【第1章】第4話 サイトの男たち

💎前回までのあらすじ💎

大河瑠色おおかわるいは、姑に仕え、夫の事業を手伝い、ひたすら家庭円満の為に20年近く尽くしてきた45歳の主婦。

ある日、何を血迷ったのか、ルーティンの朝の家事を投げ出し、出会い系サイトの登録操作を始める。

 一方、研究者の倉松力斗くらまつりきとは、寝る間も惜しんで論文を読んでいた深夜、13歳年下の妻に求められ、しぶしぶ応じる】



       【 本 文 】



 改札前で、冴えない雰囲気で立っている男がいる。

(あの人かしら?)

外国人観光客で賑わう都心の終着駅ホームに滑り込んだ特急列車を降り、改札へ向かって歩きながら、大河瑠色おおかわるいは目をこらした。

(さっきもらったメールには、青いポロシャツにベージュのズボンをはいている、と書いてあったけれど……)

乗降客が大勢改札を通り抜けて行く。

 改札前で人待ちに立っているのは何人かいるが、男は1人しかいない。

(きっとあの人だわ)

ゆったりした歩調で改札へ近付きながら、瑠色るいは男をさりげなく観察した。

 中肉中背で、着古したようなポロシャツにベージュのチノパンをはき、素足に樹脂製のサンダルを突っ掛け、片方の肩にブルーのスポーツタイプの使い込んだリュックを提げて、ヌーボーと立っている。

(大学の先生というけれど、まるで下宿から出てきた学生みたいね。このひとやっぱり、今日の約束を“デート”だと思っていないのかも……あんまりカジュアルすぎる格好だもの。私のこと、女として意識していないのね)


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 倉松力斗くらまつりきととは、この盆休みに入る一月余り前に出会い系サイト内で知り合い、毎日メールで話すようになったのだが、他の男たちに比べて、飛び抜けてメールの頻度と文字数が多い男だった。

 でも、しつこく感じなかったのは、話題が多岐たきに渡って豊富で、瑠色が好きな映画や小説についても詳しかったし、またジョークも巧く、メールを読みながら吹き出してしまうことも度々あって、全く飽きなかったからだ。

 そして、彼にはもう1つ、特異な点があった。

 それは、群を抜いて面白く、長いメールを、日に数度、1ヶ月間毎日くれていたにも関わらず、ただの1度も口説いてこないことだった。

 出会い系サイトにいると、姑や憲介に言わせれば“オバサン”や“ババア”のはずの瑠色るいにも、肉片に群がるピラニアのごとく男たちが毎日寄ってきてはメールをよこしたが、彼らの大半が、1~2往復やり取りすると、『全身写真を見せて』とか、『実際に会ってくれ』と熱心に求めてきた。

 瑠色が、『まずはメールで一定の信頼関係を築いてから』と答えると、潮が引くようにぱったりメールをよこさなくなった。

 そんな中、口説くのはほどほどにして、根気よくメールだけの会話を続けてくれる男たちが、ごく少数だが、いた。

 彼らは総じて配偶者と上手くいっておらず、家庭内別居状態か、表面上は平穏を保ちつつ、会話は事務連絡のみに終始しているような状態で、慢性的な虚しさ、淋しさを抱えており、心通わせられる相手を探し求めていた。

 しかし倉松は、そのどちらにも当てはまらなかった。

 一般教養的な事や趣味、また幼い娘についてはよく書いてよこしたし、13歳年下の妻についても、こちらが訊いてもいないのに時おり話してきた。 

 しかし、瑠色が家庭のことについて少しこぼしたりしても、他の男性達のように慰めたり、励ましたり、相談に乗ってくれることはほとんどなく、興味を示してこなかった。

 こんなサイトにいて、連日会話を交わしていながら、男女のことにも瑠色のプライベートについても、積極的な関心を示してこないのが不思議で、瑠色は1度訊いてみたことがあった。

『ところで、奥様と毎週お買い物に出掛けたりして、仲良しなようですが、なぜ出会い系サイトにいるのですか?』

 すると、こんな答えが返ってきた。

『ある意味私は、不健全な目的でここにいると言えるかも知れません』

『不健全?奥様と仲良しなのに、浮気相手を探しているからですか?』

『いや。浮気相手を探しているなら、出会い系サイトではむしろ“健全”だと言えるでしょう』

『では、何が目的なのでしょう?差し支えがありましたら、もちろん答えて下さらなくて結構なのですが』

『いや、差し支えはないのですが、書くと長くなりそうです』

(いつも長文のメールをよこすくせに……)

瑠色はイライラした。最近苛立ちやすくなったと感じる。

『今度、会って直接お話ししませんか?』

瑠色がサイト内の男に、自分から「会いたい」と誘ったのは、後にも先にも、この男だけだった。

 そうなると、倉松ほどの頻度と文章量ではないにしろ、1月もの間、顔も、会ってくれるのかも判らぬ女のために毎日メールをくれた他の4人の男性の『もういい加減会ってくれ』という求めに応じない理由はない。

 そこで瑠色は、憲介が数日間海外へ出掛けるこの盆休み中に、サイト内で交流が続いていた5人の男たちと、一気に会ってしまおうと決めた。


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「あの、倉松さんですか?」

瑠色は改札を抜けて男に近付くと、声を掛けた。

「はい。瑠色さんですね?こんにちは、初めまして」

倉松は、人なつこそうな笑顔をこちらへ向けると、伸びるままに放ってある、額に掛かった髪を無造作にかき上げたので、顔がよく見えた。

 少し広い額は知性を感じさせ、一重の切れ長の目は穏やかながら力があった。鼻筋は高く通り、唇は血色がい。整髪剤を付けていない髪はサラサラしていて、すぐに顔周りに落ちてきてしまうようだ。

 大学の夏休み中も、日曜以外は朝から晩まで研究室にこもっている様子だったから、生っなまっちろい学者なのだろうと思っていたら、浅黒く焼けていた。

「お肌、けっこう焼けていますね」

と瑠色が言うと、

「ええ。ついこの前、ゼミの合宿で数日間山にこもった時、昼休みに、学生と外でバスケだのテニスだのしていたら、すっかり焼けてしまいました。

 それに、その前に学会で行ったマレーシアに、妻と娘がくっついて来たので、昼間はずっとプールで家族サービスをしていましたからね」

皮がむけ始めた鼻の頭をポリポリきながら、倉松は答えた。

(なぁんだ、やっぱり家族仲良しなんじゃない)

またしても、瑠色はイラッとした。

(この人、家族仲良しなことを隠そうとしないのね。かと言って、けん制したり駆け引きをしている風でもないし、ホント、私に対して女としての興味がないのだわ)

毎夜晩酌をして、酔って20時には寝てしまうという妻に代わり、夕食後の洗い物をしたり、5歳の娘を寝かし付けたり、週末は買い出しに付き合って荷物持ちをしたり、海外出張に共に連れて行ってくれたりする倉松のような優しい男を夫にした女を、瑠色はねたましく感じた。


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「さてと、まずはあのお寺へ行きますか」

と、倉松が言った。

 この駅のすぐ近くに、有名な観光スポットでもある大きな寺があり、参道周辺には土産物屋みやげものやや食べ物屋がひしめいていて、盆休み中の今日などは、人でごった返している。

 倉松は、外国から訪れる研究者を、大学からそう遠くないこの場所へよく案内するらしく、勝手を知っているようだった。

 改札からエスカレーターを降りて駅を出ると、午後の陽射しが肌を突き刺してくる。瑠色は日傘を差して、

「一緒に入りますか?」

と訊いた。倉松は首を振って、

「いやいや。瑠色さん、ご遠慮なく差していて下さい。貴女あなたは肌が白いから、焼けると真っ赤になってしまうでしょう?」

 人混みの中を、倉松は瑠色を気遣い、時々後ろを振り返りながら本堂へ向かって進んでいく。 

 憲介なぞは、親子で出掛けても、後ろを振り返らず早足でズンズン進んでいってしまうから、小柄な瑠色は、幼かった幸介の手を引きながら、いつも小走りで追い掛けていた。それでも雑踏の中を見失うと、「なにグズグズしてるんだっ!」とよくしかられた。 

 瑠色はふと、倉松が片足を引いているのに気が付いた。

「そう言えば、ふくらはぎに肉離れを起こしたとおっしゃっていましたね。大丈夫ですか?」

「ああ、これでもやっと治ってきたんですよ。合宿で学生とバスケをした時にやっちゃって。こうして足を使ってしまうから、治りが遅いんです。妻には相変わらず、風呂掃除やゴミ捨てを頼まれてしまうし……」 

「え、そうなのですか?奥さまは、働いていらっしゃるの?」

「ウチの奥さんは、専業主婦ですよ」

「専業主婦!?それでも倉松さんは、いつも家事や育児を手伝ってあげて……怪我をしてもやってあげるなんて、ずいぶん優しい旦那様ですね」

「今どきの旦那さんは皆、けっこう手伝うと思いますよ。“手伝う”なんて言うと、ウチの奥さんに叱られますけれどね。『“手伝う”のではない。あなたの“分担”だ!』って。そして、まだまだ足りないって、不満そうです」

憲介が家事や育児を手伝うことは、まずない。それは“妻の分担”だと思っているからだ。

 しかし瑠色は、口うるさい憲介にそばにいられるより、手伝ってくれなくて良いから家にいてくれない方が、気が楽で良かった。


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 瑠色と倉松は、本堂に続く参道の途中にドンと置かれた大きな香炉の前で止まった。それを幾重いくえにも人々が取り巻き、お香の煙を有り難そうに手ですくって、頭や胸にかけている。瑠色と倉松も、その輪の後ろに並んだ。

 人がはけるのを待っている間も、は容赦なく照り付ける。

 瑠色は、昨日までの3日間と違って、カジュアルな装いにしてきて楽で良かったと、額の汗を何度もハンカチで拭きながら思った。

 実は、盆休みに入ってから、瑠色はすでに3人の男たちとデートを済ませていたのだ。

 1ひとつきに及んだ毎日のメールのやり取りで、一定の信頼関係を築いていたとはいえ、見知らぬ男と1対1で会うのはさすがに怖かったから、昼間の時間帯にデートの約束をしたが、みな都心のフレンチやイタリアンを予約してくれたから、瑠色は姑や夫の目を気にして長らく着ていなかった、身体からだの線が出るラルフローレンのロングワンピースを着て、連日外出していた。

 中年の肉付き豊かなからだはしかし、ウェストと足首で程よくくびれ、ヒップはキュッと締まって上を向いている。

 この4年近く、毎日ストレッチと軽い筋トレを続けてきて良かったと、立ち鏡に映るマーメイドラインのシルエットを見て、瑠色は満足げに微笑ほほえんだ。

 しかし、今日の相手は自分を女として意識していないようだし、メールの様子から服装には無頓着むとんちゃくなようだから、自分だけ気張ってお洒落しゃれを決め込むのも気恥ずかしいと軽装にしたのは、正解だった。

 今日の瑠色は、白のタンクトップに紺色のサマーカーディガンをはおり、空色の膝丈プリーツスカートの下は素足で、ミュールをはいていた。全てノーブランドのものだが、倉松とのバランスはちょうど良い。

 しかし下着は、幸介を出産して以来久し振りに買い揃えた、少々値の張るシルクの揃いのパンティとブラジャー、スリップを一応着けていた。

 たとえ何も起こらなくとも、くたびれた下着を着けていては、女でなくなる気がしたのだ。


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 それにしても、予想していたとはいえ、相手がこれほど構わぬ格好で来るとは思わなかった。倉松は、服装だけでなく、見た目も准教授というより大学院生のようだ。今日の約束をデートだと認識していないのは明らかで、メル友とオフ会する程度にしか考えていないのだろう。

 瑠色は、女としてプライドが傷付かないでもなかったが、境内けいだいをぷらぷらと歩き、時に仲店なかみせを覗きつつ、とてもリラックスして話せたのは、女として求められているとうプレッシャーがないからだった。

 倉松以外の4人は、メールの中でも控え目ながら度々口説いてきたし、昨日までに実際に会った3人は、食事を終えてレストランを出ると、瑠色の耳元に口を近付けてきて、あるいは腰に手を回してきて、

「今日、これからどうですか?」

とホテルへ誘ってきたのには、ドギマギさせられた。

 実際に会ってみてガッカリされたら悲しいな、と内心思っていたから、3人ともから求められたのは意外で、正直嬉しかった。

 しかし、かといって、すぐに抱かれたい気持ちにはなれなかった。

 瑠色は、

「小学生の息子が家で1人で留守番をしていますので……」

と嘘を言い、早々に家に帰ってしまった。

 彼らは瑠色と同世代で、社会的地位も高く、世の荒波を乗り越えて実績も家庭も築いてきた自信に満ちており、余裕ある立ち居振舞いは、熟成したワインのような魅力を放っていた。

 外見も並み以上で、黙っていても女が寄ってきそうだ。このようなサイトにいる必要はないと思うが、職場や取引先の女性に手を出すのはリスクが高すぎるし、プロの女性と交際する気はない、と彼らは口を揃えた。

 彼らとは、実際会ってみたら益々ますます話が合い、もっと沢山話をしたいと思ったのに、「続きはホテルで」と言われると、瑠色はつい尻込みしてしまうのだった。

 その点倉松は、相変わらず男女のことや個人的な話題にはほとんど触れようとせず、先程から世間話ばかりしているのだが、さすが学者だけあって、雑談というより雑学講座を聴いているようで、瑠色にはとても興味深く、面白かった。


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「この煙を体にかけると、どんなご利益りやくがあるのかしら?」

前にうようよいた人がはけ、ようやく香炉に近付けたので、瑠色は皆にならって煙を片手ですくうと、頭に掛けながら倉松に訊いた。

 彼は、ただ瑠色の横に立って彼女を見ている。

「“浄化”ではないですかね」

「そうなのですね。では、ちょうど良いわ、心をきよめてもらおうっと」

瑠色が何度も煙をすくっては頭や胸に一心に掛けているのを、倉松は目を細めて可笑おかしそうに眺めながら訊いた。

「何をそんなにきよめているのですか?」

「う~ん……サイトで知り合った男の人と、夫に内緒で会うような、ふしだらな心持ちかな……」

「なるほど。そうか、私とこうして会うのは、貴女には“ふしだらなこと”なのですね?」

倉松は顎に手をやり、真面目くさってうなづいた。

 何を今さら、と瑠色は思った。

(私たちがどこで出会ったと思っているのよ。出会い系サイトよっ)

この男、とぼけているのかアホなのか。瑠色は首をかしげながら、倉松の後について、また参道を歩き始めた。

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