第3話 悲しみと怒り、そして。
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そう思った休みの朝、私はスマートフォンの着信音で目が覚めた。
「ワンが暴走して暴れているの、スリー、今すぐ貴女も来て下さい」
ドクターの電話に慌てて駆けつけると、研究所はまるで戦争にでもあったかのような破壊ぶりだった。
ワンの戦い方は、刃状にしたベルトで叩き折るような戦い方。そんな人間が全力で暴れれば、こうなるだろう、という有様。受付のテーブルの下から、震えた声が聞こえる。
「あの、ワンさんがいきなり……」
「もう大丈夫、あなたに怪我は無い?少し落ち着いたらドクターには言っておくからすぐ帰りなさい。勿論この事を、貴女は誰にも話してはだめよ。」
こくこくと頷く受付嬢を後にして、エレベーターへと向う。が、そこも研究員に逃げられないようにワンが壊したらしい。
「全くさ、何をしたらこんなに暴れられるわけ?」
仕方無しに、ここもまた壊されかけた階段を、私はピンヒールで軽やかにジャンプして昇った。
「あー!スリー!きてくれたのね!」
「スリー、ワンの確保をお願いします」
階段を上った上のラウンジ、そこにあった豪華な調度品はことごとく破壊され、すわり心地が良くて気に入ったソファーは刃物で何度も切りつけられていた。酒瓶も全て壊されたアルコール臭いそこには、自分のベルトでなんとかワンを抑えようとしているツーがいた。ドクターは大理石のテーブルに隠れいていたが。
「何事、って状態じゃないわね。
ツー、私がワンを羽交い絞めにしている間にベルトを取り上げて。」
私はバッグからエリクサーを取り出し、刺した。すでに今日の分は打ってあるが、増やせばその分力も出るし、致命傷の傷でも回復しやすくなる。ワンが刃状のベルトを今まさにドクターの隠れたテーブルに叩きつけようとするのを、ツーが必死に抑えている。
いくら活性剤を使っていても、元の筋力などが違うツーにはワンを一人で抑えることは出来ない。
一気にワンの後ろに取り付き、刃を持って離さないワンの腕を、これでもかと力を入れて羽交い絞めにする。いくら活性剤を二本打っているとはいえ、こうしていられるのは僅かだ。
「ツー、はやく!ワンのベルトを!」
ツーが思い切り握り締めたワンの指を無理やりこじ開け、ベルトを取り上げて遠くへと投げ捨てた。
それでも暴れようとするワンを、二人ががかりで押さえ込む。その隙に、ドクターが即効性の鎮静剤をワンの首元に刺した。ぐったりとなったワンから離れ、ぼろぼろになったソファーに座り込む。
「ありがとう、スリー。私だけじゃとても無理で。エリクサーを追加する暇も無くて。」
私にそう言って、ツーも床に座り込んだ。全力を出し切ったのだ、怪我はなくとも、体力も筋力も限界だろう。ツーに活性剤を渡し、それを打つのを確認して、ワンが大人しくなった途端に、何時もの高飛車な態度に戻ったドクターが、ワンを見下ろして言い放った。
「全く、頭のほうがもうすこし活性化していてほしいものだわ」
その瞬間、ツーがベルトをふりあげてドクターに襲いかかろうとした。それを私が止める。
「ツー、深呼吸をして。ドクターを殺したら何も分からなくなる」
その言葉を聞くと、ツーが力なく座り込んだ。
まだ高飛車に立っているドクターに、一瞬で迫る。勿論殺すためではない。話を聞くためだ。
「ワンは粗野に見えますが、ここまで我を忘れて暴れる人間じゃありません。何があったのか、説明してください。
我々は貴女とは対等の立場で成り立っていることをお忘れか。」
私の低い声に、一瞬を身を引いたドクターだが、すぐに何時もの態度に戻る。
「私たちが対等な立場?どうしたらそう思えるのかしら。
私たちが貴方達へのエリクサーの投与を止めれば、一日で腐りはてるのよ。」
想像していた言葉だ。だが私も後には決して引かない。
「確かに我々は細胞活性剤を打たなくては死んでしまう。けれどもそれは私たちが自分で生死を選べること。
そして、我々モルモットが都合よくまた現れなければ、我々が三人とも死んだ後には全ての研究が止まる。その程度の事も考えていないのか?」
ドクターが、返答に一瞬止まる。図星だろう、実際私たちがいなければ、研究材料も金を稼ぐことも失ってしまうのだから。
「……私たちが貴方たちの家族の全てを知ってることは分かっているでしょう?そんな馬鹿なこと、貴方達にできて?」
人間、はったりが大事だ。ここ一番の見せ場で私は大笑いをして見せた。
「我々は貴女方の作った薬によってどれほど能力が上がっているかを、自分達で知っているわ。
よく言うわよね、人間の脳で実際に働いている部分は30パーセント程度だと。じゃあ、活性剤のおかげで能力が上がった私達が、どこまでその能力を開花させているのか、自分以外は分からないということは、貴女自身がよくわかっているのでは?
そんな私たちが、家族に何らかの手を回してないかも、わからないのかしら。」
昔からハッタリは得意なほうだったが、どうやら私自身が考えていた通りだったらしい。
「それともう一つ。
私たち、もう死亡した事になっているんでしょう。」
ドクターの顔色が、一瞬で変わった。
私たちがモルモットに選ばれたわけは、死にかけの人間が都合がが良かったからだろう。
ワンは家族全員を失っている。ツーと私の家族は、本当に死にかけている家族がいれば、確実に、たとえその後が自分達が辛くとも、生かせてくれと頼むタイプだったからだろう。
家族にはお会いできますから、あの気持ちの悪い笑顔の最初の医者はそう答えたが、おおよそは研究所で極秘裏に数時間だけしか会えないのだろう。
「貴方たちの一方的な行為によってこんな身体になった我々と、貴方達が対等では無いとまだ言えるか?」
ハッタリは見事に通用した。そして能力の最終地点がどこなのか分からないのは研究員だけで、私たちはたとえ能力が上がったとしてもそれを言わなければいいだけ。確かに薬無しでは一日で死に絶えるが、その一日で常人を超える人間が何もしないと思っていたのだろう。ドクターが、黙り込む。とりあえずこの場の空気は私たちが掴んだ。では、聞きたいのは一つ。
「貴方達は、ワンに何をした」
そう言った瞬間に、麻酔で眠り込んでしまったワンを抱えていたツーが悲痛な声をあげた。
「ワンの、ワンの身内が殺されてたのよ!」
時を数日前に戻す。私達はいつものようにロビーで待機し、テレビをなんとなしに見ていた。
「あ、これ旨そうじゃね?」
そうワンが指差したのは、大手ハンバーガーチェーンの新メニューのコマーシャル。普段はほぼ肉しか食べないワンだが、彼はファストフードを好む。
「美味しそうね、食べてみたいな」
「じゃあさ、じゃんけんで負けた奴が買いにいかね?」
私とツーは大きな声でブーイングした。だって一番勘がいいのはワンだ、私達が負けるに決まっている。
「あの、宜しければ私達今からお昼に買いに行くので、皆さんの分も買ってきましょうか?」
まだ若い、入りたての研究員の女性がおずおずと声をかけてきた。今日はドクターが休みのため、研究所全体がどこかラフな雰囲気になっている。 ワンがその言葉に、とっておきの笑顔を見せた。長い研究員はもう慣れているが、その少し野生的で整った顔に彼女は頬をほんの少し染めている。ツーと目線を交わす。まーたやってるわ。ワンのスマイル攻撃ね。
「これでさ、俺達にはこのコマーシャルのセット三つ分ずつ買ってきてくれる?あまったお金で君達の好きなもの買ってよ。」
差し出したのは一万円札が数札、研究所の人たち全員の分はあるだろう。
ワーッ、ほかの所員たちの歓声が聞こえる。全くワンの人たらしは効果抜群。たしかに私もワンが自分の仲間でなく、別の機会で知り合ったとしたら頬を染めていたかもしれない。
「所員をナンパはやめなさいよ、洒落にならないわ」
「あん?どこがナンパだよ」
「お誘いするなら外でやって頂戴」
ツーと同じく、ワンの事情もここ最近はかなり聞くことが多くなった。基本的にツーもワンも、話し上手であり、こちらの緊張を解きほぐしてくれるタイプ。私達は偶然同じ状況になっただけだが、相性はよいと思われる。
ワンがエリクサーを投与されたのは、36年前。本当の年齢は72歳。
当時ワンの家族はとても苦しい生活をしていたという。
「そういえは、ワンはハンバーガー好きよね。」
「あー、俺、これにはいい思い出しかねーからだと思う」
ワンの父親は、飲む打つ買う、の典型的な男だったらしい。
「あいつ大金持ちの次男だったんだけどさ、まーろくなことやらねぇから、勘当喰らって家追い出されたんだよ。」
常にワンの母親を殴り、母親が苦労して稼いだ金も使い込み、ワンとワンの弟は常に怯えながら暮らしていたと言う。
そして母親の不在時は常に女を連れ込み、その度にワン達は家を追い出されていた。
「近くの公園で腹すかせて弟とブランコ乗っててさ、お袋が早く帰ってこねぇかなあって。
そしたらさ、学ラン着た兄ちゃんが近づいてきてさ、俺らにパンをくれたわけよ」
最初は全然知らねぇ奴だし俺はすげえ警戒してたんだけど、弟がさ、もう腹の音ぐうぐう鳴らしてるからどうしようって。そしたらその兄ちゃんが言ったんだよ、自分は家の親父の弟だって。
聞けば、ワンの祖父が遅くに迎えた若い後妻の子であり、ワンの父親の腹違いの弟、つまりワンたちにとってはおじ、だった。
そのおじは、ワンたちの存在を知り、心配をして探し回っていたのだと言う。それからもワンたちが家を追い出されていると、何かと食べ物を持って公園にやってきていた。
「まあ、究極のお人よしっていうかさ、俺らのことなんてほっとけばいいのに。いい意味でおぼっちゃんだったんだよな。」
やがて今食べているハンバーガーチェーンの第一店舗が開店したとき、銀座に連れて行かれて、生まれて始めてのハンバーガーを口にして。
「めっちゃくちゃ旨くてさ。その頃だからまだ高かっただろうに、俺らが腹いっぱいになるまで食わせてくれて、お袋にもお土産にって渡してくれてさ。」
そう、だからハンバーガーは特別なのね、そう言うと、ワンが子供のような笑顔でほほえんだ。
やがて中学を卒業したワンは、家を飛び出した。中卒が金の卵と言われていた時代、高度成長期のまっさかり、昼も夜もがむしゃらに働き、30台に差し掛かる頃、小さな古い家を買ったワンは、前の家で怯え暮らしていた母親と弟を身一つで父親の居ない隙に連れ出した。
「おんぼろのちいせえ家だったけど、弟なんて部屋が出来た!て大喜びよ。お袋ももう無理して働かなくても俺が食っていかせたし。」
だが、その幸せは長くは続かなかった。父親が、その家を探し出し、ガソリンを撒いて無理心中を図ったからだ。唯一息のあったワンはエリクサーの治験者に選ばれ、外には一家全員死亡との発表になった。
「おじさんのことは忘れたこと無かったよ。今はもういいじいさんだろうけどな、俺と10しか離れてなかったし。」
そんな話を聞きながらハンバーガーをほおばっていた私達は、ワンが、ある研究員をじっと見つめていたことに気付かなかった。その古参である研究員は、ハンバーガーを手に持ったまま、俯いていた。
そして現在に話を戻す。
古参の研究員の顔色で何かに感づいたワンは、研究所内のあらゆる書類を探し回り、調べ、心から慕っていたおじの死を知ることとなった。
ワンの一家が心中で全員死亡したと発表された時、密かにその優しい若いおじに、遺体が一つ足りない、ということを知らされたのだ。知らなければ、彼は悲しみながらも平和に長生きできたであろうに。
彼は、すでに親の会社でかなりの地位にあった。そしてそのツテを使い、消えた遺体の行方を捜した。金を惜しみなく注ぎ、あらゆる手段を使い、やが研究所にワンが運ばれたことを数十年かけて見つけた。自分の可愛い甥に何が起こったのかということ、も。
そして当然のように研究所に訪れたが、これほど研究所側に都合の悪い話は無い。現に研究所の人間と押し問答していた彼は、この研究所を表の舞台に引きずり上げようとした。
そして、彼は50代の若さで死んだ。いや、殺された。当時20代半ばでありながら、才能と絶大な権力を持ったドクターの命令によって。
行方不明者と仕立てられ、毒物を注射され、いつもワン達が切り落とした敵の手足を処分する場所で、それを遺体を処分した。
ワンの強い第六感は、それに関わる報告書などを全て発見し、そして。
当然、ワンは暴れ狂った。ただ生きていてくれさえいればいい、もしあのやさしいおじがどこかで平和に暮らしていてくれれば、といつも心から願っていた。あの笑顔、ハンバーガーの味、優しい声。それがワンを支える全てだったのに。
活性剤を三本打った彼は、力の限り破壊をし、研究所、いやそれを操る人間を、そして研究に関していた人間を全て殺そうとした。
その結果が、この大破壊だった。そしてワンは、眠っているはずなのに、涙をこぼした。それを見たツーは、大粒の涙を流した。
ツーに近寄り、静かにツーと、眠るワンを抱きしめる。
「帰りましょう、私の家にとりあえず行けば良いわ。三人で帰りましょう・」
「何を勝手なことを!この後始末は貴方達も関わらなければいけないのよ!」
ドクターが叫んだその瞬間、私はベルトを外して刃状にした。
「いつまでもえらそうにしてるんじゃねぇよ。殺すぞ?」
一瞬で、ドクターの頚動脈のすぐ近くの皮膚を切る。私達と違い、赤い血をたらりと流すドクターは、それ以上何も言わなかった。
無理やり後部座席に押し込んだワンは、また涙をこぼしていた 。
二人がかりで私のマンションにワンを連れてきて、三時間、あまりに目を覚まさないので1時間ほど前に客間を覗いたが、すやすやと健康的な寝息を立てながらまだ眠っていた。
いい加減に飽きてきた私とツーは、酔うことすら出来ないボンベイサファイアを呑んでいた。たとえ酔わなくても、上質の酒と酒を飲む感覚は落ち着く。
「あー、俺は幽霊屋敷にでも連れてこられたのか?天蓋付きベッドなんて趣味じゃねぇっての。お、今夜は3P?俺、頑張っちゃおうかなぁ。」
ようやく目覚めたワンが、人に助けられた礼も言わず、ソファーにどっかりと座る。
「あなたね、その最低極まりない冗談の前に、まず何か言うことがあるんじゃない?」
「んー、センスは最低だけど寝心地は抜群のベッドでした、て、いい酒飲んでるじゃん!」
そういってテーブルに乗っていたボンベイサファイアをまるで水のようにボトルごと飲む。
「ちょっと!それ私のなんだけど!」
「いいじゃーん、どうせあぶく銭で箱買いしてるんだろ?」
悔しいが、その通りだ。食べものがないキッチンにはボンベイサファイアの他にもスコッチやバーボンの箱が重ねられている。
「これ、冷凍させたほうが旨いから、今度はキンキンにしておいてね」
くだらない文句は無視し、箱からボトルを二本もってくる。一本はライムを絞って飲んでいる私とツーの分、一本はずうずうしい同僚の分。お互いの家は知っていいたが、三人揃うのは初めてだ。
「ところでワン、体の具合はどう?」
なんせ細胞活性剤を三本も打って大暴れしたのだ、さすがに筋肉や関節が痛み出す頃。活性剤を追加すればそれも治るが、さすがに一日に四本打つのは良くないだろう。おそらく起きて来なかったのも、強力な麻酔に咥えて、身体を癒す時間が必要だということか。
「おう、寝たらだいぶ楽になったけどよ、腹減ったぁ。」
それは私もツーも同じだ、全力でワンと立ち回りしたのだ、活性剤だけでは物足りなくなっている。肉を思い切り食べたい。帰道に業務用精肉店で買ってきた3キロの肉を、それに似つかわしくな小さな冷蔵庫から取り出す。
「それならこれを焼いて頂戴、もうお客様扱いはしないわよ?」
へーい、そう答えたワンが、手際よく肉の塊を三枚分のステーキ肉に切り分け、焼き始めた。
その姿を、私とツーが注意深く、そっと眺める。なんせあのような事実を知り、暴れまわったのだ。心穏やか、とは行かないだろう。
これもいつの間にかツーが買い込んできてくれた皿に、次々と超生焼けのステーキを乗せていく。それは全く何時も通りのワンだった。
黙って三人でその肉を、滅多に使わない食卓で平らげていく。その間に私の秘蔵のロマネコンティを飲んでいるのを見つけた。このやろう、今度これも買わせてやる。
そうして食事が終わり、ツーが食器を洗い、ジンを飲み始めると、次第に空気が固くなるが分かった。
「ねえ、ワン、貴方自分がやったことは分かってるわよね?スリーが駆けつけてくれなければ、死人がでてたわよ?」
ぐびっ、一口ジンを飲むと、ワンが今まで見たことも無いような、冷たい表情になった。
「死んでいいんだよ、あんな奴ら。」
「馬鹿ね、貴方もエリクサーを取り上げられて腐りはてるところだったのよ。そこはスリーが立ち回ってくれてどうにかなったけれど。」
「別に死んだって良かったんだ。」
その会話を聞きながら、ふと思いついた。
ワンが70代というのなら、いったいいつ頃からエリクサー、細胞活性剤が開発され始めたのか。
「んーと、ワンの頃はまだ半日ももたなかったんだっけ?」
「半日どころか2時間が限度だよ。だから寝てる間は点滴つけっぱなしだったな。エリクサーも山ほど持ち歩いてた。」
「私の頃は15時間が限度だったから、一応寝る前に打ってたけど。」
私はさらに呆気にとられた。しかし冷静に考えれば、数十年も研究し続けているのに、まだ一日しかもたないということになる、いまだエリクサーは研究され続けているのだ。
そして私たちは、本当に実験材料。今打っているエリクサーは一日だが、今後はもっともっと伸びていく可能性もあるのか。
そしていずれは数十年ともつようになるのか。そうなれば、世界が長寿の若者だらけになる。
いや、それだけではない。
「ねえ、エリクサーを打っていれば、例えば戦場でも命を落とさずに済むかも、ってこと?」
と、ワンがそこで言葉をさえぎった。
「スリー、お前が言いたいことは分かってる。もしそんな世界になれば、そこは地獄だよ。」
たとえエリクサーがある程度の量産体制に入れば、今よりはずっと安くはなるだろう。けれども、一般の人が簡単に手に入れられほどには、安くはならないと想像がつく。
それを手に入れられないものは寿命に従って生きて行き、死ぬことになる。一方で手に入れることが出来る裕福なものは、いつまでも、その気になれば永遠に歳をとらない。そしてそういったものを手に入れるほどの人間は、決して平和的な人物だけではない。
そうなれば、貧富の差はダイレクトに「死」「老い」に現れる。
「死なない人間なんて増えてみろ、斬った張ったの、マシンガンで全身蜂の巣にされてもピンシャンしてるってことになる。
その答えは、お前も分かるよな。」
そう、ワンの言うとおり、人は凶器を持ち歩き、兵隊は死なず、この世界は地獄へと直行する。そうなれば世界中が戦争になるかも知れない。
「嫌な考え方するとね、エリクサーを買えない貧しい老人達を、面白がって殺す奴らも出てくるかもね」
ライムにキスをして絞るツーが、静かな言葉で返した。
私が事故にあって瀕死の状態のとき、生き残る道が、しかも後遺症もなく助かるとなれば、母はそれを嘆願しただろう。弟が不機嫌だったのは、そんな薬を使うのは人体実験だと感じたからだ。
それでも、私の家族は私を生き残らせる道を選んだ。
逆に私以外の家族がそうなったら、私もその選択をするだろう。私とツーは、そういう家族の下に生まれた。それゆえにエリクサーの治験を受けた。そして私とツーは、あくまでも家族の安心のために生きることを続けることにした。
じゃあ、ワンは?と思った時、つい先日の事を思い出した。
いつもの検査を受けていた時、まだ研究所に入ったばかりらしい若い医者が採血をしていたのだが、彼女は全く悪気も無く、世間話の一つのようにある言葉を発した。
「いつまでも若くいられるなんて素敵ですよね!」
その瞬間、ワンの目と声は恐ろしく冷たかった。
「じゃああんたも死にかけてエリクサー打ちなよ。そうすりゃ俺達とご同輩になれるぜ?」
あまりの冷たい言葉と、己の何気ない言葉の愚かさから逃げるように、彼女はそそくさと立ち去った。
守るものを失ったワンは、何のために生き延びたのだろうか。それは私達には決して分からない。そして、それはきっと聞いてはいけないこと。。
私が目一杯買いおきしておいた酒が全てなくなる頃、うっすらと夜が
明け始めた。ガラス張りのリビングから見えるその光景は、きっとこの先どれだけ生き延びても、忘れることは無いだろう。
そして、ツーがぼそりと呟いた言葉を思い出した。
「私達はたった一日の間に生まれて、成長して死んでいくようなものよね。
それが人間としてどうなのかは分からないけれど、少なくとも私は今時分がとびきり不幸だなんて思いたくない。
そう思ったら、もうエリクサーを打つことは出来なくなると思う。」
人間であること、それが生きる目的を持つことであるのならば、その通りだな。私は酒瓶を片付けながら、二人の整った寝顔を見つめた。
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次の日、三人で私の車に乗って研究所へと向った。
「あーあ、俺おしおきされちゃうかも。もうエリクサーもらえないかなぁ」
それに呆れたようにツーが答える。
「事情が事情だし、貴方の事悪く言う気もないけど、エレベーターまでぶっ潰したんだもん、貴方研究所の人間全部殺すつもりだったでしょ。」
それは、私もずっと考えていたこと。あの時のワンの目は殺気に満ちていた。まずは最初にドクターから、そして研究に関わる人間を全て殺し。 きっと自分が死ぬことも恐れていない、いや、望んだのだと思う。三本も打ったエリクサーのわけは、自分の能力を最大にして、研究所を破壊するまでそれがもつように。万が一警官隊が来たとしても、それすら凌駕してことを済ませようと。きっと理由はそれだけだ。生き延びる気などさらさらなかったのだろう。
そして車を駐車場に止め、研究所の前に来ると、建物は見事にブルーシートに覆われていた。自動ドアはすでに使えない、裏口の扉へと回る。鍵はかかっていなかった。かかっていてもこの程度のドアをぶち開けるのは簡単なことだ。
「まあ、せいぜいおしりぺんぺんされなさい」
「えー、俺のつるつるおしりが真っ赤になりますぅ」
そんなやり取りに笑いながら扉を開けると、そこにはドクターが仁王立ちしていた。恐らく車が入ってくるのを見ていたのだろう。その顔は怒りで燃えていた。
「貴方達、よくもまあそんな暢気にいられるわね。」
「怪我人も死人もでてないだろ、良いじゃない。」
他人事のようにワンが返すと、ドクターの顔はまさに般若になった。今までのどんな凶悪な顔のクライアントよりも、百倍は怒っていた。
「エレベーターは全壊、階段は半壊で上に上がることすら難しいのよ!そしてワン、貴方があちこちに穴を開けたコンクリート壁の修理がどのくらいの修理代と時間がかかると思ってるの!研究の再開にも短くても半月かかるのよ!
それに貴方、この私を殺そうとしたでしょう!」
ワンは、顔色一つ変えなかった。
「あんたは、いやあんたらは殺されるほどの事をした自覚ってもんはないのか。」
一瞬ドクターが怯む。それはそうだろう、何十年もワンとツーで人体実験を繰り返し、唯一のワンの身内も殺したのだから。
これはまた爆発する、そう思った私とツーはベルトに手をかけた。
と、そのとき、老人がニコニコとしながら私たちの間に入った。
「お父さん!?」
「これこれ、ここでは所長と呼びなさい。さあ、みんな中に入りたまえ、座って話す程度の場所はあるよ」
「所長って、ドクターじゃないのね……」
何も知らずに驚いた私だったが、古株のワンとツーは知っている様子だった。
その風貌はあくまで穏やかで、こんな研究をしているとは思えない。そのまま中に招き入れられ、唯一無事に残っていた例の大理石のテーブルの周りに、それぞれ椅子をかき集めて座った。
「まず、ワン。我々が君に対して行ったことを、心から謝る。」
そういって深々と頭をワンに下げる。その言葉に嘘は無いように思われた。けれども、この人達はワンのおじさんを殺したのだ。油断は到底出来ない。
そして、その穏やかな顔を一瞬で冷たい表情に変え、ドクター、つまりは娘に鋭い目線を送る。
「私は何も聞いていない、お前達は何をした?」
その言葉に三人は目を見開き、ドクターのみがうつむく。
「いくら研究職を引退したとはいえ、私は所長であり、お前達を指導する立場にある。そしてどんな些細なことでも報告しろと言っておいたはずだが。」
ドクターが、そしてまわりで聞き耳を立てていた研究者達がうつむく。
つまりは、この所長はこの件を全く知らされていなかったのだ。
「あの、おとうさ…所長、あれは、この研究所が表に晒される恐れがあって」
次の瞬間、パァン!と言う音が鳴り響いた。所長が、ドクターを平手打ちしたのだ。場は一気に静まり返った。
「おまえはだから何も分かっていないというのだ!
この研究は、そもそも瀕死の 人間を助けるための、細胞の保持程度の薬を作るのが目的だ。
それなのにお前達は勝手に行動し、愚かな薬を作り上げ、裏の人間とまで繋がって、人殺しまで犯し。
そして何の罪も無いこの三人にも、それを強要するような仕事を押し付けた。それも卑怯にも人質を取り。」
頬を赤くしたドクターは、それ以上何も答えなかった。
話を要約すれば、本来はこの研究所が、所長が研究していたのは、瀕死の人の命をなんとか命の心配がなくなるまでにする薬だった。
だが、あまりの大きな発見に研究員達は暴走し、細胞の活性化率を極端に上げ、毎日注射しなければいけないレベルの、まだ完成とはいえないレベルの中途半端な薬を治験者、いや実験体に投与し、その薬と家族を盾にスポンサー集めの仕事をさせ、暴利をむさぼっていた。
「いずれは世界にも回すつもりだったのだろう、勿論裏の、な。」
所長は確かにエリクサーの元となる薬を開発し、それを販売するつもりだった。だがそれはあくまでも一般の人々を助けるためのもの。
「確かにエリクサーはまだ開発が必要だった。毎日注射などしなくてもよいレベルにするためにな。
だが、誰が超人を作れといったのだ!この思い上がりが!」
場に、静けさが広がる。私もツーも何も話せなかった。が、ワンは違う。
「所長さん、あんたが俺を救ってくれたことは感謝してるよ。だがな、あんたにも罪があるのは分かってるよな。」
突然、所長が椅子から降りて土下座した。
「ワン、すまない、本当にすまない。」それは心からの謝罪だったとは思う。だが、ワンは表情一つ変えないまま言葉を繋げた。
「今更こんな身体になったことを、恨みはしない。だけどな、俺達は真実を何一つ知らされていないんだ。その説明をしろよ。」
その言葉に、深く頷いた所長は立ち上がり、私たちにも立つように言った。
事実、何が事実なのだろう?この所長が言っていることも、ただの保身のための嘘っぱちじゃないのか。もはや私は誰の事も信頼できなくなっていた。
私達は所長に促され、所長室に入った。そこは本が並び、高そうな机と椅子がある、いかにもといった部屋。が、その机をずらすと、地下へと伸びる階段があった。あまりの情報量の多さに、私はこういうところって、ほんとにあるんだなぁと変な関心の仕方をした。すると、慣れた様子でワンとツー、所長がそこを降りだしたので、私も慌ててついて下へと降りていった。
地下はほんのり明るい程度。しかし、何かがあったときの対策のためか、まるで迷路のような作りになっている。そこをスタスタと、前を歩く三人は歩いていった。
「ワンから聞いているかもしれないが、エリクサ-の開発はなかなか難航してね。
ああ、こちらの部屋に入ってくれ、足元をに気をつけて。」
入った部屋で、私とツーは絶句した。
その部屋には丸い水槽のようなものが沢山あり、まるで『人間みたいなもの』がそこに入っていたのだ。
「エリクサーを作るのは、本当に難航してね。我々は神の領域を侵犯しようとしてるのではないか、と何度も話し合った。」
つまり、この人間のようなものは、人間だったのだ。だが、不完全な細胞活性剤は拒否反応と細胞の暴走が激しく、人間のかたちから崩れ始めた。この培養層と呼ばれるものに入っている液体で、かろうじて命をつなげている。意識は完全にないらしい。
「ところで君達は、先の大戦でわが国の旧軍が人体実験などを行っていたことは知っているかな?」
「えっ、あの、C国の、H市で行われていたもの、ですか?」
私の言葉に、所長がうんうんと頷く。まさか、その開発していたもの、が。
「でもよ、あそこの資料だのなんだのは戦勝国に没収されたり行方不明になったりで、まともなものは残ってないはずだろ?」
それにまた、所長が頷く。そして、一つの分厚いファイルを私に渡した。
「その当時の研究者の中で一番若かったものがね、密やかに持ち出していたんだ。」
ワンとツーと三人でそのファイルを覗き込むと、少々、いや、かなり驚く文章が連なっている。
「これ……エリクサー、関連ですよね。」
所長が黙って頷き、一枚の写真を差し出した。そこにはかなり若い頃の所長、そして白衣を着た男性を囲むように数名の男性が写っていた。
「この白衣を着た男性がね、ここの初代所長なんだよ。」
じっと資料と写真を見つめる私達に、所長が言葉を続ける。
便宜上彼の名前は伏せているがね、終戦間際、彼はR国が進軍してきた時に、咄嗟に一番重要な書類のみ衣服に隠して持ち出し、日本に帰ったのだよ。
そしてね、彼はもううんざりし、絶望していた。非人道的な実験に、焼け野原にされた故郷。エリクサーは元々細胞の超活性による働きを軍事的に利用しようと開発されたものだが、もうあの辛い戦争を二度と味わいたくなかった。だから、今開発されているものは、あくまでも医療用であり、瀕死の人間を助ける薬のはずだったのだよ。
「だがそうは簡単には研究は進まなくてね、先の培養槽に入っているような、人の形を保てないものしか作れなかった。
そして私が彼の後を継ぎ、今のエリクサーの原型を開発した、ということだ。これが、エリクサーにまつわる、全てだよ。」
ワンが、そっとファイルと写真を所長に返す。私達は暇な間に様々な文献を読んでいた。所長の話は信じるに足りうる。
さらに、別の部屋へと案内される。
「あー、俺この部屋二度と見たくなかったのに」
「私もよ」
ワンとツーがそう呟くと、また所長が頭をさげた。
そこは、かつてワンとツーが生活していた部屋だった。拒絶反応や細胞の暴走が無いことを動物実験で確かめ、それを火傷で瀕死のワンに投与したのだ。
エリクサーは当初は有効時間が短く、常に投与しなければいけない状態だった。故に、ワンはここで常に点滴を受けながら生きていたのだ。ワンは、確実に治験者ではなく、実験体として扱われた。
まだまだエリクサーの有効時間は短く、当初は数時間。故に一番最初にこの薬を投与されたワンは、一日中点滴を受けなければいけない状態だった。
やがてそれが、2時間、4時間、半日と変化をし、その度にワンとツーに投与される薬の内容は変わり。
そしてエリクサーは劇的ともいえる進化を果たした。
有効時間が伸びるにつれて生活の自由度は上がり、24時間の持続が可能となった時点で、晴れて外で暮らすことになった。
だが、所長が実質的に研究職から退いたあと、研究員の暴走は始まった。
より長く、そしてより強く。そう、それは戦闘人間を作り出し、その薬を販売させることが出来るように。
その事実を知った所長は当然それを止めさせようとしたが、所長にも気付かれない程度に、実験はどんどん進められた。毎週検診と偽って血液と細胞を取り、研究を続けていたわけだ。
「つまり、ワンは最初の実験体、ツーがプロトタイプ、私が実践タイプだったと言うことだったわけですね。」
それにこくりと頷いたあと、さらに別の部屋に案内された。そこは、何よりも驚くべき部屋だった。
骨壷が、ずらりと並んでいるのだ。
「これって……」
この部屋はワンもツーも知らなかったようだ。その骨壷を無言で見ていると、ワンが呟いた。
「つまり、実験に失敗した奴の骨、てことか。警察だのなんだの掻い潜って悪さしてたわりには、こんなところだけしっかりしてたんだな。」
「……遺族の元にもいけなかったのね。」
ワンとツーの言葉に私も頷く。
なんという悲しい話だろうか、実験体にされ、腐り落ちて死に、その骨すら隠匿され。遺骨の主と、事実を知らされていない遺族の思いが、その部屋には充満していた。
と、所長が一つの骨壷を取り出した。そして、それをワンにそっと渡した。
「……まさか。」
またしても深く頭を下げる。
「君の、おじさん、だ。」
言われるまでも無く感づいていたのだろう、ワンは何の言葉も発することなく、その小さな壺を抱きしめた。
******
それから幾日が経っただろうか、またしても私の家で三人で酒を飲んでいた。この分はすべてワンに買わせたが。
「ねえ、これからどうする?」
重苦しい沈黙のなか。ツーが口を開く。私は黙ってグラスの酒を飲み干した。
文句をいいながらもかなりお気に入りになったらしいカウチソファーにねっころがるワンが呟く。
「どうするも何も、エリクサーと金貰って見ぬふりで仕事するか、腐りはてるかどっちかしかねぇだろ。」
研究所の修繕は終わったが、研究員などはかなりの入れ替えがあったらしい。勿論、全ては秘密裏に。
「ねえスリー、貴女はどうしたい?」
すこしの沈黙のあと、答える。
「年に一度だけでも、家族に会いたい……だから、家族みんなを見送るまでは生きたい」
「同感だわ。ワン、貴方は?」
ウオッカを飲み干したワンも、また小さく呟いた。
「まあ、俺もおじさんの骨を墓に入れたいし、墓守もしなきゃだからなぁ」
「じゃあ、全員意見は一致ね。」
******
何時ものように研究所に向う。そして検査され、予備のエリクサーを渡され、私たちはすっかり綺麗になったロビーで次の仕事を聞く。ドクターは解任され、今は自宅謹慎らしい。
研究員が変わり、殆どの人員が変わったため落ち着かなかったが、それもだんだん慣れてきた。
「おくつろぎのところを申し訳ありません、所長が部屋にくるように、と。」
ドクターがいなくなり、実質的な仕事に戻った所長だが、何度と無く話していると、それなりに信頼できる人物ではあると思った。勿論警戒は緩めないが。
「すまないね、少々面倒な案件があったので、行って貰えるかね。」
イエスもノーも無い、食い扶持とエリクサーは確保しなければいけない。まあ、前と比べればきれいな仕事が多くはなったが。
「まずこの写真をを見てくれ」
見せられたのは、顕微鏡の拡大写真。見た瞬間に私たち三人は息を飲んだ。それは訓練中や検査時に散々見せられた、エリクサーを投与された細胞だった。よく見ると少し違いはあるものの、あきらかに普通人間の細胞ではない。
「これ、俺らの細胞じゃないよな。」
「そうよねえ、ちょっと違うわ。他の動物の細胞と言うわけでもないし」
私たちは、仕事に復帰するにあたり、いくつかの協定を決めた。
その一、エリクサーの更なる開発と、その治験者として全てのデーターを渡すこと。
そして、エリクサーを利用する場合は、エリクサー使用後の副作用が解決するまでは、必ず私たちだけに限ること。
そして、最後の一つは、エリクサーを絶対に海外に漏らさないこと
。もしも漏れれば、人間をゴミのようにしか見ない政治家どもは、どんどんと一日だけ能力が開化する兵士を作るだろう。勿論副作用など気にせずに。
「どこの国の仕業か知らないですが、エリクサーを国外に一切出さないことを協定で決めたはずですが?」
うんうんと所長が頷く。
「そうだよ、我々は協定を結んでいる、決してそれに反することはしない。
が、エリクサーに似た薬を作った国があるらしい。」
外国語のならんだ用紙を渡される。見覚えはある。R国の言葉だ
暇な時にはいろいろな国の言語を覚えていたのが役に立った。
「やりかねない、そんな気はするわね。」
「でもこのデータを見る限り、まだまだ完成には遠そうだけど。」
「これ、傷などの治癒より、身体能力の倍増に使われるみたい。」
「そうなんだよねぇ、まあ強化兵士の実験、といったところだね。どうやら効き目は二時間ほどで、ここぞと言う場面で投与するというところ、らしい。」
あの大戦での私達の国の忌まわしい実験の資料を、R国も密かに手に入れていた。
それは当然研究されたが、冷戦の終了、それに伴う自国内での混乱、それらで一時開発停止になっていたものが、今またこの時代に研究が再開された、というのが所長の予想だった。
「ところでねぇ、おあつらえ向きに、今度非公式でのR国との会談があるんだよ。」
ワンがあくびをして言った。
「つまりは、その強化兵士とやらもガードでくるかもって話か。」
それで話は決定した。今現在の両国での関係は表では友好とされているが、某独裁国家と手を結んでいるのではないか、そういった情報も流れている。
「製品データの撲滅なんかはね、国と僕らがどうにかするけれど、実際に兵士を連れ込んで国家の重要人物の暗殺もあるんじゃないかって話が来ていてね」
つまり私たちの仕事は、何時ものボディーガード。だが、短時間とはいえ私たちの力と同等の力を持っている人間と戦闘するかも知れないということ。
ロビーで、ベルトのメンテナンスをしている私に、ワンが囁いた。
「今度の仕事、絶対に迷うなよ」
その意味を、私は当日深く知ることとなった。
やがて当日になり、私たちは何時ものようにベルトを締め、要人を間に挟んで車に乗っていた。普段ならば送り迎えだけをガードするが、今回は礼の情報もあり、会食の場所でも見張ることとなった。
とりあえず会食は無事終了し、店を出て地下の駐車場へと向っていた
そのとき、黒いありふれたスーツの男が近づいてきた。
左胸にふくらみがあるわけではないが、明らかにこちらに向ってくる。クライアントに知り合いかと尋ねても、全く知らないと言う。
『これは、きっとあれだ』
三人の勘がそう叫んだ。咄嗟にツーがクライアントを抱えて車に押し込み、ワンがオフェンスになる。
勘は見事に当たった。その男は、常人ではないスピードで走ってきた。さらに後ろからも二人。私は咄嗟に後ろに回る。
敵が取り出した武器は、大型のナイフ。おそらくあちらの国にも私たちが銃弾程度では死なないことを理解しているのだろう、だから刃物で襲ってきたのだ。
ワンが、刃状になったベルトを相手の肩に叩きつける。だが強化されたその肩は、少し血を滲ませて他だけだった。
「クソッ、こいつらやっぱり例の薬使ってんぞ!二時間何とか防げ!
スリー、絶対に迷うなよ!」
つまり、迷えばエリクサーを投与した身体でも、心臓か 脳を破壊されて死ぬと言うこと。今まで刃物は勿論、銃器などにも対応していたが、足元が軽く震える。
迷うなよ、それは人を殺すことを迷うなということだ。そしてその開花された敵の体は、恐らくその気で戦わないと二時間以内にこちらがやられるということ。
敵は、強かった。作用の時間は短いが、強靭ということではこちらが不利かもしれないほどに。
腕に巻きつけて骨を折ろうとしたベルトは、引きちぎられそうになる。このベルトを開発したあのドクターに少しは感謝をするべきかもしれない。敵の動きも俊敏で、確実に急所を狙ってくる。
どうしよう、どうしよう。
刃状にしたベルトで頚動脈を完全に切るか。それとも心臓に突き刺すか、首を切り落とすか。
どれも、相手を殺してしまう。でもやらなければ私がやられる。今この瞬間も正確に急所を狙われていると言うのに。
「スリー!後ろ!」
要人を身体で守っていたツーが叫んだ。咄嗟に振り向くと、自分の心臓の寸前にナイフがある。咄嗟にバック転で相手を蹴り上げながら距離を取る。そしてその次の瞬間、私の刃状にしていたベルトは、敵の喉下に深く差し込まれていた。
人を殺した感触は、あっけないほどのものだった。途中で加勢にきたワンも、何の迷いも無く首を切り落としていた。
後は本能のままに動く。とりあえすの敵が動きを止めたのを確かめ、車に飛び乗って運転手を押しのけて私がハンドルを握った。そのほうが確実に早く、敵を巻く裏道も熟知しているからだ。
その間にツーが研究所に報告し、駐車場で三人の敵の死亡を確認した。どうやら彼らの薬は二時間経つと我々と同じように腐ってしまうらしい。
なんということを。私は怒りで燃えた。たったの二時間の戦闘のために、人間をゴミのように腐らせ死なせるのだ。思えば、彼らの目にはどこか凄まじい覚悟が見えた。
何のために彼らはあの仕事をしたのだろうか。
それ以上は、何も考えられなかった。
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