目覚ましタイムマシン

八田部壱乃介

目覚ましタイムマシン

 ジリリリリリ、と音が鳴り、僕は未来の夜明けに目が醒める。

 喧しいアラームを止めると、まずはきちんと時間移動出来たものかを調べるのだ。カレンダーには今日が四月五日であることが示されていた。成る程、僕は一瞬にして二日後に来たらしい。ふと振り返って、ベッドに我が物顔で鎮座するくたびれた目覚まし時計を見つめた。

 まさかこんな見た目でタイムマシンであるとは、誰もわかるまいよ。

 フリーマーケットに並んでいたこのオンボロ目覚まし時計は、壊れて動かないにも関わらず販売されていた。電池で動くらしいのだが、その機能は時間を示すのではなく、時間を動かす方にあったのだ。

「とても楽しい時間旅行タイムトラベルができますよ」

 と、怪しげな男は言った。

「それならどうしてコイツを売ってしまうんです」

「ハハッ、そりゃ旦那。楽しいことは共有すべきでしょう」

 あまりにも胡散臭かったが、僕は物好きなのだろうか、たったの百円と言うこともあって買ってしまっていた。騙されたとて、別に構いやしない。例えば彼はゴミ捨て場からこれを拾ったのだとして、それを壊れたタイムマシンなのだ、目覚まし時計タイムマシンなのだ、とする度胸や洒落を評価したのだ。

 去り際に、男が目覚まし時計の扱い方を教えてくれた。

「ねじを回して針を動かすんでさぁ。そしたら、あっという間にその時間へ行けるって寸法でね。二時間巻き戻せば二時間前に、四時間送れば四時間後へとあっという間」

「へえ、じゃあ二日後へも行けるのですか」

「出来るけど、そりゃあんまりお勧めできやせんぜ。長時間の時間移動に慣れちまったら、アンタ、世界から置いてかれますからな」

「置いてかれる?」

「ええ、まあ、それはどうでも良いことでしょう。んじゃあ、ご機嫌よう」

 と言って、男は僕を手で払う。酷いものだ。僕はゴミを手にしぶしぶ帰路に着く。電線に立つカラスがこちらを睨む中、ゴミ捨て場を前に、僕は悩んだ。試しに針を動かしてみようと思い、十分ほどねじを巻き戻したところ、──電線からカラスの姿が消えた。そう思えば、次の瞬間には同じ位置にカラスがやってきて、先程のように強い目力でこちらを睨んだ。僕が何かしたか。

 それはともかくとして、これは間違いなく本物タイムマシンだった。あの胡散臭い男は正直に話していたのだ。では何故、こんな強力な力を持った目覚まし時計をたったの百円で売ったのだろう。

 ──世界から置いてかれますからな。

 彼の言葉が思い起こされて、少し不気味に思われた。が、これは力を得たからこその武者震いにも近いだろう。責任のない事柄なんてない。自分の行動で結果を出したなら、それで得するのも損するのも自分自身なのだ。自業自得──と言うじゃないか。自分の行いで得をすれば良い。

 お金を払った手前、捨てる気にはならなかったのもある。多分こちらが素直なところだろう。

 それから僕は、コイツをどう扱ったものか考えていた。彼が長時間の時間移動を止めるように、と言うものだから、ではどんなことをしてみるべきだろうか、わからない。

 ポテトチップスをぽりぽりと食べながら、ソファに寝転がる。暗転。目が醒めると、あっ──と言う間に夜中まで時間が経っていた。やってしまった。明日──もはや今日──も出勤しなければならないのに、なんてことをしてしまったのだ。

 僕は目覚まし時計を見つめた。ざわざわと脳裏で声がした。悪魔的な誘いが僕を誑かす。駄目だ、こんなことに使っては……。

 五時間前に遡った。

 と、ポテトチップスの中身もほんの少し増えていた。いや、この場合は元に戻ったと言うべきなのだろう。そこで僕はおや、と思った。例えばもし時間を巻き戻すだけならば、僕の口からポテトチップスが出て、袋に戻ったことになる。だが、実際にはそんな汚いことは起きていない。

 もしや、と思った。取り敢えずすべて食べてみる。お腹いっぱいになったが、気になるので十分前に戻る。と、袋の中身は元に戻っていた。僕はと言えば満腹感はそのままで、何も変化はなかった。何が起きたのだろうか、纏めてみる。つまり、"身体状況はそのままに世界の方を動かしている"のではないか。

 だからこそ、僕は物を吐き出すことなんてなかったし、ポテトチップスは増えた。

 増えた……?

 これはとても気味の悪いことではないか。資源が増えたのだ。質量保存の法則が乱れに乱れまくっている。錬金術か?

 僕は目覚まし時計を眺める。

 例えばもし、給料日にATMから現金を取り出した後、ビニールテープに包んだ紙幣を口の中に突っ込みながら、また過去へ戻ってATMから現金を取り出したとしたら。僕は大金持ちになれるのだろうか。

 何の対価もなしに?

 それって怖くはないだろうか。多分、僕の預かり知らないところで何かしらの調整が行われているのに違いない。僕が何かを得るたびに、誰かが失っているのかもしれない。その"誰か"が他人であるならまだ良いが、その影響が僕に訪れないとも言えない。つまり、僕の身近な人間が被害を被るかもしれないし、そもそも僕自身が被害に遭うかもしれない。

 滅多なことはするものじゃない。ポテトチップスには手を付けずに、十分先の未来へと戻った。ポテトチップスの中身は無くなっていた。過去改変は出来ても、それと確定させることは出来ないようだ。ならば決定論の中に僕は居るのだろうか?

 難しいことはもう考えなくても良いだろう。ここでわかったのは、今の自分のままで、何度でも人生を再体験できると言うことだ。いわば僕と言う記録媒体が、過去や未来を感じているだけに過ぎない。

 そう解釈してみれば、案外面白い道具ではないか。僕だったらこの時計を売るつもりはないが、確かに人と共有してみたくはなるだろう。これは孤独な冒険なのだ。寂しくなることもあるだろう。あの胡散臭い男は、或いはもしかすると、飽きてしまったのかもしれない。どちらにせよ、いつか僕も手放したくなることもあるに違いない。それまでは楽しむことにしよう。

 僕は移動する範囲を、今日を起点として、一週間以内に限定することにした。一度使ったなら、また今日へと戻り、普通の時間を過ごすのだ。時間旅行に慣れないように、出来るだけ手を出さないようにする。そう決めた。

 ──のだが、人の欲望とは恐ろしいもので、段々とエスカレートしていくらしい。嫌でも手慣れてしまって、次はああしよう、次はこうしよう、と計画を立てるまでに至っていた。最初こそ出来事を楽しむのに終始していたが、未来が変わらないことを知ってしまうと、少々過激なことにも手を出すようになっていた。

 例えば家財道具をすべて川に投げ捨ててしまうとか、大音量を流しながら車を暴走運転する、とか。しかしこのことは記憶には残っても、記録されることはない。だから過去に行こうと未来へ向かおうとも、これを正史とする訳ではないらしかった。

 そうなれば、今度は自分には定められた運命があると言うことになり、僕は主軸から大幅に外れてしまっていることになる。この時点でかなり怖くなっていたが、それでも辞めることはできなかった。

 ある日、ねじが緩くなったのか、針が思うように動かなくなった。直そうとして、二、三分の範囲内でねじを回して確かめた。すると、窓の向こうに見える雲が急速に右往左往し出し、遅れて針が動き出す。

 ひとりでに動き出す針を見て、遂に壊れ始めたか、と僕は思った。とても楽しかったが、別れはいつも突然だ。捨てたくなかったが、ねじが機能しないのでは仕方ない。だが……。

 未練の残る僕としては、まだまだ時間旅行を楽しみたかった。もしかすると針を直接動かしてしまえば良いのでは、なんてことまで発想するようになった。深く考えることもなく、僕はそれを実行する。指でつまみ、ぐいと捻るのだ。と、針が取れた。

 忙しかった雲は落ち着き、世界は漸く静かになった。でもそれは、僕がどこにも行けなくなったことをも指し示していた。

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