【第1章】第3話 妻との交わり

💎前回までのあらすじ💎

【20年近く夫一筋に、家事と育児と自営の仕事にいそしんできた大河瑠色おおかわるいは、何を思ったのか、初めて出会い系サイトに登録する】 


 

 梅雨明け間近の蒸し暑い深夜、倉松力斗くらまつりきとがいつものように書斎のデスクに向かっていると、トイレにでも起きたついでなのか、妻の倫子りんこが珈琲片手に部屋を訪ねてきた。

 いつもノックと同時に、倉松の返事を待たずドアを開けて入ってくる。

 書類と本が乱雑に積み上がったデスクの隙間を探してカップを置くと、

「ねぇ」

と話し掛けてきた。

「……うん?」

査読を頼まれている論文から目を離さずに倉松が返事をすると、倫子は

「ちょっと、肩や腰が痛くて眠りにくいの。凝っているのよ。少しマッサージしてもらうことはできる?」

と訊いてきた。

「う~ん……できるけれど……」

倉松は口ごもった。

 できるか?と訊かれれば、そんなことくらいに決まっているが、やりたくはない。仕事がちょうど乗ってきたところなのだ。

 しかし倉松は、妻に限らず、頼まれ事を断ることは滅多にしない。別に無理をしている訳ではなく、まあやってやっても良いか、と受け入れてしまうのだ。

 倫子は夫のそんな性格を良く知っていて、もう、書斎の隅に立て掛けてある仮眠用のマットレスをカーペットの上に敷いていた。

「どれどれ、どこですか?」

頼まれ事は早く終わらせるに限る。

 倉松はイスから立ち上がると、腹ばいに寝そべった倫子の横に胡座あぐらをかいて座り、彼女の腰に手を当てがった。

「もう少し下。そう、そこそこ。そこが重だるいの。そうそう、気持ちいいわ。……ねぇ、もっと上の方もお願い」

倉松は、彼女の腰から肩甲骨にかけて、徐々に揉みほぐしてやる。しばらく揉んでやっていると、

「ねぇ、パジャマの上からではなくって、下に手を入れてくれない?」

と、少し鼻に掛かった、甘えた声で頼んできた。

 日頃甘えることをしない倫子が、腰をマッサージしてくれと猫なで声で頼んでくる時は、抱いてくれという合図と決まっていた。

 彼女は北国出身らしい色白のスレンダーな美人で、倉松より13歳若く、32歳の肌には、まだ十分張りがあった。

 しかし倉松は、もう大分前から、妻の肌に触れたいと云う欲求が少しも起きないことに気が付いていた。

 結婚して10年近くも経つからか。

 いや、考えてみると、交際している時分から、誘ってくるのはいつも倫子の方だった。倉松は毎日研究に夢中で、デートさえ面倒なくらいだったのだ。

 妻がさっさと寝巻きを脱ぎ出したので、倉松も脱ぐと、電灯を消し、愛撫を始めた。

 17歳の時に、父親の知り合いだった30歳の会社経営者の女性と1年間交際している間に、女体にょたいの扱い方をさんざん仕込まれたため、倉松は女の悦ばせ方をよく知っていた。

 肌に触れるか触れないか位の微細なタッチで、ゆっくり、じっくり全身を撫で、さする。挿入は焦らない。射精もできる限り我慢して、先へ延ばす。

 そう知ってはいるが、正直言って、早く仕事に戻りたかった。

 倫子が、いつまでも軟らかいままの倉松の棒を握って、しごいたり、しゃぶったりし始めた。

 こうしてもらわないと、なかなか反応しなくなって、もう何年経つだろう。

 若い妻は、当初はいかにも不満そうだった。しかし倉松にしてみれば、こうしたことは、やむにやまれずなるもので、頑張ってなるものではない、と思っていた。

 肌に触れたいという気さえ起きない女に対して、自然にを起こすことはかなり難しい。

 自分の夫はもう歳だから仕方がないと、倫子はいつしか納得し、諦めたようだが、その頃から、どこか倉松を馬鹿にしたような言動が顕著けんちょになってきた気がする。

 もっとも、そんな傾向は娘の尚美なおみを産んだ5年前から表れ始めていたが。

 さて、自然には無理でも、いじられていれば生理的な反応は起きるもので、ようやく固くなったの上に倫子が乗っかってきて、体を上下させ始めたので、倉松もそのリズムに合わせて腰を動かす。

 まるでロデオのようだな、と下から彼女を見上げ、そんなことを思う。

 倫子は一心不乱に上下運動を繰り返し、

「ああっ、いく!」

と興奮を増していく。

 倉松はいつも、こうした女性たちの興奮に心が付いていけず、熱のない目で冷静に観てきた。

 彼は、セックスしている間、女性を気持ち好くさせなければいけないと常に気を配り、彼女たちが触れて欲しがるところを一所懸命撫でたり、舐めたりしてきた。 

 しかし、女性たちが興奮し、熱中してよがればよがるほど、今一つ没頭できない自分は、元々セックスに興味が薄いのか、なにかサービスをしているような気分になるのだった。

(まあ、最後は自分も気持ち好くなるんだから、いいか)

と、当たり前のように納得してきたが、最近は、その快楽にもさほど魅力を感じなくなってきていた。

 倫子はいつもさっさと逝こうとして、ある程度愛撫してやると自ら上に乗ってきて上下運動を始め、短い時間で達する。

 が終わると、倫子はマッサージ屋で施術でも受けた後のようなサッパリした顔になり、さっさと寝巻きを着て、「じゃ、お休み」と書斎を出ていった。

 倉松は、口を付けなかった冷めた珈琲を眺めつつ、やれやれと腰を上げ、マットレスを畳んで元あった場所に立て掛けると、再びデスクへ戻った。

(30分か……)

 長い時間が経過した気がするが、30分しか経っていない。

 倫子と交わっても大して動く訳ではないのに、毎回疲労感を拭えないのはなぜだろう。やるべき仕事が控えているからだろうか。

(早く査読を終わらせよう。今夜も寝る時間がなくなってしまう)

 査読は、他人の論文を評価する仕事だから、非常に気を使う。評価するこちら側も、よくよく調べて、しっかりした知識を得ておかないと、迂闊うかつに判定できない。

 先ほど倫子に腰を折られてしまったから、再度意識を手元の論文に集中し直すには、けっこうエネルギーが要る。

 ようやく査読を終える頃には、空が白み始めていた。

 これから2~3時間は睡眠を取れそうだが、その前に、この時間までに流れ込んでくることが多い海外からのメールをチェックしておこうと、受信ボックスを開けた。すると、数十通のメールの中に、いつもと毛色の違うメールがあるのに気が付いた。

 しばらく忘れていた、ある出会い系サイトからの通知メールだった。サイト内の誰かが、倉松のプロフィールを読んだという、ご親切なお知らせだ。

 倉松は、その『誰か』を確かめようとリンクをクリックした。

「ハンドルネームは……"るい"さんか。へぇ……」

彼は大した関心も向けず、机上の分厚い論文を、ブルーのスポーツリュックにねじ込んだ。

 

 

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