男性はどうも、“手入れしていない女"を敬遠するらしいことを知った。

(どうしよう……どうすれば良い?)

と彼女は慌てた。

 なにせ、生まれてこのかた、そんなところを手入れしたことなどなかったのだ。

 急きょ色々調べてみると、専用のシェーバーがあることが分かり、それをネット通販で取り寄せて、前の晩風呂に入った際に使ってみた。

 なかなか使い勝手が良く、スムーズに綺麗に整えることができてホッとした。

 使い終えると、憲介の目に触れないように、洗面戸棚の奥に隠した。

 独身の頃には、こんなところを、こんな物で手入れするなんて、思い付きもしなかった。せっかく若く、美しい盛りに、随分うすぼんやりしていたものだと、我ながら呆れるやら、残念やらだ。

 前回のデートから今日まで、倉松は相変わらず、仕事の合間を縫って、朝に昼に晩に、毎日まめにメールをくれたが、今日のデートで瑠色とどうにかなる気があるのか、ないのか、ついにうかがい知ることができなかった。

 しかし、さすがに何もないことはないだろうと、瑠色は今回も、シルクの下着をまとった。

 下着は、まだ2種類しか買っていないが、前回はアイボリーだったので、今回はブラックの一揃えにする。

 服は、『23区』のブルーの地に白い水玉模様のタイトなワンピースだ。丈は膝にかかるくらいで、瑠色にしては珍しく短い。

 相変わらずスッピンの顔に、眉とリップを軽く引いただけで、素足に白いミュールをつっかけ、真夏の外へ飛び出した。

 自然と足が弾み、スキップしかねない。このままふわふわ飛んで行きそうで、服の模様が青空と白雲に見えた。


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 特急列車がホームを滑り出した。

 しばらくして、瑠色はまた、鼓動が早くなり、息が苦しくなるのを感じた。

(まただわ……)

この症状はいったい何だろう?

 ここ2週間位の間に、このように過呼吸気味になって胸が苦しくなり、頭から血の気が引いて貧血に似た症状に見舞われることが、もう3回も続いている。

 初めてこうなったのは、倉松に初めて会い、喫茶店で喋っている時だった。熱中症かと内心慌てたが、洗面所に入って呼吸を整えている内に、幸い短時間で治まり、倉松に悟られずに済んだ。

 その翌日、2度目に彼に会いに向かった時も、やはり特急車内で同じ症状に見舞われ、シートにうずくまって動けなくなった。

 待ち合わせの駅に着くギリギリになって、なんとか持ち直したが、今度ばかりは、そうそう上手いこと回復する自信はなかった。

 彼女はとにかく慌てずに心を落ち着け、全身の力を抜いてシートに身を預け、静かに目を閉じた。

 大きく規則正しい呼吸を、ゆっくりと何度も繰り返す。すると、前回よりは早めに治まった。

(助かった……それにしても、なんなの?メニエールの発作とは違うし……何か悪い病気にでもかかったのかしら)


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 瑠色は、幸介を生んで間もなく、メニエール病を発症した。

 ストレス性の、強いめまいが止まらなくなる難病で、姑には、「この悪ガキのせいだよっ」と、1歳になったばかりの幸介をあごで指されたが、医者によると、3年ほど前から兆候があったはずだと指摘された。

 確かに兆候は、もっと以前、結婚後間もなくからあった。

 朝ベッドから起き上がった時や、急に立ち上がった時などに、一瞬くらりとめまいを感じることが度々あったが、単なる立ちくらみだと思っていたし、この程度のことで体を休めていては姑にどやされるので、無視している内に慢性化してしまった。

 しかし、今回は3回ともめまいの症状はない。密会を前にドキドキしたせいとも考えにくい。なぜなら、倉松と初めて会った時も、2度目に会いに行った時も、彼を男として意識していなかったからだ。むしろ、他のどの男性と会ったときよりリラックスしていた。

 我がことながらいぶかしく思っている内に、終着駅が近付いてきた。

 スマートフォンを取り出し、インターネットで、待ち合わせ駅周辺のホテルを検索してみる。

 シティホテルには、日中に数時間部屋を利用できる " デイユース ・サービス”があるようだが、部屋の画像を見てみると、非常に狭くて味気なく、いかにもビジネス使用だ。男と女がむつみ合うためのホテルの方が、部屋もベッドもずっと広くて、はるかに居心地好さそうである。

 そんなホテルは何軒もあるようだが、憲介と婚約した20年近く前に2~3度行ったきりの瑠色には、どんな基準でどこを選べば良いのか、さっぱり判らない。

 しかし倉松ではなおさら、デートコースやホテルのことなど、調べてこないに決まっている。

 となると、彼にキスして欲しい、触ってもらいたいと思っている自分の方が、2人きりになれる場所に誘導しなければならないだろう。  でも、だいたい彼女は、場所を吟味したり、料金を比較検討したりするような細かい事務作業が、すこぶる苦手だ。

(や~めた!)

瑠色は早々にスマホを閉じた。

 小さい画面をにらんで、脳みその普段使わない部分を無理矢理使っていると、また具合が悪くなってきそうだ。

(なるようになるわ)

瑠色は、デートの段取りを考えるなど、およそ柄にもないことをするのを、めた。

 彼女同様、倉松も、行き当たりばったり、その時の気分で行動するようだから、成り行きに任せるのが2人には合っているのかも知れない。

 そう考えると気が楽になって、彼女は再び目を閉じ、シートに身をもたせた。


    🥝🥝🥝🥝🥝🥝🥝🥝🥝🥝   


 改札の向こうに、彼はいた。

 こちらに背を向け、掲示板に貼られた観光用ポスター1枚を、穴の空くほど眺めている。

 瑠色は足早に改札をすり抜けると、弾むように駆け寄った。

「倉松さん!」

ぽんと、肩を叩く。

「ああ、お早うございます」

倉松が、照れた笑顔で振り向き、まぶしそうに瑠色を見つめた。

 10日あまり前にこの改札で別れた時は、母犬とはぐれた仔犬のようにうなだれて帰っていった倉松が、今は激しく尻尾しっぽを振っているように見える。

「とりあえず、外へ出ましょうか」

彼の手が、遠慮がちに瑠色の背中に触れ、駅の出口へ向かって降りるエスカレーターへと促した。

「長かったです」

エスカレーターに乗ると、倉松がつぶやいた。

「え、何がですか?」

瑠色は彼を下段から見上げて訊いた。

「貴女に逢えるまでの間が、すごく長かった。3年ぐらい待った気がします」

瑠色にはそれが、まんざら冗談でもないことが分かった。なぜなら自分も、そんな風に感じていたから。

「はい……待ち遠しかったです、私も」

エスカレーターを降りて駅構内を出ると、まだ朝の9時半だというのに、もう陽射しが痛い。

 この暑さの中を歩き回るのでは、また体調を崩さぬよう気を付けねばならない。

「さてと……どこへ行きましょうかね、今日は」

と、倉松が柔和な笑顔を向けて、呑気な口調で訊いてくる。やはり、今度も何も計画していないらしい。

「そうですねぇ……お寺も行っちゃったし、ランドマークタワーにも行きましたものね。散策するなら、日影が多いところがいいな……」

「ホテルへ、行きますか?」

「え?」

瑠色の耳に口を近付け、声を落として言った倉松の顔を、彼女はまじまじと見た。

 公園へ行きますか、とでも言うような調子で、あまりに自然に、すんなり言われたものだから、発せられた言葉の意味を脳みそが認識するのに、数秒掛かった。

「え、あ、はい。あの……もう?」

しどろもどろになりながら、瑠色は答えた。

「はい。早く二人きりになりたいでしょう?」

倉松は相変わらずにこにこしながら、子供のように無邪気に言う。

「そ、そう……ですね。はい……ええっと、どうしようかな……どうしよう……」

「嫌ですか?」

彼が不安げな顔をする。

 嫌ではない。全く嫌ではないし、迷ってもいない。むしろ、そうなりたい気がする。いや、そうなりたい!

 でも、でも…… 、あまりに 早すぎる展開ではないか!

 ゆっくりデートしながら、どこかで2人きりになった隙にキスをして、成り行きによってはホテルへ誘ったり、誘われたりしても良いかしらん、と徐々に覚悟を決めていく算段だったのに、想定していた過程を全てふっ飛ばされ、彼女は戸惑った。

「ホテル、行きます。私も、行きたいです」

「では、行きましょう。好い所を見付けたんですよ。駅から数分で、出入りも自由にできるから、昼食にも出られますし……」

倉松は、事前にホテルを調べておいたらしく、道に迷うことなくホテルへ着き、無人のロビーに備え付けられた受付パネルに映し出された幾つもの部屋の画像の中から、最も広い部屋を選んでボタンを押し、機械からはき出されたチケットのような紙片を破り取ると、エレベーターに乗った。


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 外観も内観も、瑠色が昔見たような、いかにも華美な装飾はなく、シティホテルのようにシンプルで清潔だった。

 しかも、部屋もバスタブもベッドも広く、外の音も一切聞こえず、居心地の好さは予想以上だ。

「最近のラブホテルって、普通のホテルと変わらない雰囲気なのですね」       

間接照明の下で白く浮かび上がるフェイクレザーのソファに腰を下ろしながら、瑠色は照れ隠しに、そんなことを口にしてみた。

「そうなんですか?私はこういうホテルは初めてなので、よく知らないんですよ」

「うそっ!?今まで女性と、どこでどうしていたの?」

「私はずっと、アパートで独り暮らしをしていましたから、ガールフレンドは家に来ていたんです」

「なるほど……」

とうなずく瑠色の横に、ポットに水を入れて湯を沸かすセットをし終えた倉松が座った。

 彼は、駅で会ってからここまで、とても落ち着いていてスムーズだった。いわゆる"草食系"の世慣れぬ学者だと思っていたのに、いっぱしの大人の男に見えてきて、ドギマギしてしまう。

 それにしても、どうしたら良いものか。

 瑠色は、膝の上で組んだ自分の手をじっと見つめたまま、動けないでいた。

「綺麗だなぁ……貴女は本当に綺麗だ」

倉松は、うつむく瑠色の横顔を見ながら、そっと髪を撫でた。瑠色はかすかに震えた。

「嬉しいです……」

彼女はなおも、視線を自分の手に向けたままだ。

「メールにも書きましたが、昨日からちょっと風邪気味でね。今日は貴女にキスしちゃいけないな、と思っているんですよ」

と、この期に及んで、倉松はとんでもないことを言い出した。

「え?そうなのですか?」

と瑠色が慌てて倉松に顔を向けると、彼はアハハと笑った。

「やっとこっちを向いてくれた」

「もう!からかわないで下さい」

瑠色が、倉松の胸にすがるように両手を当てがう。

 すると倉松は、彼女の胴に両腕をきつく巻き付け、一気に抱き寄せた。

「ああ、こうしたかった!」

彼は絞り出すようにつぶやくと、彼女に唇を重ねた。

 遥か昔からこうなることが決まっていたかのように、2人はようやく辿り着けたような深い安堵と歓びの場所で、しばらく互いの唇や舌の感触を確かめ合った。

 やがて彼の手が、瑠色のワンピースの裾をめくり上げ、太腿を撫でた。その手は滑るように内腿を這い上がると、彼女の熱を帯び出した場所を、パンティの上からなぞった。

「あっ……!」

瑠色は思わず倉松にしがみついた。

 こんなところを他人に触れられるのは、何年振りだろう。

 最近では、ごくたまに、加納健かのうたけしを想って自分で触ってしまうことはあったが、他人に触れられると、反射的に身が固くなる。憲介と交わっていた頃の緊張感が、抜けていないようだ。

「ごめん。痛い?」

倉松が心配そうに訊く。瑠色は激しく首を振った。

「もう濡れているんだね」

「え、もう!?」

瑠色は驚いた。

「だって、ほら。もうパンティが湿っているよ」

倉松は、彼女の耳に口を押し付けてささやいた。

 憲介との夫婦生活では、最初から最後まで濡れたことはなかった。だから毎回、市販の"潤滑ゼリー"を使っていたのだ。

「いつまでも濡れない女だな。不感症なんだよ、お前は」

と、憲介はよく苛立っていた。

 瑠色は、自分は濡れにくい体質なのだと、申し訳なく思っていたから、今日も実は、その点が気掛かりだった。

 倉松は、瑠色の唇を優しく吸いながら、ワンピースの中へ伸ばした手の先で、小さい三角形の布地の端をめくり、軽く深部に触れた。

「……ほら、こんなに」

彼は、ワンピースから手を抜くと、光る中指を瑠色に見せた。

「いや……恥ずかしい……」

彼女は目を逸らして、倉松の肩に顔を埋めた。

「可愛いですよ」

彼は愛おしげに彼女の背中を撫で、ワンピースのジッパーを下ろす。

 熟(こな)れた手付きで服をはぐと、あらわになった肩から胸元にかけて、軽く口付けした。

 倉松は、黒いシルクの下着姿になった瑠色の背後に回り、彼女のスリップの肩紐をゆっくり下ろしながら、首筋、肩甲骨、背骨と、あくまでもゆっくり、丁寧に唇を押し当てていく。

 瑠色は彼に身をもたせ、徐々に全身の力が抜けていくのを感じていた。

「うわっ、きれい……!」

 倉松は、取り除いた黒いブラジャーの中から現れた、およそ中年女の物とは思えない真ん丸の真白い乳房と、薄桃色の先端を見て、思わずそう呟いた。

 そして、彼女を少しこちらへ向かせ、背後から覗き込むようにして頭を落とすと、乳房に唇を付けた。

 出産以来、赤ん坊だった幸介以外に触れられたことのない乳房を、出逢って3度目の男に吸われていることが、瑠色には現実味がなかった。

 それにしても倉松は、乳房に舌を這わせてはいるが、先端には触れてこない。

 わざと核心を外しているのだろうか、かえって突起が敏感になっていく。瑠色が焦れてくると、それを見計らったように、ようやくちゅるりと、乳首を唇に吸い込んだ。

「ああっ……!」

瑠色は思わず、倉松の頭を抱えて胸に引き寄せた。

 彼は自分も服を脱ぐと、彼女を抱き上げてベッドへ運んだ。

(なんて丁寧なのかしら)

と瑠色は思った。

 部屋へ入ってベッドへいざなわれるまで、優に30分はかかっている。

 憲介だったら、もうとっくに終わって、シャワーを浴びているころだ。

 それに、こんな風に抱きかかえられたのも初めてで、なんだかお姫様になった様で、嬉しかった。

 性急で雑な愛撫しか知らなかった瑠色のからだは、出逢って間もない男の腕の中で、初めてほぐれ始めていた。

 倉松は、瑠色を仰向けに寝かせると、自分は横になって寄り添い、肌に触れるか触れないか程度に手を這わせながら、唇を吸う。

 瑠色はまだパンティを着けていたが、すでにぐっしょりと蜜が溢れているのが分かった。

 これまで、こんなになったことはなかったし、結婚後はいつもカラカラに乾いていたから、自分がこんなにも瑞々みずみずしくなれることが、嬉しかった。

(私、濡れることができるんだわ!)

 これなら、倉松のすでに硬くなっているものを、すんなり受け入れられるだろう。

 彼は、瑠色のパンティをゆっくり下ろした。

 ああ、とうとう、夫にも、自分の目にもしばらくさらしたことのなかった場所を、知り合ったばかりの男性に見られてしまうのだ。

(私、本当に、"浮気"をしてしまうのね)

瑠色は今更ながら、大変なことをしでかしているのではないかと思った。

「怖いですか?」

彼女の心の動きを察知したように、倉松が訊いた。

「ううん……倉松さんに抱かれたいから、いいの」

「そう?無理しないでね。痛かったら、遠慮しないで言って下さいね」

果たして、彼を受け入れることができるのだろうか。

 不安だった。

 なにせ10年振りなのだ。

 それに、受け入れられたとしても、痛かったらどうしよう、と心配になる。

 憲介とは、最後まで痛みから解放されることはなかった。

 瑠色は目を閉じ、緊張しながら待った。

 すると 、に、予想よりずっと柔らかな、まるでベルベッドのような感触を覚えて、思わず目を開けて下を見た。

「や!……そこはいいです」

瑠色は慌てた。

 男性に秘部を口で愛された経験がなかったのだ。また、そうされたいと望んだこともなかった。むしろ、恥ずかしすぎて嫌だった。

 それに、2人とも部屋に入ってすぐにこうなったから、風呂にも入っていない。

「汚いですから……」

「ぜんぜん。汚いなんて思いませんよ。大丈夫、力を抜いて」

「でも……、あっ、痛っ」

少し強くされるとすぐに痛みが走るのは、我ながら情けないところだ。

「痛かった?ごめんね」

「ううん……私、痛がりみたいなんです。夫には、大袈裟だって、よく怒られました」

「いや、すごく感じやすいんだと思うな」

そうなのだろうか?

 憲介とは、言うこともやることも正反対の倉松だ。

 彼は、再び瑠色の両脚の間に顔を埋めると、今度は触れるか、触れないかくらいのタッチで、舌で花弁をなぞった。

 瑠色は、後頭部に弱い電流が走ったかのように感じた。

 倉松は、舌で花弁を一枚一枚丁寧にめくると、そっと舐め上げる。

「あ……いっ……!」

体験したことのない快感が、瑠色の腰から脳髄に突き上げた。

「ああっ、倉松さん……倉松さん……」

瑠色は夢中で、彼の名を呼んだ。

「気持ち好い?」

「……うん……」

「腰が動いちゃいますね」

「え、そう?」

もはや、自分がどんな動きをしているかなど分からなかった。

「もう少しじっとしていて。そんなに腰を動かされると、舐められないから」

倉松は両手でがしっと瑠色の腰を押さえると、なおも舌で責めた。

「ああんっ……うんん……」

これまで、憲介にいじられて痛みしか感じたことのなかった部分が、こんなにもいなんて、知らなかった。

「大きい声が出ていますね」

倉松がクスリと笑う。

「……いやだ……恥ずかしい」

「嬉しいですよ。貴女が気持ち好くなってくれて」

倉松はそう言うと、股間から顔を上げて這い上がり、瑠色に口づけをした。

 彼の唇がひどく濡れている。

「倉松さん、唇がびしょびしょ……」

「これはですけれどね」

「え、こんなに?」

「そうですよ。ほら、シーツもぐっしょりだ。見てごらん」

見ると、自分の脚の間が、水をこぼしたようにシーツの色が変わっている。

「うわぁ、すごい」

と目を丸くしている瑠色の上に、倉松は再びおおいかぶさると、彼女の両脚の間に腰を割り入れてきた。

 いよいよだ。

 瑠色が男を迎え入れるのは、実に10年ぶりなのだ。

(上手くいきますように!)

彼女は、腰から下に力が入らないように意識した。

 憲介にこうされる時は、いつも痛みを我慢していたので、どうしても反射的に力んでしまう癖がある。

 倉松が、そそりつものを押し当ててくる。

「……う~ん……いらないなぁ……」

しばらく試みた後、倉松は少し困った顔をした。

(ああ、やはり上手くいかないのだわ)

瑠色は自分が情けなくなった。

 憲介が言うように、私はやはりセックスが下手な女なのだ。男性を歓ばせることができないのだ。

「ごめんなさい」

彼女は消えてしまいたくなった。

 男からしたら、浮気しようとベッドインした中年女に挿入できないなんて、笑い話にもならないだろう。

「謝らないで。10年ぶりなんでしょう、こういうこと?」

倉松は静かに軆を離して横たわり、瑠色を優しく抱き寄せた。

「はい……ごめんなさい、私……」

一方的に気持ち好くさせてもらって、申し訳なくて、情けなくて仕方がない。

「旦那さんと結婚するまでは、誰ともセックスしたことなかったんでしょう?」

「途中までは、したことはあるの。でも、恐くて、最後までできなかった」

「何が恐かったの?」

「痛そうで……それに、何かいかがわしい様な、罪深い様な、嫌らしい、汚らわしいってイメージを、セックスに持っていたから」

「へえぇ」

倉松は不思議そうに瑠色を見た。

「変よね」

瑠色は、倉松の胸に頭を乗せて、話し始めた。


   🌽🌽🌽🌽🌽🌽🌽🌽🌽🌽


 幼い頃、狭い官舎に住んでいて、両親の夜の営みを、ふすま一枚隔てた隣の部屋で、何度も耳にしたの。

 長い間、悪魔の所業だと思ってた。

 母が泣いているように聞こえたし、そんな母を、父は助ける様子がない。それで私は思い余って、「ママ、大丈夫?」と襖の向こうに声を掛けるのだけれど、ピタリと静まってしまう。

 私は、2人とも悪い病気にかかってしまったのだと思って、徐々に知らぬ振りをするようになったわ。

 月に何度か、営みが始まる度に、私はギクリと目を覚ましてしまう。それで、終わるまで両手で強く耳をふさいで、布団の中で体を丸くして固くなって、

(神様、パパとママを助けて下さい、お願いします、お願いします!)

って、何度も、何年も祈り続けた。

 とても恐くて、苦しかった。

 中学生になると、両親が何をしているのか分かって、とてもショックだった。

 だって、テレビや映画でラブシーンが出てくると、「子供は見てはいけません!」なんて、両親は私の目を手でふさいだり、チャンネルを変えたりしたし、中学に上がると、男女交際はイケナイことのように母から聴かされたから。

 先生達も、性教育の時間は、どこか後ろ暗い雰囲気を醸し出してた。

 私にとってセックスは、物心ついた頃から常に、恥辱ちじょくと罪悪感にまみれていたの。

 結婚後は、夫とは最後まで出来るようにはなったけれど、痛いばかりで、ますます嫌いになったわ。

 セックスは生殖と、働いてくれる夫へのねぎらいに過ぎないのだと理解した。

 昔から、妻の『夜のお務め』って言うけれど、セックスは『義務』なのだと思ってた。


 瑠色が一息に話し終えると、力斗が不思議そうな顔をして、

「痛いばかりだったのですか?」

と訊いた。

「そう……夫は、私が濡れない体質なのが悪いんだって、言ってたわ」

「嘘でしょう?こんなに濡れるじゃない。部屋に入って、すぐに……」

「そう!自分でもびっくりしちゃった。濡れなかったらどうしようって、心配していたのに」

「そんなことを心配していたのですか?」

倉松は、瑠色の髪を撫でながら笑った。

「そう。だって、いらなかったら困るでしょう?……でも、挿いらなかったですね、ごめんなさい」

彼女は胸がふさぐ思いだった。

 いい歳をした、子供さえ生んでいる女に挿入もできないなんて、アバンチュールの相手として最悪だろう。

「謝らないで。そんなことは、本当にどうでも良いことなんですから。

私は、こんなにも大切に、こんなにも愛おしく女性を抱いたのは初めてです。

 挿入なんか、気にならなかった。

 考えてみれば、れていないのにこんなに気持ち好いなんて、ある意味、すごいことですよ」

「そう?私、夫に"マグロ女"って言われていたから……倉松さんに悪くて」

「そんなこと思わないで。貴女は素晴らしいですよ、本当です。こんなに感じてくれて」

「それは、倉松さんが優しくしてくれるから」

「そんなことないです。セックスは私だけではできません。2人で創り上げていくものですよ。貴女はとても敏感なんだ。私の腕の中で、こんなに乱れて……信頼して、身を任せ切ってくれているのが、すごく伝わってきて、嬉しかった。

 病み付きですよ。

 もう、貴女の居ない世界は、考えられない」

そう言うと、倉松の唇が、再び瑠色のそれに重なった。

 すると、彼は唇に"しょっぱさ"を感じて顔を離した。

 瑠色の頬を、涙が伝っていた。

「私、恐かったんです。男性をよろこばせることができないから。貴方に抱かれたいと思ったけれど、私は"マグロ女"だから、セックスをしたとたん、貴方に嫌われてしまうのではないかって……」

貴女あなたはちっともマグロではないでしょう。こんなに感じてくれて、感覚が豊かなんだ。これからは、もっと気持ち好くしてあげますからね」

「そんな風に言って頂けて、嬉しい……嬉しい……」

瑠色は、浮気相手を前に、こんなに涙が流れてくるとは思っていなかった。

 長年胸に詰まっていたかたまりが、溶けて流れていく気がした。

 倉松は、瑠色の頬に唇を押し当て、涙を吸い取った。

「貴女は相当ストレスが溜まっているんだ。これからは、私の胸で好きなだけ泣くといいよ」

彼はそう言うと、自分の胸がぐしゃぐしゃに濡れるのも構わず、瑠色の涙が止まるまで、抱き締めていた。


    🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌🍌


「もう、帰らないといけませんね」

瑠色はふと気が付き、スマホの時刻表示を見た。

「もう5時半!?矢のように時間が過ぎるとは、このことですね。貴女といると、時間が縮みますよ。ハワイのフライト時間と同じ時間が過ぎたとは、到底信じられない」

2人は急に押し黙った。またいつ逢えるか判らないのだ。

「さあ、帰りましょ。奥さんに疑われたら困るもの、ね?」

瑠色はわざと明るい声を出すと、自分を抱き締めて動こうとしない力斗の背中を、ポンポンと励ますように軽く叩いた。

 そして、先にベッドから出、ソファや床に散らばっている下着や服を拾った。

「あぁ~……!」

ベッドから起き上がると、倉松は額を両手で押さえた。

 瑠色は、その嘆くような声に驚いて、倉松を見た。

「貴女ともっと早くに出逢いたかった……貴女と一緒になりたかった!」

瑠色は黙って微笑んだ。

 少し大袈裟ではないか、と思ったのだ。

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