第4話 そして、未来に
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もろもろの処理を終え、私たち三人は、珍しくワンの家に集まっていた。沢山並んだレコード、大きなステレオ、タイヤの上にガラスを置いたテーブル。いかにもワンらしい部屋だったが、そんなものを見る余裕すらなかった。手の震えが止まらず、瓶ごと渡されたバーボンの蓋すら上手く外せない。その姿を見たツーが、そっと蓋を開けてくれる。酔いはしなくても、一瞬の刺激だけでもほしかった私は、それをラッパ飲みして一気に飲み干した。
ワンが、レコードをかける。ロックかと思いきや、それはタンゴの名曲だった。私がそのチェリストのファンだと言うことも知っていたのだろう。静かで、けれど情熱のこもったその音は、気持ちを落ち着けてくれた。
「はいよ、お代わり。今度はゆっくり飲めよ。」
ワンが、整った笑顔で新しいボトルを渡してくれる。 もう、手は震えていなかった。まるで先ほどのの出来事が夢だったようだ。でも私は。
「人を、殺したのね」
沈黙が続く。そしてワンがゆっくり話し出した。
まあ、人を殺すってのは抵抗があって当たり前なんだよ。人間は本能的に人間を殺せないようになってるんだから。
でもな、俺らの仕事はそんな仏様や神様が助けてくれるようなきれいな仕事じゃない。スリー、お前は他の仕事では手足を切り落としたりしただろう?
おなじなんだよ、結局は誰かの命を奪うことでしか解決しないこともあるんだ。
俺もツーも、もう何人も殺してる。そうじゃなければ俺達やクライアントが死んでいたからだ。
「私は、もう人間じゃないのかな」
そう呟いた私を、ツーが抱きしめてくれた。
その日、私はワンの秘蔵のバーボンを全てのみ尽くした。
明日あたり請求がくるかなぁ、ま、仕方ないか。ツーとワンは眠ってしまったが、私は何となく寝付けずにベランダにいた。ああ、夜の終わりは何時も同じだ。
「私は、もう、普通の人間には戻れない。」
ラブロマンス映画で涙を流そうが、ハンバーガーにかぶりつきようが、もうエリクサーを投与される前の生活にも精神にも戻れはしない。それは絶対的なことで。
確信してしまえば、それは案外するりと呑み込めるものだった。そして腕に、賢者の石を、まだ未完成な賢者の石を思い切り注射した。
夜が完全に明ける。もうすぐツーとワンも起きるだろう。そうして、何時もの一日が始まる。
そして私はふと思った。
『協定』は、本当に守られるのだろうか。
そして、それが守られなかった時、あの研究所は今度こそ血で赤く染まるだろう。
人としてはありえない力を手に入れた私、いや私達しか、負のループは止められない。
きっとその時、私は怒りではなく、許しのために赤い血をまきちらすのだろう。
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私がエリクサーを投与されてから、いったいどれほどの年月が経ったののだろう。勿論年数は記憶しているし、カレンダーは毎年変わり、様々なものがあの当時とは全く変わっている。
私の身内は当の昔に天寿を全うし、何度目かの引越しもした。正直、年号だのなんだの、そんなものは私達には何の意味も無かった。
来る日も来る日も仕事をこなし、どんどん凶悪化していく世界のために、訓練を積み。
研究員達は何度も変わり、二代目であった所長も、あのドクターもすでにこの世にはいない。
変わったことと言えば、エリクサーの開発目的だろう。
二代目の所長の意思は継がれ、エリクサーはあくまで治癒のためのものとして、開発を進められた。
常に研究結果は報告を受けていたが、エリクサーで生き延びられる日数はもはや十数年単位までに伸び、その代わりに超人的能力は薄れていった。
私達と言えば、まだ一般販売まこぎつけないエリクサーの研究のために、今は旧エリクサーと呼ばれるあの頃と変わらない薬を打ち続け、ボディーガードの仕事を続け、研究資金を稼いでいる。
どれだけの月日が経とうと、人間は愚かなまま変わらない。大きな戦争こそ抑えられているものの、今も世界のあちこちで殺し合いは続いていて。
「人間なんてどんだけ文明が発達しようが、そうそうかわらねぇだろ。所詮は自分の利益を考えるんだから、そうなりゃ争い起こすしかねぇわな。」
ワンの冷静な一言に、私達も頷く。今三人で居るロビー、いや、研究所自体も、あの頃には想像もつかないものになっている。
まるで、浦島太郎のようだ。長い年月を自分のものとして過ごしているのに、心の中はあの初めて人ではない人、になった頃から、何も変わりはしない。
「俺もだよ。そんなもんでしょ。」
「そうよねぇ、百年過ぎてもこの暮らしを続けているなら、何にも変わらないわね。」
結局、置き去りにされた時間の中で生きているのは、私達だけ。
いつかツーが言ったことを思い出す。私達は一日のうちに生まれ、育ち、死ぬ。あとはエリクサーを打つ限り、それを繰り返していくだけ。
「あ、そろそろ時間よ。」
「よっしゃ、行きますか。」
締めるベルトは細々と改良されてはいるが、見た目も重さもそう変わりはしない。人間の命の重みと同じように。
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ある日、今の代の所長からどこか改まった呼び出しをされた。内容は分かっている、なんせエリクサーの開発と共に、私達の年月は流れてきていたのだから。
ここ数年前から研究所員の顔もどこか明るく、そして何よりも変わったのは、秘密裏であったはずのこの研究所が、表舞台に出始めたこと。
「やあ、お忙しいところ、申し訳ありません!本日は皆さんに良いニュースをやっとでお知らせできることとなりました!」
「エリクサーの完成だろ?」
あっさりとワンに言われ、苦笑いになってしまう。あの日、私達が協定を結んだ内容に、変更が加えられたのはいつだったか。エリクサーの作用の時間がほぼ人の一生と同じ年数となり、それに伴って治験者を一般に広げることに、私達は承諾した。
私達の使う旧エリクサーのような超人的な能力は生まれないが、瀕死の状態から回復し、そのあとは当たり前の人間としての人生を歩める、それがやっとのことで、世紀を跨いで完成した、ということ。
「治験の結果が国に承諾され、一般販売にこぎつけられました!」
うん、予想通り。大手製薬メーカーに生産発売を許可し、利益が上がるごとにこの研究所にも還元される。
エリクサーの完成は世界中の医学界、いや、世界中の人々の人生の全てを変えた。
なんせ注射一本でことは済むのだ。入院も必要なければ、専門的な知識も必要なくなる。……その分医学の技術は衰えていくこととはなるかもしれないが、それはそれ、こちらが関係することではない。
「皆さんには、本当に、本当に、長い間ご迷惑とご苦労をおかけしました……。」
そう涙ぐみながら、私達の手を一人ずつ、所長が握っていく。
おめでたいこと、ではある。けれどもなんだか、はっきりと心が動かない。
「完成したエリクサーを投与させて頂ければ、皆さんにはこの先、当たり前の、通常の人間と同じ人生を送っていただくことが出来ます。
今後の生活に関するサポートなどはお任せください、長い間活動していただいた退職金と思っていただければ。」
退職金、完成版エリクサーを投与された後の生活、つまり住む所や金銭も一生分は保証します、ということ。おめでたいことに間違いは無い。
「では、早速投与を……」
そう言われた所で、三人揃って声が出た。
「ちょっと待って」
ぽかん、そんな顔を所長がする。このプランに何の問題があるのか?いや、なぜ私達が喜んだ顔をしないのか?言葉が止まってしまった所長に私は告げた。
「すいません、ちょっと、うーん、一週間考えさせてもらえませんか?」
「俺も」
「私も」
ますます所長の顔が間延びした顔になる。危険な仕事をすることもなく、裕福で安定した生活を、通常の人間と同じように過ごせるのだ。親類などもすべて見送った私達は、もう完全なる自由を手に入れられるのだから。
これからは勿論人並みに老いていく。けれどもそれは、けして悪いことばかりではない。
そう分かっているのに、私は即答は出来なかった。何かが、私を止める。そしてそれはワンもツーも同じことらしく。
「じゃ、また明日な。」
駐車場で、私達はそれぞれ別れて帰った。これは、きっと三人で決めることではないから。
自分の人生は、自分が決めるしかない。別に私達は三人で一つ、なんてものではない。これだけの、人の想像を超える長さの付き合いであっても、あくまで私達は個人だ。
化石燃料の使用が必要なくなった今の時代、空気は何時も澄んでいる。 密かなお気に入りポイントに来た私は、綺麗に見られるようになった星空を眺める。
星空も、きっと大きな変化を遂げているのだろう。けれどもこうして遠くから眺める分には、その違いはいまいち分からない。だから、私の人生が変わったあの日からの事を、じっくりと考えることが出来る。
芝生に寝転がって、地面の湿り気とほんのりとした冷たさ。ああ、これも変わらないものかもしれないな。
「よし。帰るか。」
もう何度引っ越したのか分からない、一人っきりの我が家に、私は向った。
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結局一週間の休みをそれぞれ貰い、私達は久しぶりに顔を合わせた。
「決まった?」
「まあね。」
「私も。」
「じゃあ、行きますか!」
所長室の扉をノックする。中では、にこにこと心からの笑顔を浮かべた所長が立っている。思い返せば代々の所長の中では、この人が一番穏やかで、研究に力を傾けていた人かも知れない。
そして、その後ろのデスクには、エリクサーが三本置かれていた。勿論、完成版のもの。
「どうしましょうか、もしご希望でしたら個別でお話を伺いますが。」
三人で顔を見合わせる。
「俺は一緒で構わないんだけど。」
「あー、私もです」
そして、一週間、あくまで個別の人間として考えた結果を、伝えた。
『今のエリクサーのままでいいです。』
ぽかーん、所長は口を開けたまま呆然としている。私達は意見の一致に大笑いした。まあ、どことなく感じてはいたのだけれど。
「え、だって毎日注射をする必要も、危険な仕事をこなす必要も無いんですよ!?趣味とか、えっと、とにかく平和な人生が過ごせるんですよ!?」
所長の言葉はごもっとも、でも私達は知ってしまった。究極の、太く短い人生を。
もう、元の穏やかな人生に戻る気にはなれない。それならば、今もう死んでいい、そう思った時に腐り果てて死ぬほうが、私にとっては贅沢であり。
この一日の人生を毎日新しく過ごすこと、そして何よりも不完全な体、不完全な人間でいることを選択すること、不完全な生涯をすごすことをあえて、選択する。
ここ一週間の考えと言うわけではない。エリクサーのもたらす、毎日生まれ変わる人生を、もう手放すことが考えられなくなってしまった、のだ。
「なんなんだよ、一人くらいまともな奴いるかと思ったのに。」
「私だってそう思ってたわよ」
いまだにぽかんとしている所長の意識を取り戻すかのように、私達は話を進める。
「いくら製品化したって言っても、稼げる道が多いほうがいいだろ?」
「そうそう、なんだかんだで依頼はいまだに止まらないしね」
「いくらエリクサーが完成しても、即死は防げないし。」
はぁ、やっとで落ち着いた所長が、口を開いた。
「勿論今までの旧エリクサーは提供できますし、ボディーガードの仕事自体は別部門として残すことが可能です。正直、あれの収益はかなりのものなので、助かるといえば助かります。
ですが、本当にいいのですか?」
納得はいかないだろう、この感情、いや、この感覚は、経験した私達にしかきっとわからないこと。
「あ、でも旧エリクサーは俺達のみ、ってのは変えるなよな?」
「それは勿論です!」
それならOK、今後もよろしく。私達はまた順番に所長と握手をする。
じゃあそれで、と部屋を出ようとした私達を慌てて彼が止めた。
「……皆さんのお気持ちを、一番に、ということで、このままの生活を続けていただくことにはなりますが……
でも、これだけは約束してください。
もしも、もしも長く穏やかな人生を歩みたいと思われたその時は、必ず私におっしゃって下さい。
あなた方に何の縛りもなく穏やかに暮らしていただくことが、これまで多大なご迷惑をおかけした皆さんに対する、我々の心からの願いなのですから。」
その言葉に、私達は心から微笑んで頷いた。きっとこの研究所は、これから真っ直ぐと正しい道を進むだろう。願うのは、それを悪用する人間がいないこと。まあもっとも、一番難しいことはそれなのだが。
その夜、久しぶりに私達は三人で飲んでいた。いつの時代も酒は良い。
「見事に一致しちゃったわね。これからも三人揃って生きていくってことよね」
ツーの言葉にワンが、窓の外の景色を眺めながら返す。
「別に俺達は三人で一つ、とかそんなんじゃないし、まあ当分は同じ道を歩くだけだろ。」
そう、意外なことに、私達三人の間に約束事、というものが存在したことは無い。側から見れば結束の強い仲間同士かもしれないが、あくまで私達は自分ひとりの意思で動いている。
だから、この先誰かが当たり前の人生を選んだとしても、それをとやかく言うものは居ないだろう。
面白い、と思う。特殊な関係とはいえ、百年単位近く一緒に過ごしてきたと言うのに、それは妙に確信できるから。
「ま、じゃあこれからもよろしくってことで!」
ワンが掲げたグラスに、私とツーがカチンっとグラスを合わせる。今日の宴会も長くなりそうだ。
あらゆる酒を飲み、不完全で魅力的な賢者の石を腕に刺し、都会の夜空にまた明日始まる新しい一日の人生を描き。
そう、賢者の石は、いつだって不完全だからこそ、賢者の石なのだろう。
「悪くないよねぇ」
そう言った私に、二人が微笑んだ。
エリクサー 百合川リルカ @riruka3524
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